今夏、豪雨で50人以上が死亡した岡山県倉敷市。初めは蒸し風呂のようだった避難先の体育館で、男性(70)は扇風機の風向きを巡り、つい他の被災者に声を荒らげた。「次はわしじゃ!」。食事はパンやおにぎりが中心。夜も誰かが歩くたびに目が覚めた。 避難生活の過酷さは仕方がないものなのか。2年前の熊本地震では、避難中に体調を崩して亡くなった「関連死」は200人を超え、直接死の4倍以上だった。日本は、幾度もの大災害から教訓を学んできたのではないのか。 「日本の常識は世界の非常識ですよ」。防災に関わる研究者らにそう言われ、同じ地震大国のイタリアを訪れた。 2年前に大地震に襲われた中部のアマトリーチェ。中世の街並みを誇った中心部はいまもがれきの山だが、周辺には黄色い壁の木造仮設住宅が並んでいた。どの家もポーチや窓を花で飾り、庭を家庭菜園にしているところもある。 2年前のイタリア中部地震で被害が大きかったアマ