はてなキーワード: 豊田有恒とは
以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石が I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石が I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
かの有名な「ドラえもん」というSF日常ギャグマンガに「のら犬『イチ』の国」というエピソードがある。
のび太が拾ってきたノラ犬に知性を植え付けて過去のどこかの土地で、捨てられた動物の国を作らせて問題解決、というあらすじだ。
このエピソード、昔からなんとなく苦手で、知性をもったイチの描写が怖かった点も大きいのだが、そのまま歴史が進んだら人類社会誕生しないんじゃね? という妄想に発展するのも大きいな、
と考え直していた。
そうすると、特別にドラえもんが好きというわけでもないが、「ガラパ星から来た男」も似たような部分がある。
または「パラレル西遊記」もちょっとばかりではあるが、似たニュアンスの描写があることに気づいた。
さて次の段で、他の作家、作品はどうかなー? と進んだのだが、たまにSFを読むくらいの自分には、ほぼ全然これが思い当たらない。
というわけで、掲題のとおりなのだが、過去を改編するタイプのSFで、そもそも地上に人類種がまったく、あるいはそんなに反映しなかったってタイプの作品、なにかありますかね。
【追記】
はじめて増田に記事を書いて誰も読んでないかなーと放置してたらメッチャ反応してくれてました!
ありがとう!やっぱ増田は SF に限る! 以下、自己満足のレスです(主に作品について)。
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srgy 条件に合うかわかんないけど、ジーンダイバー(の前半)は人類が存在しない歴史に改変しようとする 齧歯類が進化した種族を、主人公が阻止しようとする話
他の方も挙げてくださってましたが『ジーンダイバー』。アニメか! おもしろそう。世代にはあたっているハズなのに記憶がない…。ありがとうです。
mujisoshina 過去改変とは違うが、火の鳥未来編で電子頭脳による核戦争で人類が滅亡した後に、知性を持ったナメクジによる文明が発展してしまう話は記憶に残っている。
未来編も多かったですね。やっぱり異種の文明なりが発展するというのがインパクト強いのかな。
kotetsu306 過去改変で人類の存在を無かったことにしようとしてくる異種族と戦うお話なら、小川一水「時砂の王」かな。小林泰三の短編「時空争奪」もSFホラーで良い
「時砂の王」そんな感じなんですね。読んでみます。小林泰三も触れたことないんで、これを機に…。
コードウェイナー・スミス! 名前は知っていたがこちらも未読。リストに入れておきます。
aaa_too_zzz エブエブみたいな平行世界、マルチバースものなら人間とちょっと違う生物が繁栄していたり、まったく生物がいない世界が描かれることはよくある
「エブエブ」避けたんすけど、そういう描写があるんですね。確かにマルチバース系だと可能性のひとつみたいな感じで出てきますな。
『虚構船団』第2章いいですよね。第3章の落差がまたいい(第3章がいいとは言ってない)。
こちらも挙げてくだった方が多いが、やはり「猿の惑星」のインスピレーションとバリエーションはありますよね。
x100jp 『なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか?』は、"地上の覇権を争う五種族の大戦が、人類の勝利に終わった時代。だがその世界は、少年カイの目の前で突如として「上書き」された。"とのこと。
これ! 最近は追ってないですが、よい(よかった)ですよね。
nomitori アメコミだと、征服者カーンが毎回毎回そういうことしようとしてアベンジャーズに退けられているな…。もっと上手くできたやろって思ってしまいがちなのでこの手の話はあまり好きでない。
アメコミなるほど。「やりようあるだろ」という感想を抱きがちなのもわかります。
IvoryChi 人類の大半が「変わって」しまった話ならSCP-3936【職務に忠実であれ】がいいよ。非人間型とされる生き物の特徴が明らかに普通の人間なのがこわい
SCP というコミュニティを知らなかったです…。こわい…。
kotaponx 過去改変というか未来から過去を改変するためにやってくる……といえば、スティーブン・バクスターの時間的無限大かな。ジーリークロニクルの中では一番好き
こちらは作家も作品も知らず。ハヤカワ文庫で95年の作品ですか。ありがとうございます!
zeromoon0 その流れなら「竜の騎士」を外しちゃいけないし竜の騎士をなかったことにして新恐竜を「恐竜映画3作目」とかほざいたドラえもん公式を私は許さない。
他の方も挙げてくださっているが「竜の騎士」は、「それでも恐竜は救えなかった」からの反転がキモだと思っているので、入れませんでした。「新恐竜」の元ネタの贅沢さに比べた完成度はね。祈りましょう。
wdnsdy 未来→現代だけど、漫画「BLACK BRAIN」が未来の人類種の覇権を賭けて現代(連載が90年代なので90年代)の主人公が無理矢理戦わされる話。ただしかなり人を選ぶエログロな作風。正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う
こちらも作品を知らず。ありがとうございます。「正直人類が覇権取る世界もどうなんだと思う」いいですね。
azumi_s ソシャゲの「ブラック★ロックシューターFRAGMENT」がわりとそんな感じ。世界線が爆発的に分岐した影響で知性を持った野菜が支配する世界とか色々出てくる(そんなんばっかではないが)
へぇー、あのゲームってそんな感じですか。ソシャゲはストーリーの都合上、マルチバース取りがちですね。
たしかに『創世のタイガ』もこの気はある作品ですねぇ。いまはWebだけでしたっけ。
いや! まさしくそのイメージです! 思いついてたんですが、ゲッターをちゃんと補給したことなくて…。
dada_love FGOの第二部がまるっとそんな感じなのでおススメ
FGOもそんな感じなのかー! でもFGOは多分やらない…。ありがとうございました!
豊田有恒もこの手の作品を書いているんですね。あとはやっぱり恐竜系は多いか。
『地球の長い午後』ってそうなんすね。たしかに話題の趣旨から外れるけど、これはかなり読みたい。
Machautumn パラレルワールドものなのでちょっと趣旨と違っちゃうけど、ロバートJソウヤーの『ホミニッド-原人』はネアンデルタール人が支配する世界の話だったはず (未読なので作品の評価は控える)。
一緒に読みましょう!
イーガン、読んだり読まなかったりですが、『順列都市』(積読)ってそんな! ありがとうございます!
これね!
tcmsc 『アーロと少年』『サウンド・オブ・サンダー』
bokukanochat 銀魂が思い浮かんだ。いい設定だよなぁ
これもいくつか挙げてもらったけれど、そういえばそういう設定だったですね。江戸時代の改変モノは割と面白いですよね。
tomoP ネタバレになっちゃうけど、『Holy Brownie』では一番最初にホモ・サピエンスへ分岐した個体を殺しちゃうことで人類が絶滅する。その結果の世界が『エクセル・サーガ』
六道神士。すんなり読めるときと入り込めないときがあるんですが、なるほど。機会を探してみます!
hate_flag 地球人はじつは侵略者で、原生地球人たちは海底に生き残っていたというのがウルトラセブンの『ノンマルトの使者』(そして海底も侵略しちゃうんだ地球人…)
やっぱりウルトラセブンは避けて通れないんですね…。ありがとうございます。
rider250 ちょっと趣旨が違うけどバクスターの「タイム・シップ」(ウエルズの「タイムマシン」の続編)で時間旅行ポンポンできるようになった人類が恐竜時代より過去に遡って月まで開発してしまうのは壮大だったなあ。
pptppc2 ブコメで出てるクロノトリガーの数あるマルチEDの一つ「恐竜人が支配した世界」は、実は続編のクロノクロスでかなり重要な役割を持ってたことに驚いたよね。気になる人は是非クロノクロスをプレイしよう!(ダイマ)
もとひら先生はほんとうにすごい!
ちょっと変化球気味な気もしますが、たしかに!笑 永井よ永遠に。
kou-qana ちょっと違うかもだけど「天のろくろ」は…うーん、全然違うか。「今・この現在」が、なかったことになる感はあると思うけど進化史レベルではない…。パラレルワールドものにはありそう。
参考にさせてもらいます!
『星を継ぐもの』も似たようなニュアンスでしたよね(うろ覚え。『さよならダイノサウルス』ありがとうございます。
これSCPですか?
debabocho 意外と難しい。ソウヤーの『ホミニッド』は人類の代わりにクロマニヨン人が文明の主役として進化したパラレルワールドと行き来する話だけど、歴史改変じゃないし乗っ取られるわけでもないからなあ。
ROYGB 親殺しのパラドックスの種族版と考えれば昔のSFでありそうな気はする。新しい方のスタートレックの映画で、過去に戻ったボーグによって全人類がボーグになってしまい、それを阻止するのがあった。
スタートレックも押さえてそうなネタですよね。新版ではあると。
たしかに! そういえばそうでした! 光永康則も藤子・F フォロワーですからね。ありがとうです。
なるほど。ここまで挙げてもらった作品でも侵略側がっていう視点は少なかった。ありがとうです。
これはね、そうですよね。『創世のタイガ』の元ネタのような気もします。小松作品だとややズレますが『ホムンよ故郷を見よ』は似たような驚きをくれますね。
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