はてなキーワード: サービスゲームとは
偉いかねぇ
ガチャをかたくなに拒否するのはただ価値観の変化についてけない硬直した頭だったと言えるんじゃないか?
もちろん昔のソシャゲみたいな陳腐なゲーム設計に結びついた射幸心煽るだけのガチャは断固拒否するべきもんだが
最近の進歩的なガチャゲーは基本無料ゲームと理想的なマリアージュを見せる柔軟で良心的な支払い方式になりつつある
固定観念にとらわれずガチャを取り巻くゲーム状況をアップデートしていくっていう業界の課題に向き合わなかった結果が今なんだよ
今のゲーム産業の売上の8割は、アバターやズンパス課金のFPSとかも含めた、基本無料のライブサービスゲームから来てるんだよ
The Game Awardsのユーザー投票賞最終ラウンドは「中国発の基本プレイ無料ゲーム」が過半数を占める結果に。“人口パワーと記念配布の強み”を巡り物議を醸す
https://automaton-media.com/articles/newsjp/thegameawards-20241210-321162/
とっととTGAをはじめ各種の大手アワードはユーザー投票や受賞・ノミネートに関連するゲーム側の「祝い石」やセールといったユーザー還元行為を禁止するべきだな。
まあこれらのタイトルも、公式側からの投票誘導は存在せず慎まれている感じだが、結果として表彰されたときにささやかな配布をしてきた慣行があることは事実なので、プレイヤー側が勝手に投票の見返りを期待しちゃうことは避けられないし、それがある限り「投票を歪めてるんじゃ」って疑惑は拭えない。
ただ勘違いしてほしくないんだが、配布抜きにしてもライブサービスゲームは強いと思ってる。
今の時代、基本無料のライブサービスゲームがユーザー数においても経済規模についても業界を牽引する第一勢力なのが現実。そして当然資金も大作水準で注入されて継続的に作られており、買い切りゲーとは異なるリアルタイムの印象的ゲーム体験やナラティブ体験を与えている。
だから、俺は厳格に還元行為が禁止されるようになったとしても、原神みたいにシナリオ展開や動画作品発信などで持続的に盛り上げることのうまいゲームの方が、一時的なセールスを叩き出す買い切りAAAタイトルより人々に強い印象を与え、投票でも強くなると信じているし、時代が進むにつれ今後その傾向はますます強まっていくはずだと考えてる。
実際のユーザー感覚としても、優れたライブサービスゲームが与えてくれる蓄積型の感動体験は、例えリリースが数年前のゲームであってもトップを取れるほどのポテンシャルを持ちうると感じてる。ナタのシナリオは本当に心を抉られたしヒロイックでもあって凄みがあったしシステム面も飛躍があった。
陳腐なソシャゲと違って、もうこのへんにノミネートされてくる基本無料ゲームは数ヶ月おきにAAAゲームの追加DLCレベルの開発規模のもんを提供しているわけだから、良いバージョンリリースをしたゲームにはスポットを当てるべきだと思うし。
ただ一方で、ゲーマー層全体として、みんながやってるライブサービスゲームは5年くらい前にリリースされたようなものばかりになってて、勢力図があまり変化しないという実態があり、買い切りであれライブサービスであれ新作を褒めることで業界を活性化したい意図を持つはずのアワードとちょっとズレてきてる感じはある。
そもそもみんながネットに繋がってる時代、買い切りゲームはたとえAAAだろうと逆風、いやもっと言うと時代遅れなんだよ
みんなと話題を共有しつつ長期間にわたって盛り上がれる基本無料のライブサービスゲーム、オンラインゲームがどうしても中核になってくるの
それを高いクオリティで開発し、上手に運営していく能力が、日本のコンシューマゲームメーカーとモバイルゲームメーカーにはない
https://store.playstation.com/ja-jp/pages/browse
売れているのはほとんどが基本無料のハイクオリティな運営型のRPGや対戦FPSの類になっている
上位にいる買い切りは最近発売された注目作が大半で、数ヶ月で消えていくものだ
ここ数年はRPGは中国(というかほぼmiHoYo一強)、FPSは米国のメーカーで売れ筋運営型ゲームは占められ、ずっと居座っている状態だ
少し前のPUBGや今わりと売れているTHE FIRST DESCENDANTのように、かつてMMORPG開発でノウハウを培った韓国メーカーも善戦している
これらのタイトルはグローバルでも売れているものだから、ライブサービスゲームに関しては日本のゲーマー嗜好はガラパゴス化どころかグローバル化していると言える
一方国産の運営型ゲームで善戦しているのはガンダムバトオペ2、ドラクエX、PSO2:NGSといった布陣で、さすがに少々古めかしく感じるものばかりだ
国産オンラインゲームといえばFFXIVだろうと思った人、FF14は2ページ目にいる、つまりPSO2より売れてないのだ
ドラクエやFFといった(日本人にとっての)ビッグネームは今も月額制・無料体験ありを採用しているが、これも古めかしく感じるところ
近年の基本無料ゲームもほとんどがバトルパスなどの実質月額モデルを組み込んでいて、アクティブユーザーはだいたい購入するようになっているが
買い切りのように中身を触る前に金を要求される、月額のように遊ぶなら必ず課金を要求されるということに対して、現代人が感じるハードルはどんどん高くなっていると想像できる
Steamユーザーのようにカジュアルに返金できる神経を一般的なゲーマーは持っていないとも思う
その点において「まずは無料で提供します(お代はあなた次第です)」という姿勢はゲーマーの品性に対する最大限の尊重と言える
逆にプライスタグを決め打ちして関門として掲げるのは、「私達は有名(ないし実力がある)ってこと知ってますよね?これくらい払えるはずです」という
ゲーム文化を長年履修してきたゲーマーにしか通じない共通認識を頼りに金をせびってくる傲慢な態度と言えるだろう
また基本プレイ無料であれば、ちょっと飽きてきたり忙しかったり浮気したい時には無課金に切り替えつつイベントだけ追うような、柔軟な対応ができる
遊びたいものがたくさんある中で、追いかけやすくプレイヤーコミュニティに居続けられる、帰属意識を持てるのが基本無料ゲームの強みでありIP戦略の要だ
人生の中で、××に注いできた何年間、いい思い出だったなと思わせるのが売れてるライブサービスゲームだとすると
買い切りはいかにそのプレイ中の体験が素晴らしくとも、数十時間から数ヶ月で触れなくなり、映画のように「あー楽しかった」という記憶にしかならない
ゲームは、文章読みで例えるなら、文庫本スタイルからSNSスタイルに変化しているというのに、現代人に「文庫本いいよ、すごいんだけど知られてないよな」と嘆いても仕方ないのだ
テニスの試合では「サービスゲームをキープ」したうえで「相手方のサービスゲームをブレイク」したら勝てると理解している。攻撃側が有利なわけだ。
ラリーは有利な側が相手を崩すから意味があるわけで、サーブゲームキープが勝つには必須だという理解だ。
逆に言えば攻撃側が点を取れないゲームが多いと負けるということだ。
そういうスポーツは多くて、ラグビー、アメフト、バレー、バスケもだ。
(攻撃側がゲームを取るのがデフォルトで、ミスした方が多い側が負ける競技は面白みに欠けるので、テニス・バレー・バスケはラリーが多い女子競技の方が面白い)
パリ五輪のバスケのドイツ戦の解説で「攻撃のミスは仕方がないけど、ディフェンスを頑張ってほしい」というコメントがあった。
それは逆ではないかと思った。攻撃は確実に点を取ることが勝ちにつながると思うのだ。攻撃で落とさず、ディフェンスで勝てばポイント差になる。
そしてそれはデータでも裏付けられてる。シュートの成功率がドイツの方が高いのだ。負けないためにはシュートの成功率が高いことが必然なのだ。
そこを上手くやっていて、売れることで良いサイクルを産んでいる企業だから、俺は称賛している。
ランダム性をまるごと否定してしまう人は、本当にゲーマーなのだろうか?
DLCというビジネスモデルで成功しているところ、本当にあるのか?
基本無料で優れた人材を集めてライブサービスゲームを作っている所がますます良いものを作る一方で
DLCのような買ってみなければクソか神かも判別できない、ギャンブルみたいなオファーを突き付けてくるビジネスモデルこそ、時代遅れの信者ビジネスなんじゃないか?
追加開発に何百億もかけられる基本無料スキームと違い、DLCは本体を超える収益を望めない。制作側にとっても、開発費を思い切って投入できないギャンブルになる。
だから、DLCを頑張って作るよりは、ブランドバリューを活かして新作を粗製乱造するほうが合理的になってしまう。実際そうなりつつあるだろう。そういう未来をゲーマーは望んでるのか?
基本無料というのは、有害な売り方さえしていなければ、各々が自分の経済力と理性をコントロールして、各々の感じる価値観に準じて対価を支払える、極めて柔軟でスマートな支払い方法だと思うんだが。
基本無料やガチャというシステムを採用したこれまでのゲームに、辟易してきた思いは俺だってよく分かる。
でも、だからって傑出したものまでいっしょくたにしてヒステリックな反応を示し、ガチャという属性だけで理解を拒んでしまうのは、思考停止なんじゃないか?
買い切りがSteamが売れまくっているって本当か?自分のアタマでちゃんと考えた結論か?
今やゲーム業界全体の市場規模のうち、モバイルゲームが5割を占め、ライブサービスゲームからの収益が8割とされている。
ライブサービスゲームの中にSteamプラットフォーム上で展開されているバトロワFPSみたいな、非モバイルのものも上位に入っているが、売れまくっているのは結局なんらかの課金システムがあるサービス運営型なんだよ。
買い切りはSteamと非Steamプラットフォームのを合わせても市場規模のうち2割程度でしかない。ゲーム業界を支えられない。それにSteamはセールだとか言って買い切りゲーをゴミみたいな値段で売っている。
プラットフォーマーが囲い込みのための餌として買い切りゲーを撒いているようなもの。本丸はオンラインゲーム。本気でSteamを例にあげて買い切りを擁護できると思うのか?
今年の全米オープンは酷暑に見舞われてリタイア続出だったんだけど、
女子決勝が行われた日の外気温は22度だった。
なのにアーサーアッシュスタジアムの屋根は閉じられていたため、
その前の大阪なおみとの試合では、セレナはなおみたんに負けている。
第1セット、序盤からセレナらしくないミスを連発し、なおみたんにリードを許すセレナ。(注1)
セット終了時に、選手席のコーチからアドバイスを受けたとしてセレナがコーチングの警告を受ける。
セレナは「私はそんな卑怯な事は今まで一度もやったことはない」と抗議。
それに対して主審はほぼ何も言わないので、セレナは自分の主張が認められたと考えていた。
普通だったらここで「私もそう思うけど運悪くそう見えざるを得ない状況だったので、仕事柄警告しないわけにはいかない」とでも言っておけば
セレナは矛を収めた筈なのだけど、主審はなんのリアクションもしなかった。(注2)
第2セット、サービスをブレークされセレナがラケットを折って警告(これは妥当な警告)
コーチングの警告とラケット折りで累計二つの警告となり、セレナはポイントペナルティーとなる。
ペナルティーをとられたゲームが終わった後で、コーチングの警告が撤回されたとばかり思っていたセレナは
コーチングの警告に対してまた訴える。
朝日の新聞記事だとポイントペナルティーに怒ったように書いてあるけれど、
セレナは徹頭徹尾「コーチングなどというチートなことを私はしない!」と言って怒っていた。
セレナ「私がそんなことしない人間だと、あなた知ってるでしょ」
主審 無言
主審 無言
主審 無言
ゲームが再開され両選手立ち上がったところで主審はセレナに対してゲームペナルティーを宣告。(注3)
「うそつき」に対しての警告で、累計3回の警告でゲームペナルティーになったらしい。
これで第2セット3-4が5-3になる。既にワンゲームダウンだったセレナは貴重なブレークチャンスを失う。
これには場内騒然。
セレナはレフェリーを呼んで、暫し訴えた後、納得はしていないが従うと述べて試合復帰。
このあとセレナは、この状況から考えればかなり良いプレーをし自分のサービスゲームはきちんと守ったものの、
(注1)
確かにセレナは調子が悪かった。新聞記事にも、ペナルティーがなくてもセレナが負けていたという観客の声が載っている。
でもどんな不調でも、微かな契機を掴んで調子を戻し逆転勝利に持ち込めるのがトップ選手。
もしペナルティーでここまでこじれなかったら、フルセットにもつれ込んで歴史に残る名勝負になった可能性もあった。
(注2)
それに対して主審は何故その判断に至ったかをきちんと説明している。
少なくとも私が観てきた試合ではそうだった。
ごねるけれど、審判は選手を試合に復帰させるべくすかしたり脅したりと、あの手この手で選手を言いくるめている。
(注3)
これが今回最大の争点ではと思う。
更に警告を出すとき、主審はその前に「警告だすよ」と口頭で脅しをかける。
たまに突然警告を出す場合もあるけれど、それはその前に散々言い聞かせ、「警告を出す」といっていたのに
その時は、選手が納得せずとも観客がこれならやむを得ないと納得するのだが、今回この流れで出たゲームペナルティーを納得した観客がいたのだろうか。
私がこの試合をみて思った事。
この試合について直後から差別だという非難があって、私もそう思う。
この試合の障害は主審と選手のコーチングへの認識の相違であり選手そのものではない。
主審は相違の溝を埋めようとしたのだろうか。それをせずいきなり選手の排除に動いたように私にはみえる。
決勝で男子選手にゲームペナルティーを科して試合の結果を決められるのかと。
セレナが大人しく従っていたらよかったのではとは私は思わない。
セレナは過去にも、コートサイドの愚痴を(コート内で言ったわけではない)わざわざマイクで拾われ、
それに対して大々的な批判をされた。
この時も当然ながら「男子はもっとひどい事を言っているのに騒がれないのは何故か?」という声がでた。
命に関わる病気(血栓症)のために着ていたウェアを「品位にそぐわない」として禁止した全仏のキャットスーツ騒動も記憶に新しい
。
何度も何度も、あげつらわれ嘲笑され、人格を否定されてきた経験の積み重ねだったセレナに、そうでなかった人と同じ態度を求めるのはフェアではないと思う。
そしてセレナが騒いできたからこそ、テニス界の差別が少しはよくなって、錦織や大阪が過去の東洋人選手よりは活躍できるようになったとも言える。
忘れてはならないのは、セレナは抗議はしたが最終的にはペナルティーに従い、なおかつ表彰式では鳴り止まないブーイングを制止し
会場をコントロールすることで女王の貫禄をみせつけた。短気で怒ったわけではないのはこれをみてもあきらか。
「自身の立ち居振る舞いが恥ずかしいと気づいたのか」などと書いた新聞記者は恥を知れと言いたい。
ユーゴスラビア紛争の真っ最中に彗星の如く現れた、セルビアのモニカ・セレシュは試合中に出す声が大きいと散々揶揄され、
アメリ・モレスモはレズビアンであったためか、試合に勝つ度に「本当に女なのか」「検査しろ」などなど、デリケートに扱うべき問題をあげつらわれた。
これらに誰も何もいわなかったら、今のテニス界はどうなっていただろう。モレスモはマレーのコーチを務めていただろうか?
抗議することは重要だと思う。
https://digital.asahi.com/articles/ASL9944QGL99UTQP01G.html