はてなキーワード: マスメディアとは
「女が差別されている」「いや、男の方がつらい」などと、今日もネットではバトルが繰り広げられている。 統計的事実からすれば、どちらの主張も可能であるにもかかわらず、お互いに攻撃し合い、対立の度合いを深めていく泥沼とも言える事態が生じているのが現在だ。 かようにネットで展開しがちな男女論、フェミニズムとミソジニストの衝突に一見見える対立を解きほぐし、丁寧に中間の領域の議論を積み重ね、対立図式からの脱却を目指す新連載。 その方法論となる「男性学2 0」とはいかなる理論か。 女性・男性問わず読んでいただきたい考察。 誤解を避けるために言っておくと、前回の記事で「オタク差別は存在しない」と表現したのは、現在の制度的あるいは通念となっている(女性差別や民族差別や障害者差別などのような)「差別」と同じ水準の「差別」として、「オタク差別」を扱うのは難しいという意味である。 ネットでは「オタク差別」について、民族や女性への差別を持ち出し、なぜ同じように扱われないのかと疑問を呈する者がいるが、「オタク」とそれらは性質も違うし、歴史的経緯もまったく違うので、同じようには扱われないのは当然である。 だが、ネットの人々が通俗的な意味で言う「オタク差別」、つまり、宮﨑勤事件の時の報道や、ある特定の趣味や性質を持つ人々へのネガティヴな言動が存在したこと、それがマスメディアなどのレベルであったことや、それに影響された人々が様々なからかいやイジメや迫害をしたことについても、否定しようとは思わない。 現在の制度的な意味で理解される「差別」については前回確認したので、今回は「オタク」について、概念史的なアプローチをしていきたい。
https://anond.hatelabo.jp/20241211085650
リンク先の話
なんというか、たまたま話題性が高くて、普段あんまりフィクションを見ない人が見てしまったので文句を言いたくなった、という感じだと思うんだけども
基本的に、女性向けジャンルとされるもののほうが、男性向けとされるジャンルより、お花畑な方面もエグい方面も裾野が広いです
これは、いくつか理由があって、
第一に女性向けはあまり注目されないマイナージャンルなので、比較的、好き勝手にやれるということ
男性向けは基本的にマス向け(メディアが取り上げたがるし、メディア経由の宣伝で売ることを前提にした市場である)なので、文句つけたい人たちが見つけやすいのに対し、
女性向けはマスメディアを期待しないので、文句をつけたい人たちに見つかりにくい
(逆に言うと、今回のように男性にまで話題にされてしまうほどヒットするとケチをつけられてしまう、ということでもある)
次に、そもそも女性のがフィクションを作る側も受け取る側も層が厚い
シンプルに、男より女のが創作方面は強いです。少なくとも日本では
なので、ちょっと女性向けを漁ると、けっこう際どい、刺激的な表現があちこちで読めます
それだけ裾野が広いという話
というか、男はほら、刺激が欲しかったら
会社でセクハラするとか、風俗行くとか、社会で認められてるから
フィクションを漁らなくても済むので、フィクションに厚みが必要なかった
その差が今になって効いてるってことですね
立花孝志を見ていると、世代的に1990年代のバラエティ番組を思い起こさせるところがある。
その当時のバラエティは現在よりもはるかに下品で過激なものが多かった。例えば、現在でもあるドッキリ企画は、当時は街頭の素人相手にも平気で行っていたし、現在は内容がヌルくなった『ロンドンハーツ』も、元々は素人のギャルやチャラ男に対する過激なドッキリ企画が主なものだった。一世を風靡した『電波少年』も、偉い人に対するアポ無し突撃で、テレビカメラの力で無理矢理相手の嫌がることをさせる(現場でさせている松村も嫌々だったが)という内容が多かった。
立花がやっていることも『電波少年』的な悪ふざけだと考えれば合点がいく。つまり、「NHKに出演して『NHKをぶっ壊す』と言ってみよー!」という悪ふざけ企画を、リアルな政治で実行してしまったのである。兵庫知事選挙では、「選挙ポスターが嘘やデマばかりでも選挙に勝てるのか、検証してみよー!」「選挙に出馬して、他の候補を応援して当選させてみよー!」という企画を実行したわけである。これがバラエティの企画だったら、確かに「面白い!」のである。
立花が何を目指しているのかわけがわからない、という人が多いが、別に難しいことではない。立花を政治活動家と考えるから理解できないのであって、かつての「悪ふざけテレビバラエティ番組」に出演している芸人や、こうした番組を企画しているプロデューサーだと考えればわかりやすい。当時のバラエティが、教師や親が眉をひそめるようなものだったからこそ、当時の子供たちが熱狂的に楽しんでいたように、立花はNHKをはじめとするマスメディアの眉をひそめさせることが快楽になっている。その意味で立花は、90年代バラエティにおける土屋やテリー伊藤の精神の継承者と言えるのかもしれない。
時期 | 批判対象 | 批判者 | 批判理由 | 擁護者 | 擁護理由 | その後 |
00~10年代 | 雅子妃 | 女性週刊誌(婆世代) | 従来の慣習にならわず外交だけ選り好みするのは甘え。 | -- | 人格批判があった(徳仁)・実存的うつ(斎藤環) | 公務復帰で見直され出す |
00~10年代 | 愛子さま | 2chの婆 | ガイジ | 右翼 | 女性天皇論 | 思春期頃からの透明感や気品、堅実さで見直され出す |
2017~2021 | 秋篠宮家+小室家 | マスメディア世代・ネット世代 | 血税を小室親子に使うな・圭さん特例措置ズルい許せない | 圭さんと同階級の男性 | 圭さんも努力した | 眞子さんが一般人になったので批判できなくなる |
20年代~ | 秋篠宮家 | ネット世代 | 悠仁さま入試特例措置ズルい許せない・秋篠宮家は国民を加害者扱いしている(眞子さんPTSD発表・皇嗣イジメ発言) | -- | -- | -- |
20年代~ | 天皇制 | 左翼 | もう皇室要らない | 右翼 | 皇室はもちろん必要 | -- |
例の兵庫の件、告発者に対して異常なまでのバッシングが発生しているが、たぶんこれは、もうどうにもならないと思う。
合法だろうが違法だろうが、「叩いていい人間」を完膚なきまでに叩き潰せればたぶんOKで、他のことはどうでもいいのではないか。
と、「日本で人を叩いていい条件」というのがこれでもかというくらい詰めこまれている。
「かわいそうランキング」ではないが、「叩いていいランキング」なら恐らく斎藤氏を圧倒する。
①
マスメディアや百条委員会、市長軍団などの典型的な"既得権益に"不自然に"擁護され、
②
公務員という特権的地位にありながら公用PCに私的情報を入れるなどロクな仕事もせず、
③
有能な権力者の足を引っ張ろうと怪文書を流すことで時間を無駄に浪費させ邪魔ばかりをして、
④
人には潔白ばかりを求めているというのに自分の下半身は真っ黒ではないか。
と、
こんな感じで筋書きを書いてしまえば、スタンダードな日本人、とりわけ、公務員に対する憎悪でもって維新を台頭させた関西人であれば、もう止まるはずもない。
これに⑤外国人に対するバッシングでも付け加えればもう無敵なので、例えば「彼は在日だった!」などデマを流してしまえば、さらに流れは加速させられそう。
繰り返すが、この筋書きが本当か嘘かなんてことは、盛り上がっている人たちには恐らくもう「どうでもいい」。
本件の筋を書き、それを焚き付けている人間は、今は笑いが止まらないはず。
本件に抗いたい人間が取るべきアクションはただ一つで、全て無視すること。
あまり相手に感情的に付き合わず、淡々と百条委員会なり、検察なり、理屈でやっていく方の動きを追っていくということで良いのではないだろうか。
ぶっちゃけ、本件に関わらず、こうしたテーマが揃ってしまうと日本人はなんであれ叩きたがるし、そうでなければ恐らく何もしない。
選挙の結果もそうで、「SNSのせいでこうなった」という言説に対しては少し眉唾でいた方がいいと思う。問題があるとしたら、もっともっと根っこの部分にある。
一つ言えるとしたら、デマを流した人間たちを叩く前に「不信任に賛成したのに選挙では斎藤氏支持」という謎の動きをしている政治家諸氏を叩いた方がよい。
そのアンチマスメディアとやらがヤベーからドン引きしとるんやで
つーか、そのマスメディアの記事を肴に騒いでるはてなーなんて、なんちゃってアンチマスメディアなだけや
「ホンモノ」は違うってのは、今回の件でようわかったやろ?
ネトウヨの時もそうだったんだけど
なんか自分の村の中のムーブメントに反してる感じがあるんだよな、同族嫌悪なのかね
そもそも、確定的な事実もないのにマスメディアがおねだりだなんだと一辺倒。根拠に欠ける議事録を書いている議会が知事を失職させたのが先。
なぜなら選挙による税金の無駄はマスメディアと議会が連携し、ポピュリズムを作り出したことで斉藤知事を失職させるべきだ、というメディアフレームを作ったことによるものでしょ。
30~40年前の話題で各人の環境で全然話していることが違ってて面白いなと思ったので、90年代~2000年頃の当時のことを覚えている範囲で書くよ。
その時期に小学生だった世代。電車が30分に1本、県庁所在地まで電車で1時間の田舎具合。
・自動販売機のジュースの値段が100円→110円→120円と変わっていった記憶がある。
・町内にコンビニは1~2件。私の家の徒歩3km圏内にはなかった。
・酒屋を兼ねている個人商店があったが90年代終わりには消えた。2割がコンビニのFCになって、8割は店を閉めた。
・代わりに大型のショッピングモールが90年代終わりに台頭してきた。映画をそこで見るようになった。
・2000年代に入るまで全国規模のチェーン店が全然こなかった。ショッピングモールが出来始めてからその規模のチェーン店を見るようになった。
・ちなみに徒歩1km圏内にコンビニができたのは2000年代後半。
・両親は共働きだった。同級生でお母さんが専業主婦なのは10%、パートタイマーが50%、正社員が40%。正社員職業は公務員、保育士、看護士のみ。
・専業主婦のお母さんのみ車の免許を持っていなかった。その他のお母さんは車を運転できた。
・携帯電話よりPHSの方が実物の認知が早かった。90年代後半にPHS本体を0円でプレゼントのようなことが行われてた記憶がある。電話料金で稼ぐつもりだったのかな。
・PHS以前はポケベルが流行っていたようだが、現物を見ることはなかった。都会の高校生がポケベルを使っていることをテレビ報道で知った。PHSといえばブッチホンの記憶がある。
・携帯電話は2000年代に入って高校生になったら持つ風潮になったが、携帯電話所持禁止の高校が多かった。iモードの印象が強い。
・PCは90年代半ばに情報機器として小学校に何台か配備がされていた。2000年代初めには高校生になったらPCを購入するような風潮があった。
・男子中学生は坊主という校則&風潮があった。自分の在学した90年代終わりには無くなっていたが、隣県の中学を卒業した子は坊主の校則があった。2000年頃。
・プロスポーツはテレビも野球一択感があったが、90年代前半のJリーグ発足によるサッカフィーバーで野球以外の選択肢が出てきた。
・ちなみに友達とサッカーはしたが野球をしたことがない。野球をやるには道具と人数が足りなかった為。
・スポーツの国際大会の熱狂は、サッカーのW杯とオリンピック以外の記憶はあまりない。
・2000年代後半のAmazonやECサイトの台頭。今まで都市部に出なければ選択肢にさえ出なかったものを選んで買えるようになったのは大きい。
・同時期のYoutubeや各ブログ、SNS。マスメディアを介さない情報に田舎からでもアクセスできるようになった影響は大きかった。
10月1日〜13日 | 10月14日〜31日 | 11月1日〜17日 | |
フェーズ | フェーズ1 : 種まき | フェーズ2 : 育成 | フェーズ3 : 収穫 |
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注力ポイント | 立ち上げ・運用体制の整備 | コンテンツ強化 (質) | コンテンツ強化 (量) |
ターゲット | - 元々の支持者 | - 受動的に情報収集をしてい | - 全員 |
- 斎藤さんに好意を持ってい | る人 | - アンチな人、誤解をしてい | |
る人 | - 選挙に興味がなかった人 | る人 | |
- 自分で情報収集ができる人 | - 情報が錯綜していて何が真 | ||
- マスメディアの偏向報道に | 実か分かっていない人 | ||
疑問を抱いている人 | |||
配信内容 | 斎藤さんを | 斎藤さんを | 斎藤さんの |
好きになってもらう | 好きになってもらう | 支持を集める | |
+ | |||
斎藤さんへの | |||
見方を変える | |||
主要成果指標 | インプレッション数 | フォロワー増加 | エンゲージメント率 |
SNS運用について学びたいため、表を完成させて勉強したいと思います。
ぼかしの入っているところになんと書かれているのか教えていただければ幸いです。
追記:
おかげさまで表が埋まりました。これをもとにSNS運用の勉強をさせていただきます。
もし修正などあれば教えてくださいませ。
コロナが流行っていた時SNSでは「コロナは政府の人類削減計画だ!」という陰謀論が当時めちゃめちゃ流れていました。
でも信じている人は全くいませんでした。その理由はエビデンスや証拠等が薄すぎたからです。
一見正しそうな主張をしていても、SNSにはリプ欄がありますから、自分の代わりに優秀な誰かがファクトチェックをしてくれます。
一方でマスメディアは従来この「自分の代わりの優秀な誰か」に当たる存在で、ファクトチェックをしてくれていたわけですが、現在では杜撰な仕事ぶりで、ファクトチェック・裏取りをするべき存在が適切な仕事をしなくなりました。
挙句の果てにハングルを読み書きできないと昇進できないというTBSの実態が安住アナによって明らかになりました。
あー疲れてきた。書くのおしまい!
兵庫県知事選の結果を受けて、テレビ・新聞などのマスメディアは vs SNSの構図を作ろうと躍起になっているように見受けられる。
SNSはデマが多く信頼性が低い上、エコーチェンバー現象により偏った意見に染まってしまうリスクもあるとする一方で、
マスメディアの報道は裏取りを行った上で公平性に重点を置いているため、信頼性が高いと主張しているのだ。
しかし、世間の多くにとって見ればマスメディアもまた、報道の自由を盾に偏った報道を行ったり、不十分な取材により誤報を流したりすることが当たり前のものだと思われているのではないだろうか。
事実、某キー局が放送している朝の情報番組や関西の某局から全国へ放送されているニュース番組で語られる上記の主張に対するSNSの反応は、ほとんどが否定的なものである。
もはやマスメディアこそが偏向報道の元凶であり、そこで報道されない部分にこそ真実があるという主張が市民権を得つつあるのだ。
さて、このような世間からの逆風に晒されているマスメディアが信頼を取り戻すためにはどんな方法が残されているのだろうか。
私はメディアがメディアの監視装置になることこそがその唯一の方法だと考える。
ネットや一部の雑誌のみがカウンターメディアとしての役割を果たす現状を打破し、マスメディア自身が互いのカウンターメディアとなることを通して
自らの存在意義を再定義することこそが市民に信頼される報道機関としての地位を取り戻すことができるのではないだろうか。
もちろんそこには大きな痛みを伴う。先の衆議院選挙ではまるで事前に打ち合わせをしたかのようにどの局でも一部の自民党の候補者の名前の横に「裏金バッチ」を付けるという方法を取っていたが、
それはあくまで自民党の候補者に対してのみであり、過去に巨額の裏金が指摘された野党候補者に対する同様のバッチはついていなかった。
SNS上で多くの批判が見られたこのような報道姿勢が本当に公平なものだったのかを振り返ることは多くのマスメディアに取って自分の喉元に刃物を突きつけるようなことになるだろう。
それでもオールドメディアはやらなければならない。それが彼らの唯一の生き残る道だからだ。
マスメディアの持つ"優れた"取材能力の一部を使って、他のマスメディアの報道姿勢を監視し、本当に公正な報道を行っているのかを市民に伝えること。
いつ自らが報道される側になってもそれに恥じない報道を行っているという自負を持って報道を行うこと。
これこそがマスメディアが信頼を取り戻すためには欠かせないことだと私は考える。