日本経済史研究所の紹介

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研究所の概要

日本経済史研究所は、世界の中の日本、アジアの中の日本という広い視野を大切にし、経済史研究にとって有意義な史資料の収集、多様な学術情報の公開、講演会の実施などを通して、経済史研究の発展への貢献、経済史研究と社会との関係の深化を目指しています。

所長あいさつ

「大阪に座して時空を超える」を改めて考える
 
日本経済史研究所所長 高木 久史
  当研究所のキャッチコピーに「大阪に座して時空を超える」というものがあります。大阪という場で歴史を考えることの歴史的意味をここで少し考えてみます。
 「大阪のヒト」というとゼニカネのことばかり考えている、というイメージで揶揄的に語られることがしばしばあります。実際、大阪経済大学の直接の前身である昭和高等商業学校は、戦前に、文部省、大阪府、大阪市、そして大阪の経済界のみなさまのバックアップのもと設立されました。そこには大阪の経済を支える人材を育成することへの期待があったと推察できます。あえて俗な言い方をいたしますに、まさにゼニカネのための知の場となることを求められ成立したことは、本学と、現在におけるステレオタイプ的な大阪イメージとの親和性が高いことを示す史実であるといえるかもしれません。
 しかしそのイメージは歴史的にはあてはまらないようです。幕末の大坂で学んだ福沢諭吉はその回顧録で、「江戸の書生の学びは大名に雇われるなど生計をたてるためという雰囲気だったが、大坂の書生の学びは生計や名声めあてではなく学問を純粋に面白がり楽しむ雰囲気があった」という趣旨のことを語っています(『福翁自伝』)。つまり実利のための江戸の学問・究理のための大坂の学問という対照です。オオサカはゼニカネ第一の社会であり続けてきたという、現代においてありがちなイメージとは真逆です。歴史を知ることは常識を揺さぶる行為であることを教えてくれるエピソードです。
 目の前にある解決するべき短期的な問題に対し誠実に対応しつつ、短期的な問題の背景にある長期的な問題も俯瞰的に見て解決をはかる、そのような双方の視野を持ち行動する人材の育成を、本学の経済史分野の教育コンテンツは行っている、と私は思っています。そして、本研究所が本学にあることは、長期的視野を学生が身につけることの必要性・重要性を本学が自覚していることのあらわれであり、そのための研究・教育事業の根幹を担う機関として存在している、と私は解釈しています。
 2023年度は、開所90周年を記念した論文集『歴史からみた経済と社会』(思文閣出版)を発表いたしました。当研究所の研究事業の成果を社会へ還元する一環であり経済史研究の進展へ寄与することを期待しています。また、2024年3月には当研究所が保管する「飛脚問屋井野口屋記録」の重要文化財指定にかかる国の審議会の答申がありました。戦前以来の当研究所の資史料収集事業を象徴する事例に今後なろうかと存じます。
 今後とも当研究所の事業へのご理解ならびにご協力をいただきますよう、お願い申し上げます。

研究所の沿革

 1926(大正15)年4月、京都帝国大学経済学部において本庄栄治郎教授の日本経済史演習が開始され、農学部の黒正巌教授、彦根高商の菅野和太郎教授も参加しました。黒羽兵治郎氏ら演習参加学生も含めたこの集まりは、やがて 経済史談話会、京都経済史研究会へと発展しました。
 1929(昭和4)年7月、本庄・黒正・菅野・同志社大学教授吉川秀造・大蔵省嘱託松好貞夫の5氏を委員として経済史研究会が組織され、11月から月刊誌『経済史研究』の刊行を始めました。
 同じ年にフランスではアナール学派の『社会経済史年報』が出され、1927(昭和2)年にはイギリスで『経済史評論』が創刊されています。経済史研究会と『経済史研究』は、まさに国際的な社会経済史研究興隆の一翼を担ったといえるでしょう。
 1932(昭和7)年12月、日本経済史研究所設立のために協議会が開かれました。大阪経済大学の前身である昭和高等商業学校の初代校長であった黒正巌博士は、私財を投じて京都帝国大学農学部隣接の土地約300坪を購入し、研究所の建設にとりかかりました。1933(昭和8)年515日に晴れて開所式が行われ、代表理事には本庄氏が就任し、理事として黒正・菅野・中村直勝氏が名を連ねました。
 研究所は幅広い事業活動を行い、全国にその名が知られるところとなりましたが、第二次世界大戦の激化によって活動は困難となり、『経済史研究』も1945(昭和20)年1月で終刊を余儀なくされました。
 1948(昭和23)年、研究所の図書は新制大学設置のため大阪経済専門学校に移管されました。翌1949(昭和24)年大阪経済大学が発足し、黒正巌博士が学長に就任しましたが、同年9月に急逝し、研究所の再開は宙に浮いたままとなりました。しかし、本庄、吉川、江頭恒治、堀江保蔵、黒羽、宮本又次、三橋時雄の各氏らの努力により研究活動は続けられました。
 そして、1959(昭和34)年頃から大阪経済大学日本経済史研究所として活動が再開されました。その後、歴代所長、研究所員、職員の熱意と尽力によって、経済史研究会の再開、『経済史研究』の復刊、『経済史文献解題』のデータベース作成、一般向け講演会など、多様な活動が行われるようになり、現在に至っています。

研究所略年譜

1929年7月「経済史研究会」が発足   
1929年11月月刊『經濟史研究』刊行
1933年5月日本経済史研究所開所
京大農学部の隣接地に建設
本庄栄治郎が代表理事に就任
1940年1月『日本経済史辞典』刊行
1946年11月研究所屋進駐軍に接収
1948年7月研究所図書を京都から現大阪経済大学へ移す
1949年9月黒正巌学長が急逝
1955年3月『経済史年鑑』(経済史研究会編)復刊第1冊刊行
1960年3月『経済史文献解題』(大阪経済大学日本経済史研究所編)昭和34年版刊行、以後毎年刊行
1961年3月研究叢書第1冊刊行
1974年3月史料叢書第1冊刊行
1983年7月日本経済史研究所開所50周年記念行事挙行
1995年7月第1回 「経済史研究会」開催
1997年1月『経済史研究』第1号刊行
1998年3月キャンパス整備計画により研究所がA館からG館1階に移転
1998年4月第1回「20世紀史研究会」開催
1999年7月第1回寺子屋「史料が語る経済史」開催
2000年7月研究叢書第10冊『20世紀の経済と文化』刊行
2000年9月学術シンポ「20世紀における社会経済史学の誕生と黒正巌」 開催
2000年10月学術シンポ「21世紀の大阪と朝鮮半島をつなぐ―歴史と民俗より―」開催
2001年3月研究所要覧を発行
研究叢書第11冊『社会経済史学の誕生と黒正巌』刊行
2001年10月写真展「上新庄と経大70年」開催
2002年5月「東アジア農業史国際シンポジウム」開催
2002年9月『黒正巌著作集』全7巻刊行
2003年4月文部科学省「オープン・リサーチ・センター整備事業」に選定され、経済史文献解題データベースの開発に着手
2003年5月日本経済史研究所開所70周年記念行事挙行
70周年記念論文集『経済史再考』刊行
第1回「春季歴史講演会」開催
2003年11 月第1回 「秋季学術講演会」開催
第1回「日本経世済民史研究会」開催
2004年4月「教育学術コンテンツ」補助金に採択され、経済史文献解題の遡及データ入力に着手
2004年11月「黒正巌遺墨・遺品展」開催
2005年7月第1回「日本経済史研究会」開催
2005年12月「経済史文献解題データベース」を日本経済史研究所ホームページ上で公開
2006年8月研究所要覧を改訂発行
2007年11月史料展「杉田定一関係文書」の世界 開催
2007年 12月文部科学省「オープン・リサーチ・センター整備事業」の一環として、国際シンポジウム「東アジア経済史研究会」(第50回経済史研究会)を日本・中国・韓国の9大学の研究者を招聘して二日間にわたり開催      
「経済史文献解題データベース」の英語版検索 システムを公開
2009年3月「経済史文献解題データベース」において、『経済史年鑑』復刊第1冊(昭和30年刊)までの遡及を完成
2009年6月シンポジウム「上海 近代のあゆみ―日本との関わりを中心に―」(第55回経済史研究会)開催
2009年10~11月ギャラリー展示「上海~過去(むかし)と現在(いま)~」開催
2010年2月研究叢書第17冊『東アジア経済史研究 第1集―中国・韓国・日本・琉球の交流―』として刊行
2012年3月研究所がG館3階に移転
2015年1月『経済史研究』研究所開所80周年記念号(第18号)刊行
2015年12月第80回「経済史研究会」開催
2016年10月研究所要覧を改訂発行
2020年12月第100回「経済史研究会」開催
2020年12月『経済史文献解題』データベース システム再構築に着手
2021年 8月『経済史文献解題』データベース 検索システムリニューアル公開
2023年 5月日本経済史研究所開所90周年記念行事
・第20回「春季歴史講演会」開催
・展示会「開所90周年記念展」開催
2023年10月90周年記念論文集『歴史からみた経済と社会』刊行
2024年 8月
「飛脚問屋井野口屋記録」国指定重要文化財に指定
90周年記念論文集『歴史からみた経済と社会』電子書籍版リリース
2024年10月研究所要覧を改訂発行
「飛脚問屋井野口屋記録」重要文化財指定記念講演会 開催