もういくつ寝ると 今年のはじめにやりたいことリストを作った。今見たら50項目あるリストのうち25個が達成済みだった。ちょうど半分やりたいことをやったということだ。私にしてはまあまあの結果だと思う。満足。 やりたいことリストにあるもののうち、「〜を食べたい」系は概ねクリアし…
もういくつ寝ると 今年のはじめにやりたいことリストを作った。今見たら50項目あるリストのうち25個が達成済みだった。ちょうど半分やりたいことをやったということだ。私にしてはまあまあの結果だと思う。満足。 やりたいことリストにあるもののうち、「〜を食べたい」系は概ねクリアし…
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中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。 この事件で注目すべきことは、このいじめグループの担任の情報がマスコミに一切出てこないことである。 ある教師が自殺した中2男子生徒をからかい、いじめのきっかけを作ったとして非難されているが、この教師は中1の時の担任である。もちろん、これが事実ならとんでもない教師であり、報道がこの元担任を中心に行なわれるのは当然かもしれない。 しかし、これは、中2に進級して半年以上たってから起きた事件であり、その半年の間、中2になってから問題のクラスを見ていた現担任は何をしていたのか。いじめについて把握していたのか、またそれに対して何か対応をして
子供たちは、たいていが2段階目だから、まだ自殺をする資格がない。 子供たちの両親や教師が、なぜ、子供たちのいじめや自殺を止めることができないかと言うと、まだ1段階目だからだ。 1段階目は、まだ「おとぎ話」を信じている状態。 「命は大切だ」とか、「いじめはいけない」とか、「額に汗して働くのは尊い」とか、「努力すれば報われる」とか、そういう「おとぎ話」を信じている人たち。親とか教師とか。 2段階目は、それが「おとぎ話」であることに気がついた状態。 「いじられる方も悪い」とか、「いじめは楽しいこともある」とか「自殺も必ずしも悪いとは言えない」とか、おとぎ話をはぎ取った状態の現実がちゃんと見えている人たち。 いまの子供たちの精神年齢は、この段階まで発達している。 だから、まだ1段階目に留まっている大人たちが何を言っても、子供たちの心に響かない。 3段階目は、自分自身の価値を打ち立て始めた状態。 す
はてなブックマークの最近の人気記事で紹介されていたhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/にある『「水からの伝言」を信じないでください 』に関して、どちらかというと批判的立場から書いてみます。 まず、『「水からの伝言」を信じないでください 』というタイトル自体が、何ともニセ科学風に感じられてしまいます。『「水からの伝言」は間違っている 』とかではなくてまだよかったと言えば、ある種のうさんくささというか、いわゆる「とんでも」のような感じがわかりやすいでしょうか。「○○は間違っている」というような題名の文章は、その題名だけであやしいものだと判断してもいいと思います。「○○を信じないでください」という題名の場合も、あやしさは似たようなものだと感じます。 道徳の授業につかうなら、事実でなくても、かまわないのでは? もちろん、イソップ童話など、事実ではない「お話」
火曜の大学院のゼミのテーマは「少子化」であった。 これについては、これまでもすでに何度もこのブログで論じているので、とくに付け加えるべき意見はない。 少子化そのものは日本が国民国家として縮小段階に入ったことの徴候であり、無限の経済成長、無限の資源、無限の市場というありえない幻想から醒めつつあることを意味している。 こういうものは個人の発意や決断でどうこうなるものではなく、地学的な変動のようなものである。すでに人口負荷が日本の国土と環境の耐力限度を超えているのであるから、縮むのが合理的なのである。 これについては今年のはじめごろ、古田隆彦青森大学教授(人口社会学)の所論を紹介した。それを再度ご紹介しておこう。 人口容量(carrying capacity)という概念がある。 日本列島の人口容量は、旧石器時代で3万人、粗放農業文明期で700万人、集約農業文明期で3300万人と推定されている。
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