森内俊之

日本の将棋棋士、チェス選手

森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。

 森内 俊之 九段
2018年7月28日
名前 森内 俊之
生年月日 (1970-10-10) 1970年10月10日(54歳)
プロ入り年月日 1987年5月13日(16歳)
棋士番号 183
出身地 神奈川県横浜市青葉区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 勝浦修九段
弟子 竹俣紅(退会)、野原未蘭
永世称号 十八世名人(資格)
段位 九段
棋士DB 森内 俊之
戦績
タイトル獲得合計 12期
一般棋戦優勝回数 13回
順位戦クラス A級(22期[1]
2024年4月11日現在
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森内俊之の森内チャンネル
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年6月 -
ジャンル
  • 将棋
  • ゲーム
登録者数 7.7万人
総再生回数 982万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年12月7日時点。
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いわゆる「羽生世代」の一人で、デビュー直後から棋戦優勝を果たすなど活躍していたが、初タイトルは31歳での名人獲得と遅かった[2]。その後は竜王・名人を含む三冠を保持するなどタイトル戦でも活躍し、2007年には羽生善治よりも早く永世名人(十八世名人)の資格を得た[3][4]。2017年には順位戦でのB級1組への降級を受けて、46歳の若さで順位戦(名人戦)への参加資格を失うフリークラスへの転出を宣言した[5]。地元の青葉区での指導やYouTubeチャンネルの開設など、将棋の普及活動にも注力している[4][2]

日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2017年5月[6] - 2019年6月[7])を歴任した。

棋歴

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プロ入りまで

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将棋を始めたきっかけは、森内が小学校3年生の頃、学校の休み時間にクラスメート内で流行していた、いい加減な将棋遊びに参加したという、ありふれたものだった。だが、このゲームに魅力を感じた彼は父親に手ほどきを受け、正式な将棋を指すようになる。

家で将棋に熱中している森内の姿を見ていた彼の祖母は、あるとき、雑誌『将棋世界』を孫に渡した。『将棋世界』との出会いをきっかけに、森内は将棋の新しい世界を知り、将棋にのめりこんでいく。毎週土曜日に将棋会館で行われる将棋教室に通うなどし、本格的に将棋を学び始める。それから1年ほど経つと、各地のデパートで開催される将棋大会にも参加するようになった。

同学年の羽生善治と出会ったのはこの頃だった。最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。 ある将棋大会で森内の初手▲5八飛に対し、羽生の△5二飛という出だしの将棋があった[8]

5年生の頃、奨励会試験を受験するか迷った末、「自分はまだ力不足」だと判断し、翌年に受験することを決意。 同時に、「棋士になる」という目標が明確になり、勉強にも熱が入るようになった。

1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。このときの優勝者は羽生。同年12月、関東奨励会入り。同期合格者17名のうち、小学生は森内、羽生、郷田真隆の3名のみであった。この年度は受験者が多く、高い競争率であった。一次試験で郷田真隆と対局し勝ち、二次試験で当時唯一の女性奨励会員だった林葉直子女流王将と香落ちで対局し勝利している。

後に「島研」とも呼ばれた島朗六段主宰の研究会は、森内が二段くらいの頃に島に誘われ、森内が佐藤康光も紹介し始まった。島によれば、彼らには奨励会を抜けるための研究は必要なかったという。

1987年5月13日にプロ入り(四段に昇段)。三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。森内は、新人王戦最年少優勝記録(17歳0か月)を、2018年に藤井聡太が更新(16歳2か月)するまで保持していた[9]。なお、森内は新人王戦で通算3回優勝している。

また、第10回「若駒戦」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。

タイトル獲得

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プロ入り早々頭角を現し、1988年6月11日と89年5月27日に行われた、第7回・8回の早指し新鋭戦で2連覇。決勝戦の対戦相手は両年とも羽生善治五段であった。さらには、全棋士参加の大型棋戦である全日本プロトーナメント(第7回、1988年度)において、谷川浩司名人と決勝三番勝負を戦い、2勝1敗で谷川名人を破り、優勝した(1989年3月13日)。18歳5か月での優勝は、新人棋戦を除く公式戦に於ける史上4番目の年少記録である[注釈 1]。1988年度の将棋大賞で新人賞を受賞。

プロ入り後も向上心は旺盛で、特に前述した島研では、森内と佐藤が四段に昇段した後、羽生も加わり、4人体制での練習対局と感想戦を中心にした研究が行われ、刺激し合いながらの精進が続いた。

順位戦での勝率は高く、C級2組を3期、C級1組を1期、B級2組を2期、B級1組を1期で抜け、合計わずか7期で最高クラスのA級まで上りつめた。そして初参加のA級順位戦で7勝2敗の成績を納め、第54期名人戦七番勝負の挑戦権を獲得。森内にとって、初のタイトル戦挑戦である。相手は、当時七冠王だった羽生善治名人。25歳同士の対戦であった。タイトル戦初対局となった1996年4月11日・12日の第1局は、二つの意味で話題となった。一つは、相矢倉の将棋で、「壁銀」になるのをいとわず、3三にあった銀を△2二銀(40手目)と引く作戦に出たこと。もう一つは、1日目夕方の封じ手の定刻の間際、立会人の五十嵐豊一九段が「時間になりましたので」と言いかけたところで「指すつもりなんですけど」と言って△9四歩(44手目)を指し、羽生を封じ手の手番にさせたことである[10]。森内はこの対局に敗れ、そこから3連敗。第4局でタイトル戦初勝利をあげたものの第5局で敗れ、1勝4敗で敗退となった。森内は、第2局の敗戦を「こんな負け方がありうるとは…」、続く第3局の敗戦も「不思議な負け方」と、当時を振り返る。結果的に敗れはしたが、棋士冥利に尽きる名人戦だったという。それと同時に、羽生との差を痛感した名人戦でもあった。

1996年度、NHK杯戦において、決勝で屋敷伸之七段を破って初優勝。同棋戦では、5年後の2001年度にも、佐藤康光王将を破り優勝した。

1999年度の第12期竜王戦では1組優勝。1999年度、第25期棋王戦の挑戦権を獲得。棋王は、それまで9連覇を果たしていた羽生であった。第25期棋王戦五番勝負の結果は、1勝3敗での敗退。敗れはしたものの、名人戦の頃と違い、手応えを感じたという。

全日本プロトーナメント(第19回、2000年度)において、谷川浩司九段との決勝五番勝負(2001年)を3勝2敗で制して2度目の優勝。同棋戦の最後の優勝者となる[注釈 2]

第60期順位戦A級で、森内は8勝1敗の好成績を納め、丸山忠久名人への挑戦権を得ると、第60期名人戦七番勝負において丸山名人を4連勝で破り、31歳にして念願の初タイトルとなる名人位を獲得した(2002年5月17日)。また、名人位に就いたことにより、将棋連盟規定により九段に昇段した。なお、ここから第73期(2015年)まで羽生と名人位を分け合うことになる(森内8期・羽生6期)。第54期(1996年)を含めると対羽生の名人戦は9回あり森内が5回制している[注釈 3]

永世名人へ

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第63期名人戦第2局
第86手△4五歩まで
(この次の一手が▲4八金)
△羽生善治四冠 持駒:歩三
987654321 
      
      
     
    
        
        
    
      
 

2003年度は、第61期名人戦七番勝負において、4連敗で名人位を羽生挑戦者に奪取されるも、第16期竜王戦七番勝負では逆に4連勝で羽生竜王から竜王位を奪取。これは羽生にとって初のタイトル戦ストレート負けとなった。第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。さらにはA級順位戦史上初の9戦全勝[注釈 4] を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。2003年度将棋大賞最優秀棋士賞を初受賞。

そして、2004年度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。この時点で史上7人目[注釈 5]三冠王(竜王・名人・王将)となり、最多冠保持者となった。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。

王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。また、同年度、三冠のうち竜王位を3勝4敗で渡辺明七段に、王将位を4連敗で羽生二冠にそれぞれ奪われ、保持するタイトルは名人の一冠のみとなる。

第63期名人戦七番勝負(2005年度)に挑戦者として名乗りを挙げたのは、A級順位戦を8勝1敗で制した羽生。第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。しかし、第2局では終盤で羽生が残り16分のうち12分を費やして打った△4五歩(右図参照)をとがめる絶妙の一手▲4八金[注釈 6][11] で逆転勝ちを収める。結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。

2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる[注釈 7]

2006年の第64期名人戦では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという[12]

2007年5月8日、公式戦通算700勝を達成(史上18人目、700勝353敗 勝率0.665、第65期名人戦第3局 郷田真隆九段戦、日付は対局2日目)[13]

同年6月29日郷田真隆の挑戦を受けた第65期名人戦を4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人十八世名人)の資格を得た[注釈 8][14]

永世名人獲得後

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2008年3月25日第21期竜王戦5位決定戦1回戦で中原誠十六世名人に敗れ、2組へ降級。タイトルホルダーの2組降級は、1991年9月20日の羽生棋王(当時)以来、2人目。

2008年6月17日山形県天童市の「天童ホテル」で行われた第66期名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退[注釈 9][注釈 10]

以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、2009年度の第22期竜王戦深浦康市との挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し、渡辺竜王へ挑戦。5年前とは立場を換えての対決となったが、4連敗のストレート負けとなった。

第69期(2010年度)A級順位戦で優勝し、羽生名人への挑戦権を獲得。同時に、順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録(名人在位を含む)を23期に伸ばした。永世名人同士の対決となった第69期名人戦七番勝負第2局(2011年4月20日 - 21日)で挙げた勝利は、史上15人目の通算800勝(433敗)となった(将棋栄誉敢闘賞[15]。その後名人戦は3連勝後に3連敗を喫して最終戦までもつれ込み、2011年6月22日山梨県甲府市・「常磐ホテル」にて行われた最終第7局を123手で制し、遂に名人位を奪還。永世名人同士の七番勝負は過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは森内が初。2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦の成績が振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ。

2012年度の第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦を全勝した羽生二冠の挑戦を受けた。シリーズ前に森内の苦戦を予想する声があったが[16]、4勝2敗で名人位を防衛。

2013年度の第71期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けた。羽生との名人戦は3年連続で8度目となったが、4勝1敗で名人位を防衛。この年の名人戦は、星の差だけでなく将棋の内容においても、「一方的」であった[17]。さらに、竜王戦においては、決勝三番勝負で郷田九段に勝ち、挑戦権を獲得。第26期竜王戦七番勝負では、かつて森内から竜王位を奪取して以来、9連覇中だった渡辺明竜王を4勝1敗で破り、竜王位を奪還。渡辺竜王の10連覇を阻止した。(対戦前、森内は、この竜王戦は非常に厳しい戦いになることを予想し、渡辺竜王になんとか2勝することを現実的な目標として考えていた)[18]。竜王位・名人位の2大タイトルを手中に収め、これらの活躍により、2013年度将棋大賞で2度目の最優秀棋士賞を受賞した[19]

2014年度の第72期名人戦七番勝負では、今回で3年連続となる羽生三冠の挑戦を受ける。羽生との名人戦はこれで4年連続9回目。結果は4連敗で、名人位を失冠。その直後に始まった第85期棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦するも、再び3連敗のストレート負けを喫し、奪取はならなかった。

第27期竜王戦七番勝負では、糸谷哲郎七段の挑戦を受けるが、1勝4敗で敗れ、竜王位の防衛に失敗。第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦はシード、2回戦から、木村一基八段、羽生善治名人、菅井竜也五段、深浦康市九段、決勝戦で行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目の優勝を果たした。

A級からの降級、フリークラス宣言

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2016年度の第75期順位戦A級(降級1名)では、2017年2月25日の9回戦の結果、3勝6敗で佐藤康光と同成績ながら頭ハネで最下位となり、22期連続で在籍したA級(名人在位も含む)からB級1組への降級が決まった[20]。永世名人資格保持者のB級1組への降級は中原誠谷川浩司に続いて3人目であった。

森内は、2016年度が終了する直前、2017年3月31日にフリークラス転出を宣言し、日本将棋連盟を通じてコメントを発表した(連盟への届け出は3月24日であった)[21]。B級1組からのフリークラス宣言は米長邦雄・中原誠に次いで3人目。このうち、A級からの降級直後にフリークラス宣言をしたのは、米長に続いて2人目であった[22]。「以前からA級から降級したらフリークラスに行くことを検討していた。」とのちに明かしている[23]

フリークラス転出の時点で満46歳であった森内は、翌期の順位戦B級1組所属が決まっていたため、満65歳となる2035年度までの19年間フリークラスに在籍できるが、実際に森内が2035年度まで現役を続けた場合、宣言者のフリークラス在籍年数最長記録となる[24]

2017年8月6日、将棋日本シリーズ1回戦で久保利明に勝ち、史上12人目の通算900勝を達成した[25]

2024年度の第65期王位戦では8期振りに王位リーグまで進出し、白組で3勝2敗と勝ち越したが前期成績の差で陥落となった[26]

棋風

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  • 居飛車、特に矢倉を多用する居飛車党である。
  • 一般的には「受けが強い」というイメージから、「鉄板流」、「鋼鉄の受け」と呼ばれるが、本人は鉄板流などと言う呼ばれ方をあまり好ましく思っていない[27]。森内の弟弟子の野月浩貴広瀬章人によると、森内将棋には少なくとも「安全勝ち」というイメージは無く、「勝ち方のうまさ」と「攻守のギアチェンジ」に最も特徴があるという[28]
  • 羽生善治は、森内の序盤作戦について「大胆にして入念な準備がある」と述べた[29]
  • 「柔」の羽生将棋に対して「剛」の森内将棋とよく表現される。
  • 後手番矢倉では『森内流』と呼ばれる駒組みがあり、現代矢倉の主要変化の1つである。
  • 好きな駒は飛車。攻めのみならず、守りでの使い方にも特徴がある。第64回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝戦で藤井猛が解説した際、「二枚飛車で受けられたことがある。」と話していた。勝又清和によれば、「自陣飛車の似合う棋士は?」という質問をしたところ、多くの棋士から名前が挙がったと言う[30]

人物・エピソード

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基本データ

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  • 母方の祖父にプロ棋士である京須行男(八段、元日本将棋連盟理事・奨励会幹事)を持つ将棋界のサラブレッドである。(なお、京須は森内が生まれる前に他界[31]。)このため、「鉄板流」の他に「優駿流」と言われることもある。
  • サレジオ学院中学校・高等学校卒業(同校在学中にプロ棋士となった)[32]
  • 初の名人位に就いた翌月(2002年6月)に、東京都内の私立大学の教員(国文学)を務める女性との婚約を発表し、同年10月に結婚した。
  • 2019年、当時中学2年生だった息子の森内貴之世界バックギャモン選手権ジュニアの部で優勝[33]。後述するように父・俊之もバックギャモンの強豪であり、父子で2021年11月27日にバックギャモン対決をしたこともある[34]
  • 座右の銘は、「今を生きる」「一期一会」「一日一生」。
  • 愛称は「ウティ」であるとスポーツ報知の記事に記述されているが[35]、インターネット上の将棋ファンが使っている愛称であり、将棋界の仲間や関係者が使うことはない。なお、インターネット上では「ウディ」「ウッディ」も利用されている。

合理主義者

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  • 名人戦、王将戦など、1局2日制の対局であっても、定跡や研究手順であれば時間を使わず、1日目から手をどんどん進めることが多い。かつては、1日目に駒がぶつからないことが普通であったが、森内がタイトル戦で活躍し始めた頃から、(森内が登場しないタイトル戦でも)2日制の1日目に本格的な戦い、時には終盤の入り口まで進行することが多くなっている。
  • かつては、番勝負の第1局に千日手指し直しが1回あると、第1局の先手と第2局の先手が同じ棋士になるという不合理があった[注釈 11]。森内の提案をきっかけに、第1局の振り駒によって最終局の1局前までの先後が決定される一局完結方式に変更された(振り駒 を参照)。

公式対局に関するエピソード

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  • 事前に対局相手と先後が決まっている順位戦では無類の強さを誇っており、第73期(2014年度)にA級順位戦を4勝5敗で負け越すまで名人在位を除く全ての年度で勝ち越していた。1990年度(当時C級2組)の途中から1992年度(当時B級2組)にかけては順位戦26連勝を記録した。順位戦通算勝率は2007年度までの時点では8割を超えていた(114勝28敗、0.803)。
    • 順位戦と同様の制度(事前に対局相手と先後が決まっている)である王位戦王将戦の挑戦者決定リーグでは負け越し経験が数度ずつあり、第60期王将リーグ(2010年度)では1勝5敗、第61期王将リーグ(2011年度)では0勝6敗と苦戦している。
  • 二日制のタイトル戦で力を発揮する傾向があり、タイトル12期(詳細は後述)のうち11期が二日制の番勝負を制したものである。さらに一つのタイトル(名人)で過半数(8期)獲得している(タイトルを7期以上獲得した他の棋士では、タイトルがほぼ名人のみだった時期に活躍した木村義雄[注釈 12]のみである)。
  • 体力に自信が無く、千日手の後の体力勝負は苦手とのことである[36]
  • 四段時代の1990年1月、竜王戦で吉田利勝七段(当時)にポカで敗北し、横浜市の自宅までの30キロを、5時間をかけて、スーツ・革靴で走り切ったエピソードがある[37][38]
  • 郷田真隆と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため森内が苦情を訴えた。立会人の中村修らが対応に追われ約30分間対局が中断するという珍事となった。この一局は郷田の逆転勝利となっている。この他にも1996年の第54期名人戦七番勝負第1局(対羽生善治)では、1日目の封じ手を巡ってトラブルを起こすなど(詳細は封じ手#その他を参照)、タイトル戦でやや神経質な動きを見せる事が多い。

趣味など

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チェスに興じる森内

その他

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  • 自身の師匠である勝浦と、羽生善治の師匠である二上達也は、いずれも渡辺東一名誉九段門下である。すなわち森内と羽生は「いとこ弟子」の関係にある。
  • 2018年現在、出身地である横浜市青葉区[60]「青葉将棋クラブ」を主宰するなど、子供向けの普及活動にも力を入れている[61]
  • 32歳年下の伊藤匠とは誕生日が同じ(10月10日)である。活動拠点が近いこともあり、伊藤が叡王を獲得するなど実力棋士となって以後は一緒に誕生日を祝われることがある。
  • 小学館発行のジュニアプログレッシブ英和辞典(第2版 - 2002年12月発行。ISBN 4095107065)の"master"の項目に"Mr.Moriuchi is a master of Japanese chess."(森内先生は将棋の名人です)という用例が記載されている。
  • 佐藤康光が運転免許取り立ての頃、冬の装備のない車を佐藤自ら初運転して同乗していた森内と羽生善治、佐藤のあまりの運転未熟さに肝を冷やしたという(いろは坂事件)。

弟子

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女流棋士となった弟子

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名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
竹俣紅 2012年10月1日 女流初段(2019年に連盟退会)
野原未蘭 2020年9月1日 女流初段

(2023年4月1日現在)

昇段履歴

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昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

主な成績

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タイトル・永世称号

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他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号(備考)
竜王 2003, 2013 5回 2期
名人 2002, 2004-2007,
2011-2013
12回 8期 4連覇
(歴代4位)
十八世名人資格
襲位は原則引退後
王位 0
王座 1回
棋王 2005 3回 1期
叡王 0
王将 2003 2回 1期
棋聖 2回
登場回数 合計25回、獲得合計 12期歴代9位
(番勝負終了前は除く。最新は、2014年度の棋聖戦敗退)
将棋タイトル獲得記録
01位 099期 (138回)
2位 80期 (112回)
3位 64期 (091回)
4位 31期 (045回)
5位 27期 (057回)
6位 25期 (026回)
7位 019期 (048回)
8位 13期 (037回)
9位 12期 (025回)
10位 08期 (024回)

(番勝負実施分のみ)
08期
(05期)
(011回)
(008回)
太字*は現役棋士、(括弧の数字)はタイトル戦登場回数
(記録は 第72期王座戦2024年度〉終了まで、番勝負終了前を除く)
タイトル戦登場年度
  • 竜王戦: 登場05回(2003-2004、2009、2013-2014年度)
  • 名人戦: 登場12回(1996、2002-2008、2011-2014年)
  • 王座戦: 登場01回(2004年度)
  • 棋王戦: 登場03回(1999、2005-2006年度)
  • 王将戦: 登場02回(2003-2004年度)
  • 棋聖戦: 登場02回(2004、2014年度)
登場回数 合計25回

一般棋戦優勝

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優勝合計 13回
非公式戦優勝
優勝合計 4回

将棋大賞

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  • 第16回(1988年度) 新人賞
  • 第19回(1991年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞
  • 第21回(1993年度) 技能賞
  • 第24回(1996年度) 技能賞
  • 第29回(2001年度) 敢闘賞
  • 第30回(2002年度) 技能賞
  • 第31回(2003年度) 最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞
  • 第38回(2010年度) 名局賞特別賞(第69期A級順位戦7回戦・対藤井猛九段戦)[62]
  • 第41回(2013年度) 最優秀棋士賞[63]

記録(歴代1位のもの)

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  • A級順位戦9戦全勝(2003年度) = 1971年度の中原誠(8戦全勝)以来
  • 順位戦26連勝(1990年 - 1993年)

在籍クラス

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竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[64]
(出典)竜王戦
出典[65]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1987 46 四段昇段前(1987年5月13日 四段昇段) 1 6組 -- 4-1
1988 47 C249 8-2 2 5組 -- 4-1
1989 48 C209 7-3 3 4組 -- 2-2
1990 49 C204 9-1 4 4組 -- 4-2
1991 50 C121 10-0 5 4組 -- 2-2
1992 51 B220 9-1 6 4組 3-2 5-0
1993 52 B203 8-2 7 3組 0-1 4-0
1994 53 B112 10-1 8 2組 -- 3-2
1995 54  A09  7-2 9 2組 1-1 4-0
1996 55 A 01 6-3 10 1組 0-1 4-1
1997 56 A 02 5-4 11 1組 -- 2-2
1998 57 A 03 7-1 12 1組 1-1 4-0
1999 58 A 02 6-3 13 1組 -- 3-2
2000 59 A 02 5-4 14 1組 -- 1-2
2001 60  A04  8-1 15 1組 1-1 4-1
2002 61 名人 -- 16  1組  4-1 4-1
2003 62  A01  9-0 17 竜王 -- --
2004 63 名人 -- 18 1組 1-1 3-1
2005 64 名人 -- 19 1組 1-1 3-1
2006 65 名人 -- 20 1組 -- 2-2
2007 66 名人 -- 21 1組 -- 0-2
2008 67 A 01 5-4 22  2組  4-1 4-0
2009 68 A 03 5-4 23 1組 -- 2-2
2010 69  A03  7-2 24 1組 -- 2-2
2011 70 名人 -- 25 1組 -- 2-2
2012 71 名人 -- 26  1組  4-1 3-1
2013 72 名人 -- 27 竜王 -- --
2014 73 A 01 4-5 28 1組 -- 0-2
2015 74 A 07 4-5 29 2組 -- 1-2
2016 75 A 06 3-6 30 2組 -- 1-2
2017 76 F宣 31 2組 -- 1-2
2018 77 F宣 32 2組 -- 2-2
2019 78 F宣 33 2組 -- 1-2
2020 79 F宣 34 2組 -- 1-2
2021 80 F宣 35 2組 0-1 3-1
2022 81 F宣 36 1組 -- 2-2
2023 82 F宣 37 1組 -- 2-2
2024 83 F宣 38 1組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1987 32 24 8 0.7500 [66]
1988 63 45 18 0.7143 [67]
1989 41 26 15 0.6341 [68]
1990 54 39 15 0.7222 [69]
1987-1990
(小計)
190 134 56
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1991 79 63 16 0.7975 [70]
1992 50 35 15 0.7000 [71]
1993 61 40 21 0.6557 [72]
1994 50 35 15 0.7000 [73]
1995 51 33 18 0.6471 [74]
1996 56 35 21 0.6250 [75]
1997 51 33 18 0.6471 [76]
1998 41 26 15 0.6341 [77]
1999 46 24 22 0.5217 [78]
2000 56 41 15 0.7321 [79]
1991-2000
(小計)
541 365 176
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 58 38 20 0.6552 [80]
2002 44 26 18 0.5909 [81]
2003 64 46 18 0.7118 [82]
2004 55 29 26 0.5273 [83]
2005 49 32 17 0.6531 [84]
2006 47 28 19 0.5957 [85]
2007 45 24 21 0.5333 [86]
2008 47 26 21 0.5532 [87]
2009 50 28 22 0.5600 [88]
2010 40 22 18 0.5500 [89]
2001-2010
(小計)
501 299 202
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 29 10 19 0.3448 [90]
2012 25 13 12 0.5200 [91]
2013 40 28 12 0.7000 [92]
2014 43 16 27 0.3721 [93]
2015 40 21 19 0.5250 [94]
2016 34 12 22 0.3529 [95]
2017 17 6 11 0.3529 [96]
2018 20 8 12 0.4000 [97]
2019 21 7 14 0.3333 [98]
2020 23 13 10 0.5652 [99]
2011-2020
(小計)
292 134 158
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2021 30 20 10 0.6000 [100]
2022 22 11 11 0.5000 [101]
2023 32 19 13 0.5938 [102]
2021-2023
(小計)
84 50 34
通算 1606 982 624 0.6115 [103]
2023年度まで

日本将棋連盟 表彰

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日本将棋連盟以外の表彰は「#その他表彰」の項を参照。

  • 1998年01月09日:公式戦通算400勝達成 [104]
  • 2004年01月15日:公式戦通算600勝達成(将棋栄誉賞=29人目、達成時勝率 歴代4位、達成日数 歴代5位=16年8か月 )[105]
    2004年01月15日: - 第53期王将戦七番勝負 第1局で達成(羽生善治王将 戦、通算600勝282敗 勝率0.680)
  • 2011年04月21日:公式戦通算800勝達成(将棋栄誉敢闘賞=15人目)[15]
    2011年04月21日: - 第69期名人戦七番勝負 第2局で達成(羽生善治名人 戦、通算800勝433敗 勝率0.649)
  • 2012年11月00日:現役勤続25年

その他表彰

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日本将棋連盟の表彰は「#日本将棋連盟 表彰」の項を参照。

作品

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単著

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編著・監修など

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漫画監修

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  • マサルの一手!(2006年、作画:村川和宏、小学館『小学五年生』連載)
  • 風の棋士ショウ2008年2009年、作画:武村勇治、小学館『コロコロコミック』連載)
  • うちゅうの王(2016年、作画:佐々木健、小学館『コロコロコミック』連載)

関連書

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  • 毎日新聞社編著 『第54期将棋名人戦』(毎日新聞社、1996年7月、ISBN 4-620-50474-2
  • 毎日新聞社編著 『第60期将棋名人戦-名人丸山忠久・挑戦者森内俊之』(毎日新聞社、2002年7月、ISBN 4-620-50480-7
  • 毎日新聞社編著 『第61期将棋名人戦』(毎日新聞社、2003年7月、ISBN 4-620-50481-5
  • 読売新聞社編著 『竜王決定七番勝負 激闘譜 第16期』(読売新聞社、2004年2月、ISBN 4-643-04003-3
  • 毎日新聞社編著 『第62期将棋名人戦』(毎日新聞社、2004年8月、ISBN 4-620-50482-3
  • 読売新聞社編著 『第十七期竜王決定七番勝負 激闘譜-森内俊之vs.渡辺明』(読売新聞社、2005年2月、ISBN 4-643-05008-X
  • 毎日新聞社編著 『第63期将棋名人戦』(毎日新聞社、2005年8月、ISBN 4620504831
  • 毎日新聞社編著 『第64期将棋名人戦七番勝負-名人森内俊之・挑戦者谷川浩司』(毎日新聞社、2006年8月、ISBN 4-620-50484-X)
  • 毎日新聞社編著 『第65期将棋名人戦七番勝負-森内俊之VS.郷田真隆』(毎日新聞社、2007年8月、ISBN 4-620-50485-8
  • 毎日新聞社編著 『愛蔵版 第66期 将棋名人戦 七番勝負』(毎日新聞社、2008年9月、ISBN 4-620-50486-6
  • 椎名龍一 『名人を夢みて-森内俊之小伝』(日本放送出版協会、 2008年10月、ISBN 4-14-081306-7)(自戦記部分を担当)
  • 森内俊之・羽生善治 共著 『羽生VS森内 百番指し』(日本将棋連盟、2011年1月、ISBN 978-4-8399-3761-4

ゲームソフト

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  • 激指デラックス 名人戦道場(2013年07月19日、マイナビ、パソコン用ソフト)出演、監修

出演

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テレビ番組

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ほか多数

その他媒体

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QuizKnockの動画[注釈 13]『【東大VS天才棋士】東大生4人vs天才棋士・森内九段!どちらが勝つ!?【検証】』(2019年9月27日公開[113]) など


年表

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  • タイトル戦は成績。人物名が書かれた部分は番勝負登場。
    上段の氏名は対戦相手。うち、 太字 は敗退、 太字 はタイトル獲得(奪取または防衛)。 太字 はタイトル獲得及び永世、名誉称号有資格獲得。
    下段は勝敗。o : 森内の勝ち、x : 森内の負け、j : 持将棋、s : 千日手指し直し
  • 一般棋戦 - 新人:新人王戦、勝抜nオールスター勝ち抜き戦(数字 n は連勝数)、新鋭:早指し新鋭戦、早権:早指し将棋選手権、全日:全日本プロ将棋トーナメント、日シ:将棋日本シリーズ、NHK:NHK杯テレビ将棋トーナメント
  • 将棋大賞は次年度4月1日付公表分。
    最優:最優秀棋士賞、優:優秀棋士賞、特:特別賞、
    率:勝率一位賞、勝:最多勝利賞、対:最多対局賞、連:連勝賞、
    新:新人賞、名局:名局賞、名特:名局賞特別賞、升:升田幸三賞、升特:升田幸三賞特別賞、
    殊勲:殊勲賞、技能:技能賞、旧敢:敢闘賞(旧)
  • 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。()内は順位。 の年は全棋士中1位。
  • 備考 - :最年少記録 :史上初の記録
年度 名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
12-2月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞 賞金&
対局料
備 考
1987 新人 プロ入りは1987年5月13日
1988 第52期
一次予選
敗退
第29期
予選敗退
第36期
一次予選
敗退
第1期
5組昇級
第38期
一次予選
敗退
第14期
予選敗退
全日
新鋭
一次予選
敗退
1989 第47期
C2残留
一次予選
敗退
予選敗退 一次予選
敗退
4組昇級 二次予選
敗退
予選敗退 新鋭
一次予選
敗退
1990 C2残留 一次予選
敗退
予選敗退 一次予選
敗退
4組残留 一次予選
敗退
予選敗退
一次予選
敗退
1991 C1昇級 二次予選
敗退
予選敗退 一次予選
敗退
4組残留 挑決リーグ
残留
予選敗退 早権
新人
勝抜6
殊勲
率 勝
二次予選
敗退
1992 B2昇級 二次予選
敗退
予選敗退 一次予選
敗退
4組残留 挑決リーグ
陥落
本戦敗退
本戦敗退
1993 B2残留 二次予選
敗退
挑決リーグ
陥落
挑決敗退 4組優勝
挑決敗退
挑決リーグ
陥落
予選敗退 新人 技能 2297
本戦敗退
1994 B1昇級 本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 3組優勝
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
予選敗退
本戦敗退
年度 名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞 賞金&
対局料
備 考
1995 A級昇級 本戦敗退 挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
2組残留 挑決リーグ
残留
本戦敗退
1996 羽生善治
xxxox
二次予選
敗退
予選敗退 二次予選
敗退
2組優勝
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
本戦敗退 NHK 技能 3398 タイトル初挑戦 = 名人戦
1997 A級残留 本戦敗退 予選敗退 二次予選
敗退
1組3位
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
本戦敗退 2594
1998 A級残留 本戦敗退 予選敗退 二次予選
敗退
1組残留 二次予選
敗退
本戦敗退 2352
1999 A級残留 本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 1組優勝
本戦敗退
二次予選
敗退
羽生善治
xoxx
3138
2000 A級残留 本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 1組残留 二次予選
敗退
本戦敗退 全日
日シ
2729
2001 A級残留 最終予選
敗退
挑決敗退 本戦敗退 1組残留 二次予選
敗退
本戦敗退 NHK 旧敢 3992
2002 丸山忠久
oooo
二次予選
敗退
挑決リーグ
残留
本戦敗退 1組3位
本戦敗退
二次予選
敗退
本戦敗退 技能 4872 初タイトル獲得 = 名人戦
2003 羽生善治
xxxsx
本戦敗退 挑決リーグ
残留
本戦敗退 羽生善治
oooo
羽生善治
osxooxo
本戦敗退 最優
勝 対
5269
2004 羽生善治
ooxoxo
佐藤康光
xsxx
挑決リーグ
陥落
羽生善治
xxox
渡辺明
xooxxox
羽生善治
xxxx
挑決敗退 10833 三冠(史上7人目)= 名人戦
2005 羽生善治
xoooxxo
本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 1組準優勝
本戦敗退
挑決リーグ
残留
羽生善治
ooxo
優秀 7117
2006 谷川浩司
ooxoxo
本戦敗退 挑決リーグ
陥落
本戦敗退 1組準優勝
本戦敗退
挑決リーグ
残留
佐藤康光
xoxox
6536
2007 郷田真隆
xxoooxo
最終予選
敗退
挑決リーグ
陥落
挑決敗退 1組残留 挑決リーグ
残留
本戦敗退 6721 永世名人(通算5期・十八世名人)
2008 羽生善治
oxxxox
本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 2組降級 挑決リーグ
残留
本戦敗退 3782
2009 A級残留 本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 渡辺明
xxxx
挑決リーグ
残留
本戦敗退 2728
2010 A級残留 二次予選
敗退
予選敗退 本戦敗退 1組残留 挑決リーグ
陥落
本戦敗退 名特 3270
2011 羽生善治
oooxxxo
二次予選
敗退
予選敗退 本戦敗退 1組残留 挑決リーグ
陥落
本戦敗退 3371
2012 羽生善治
oxoxoo
二次予選
敗退
予選敗退 本戦敗退 1組残留 二次予選
敗退
本戦敗退 5317
2013 羽生善治
ooxoo
本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 渡辺明
ooxoo
二次予選
敗退
本戦敗退 最優 5503
2014 羽生善治
xxxx
羽生善治
xxx
挑決リーグ
陥落
本戦敗退 糸谷哲郎
xxoxx
二次予選
敗退
本戦敗退 NHK 8374
2015 A級残留 (第1回) 本戦敗退 予選敗退 本戦敗退 2組降級 挑決リーグ
陥落
本戦敗退 3450
2016 A級残留 (第2回) 二次予選
敗退
挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
2組残留 二次予選
敗退
本戦敗退
2017 B1降級 本戦敗退 予選敗退 二次予選
敗退
2組残留 二次予選
敗退
本戦敗退 B級1組降級(2017年2月25日)
フリークラス宣言(2017年3月31日付)
2018 フリー
クラス
第3期
九段戦敗退
二次予選
敗退
予選敗退 二次予選
敗退
2組残留 一次予選
敗退
本戦敗退
2019 フリー
クラス
九段戦敗退 二次予選
敗退
予選敗退 二次予選
敗退
2組残留 一次予選
敗退
予選敗退
2020 フリー
クラス
九段戦敗退 二次予選
敗退
予選敗退 二次予選
敗退
2組残留 一次予選
敗退
予選敗退
2021 フリー
クラス
九段戦敗退 本戦敗退 予選敗退 二次予選
敗退
2組残留 一次予選
敗退
本戦敗退
2022 フリー
クラス
九段戦敗退 本戦敗退 予選敗退 二次予選
敗退
2組準優勝
本戦敗退
一次予選
敗退
予選敗退
2023 フリー
クラス
九段戦敗退 二次予選
敗退
予選敗退 二次予選
敗退
1組残留 一次予選
敗退
予選敗退
2024 フリー
クラス
九段戦敗退 本戦敗退 挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
1組残留 一次予選
敗退
予選敗退
年度 名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞 賞金&
対局料
備 考


肩書き

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昇段およびタイトルの獲得、失冠による肩書きの遍歴を記す。(色付きは継続中の記録)

日付 肩書き 保持タイトル 日数 備考
1987年05月13日 四段 1116日 プロ入り
1990年06月02日 五段 0669日 勝数規定
1992年04月01日 六段 0730日 第50期順位戦B級2組昇級による昇段
1994年04月01日 七段 0365日 第52期順位戦B級1組昇級による昇段
1995年04月01日 八段 2603日 第53期順位戦A級昇級による昇段
2002年05月17日 名人 名人 0368日 名人獲得 第60期名人戦
2003年05月20日 九段 0191日 名人失冠 第61期名人戦
2003年11月27日 竜王 竜王 0197日 竜王獲得 第16期竜王戦
2004年03月16日 竜王・王将 王将獲得 第53期王将戦
2004年06月11日 竜王・名人 竜王・名人・王将 0200日 名人獲得 第62期名人戦
2004年12月28日 名人 名人・王将 1268日 竜王失冠 第17期竜王戦
2005年02月10日 名人 王将失冠 第54期王将戦
2006年03月11日 名人・棋王 棋王獲得 第31期棋王戦
2007年03月28日 名人 棋王失冠 第32期棋王戦
2008年06月17日 九段 1100日 名人失冠 第66期名人戦
2011年06月22日 名人 名人 0891日 名人獲得 第69期名人戦
2013年11月29日 竜王・名人 竜王・名人 0173日 竜王獲得 第26期竜王戦
2014年05月21日 竜王 竜王 0197日 名人失冠 第72期名人戦
2014年12月04日 九段
3656日
竜王失冠 第27期竜王戦

脚注

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注釈

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  1. ^ 1位は藤井聡太の15歳6か月(朝日杯将棋オープン)、2位は加藤一二三の17歳0か月(高松宮賞争奪選手権戦)、3位は羽生善治の17歳2か月(天王戦)。
  2. ^ 全日本プロ将棋トーナメントは、翌年から朝日オープン将棋選手権に移行した。
  3. ^ 第62・63・69・70・71期は森内の勝利、第54・61・66・72期は敗退。
  4. ^ ただし、休場者がいた第26期A級順位戦(1971年度)で、中原誠が8戦全勝を達成している。
  5. ^ 過去には、升田幸三大山康晴中原誠米長邦雄谷川浩司羽生善治
  6. ^ 成銀で取らせて相手の攻めを一手遅らせる意味の手。この▲4八金は「絶妙の一手」と言われ、また、後に勝又清和によれば「タイトル戦の三大妙手」とも評されているが、森内自身は「相手のミスで生じた手なので」と振り返っている。しかし、控え室の検討陣で△4五歩が敗着と想像できた者はいなかったという。
  7. ^ 棋王は翌年佐藤康光に奪われる。
  8. ^ 永世名人の襲位は、原則として引退後。
  9. ^ 失冠後は1年間前名人の称号を名乗る権利があるが放棄。4年前に名人失冠した時も名乗っていない。ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後も佐藤康光や丸山忠久は「前名人」を名乗らなかった。
  10. ^ 一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。
  11. ^ ただし指し直し局では後手となるが、若干不利である後手を本来より持ち時間が少ない局で消費できる。
  12. ^ すべて名人で8期獲得
  13. ^ 動画投稿サイト「YouTube」に投稿された

出典

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  1. ^ 名人8期を含む
  2. ^ a b 第35期 竜王戦-森内俊之(もりうち としゆき)九段・棋聖プロフィル”. 読売新聞オンライン (2022年6月27日). 2023年8月27日閲覧。
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関連項目

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外部リンク

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