ADHDの生き方は自由を愛する野良猫のスタイルである。だから当たり前のことだがもともと共同生活は苦手だ。 だから、恵まれていても、「お金を出してもらう」ことで不安になったりする。特に過去にADHDのACであったケースでは、お金を出してもらう状況となって突如AC的な発想が再発して、「私はわがままで見捨てられる」と不安になることがあり、自分でもわからないことがある。 これは何故か? 例えば「お金を半分出していればこの不安は解消するか」と想定してみればわかる。 お金を半分出していれば、発言権は対等だ。多く出してもらっておきながら対等に発言するのはADHD的には「不当なこと」になり、反対の立場では突っ込む可能性がある。だからお金や「責任」が本来どこにあるかはADHDには非常に重要なことになるのだ。 結婚していても仕事をしていたいと望むのは、「自分の収入を確保して対等の立場を保ちたい」がためである。