活断層・火山研究部門 宍倉正展・行谷佑一 株式会社環境地質 越後智雄 1月8日に能登半島北西部の海岸で行った2024年能登半島地震に伴う海岸の地殻変動調査の結果を報告する。調査は国土地理院(2024)による測地観測データの解析によって最大4 m程度の隆起が報告されている領域内の石川県輪島市門前町 鹿磯(かいそ)周辺で実施した(図1)。まず鹿磯漁港では防潮堤壁面に固着したカキやカンザシゴカイ類などの生物が隆起によって離水した様子を観察した(写真1)。地震前のおおよその海面位置を示す固着生物の上限高度について、光波測距儀を用いて地震後の海面(2024年1月8日12:03の時間海面で、ほぼ平均海面の高度と一致)からの高度を複数地点で計測したところ、3.8〜3.9 mであり、同地点ですでに石山ほか(2024)が報告している値とほぼ同じである。 鹿磯漁港より北側では写真2に見られるように波食棚と呼ば
石川県能登地方では、2020年12月から地震活動が活発になり、2021年9月16日にM5.1、2022年6月20日にはM5.0、そして同19日にはM5.4の地震が発生し、最大震度は6弱に達した。これらの一連の地震活動は衰える傾向は認められず、現在までに200回程度の有感地震が発生している。 今回の一連の地震は、規模の大きな地震の発生後にそれより小規模の地震が続く、いわゆる「本震―余震型」ではなく、なんらかの要因でほぼ同じ規模の地震が長期間発生する「群発地震」と考えられている。そこでここでは、今回の一連の地震を「能登半島群発地震」と呼ぶことにする。 群発地震を引き起こすメカニズムの一つが、マグマの貫入などの火山活動である。しかし能登半島周辺は過去数百万年間にわたって「非火山地域」であり(図1b)、マグマの活動が能登半島群発地震の原因とは考えられない。 図1 (a) 能登半島群発地震の原因とし
島根県西部地震(しまねけんせいぶじしん)は、2018年(平成30年)4月9日1時32分30.8秒(日本時間)[1]に島根県西部を震源として発生した地震[6]。地震の規模はMj(気象庁マグニチュード)6.1で、震源の深さは12キロメートル (km) である[3][6]。最大震度5強を島根県大田市で観測した[3][6]。 島根県内で震度5強以上を観測したのは、2000年(平成12年)に鳥取県西部地震が起きて以来、およそ18年ぶりであり、1922年(大正11年)以降、3回目の事例であった[注 1][注 2]。 日本時間4月9日午前1時32分に島根県西部の深さ約10kmでMj6.1(暫定値)の地震が発生した。この地震により島根県で最大震度5強を観測した。この地震は地殻内で発生した地震である。本震の発震機構は、西北西 - 東南東方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型(速報)で、北北西 - 南南東方向に延びる
トルコ・アンタキヤの地震被災地のがれき(2023年2月14日撮影)。(c)Hassan AYADI / AFP 【2月16日 AFP】トルコ南部でマグニチュード(M)7.8の地震を生き延びた人々の安堵(あんど)感は、被災地でまん延の恐れのある病気に対する不安へと急速に変わりつつある。 無傷で残った建物はほとんどなく、トイレやシャワーなど生活に必要な設備は6日未明の本震でほぼ失われた。 「トイレがない」。震源に近いカフラマンマラシュ(Kahramanmaras)に住む女性、フスネ・デュズさん(53)は言った。「誰もが(避難)テントの近くで用を足している。トイレが必要だ。シャワーも浴びられるようにしたい。洗濯機も必要だ」 50万人近い人口を抱える古都アンタキヤ(Antakya)は、街全体ががれきの山と化した。住民のセデフさん(18)はAFPに対し、衛生環境が劣悪で絶望的だと話した。「地震では死
浅川観音堂、宝永津波の犠牲者を供養するために建立された観音堂。徳島県海陽町浅川[2]。 宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 [注 1])を震源域として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされている[3][4][5]。宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)・宝永大地震(ほうえいおおじしん)・亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。地震の49日後に起きた富士山の宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれる[6]。 南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、嘉永7年(1854年)に連発した安政東海地震および安政南海地震が知られている。また、宝永地震の4年前(1703年)に
異常震域が現れた2007年7月16日23時17分頃(JST)の地震の震源と各地の震度。 震源は京都府沖の北緯36.8°、東経135.2°付近、震源の深さ370km、M6.6(気象庁による)。北海道浦幌町で最大震度4を観測した一方、震央付近ではほぼ無感となった。 2005年3月20日の福岡県西方沖地震の震源と各地の震度。震源に近い海岸の福岡市西区で震度5弱となった一方、陸側の東区や離れた佐賀県みやき町などで震度6弱となった。 1707年10月28日の宝永地震の震源と各地の震度。大阪平野・奈良盆地で大きな揺れとなった。また、出雲および信濃方面には地震みちが見られる。 異常震域(いじょうしんいき、英語: zone of abnormal seismic intensityまたは英語: zone of anomalous seismic intensity)は、通常ならば震源地(震央)で最も大きく
災害が起こったとき、ニュースでは、 「復旧の目処はたっていません」とか 「全域が復旧しました」といったフレーズが 当たり前のように告げられます。 電気、水道、ガスといった ライフラインが震災などで絶たれたとき、 それらは自動的に復旧するわけではありません。 ひとつひとつを、人が、直している。 そういうことを取材したいと思いました。 きっかけは、やはり、1通のメールからでした。 長い記事になりましたので、 時間があるときにお読みください。 担当は、ほぼ日の永田です。 昨年の4月、熊本で大きな地震が起きたとき、 読者の方からメールがあって、 それがとても印象深かった。 どちらかといえば日常的な、 軽い感じで書かれたメールだった。 「昨晩、ガス会社に勤める兄から 『熊本行くことになるかもしれん』 と、電話がありました。 ガス会社に勤める兄は、 震災があると家と被災地を何度も往復し、 一ヶ月以上帰
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