はてなキーワード: エヴァとは
さて、私の話を始めよう。
最近、友達の間で流行っているのがエヴァンゲリオンに関する大喜利だ。
特にネルフについて語り合うのが人気で、様々なネタを出し合うのだが、AIにやらせてみると、正直なところ微妙な結果ばかり。
そんな中、私は自分のセンスを発揮して、思わず「俺ならこういうネタを出すのに!」と叫びたくなる。
しかしエヴァの世界観に全く沿わない。ネルフは世界を守るための機関であり、真剣に使徒と戦っているのだ。
次にAIは「ネルフのパイロットが、実はタピオカドリンクの大ファンだった」というネタを出してきた。
あまりにも意外すぎて思わず笑ってしまったが、これもまたネルフらしさを欠いている。
シンジが戦う姿を思い描くと、彼がタピオカを飲みながら使徒と戦う姿はちょっとイメージできない。
せめて「ネルフのパイロットが、タピオカを使った新しい武器を開発した」とかなら面白いのに、と思ってしまった。
このように、AIの出力にはどうも満足できない。
そこで私は自ら「こんなネルフは嫌だ」というテーマで、自分のセンスを炸裂させることにした。
まず思いついたのは「ネルフの職員が皆コスプレ好きで、会議中にいきなりキャラクターになりきる」というアイデアだ。
エヴァの世界観の重苦しさと、コスプレの軽快さの対比が面白いと思う。
会議中に、碇ゲンドウが突然「やあ、みんな、今日はセーラームーンに扮して会議を進めよう!」なんて言ったら、さすがに笑いが止まらなくなるだろう。
さらに、「ネルフの司令室に隠れキャラクターのぬいぐるみが大量に置かれていて、職員たちがそれに癒されながら仕事をしている」というシチュエーションも考えた。
ネルフが超真面目な組織である一方、その裏側で癒しを求めている職員たちの姿を想像するとなんだか微笑ましくなってくる。
このシリアスな世界に、癒し系キャラクターの要素が加わることで緊張感とユーモアのバランスが絶妙に保たれる。
「ネルフの職員が、会議の最中にお弁当を食べる」といったネタもあった。
これも悪くないが、全体の雰囲気としてはやっぱりちょっと物足りない。
ネルフでお弁当を食べている姿を想像すると、いきなり現実味が増してしまい、エヴァの世界観を壊しかねない。
私はその点でもう一度考え直してみた。
最後にたどり着いたのは「ネルフのスタッフが実は全員漫画オタクで、会議の合間にそれぞれの好きな漫画の話をして盛り上がる」というもの。
これなら真面目な議論の合間に職員たちが「最近の○○って面白いよね!」なんて言い合う姿が想像でき、ちょっと和んだ雰囲気が出る。
シリアスな話題と、オタクたちの熱い議論が交錯することで意外なコントラストが生まれ、面白さが倍増すると思う。
こうして自分のセンスを披露することで、AIに対する違和感を解消できた気がする。
やはりエヴァンゲリオンのネルフには、ちょっとしたユーモアが必要だ。
シリアスなストーリーの中にも笑える瞬間があってこそ魅力が増すのだと再認識した。
今後も自分のセンスを磨きながらエヴァの世界観を楽しんでいきたいと思う。
コンテンツの質よりも中の人重視で、だからアイドルコンテンツなんて最悪という意味で相性がいい
だから日本はジャニーズ大国にもなるし、女向けのアイドル主演映画がランキング上位に並ぶ
男は逆にコンテンツは評価のために追いかける傾向にある(ガンダムとかエヴァとかね)
だから業者からすると男向けのアイドルを主演にするメリットが薄い。オタクが見に来ないからな
これって最近バズってたひとの受け売りなので本家のブログを読むと言い
昔富野がガンダムを最初に評価してくれたのは女性ファンだった、サンライズまできてくてたのは女性ファンだったとか言ってたんだよな
それ見て「おいおい、スタジオまで押し掛けることを嬉しそうに言うなよ、男だったら問題にしただろスケベ爺が」とか思ったことあるんだけど
まぁそれはおいといて、女の「応援」の勢いはすごいよな、ゲーム配信文化も多少はかじってるんだけど女ファンって応援という「母親」の勢いがすごいと思うことが多い
そんで逆に、youtubeで解説動画をあげるのは基本男だなって思う
こういうの性差あるよなぁって思う
そんでXにいる女オタクは応援の部分だけ見て女はカネを落とすって誇らしげなんだろうけど
ジャニーズがそうであるように、正直内容とかどうでもよくて応援で金落としてるだけだから
質が総じて低くて業界としてそれでいいのかって話ではある
本当に映像作品を観るのが得意じゃない。
なにしろ、何分!何時間!身体が拘束されると思うと嫌気がさすし、目が乾くだろうし嫌になる
ドラマをブワーっと見れる人とか、アニメを観る人っていうのが信じられなかった。文章だったら自分で読むスピードを変えられていくらでも読み直す事が出来るけど、映像作品は観るスピードを変えたら作品自体が変わっちゃうし、巻き戻ししたところで映像の端から端までを一気に観ることは、物理的に不可能だ。
ということを感じて、どうにか観れるようになりたいと、映像作品のイロハを学ぶことにした。
とにかく上手と下手を常に意識する。
そしてカットが映し出すもの、それがなにを呼び起こしているのか、どのような象徴であるのかを念頭に入れておく。
光源はどこかとか。
重い腰をあげて、手始めにエヴァを見てみた。
上手下手のほかにも、カメラの位置についても考えるようになると、段々と映画すらも楽しめるようになった。
それに地方の映画館でやってるようなエンタメ映画というのは、本当にこの勉強の成果が全く出ない!
映画って予算とか莫大なのに、なんで技巧を凝らすものが少ないんだ?
そうなると自分が楽しめるのはやっぱりアニメになるし、映画は前衛映画になる。
今年は例年に比べてまあまあ映画を観たと思う。
とはいっても、10作品も観てないような気がする。とにかく目が乾くのが嫌で観る気になれない。
もともと物語を追うのが得意じゃない。小説はよく読むけど、ストーリーを追うのは凄く下手だ。
・何かが起こる
・どうして起こったか
・その後どうなったか
この因果が化学でやったような共有結合的な仕方で手を取り合っていたら簡単だが、小説は挿話のようなものがパンパンに詰まっていることも多く、本当に、覚えられない。
パンパンに詰まっている挿話の袋に穴があいて、そこからブワッと一気にエピソードが頭の中へ漏れ出す。頭の中ではそれらが、さっきの因果の仕方でどのように結合していたか、並べ直す作業がはじまって、ようやく人と話せるようになる。
現代文は得意だった。マークシートでは9割が普通で、記述でも8割を下回ったことはない。
でもそれとこれとは全く別だということ。
友人が言っていたのを思い出して、岡田斗司夫を少しだけ見るようになった。岡田斗司夫の言うことは確かに、切れ味は鋭い。ふーむ、そこを切り口に語るのですね、と思う。
が、岡田斗司夫の言っていることは、雑学という写像的な意味対応を抜きにすれば、入試現代文と同じなのだ(岡田斗司夫を下げるわけじゃない。でも誰でもできるというわけではない。勉強すればできる)。
と、強く思っている。
でもやっぱり、映像作品を観るのはあまり、得意ではないなあ……と思う。
それなのに色々なひとが、いわゆる「考察」についてよく話しているのは、すげえと思う一方、さっきの雑学という写像的な意味対応の披瀝とあんま変わんねえんじゃねえかなあ、とも思う。
YouTubeで何かの紹介があると、コメント欄では「ちなみに〇〇の△△は××です」「□□が☆☆なのほんとすき」とか。作品の理解とは無関係な、つまり〈辞書を引けば即会得〉という意味での雑学は、誰のものでもないし、誰も凄くないし、なんだかなあという気持ちになる。
それにしても、勉強の成果というのはヒシヒシと感じる。
学生の時分はとにかく怠惰だったから、あまり勉強をしなかった。勉強即趣味、趣味即勉強というのは心が豊かになって良い。
ただ、自分が、自分だけが怠惰な世界であるようには思えなくて、このような怠惰な人間が学びなおして、インボー論的なヤツにハマったりしているのであれば、その人に対して私は同情してしまう。
ネットに溢れるインボー論的なヤツも、先の〈辞書を引けば即会得〉的な、写像対応とあまり変わらんのではないか、そのように思える。学生時代には「これって実質〇〇なのでは……?」というのが流行った。それと現代文を対応させると、文章から抽象を引っ張り出して、抽象を、或るものと別のものを繋ぐドカンのようにしてやり、具象を出す、そのような理解を得た。
勉強せずに現代文を解いていると、逆に現代文はどのような勉強をすれば、どのような理解に基づけば解答が導き出されるか、という「逆勉強」のようなものに従って、普遍化していた。なにも私は全知全能ではない。なぜか現代文が解けただけなのだから。勉強すれば出来るようになる入試というもので、天才しか解けないような問題を出すなんて、ありえない話なのだ。
私の現代文の先生は、よっぽど特殊だったのだろう。素晴らしい先生だった。「現代文は、つまんないからやりたくない」そう言って「だって、読めば答えが書いてあるから!」と喝破した。そして、授業を本当にしなかった。雑談をして、そこから生徒と一緒に、思考をコネコネする。でも実際、私たち生徒が感じていたのは雑談だし、授業をしない、教科書を読まない! だけだと思っていた。「あーあ、ねみー! 次現文かあ、寝るかあ」なんてのをみんながよく言ってたものだ。
TL;DR : 自分にとってエヴァの呪縛は終わったようで終わってない。どちらかというと庵野の呪縛。それはそれとして久々に見たいアニメができたので、見る
幼少期はエレメントハンターと00の1期を見ていた(00はロックオンのハロが必死になってるシーンのせいでそのシーンしか覚えてない)。
小4にもなろうという頃にはインターネットに足を突っ込んで、TVは見なくなってしまった。
庵野に脳を焼かれたのはその頃だったと思う。アニメを見なくなったとはいえ、まだまだガキだった増田は金曜ロードショーは欠かさず見ていた。
Q. 当時の金ローといえば?
結局Qは2回見に行ったと思う(1回か2回かわからなくなるぐらいには衝撃だった)。
増田は運の悪いことにシンジと一つ違いだった。そして同じ部活の後輩(シンジと同い年)に同じく脳を焼かれた奴がいた。
そして運の悪いことに学校の帰り道も徒歩で30分ぐらい同じだった。
毎日毎日インターネットから拾ってきた考察を二人でこねくり回して(リナレイの話ばっかりしていた)
が、結局卒業して、高校に進んでからはあんまりエヴァの話はしなくなった。
しなくなっただけだったのかもしれない。
シン・ゴジラは見に行かなかった。ゴジラに興味が無かったから。
進学してしばらくたって、2021年に遂にシンエヴァが公開になった。
最初は「週末にでも(9年ぶりに)映画館に出向こうか」と思っていたが(その時点でアレだったかもしれないが)、いつの間にか飯を食った後親に直談判していて、
20時過ぎ(そもそもこんな時間に出かけるのが人生初)、映画館でチケットを握っている自分がいた。
(余談:これの前に映画を見に来たときはまだお姉さんが窓口でチケットを売っていたのもあって、大層恥ずかしい思いをした。詳しくは書かない)
エヴァの呪縛だと思った。5年も絶っていたエヴァは1度摂るだけでフラッシュバックした。
良い映画だった。増田がVoyagerが流れだしてからエヴァが終わってしまうことに泣いていた。(人生の9/20がエヴァに焼かれてきたのだ)。
良い終わり方だと思った。エヴァの呪縛からは解かれたと思っていた。
シン・ウルトラマンは見に行かなかった。ウルトラマンに興味が無かったから。
シン・仮面ライダーは見に行かなかった。初期仮面ライダーに興味が無かったから。
して、今である。
水星の魔女は興味がわかなかったし、見なかった。だが、GQuuuuuuXは庵野脚本と聞いて絶対に見たいと思った。
たぶん幼少期に00を見ていたり、大阪に行くたびに深夜枠のガンダムをホテルで見ていたりして、興味がないわけではなかったから。
今はMFゴースト(これは怖いもの見たさで視聴を決意したタイプ。けもフレ2もニコ生で毎週見ていた)を録り終わって解体した録画鯖を復活させている。
キャプチャカードを掘り出し、recfsusb2nをビルドしなおし、B-CASの端子に消しゴムを掛けた。
かといってアレをエヴァなんかに重ねてみているわけではない。エヴァと重ねて見てるやつは薄いやつだとさえ思っている。
でも見たいと思った。面白い話が見れるはずだと確信している自分がいる。
増田を麻薬のようにアニメに引きつけて、少しのトッピングだけでもフラッシュバックさせる。
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増田は
行き場のない思いを文にして
増田に投げることにした。
でも制作年代はラピュタの二年後 ラピュタも異常なクオリティだけど画面だけでいえばもっとすごい
指に指ができるとか気持ち悪い異形があのへんからはじまってエヴァだのもののけだのにいったりしてるよ
CGつかってたの、虹色の超能力パターン見るシーンだけでそれも間に合うか微妙なほどマシンパワーが遅かった
なのに人の脳だけであんなに飛行機(軍用ヘリ)やバイクやビル(割れたガラス)、そして抜けた巨大コードのうねりなんかをうごかしてる
口パクもディズニーとおなじでアテレコではなくプレスコなのでばっちり合ってる
(あってないときはカメラが発声者から遠いから空気伝導が遅いことを意識してわざとずらしてるシーンだったりする)
おれ1986年に転生してもスマホもブレンダーもなしであれだけのことを再現しろっつっても一生掛けても無理です
それがまだ30代前半の男がやったんだからなあ
ポエムにはならないはずなんだよね
小説でポエム書いちゃうと、ラヴクラフトの詩もそうだけど、映像化は不可能というか、寧ろ詩から想像をかなり膨らませて映像にすることになっちゃう
例えば、ラノベ、涼宮ハルヒだとかでもいいけど、小説、文字表現からアニメになる、映像になると、基本的にはストーリーが詰まってる
文字で言い表せるんだよね、物語がちゃんとしてる、当たり前だけど元が小説だから
でも、AKIRAというか、特に初期の大友とかは漫画だから、絵だから表現できたわけで、絵で描かれたポエムなんだよね
物語として考えるとフワフワしてる、でも、エヴァもそうだよね、雰囲気だけでも、漫画以上の映像、アニメではそれが可能になる
絵で表現されたポエム、理屈はどうでもよくて、視覚効果として気持ちが良ければいい、究極的にはモーションタイポグラフィーとかにもなる
とにかく、観ていて気持ちがいい、その場その場で取り繕ったようなシーンだろうが、セリフ回しが気持ち良ければいい
押井作品とかもそう、宮崎駿が押井氏をそんな風に評価してたこともあったよね、難解な台詞とか表現してるけど、実際は中身がない
でも、それが作品の雰囲気というか、重い空気を作り出したりしてる、繰り返しになるけどエヴァもそう
涼宮ハルヒのアニメを小説に逆変換することは当然可能で、逆変換すれば元の小説になる、それなりの厚さの文字列になる
でも、AKIRAを小説にしても、なんか薄っぺらくなっちゃう気がする
こんな爆発をする、こんなビルがある、そういう映像の凄さを文字表現にしたら、凄い薄っぺらくなっちゃうと思う、AKIRAみたいな映像重視の作品は
別にそのどちらかが正解というわけではなくて、作品の構築方法、攻め方が違うだけであって、どっちも凄いし、どっちも存在していい
まあ、でも、AKIRAもエヴァも、あー、雰囲気ポエムきたー、みたいにツッコミながら視聴しちゃうんだけどね、それも楽しいんだよね
まあ、スタッフロールが全員、末端動画まで日本人だし、まだバブル崩壊後でも余裕がある日本だった時期の映画でもあるし、
今だったら、中国人、韓国人スタッフの名前が並ぶけど、まあ、それなりのクォリティーになってきたというか、
中国は国内の政治とかがああでなければ、もっと自由な表現で日本を超えるぐらい面白いものを作れる可能性も出てきたけどね
やっぱ、AKIRAは全日本のアニメの勢力をスタジオとかを結集した感じがあるよね
それだけ結集できたのは、みんなが大友氏の漫画に、絵に、表現に魅了されたわけで、やっぱりそれって凄いよな、って思う
鳥山明でさえ影響受けてるよね、AKIRAのアニメ見るたびに思っちゃうけど
荒川弘もそうだし、魍魎戦記マダラもそうだし、バスタードは当然そうだし、なんかもうみんな大友を記号として受け入れてるよね
なにかってと球体とか好きだよね、AKIRA見てると
老人とか子供を描くのが好き、女性はつり目でツンツンしてる娘が好き、球体とか単純幾何学形状を大枠に、それをまた緻密に描くのが好き
・金田が元気ない
・鉄雄も元気ない
・暗い
・でもやっぱりお婆さんに見えるから大佐もテンションが上がらない
・「中止だ中止」って書いてある板が何枚かあって会議してる
・よく見ると鉄雄にロンギヌスの槍が刺さっている(特に意味はないけどみんなで考察する)
・「さんをつけてよ!!!!!デコ助……ウワァーッッッ!!!!!」
・アキラが第九を口ずさみながら登場
・ミサトさんがいないから反オリンピックデモのおばさんにキスされる鉄雄
おわり。