はてなキーワード: 増田明美とは
俺、増田明美(`ェ´)ピャー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00000023-sanspo-spo
記事を読む限りだと、なんとなく叩かれるような雰囲気はある。コメントもだいぶあたりが強い。中継はみていなかったが、これだけたたかれたインタビューには興味が湧いたので動画をみてみた。
https://www.youtube.com/watch?v=PIEnYTB_qE0
インタビューが始まってすぐに涙があふれた。とまらない。うそだろ。辛すぎる。これをみたうえでこの人達はこんなコメントが書けるのか。
これをみて、人はこんなことを普通に言えるのか。頼むよ。悲しすぎる。
泣いているだけじゃないか。声を詰まらせながら話しているだろ。
金メダルとれなかったんだぞ。2位とか3位とかで「とれなかった」じゃないんだ。三十路過ぎて、人生を使って、それでこの結果だったんだぞ。怪我と失敗続きで、そうして最後のいまどうやったらこの現実を受け入れられるんだ。失敗としかいえない結果でもう終わったんだ。
誰も彼もが1位になれるわけじゃない。それを理解しながら、それに恐怖しながらこうしてがんばってきたんだろう。
この人だけじゃなくて、オリンピックの舞台に立っている人はだいたいそうじゃないのか。スマートに涼しい顔して、成功を得られている人なんて多くないだろう。みんな人生を使っているんだ。勝手そう生きているだけだけど、だからといって一方的にこんな絶望をつきつけられるのか。
たった一度のぶりっ子した人たちのカタルシスが届いて、懸命に生きている人の声がここまで届かないなんて悲しすぎるだろう。頼むよ。ここまでの過程をふりかえればその人が本気だったかどうかなんてわかるだろ。
大阪国際女子マラソンのとき、増田明美が泣いた意味がどこにある。この人は、ヘラヘラしてて、品がなくて、日本の恥ともいえる人間に対して泣く程度の人だったのか。
あのときのマラソンはイチローも泣いたといっていたぞ。イチローの目は節穴なのか。懸命の人かどうかも見る目がない人間ということなのか。
四十代男性。読売オンラインの「人生案内」を毎日楽しみにしています。
遠く日本を離れ、日々の仕事や生活で外国人ばかりに囲まれて暮らす中、このコーナーに寄せられる相談者の方々の、悩み、苦しみ、怒り、悲しみ、勘違い、一人よがり、「『なぜ世界は私を中心に回らないの?』という熱い思い」に触れるにつけ、そういえば日本にはこんな人たちがいたなあと、とても懐かしい気持ちになれました。
そして、回答者の先生方の真摯で慈しみに満ちた数々のお言葉、相談者に世間の一般常識を、限られた字数でなんとかわからせようとする奮闘ぶりを見るにつけ、自分も海外のわからず屋たちに囲まれて辛い中、しっかりがんばらねばと気持ちを奮い立たせてくれました。
そんな私の心の拠り所だった「人生案内」が、今週月曜日の14日から、突然読売オンラインから読売プレミアムに移ってしまいました。しかしながら、ライバルの日経や朝日を始め、新聞社ウェブサイトの有料化は時の流れ、これまで「人生案内」にお世話になったお礼も兼ねて、「読売プレミアム」に購読料を支払うのもやぶさかではない気持ちになりました。
ところが何ということでしょう。「読売プレミアム」の会員は日本国内で読売新聞の宅配契約を結んでいる方のみが対象、海外にいる私には、決して利用することができないということがわかったのです。こうして海外に住んでいる限り、もうあの「人生案内」には会えないのです。
心の拠り所を失った私はこの先どうすればよいのでしょう。過去のページも含め「人生案内」が読めなくなって早二日、既に禁断症状も出始め、心が折れてしまいそうです。どうかよきアドバイスをお願い致します。
最相葉月さんと増田明美さんのファンですが、こういう相談はやはり野村総一郎先生か海原純子先生にお願いしたいです。眉村卓さんは若い頃は小説のファンでしたが、このコーナーで私の悩みに答えるのは遠慮してもらいたいです。(フランス・T男)
※
当欄を長らくご愛読いただいているようで、大変有難うございます。また、ご指名までいただき、回答者としては大変身の引き締まる思いで、強く責任を感じて今回の回答を認めさせていただきます。
お手紙からは海外で一人でお住まいなのか日本人の家族とご一緒なのか、あるいは職場に日本人がおられるのか、唯一の日本人なのかはわかりませんが、当欄を心の拠り所にされているとのこと、かなり屈折した人生をお歩みのことと推察いたします。
私としては、他にもっと適切な人生の拠り所はあるのではないかとも思いますが、それはそれ、現実問題として「拠り所」が突然奪われたという境遇には、真剣に対応策を考えなければなりません。
一番の対応策は読売新聞社に元に戻すようお願い申し上げることですが、御存知の通り既存の新聞社の経営は、ネットメディアに広告主を次々に奪われ苦しくなる一方、いったん変更した方針を元に戻すのは難しいことでしょう。私も当欄執筆のため、「NARUTO」を全巻読破するなど少なからぬ時間と労力を割いておりますが、残念ながら読売新聞社の経営方針に物を申せるような影響力はありません。
ここは地道に、非購読者対象の有料ウェブ会員制度の創設や、有料メルマガの新設等を嘆願するしかないのかも知れません。願わくば、そうした嘆願行為そのものに人生のやりがいを見出していただければ、実現した時の達成感もひとしおかと思うのですが、このような回答ではお叱りを受けてしまいそうですね。
たかがコピペ相手にそこまで憤慨している増田が怖すぎる。 思い込みが激しすぎるというか、独善的というか。 リアルでこんな人と関わりあいたくねえええええ. Permalink | トラックバック(0) | 23:34 はてなブックマーク このエントリーのブックマーク ...
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増田俊樹
増田塾
増田都子
増田 b'z
http://www.apic.or.jp/plaza/oda/people/pic/20070625-01.jpg
Anonymous Diary のことを増田、増田と呼ばれることについて、
増田明美 さんはどう感じているんだろうか?
気にしちゃいない、か。
たくさんの友人ができ、新しい仕事まで舞い込んだ。ネット上の自分のイメージと、現実の自分とのギャップが悩みの種だ。
タイトル:「日記を書いてから」。本文:「5分以上レスが付かないとそわそわします。病気かもしれません」。
10月15日、名古屋に住む増田明美さん(26歳、ハンドルネーム:まぁす)が、はてな匿名ダイアリー(HAD)「増田」に書いた日記だ。
ネットが得意な友人から増田を紹介されたのは9月。PCは苦手で、チャットやメールに使うくらいだった。インターネットにも疎く、増田が何なのかも分からなかった。増田がその後の人生を大きく変えることになるとは、想像もしなかった。
とりあえず、紹介メールに従って、ログインしてみた。日記機能があったので、「作者はid:wanparkさんと見た。ともだち、ともだちられの仕様がわんわんワールドっぽいw」という日記を書いた。その日、知らない人からレスがついた。嬉しかった。ほぼ毎日、日記を書くようになった。レスへの返事も欠かさなかった。
日記にレスがついていないか、自分の日記に誰かが訪問していないか、はてブされていないか、一日中、気になった。朝起きるとまずPCを立ち上げて増田をチェック。会社でも、上司の目を盗んでは何度もアクセスした。休みの日は1日中増田を見て過ごした事もある。友人との旅行にまでPCを持っていって、ホテルでも 増田をチェックした。
友人リンク機能「マイはてなー」にもハマった。マイはてなーは、他のユーザーにリンク依頼し、承認されれば、自分の友達として自分のページを閲覧できるという仕組み。知らない人ともどんどんつながれるのが楽しかった。でも、すぐに廃止された。
ある時ふと思い立って、友人と、マイはてなー数がどこまで増えるか競い合った。この勝負を見届けに、多くのユーザーが、増田さんのページに集まった。勝負の状況を伝える日記のレスで、いつのまにか、負けたほうの罰ゲーム――名古屋・栄のうなぎ屋で、巨大ひつまぶしを食べる――まで決まっていた。
勝負には勝った。面白そうだったから、言われるままに巨大ひつまぶしの店を予約した。初めて主催した、増田のオフ会だった。
オフ会に参加したのは、勝負した2人と、それを見届けたユーザー11人。初対面の人も多かったが「皆いい人でびっくりした。ネットの人って、もっと“イタイ”と思っていたから」。
増田のオフ会は、その後何度も主催した。増田のビジネスモデルをユーザー皆で考える「増田版無敵会議」もその一つ。増田が赤字運営だという記事を読んだ時、1ユーザーとして何か役に立てないかと考え、思いついた。
場所を借り、内容を練り、80人以上のユーザーを集め、司会を務めた。もともと仕切るタイプではないし、人前で話すのも初めての経験だったが、大好きな増田のためなら、何でもできた。
増田で、仕事も変わった。11月のある日、増田がきっかけで知り合った人から、自分が働いているIT系企業に来ないかと誘われた。
名古屋で一人暮らしをし、ACアダプタの細いピン作り職人のバイトで生計をたてていた当時。実は、そろそろ東京の実家に戻ろうと考えていた。実家の母親の健康状態が悪かった。一人っ子の自分が支えてあげないくてはいけないと思っていた。
「でも、自分と一緒に何かやりたいと言ってくれる人がいる。こんな機会は2度とないかもしれない」――悩んだ末、名古屋に残って仕事を受けることにした。バイトをやめ、その会社で営業職として週4回、働き始めた。
マスコミがこのことを聞きつけ、取材に来た。HADで仕事を見つけるという一つの“成功例”として、新聞に載った。
でも実は、仕事を受けたことは後悔していた。会社側が期待していたのは、精力的にオフ会をこなし、人脈も広い“増田のまぁす”。しかし、職場での自分は、シャイで人見知りで、営業は苦手。
増田のイベントなら、みんなに喜んでもらうため、盛り上がって楽しむために、頑張れる。でも、好きでもないものを売るための営業の仕事は、ただただ、辛かった。悩んだ。
「辞めよう」――8月、決意した。
「増田を始めてから、一緒に何かしようと声をかけてくれる人は多くなった。増田内での私は、モチベーションが高くて何でもできる人に見えるみたいで」。
そのイメージは間違っていると、自分では思っている。「本当の私は、思いつきで行動するだけの、何もできない頭悪い子」。一人歩きする“まぁす”のイメージと、自身の自己像とのギャップに、悩むこともある。
それでも増田は大好きだ。増田がきかっけで、友達が増え、イベントを主催し、仕事をもらい、インタビューを受け──想像もしなかった新しい人生が拓けた。増田から受けた恩は計り知れない。
今は、もっとたくさんの人に増田の良さを知ってもらいたいと強く思っている。増田を盛り上げるのに少しでも貢献したいから、イベントを積極的に主催したり、取材を受けたりと、広告塔の役割を自ら買って出る。
――あなたにとって、増田とは?
「新しい世界を切り開いてくれたもの。自分の全く知らなかった、“別世界”に遭遇するきっかけをくれたもの」。