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2021年11月29日月曜日

コロナ、断捨離、京都。

 コロナ、断捨離、京都。



京都の若い知人が断捨離をしました。

モノを捨て、ミニマムに身軽になり、住まいも手の届く範囲で済む手狭な場所に移るそうです。

「減量したら健康になる。身軽になって旅に出る。

 モノからコト、エコでノマド。

 デジタルさえあればだいたい済むし。」

ですよねぇ。





人の断捨離もしたそうです。

「本業の客商売がコロナであがったりで、その間、SNSやスマホの連絡先をミニマムまで切った。

 でも必要な相手とは連絡はできる。大多数が不要だとわかった。」

快適であると。

「デジタルでのコミュニティとコミュニケーションは、リッチを過ぎると過度に我が身を縛る。」

ですかねぇ。





コロナで仕事がない。コロナで体が動かない。

リボーンの機会です。

貯めたモノ、貯めたヒトをデトックス。

デトックスされる老廃物になりたくはないが、デトックスしてリボーンする機会はまたとなさそうです。





ぼくは新大学という客商売を始めたばかりで、デジタルのコミュニティとコミュニケーションを強化する時期なので、断舎離する余裕がございませんが、とはいえ老化が老廃物として漏れ出さないよう、分をわきまえたい。





でも、断捨離は目的ではないよね。軽くなってどうするのか。縮んでいる間、世間もコロナで止まっているのだが、そこどう考えるのか。

問うてみたところ、「焼け野原を待つ。」という答えが返ってきました。

ん、それはなに?





「焼け野原を待つ。何もしない。じっとしている。

 自分の仕事はないけれど、みんなにもなくて、コミュニティが壊れる。

 死に絶える。

 そうしたら、ゼロから始められる。

 それを楽しみにする。」








コロナをチャンスに変える見方として、コロナで焼き尽くすというのは、「応仁の乱」後を見据える京都人の時間感覚ですなぁ。

焼けてからが勝負、と。




京都国際映画祭2015のキャッチコピーが

「京都は、変や乱が好き

でした。

「京都はつくる。つくってこわす。

 京都はこわす。こわしてつくる。」

あの言葉、ホントなんですねぇ。

う~む

ぼくの京都人への道、半ば。



ところで自分ちの断捨離を始めてみたら、郵政省やMITメディアラボのレターヘッドが出てきた。

これ持ってたらあかんやつちゃうかなぁ。

かと言うて捨ててもあかんのちゃうかなぁ。

断捨離いきなり挫折

2021年11月22日月曜日

パンク映画、2本ご紹介。

パンク映画、2本ご紹介。



コロナ中に観たパンク・ミュージックの映画、2本ご紹介します。


デヴィッド・バーンスパイク・リー「AMERICAN UTOPIA」。

最高。

最高。

最高。

ブロードウェイの舞台、21107分。

主に泣いてました。

ぼくは40年前に見たライブが頭と体に染み込んでいるから格別なのか?

いや初見の若者も揺さぶられるはずだ。

いや最高。

https://www.youtube.com/watch?v=3hB7Wl4BNSk





舞台も衣装も装飾を全て削ぎ落とし、身体と楽器、演奏と踊りの原始的な表現で、スリリングで面白くて躍動する空間と感動を作る。

多様性や包摂という政治的なメッセージは添え物。

音楽がまだこんな奥深い可能性を持つことを示してくれる。

にしてもデヴィッド・バーンはもう70歳ではないか。うぅ






京都「出町座」という小さくて大音量の館で観たのが正解。

しかし座って無言マスクで観る作品ではない。参加するものだ。

熱狂するライブ客をこれほどうらやましく思ったこともない。

熱狂の一体感、早く取り戻したい。

次回は超大画面、スタンディングでみんなとシャウトしながら観るぞ!




もう一本。





THE PUBLIC iMAGE IS ROTTEN」。

PiL、ジョン・ライドンのドキュメンタリー映画。

1枚め、PUBLIC IMAGEに針を落とし、1曲め、theme、ウォブルの重いベース、そこにウォーカーのドラミング、すぐにレヴィンのギターがかぶってきた衝撃、忘れられません。




SexPistolsからPiLへの脱皮ないし進化は震えるほど信じがたいもので、ぼくはパンクを人生の針路とすることになりました。

ただ、内実はイカれた若い狂気ではなく、音楽家として人として、重いものがあった、ということがこの映画でわかりました。





83年来日時の映像も出てきます。

京都はこれを観た映画館のほど近くでした。

公演後、少し離れたところでボ・ガンボスどんとらと飲んでいたら、ジョン・ライドンがやってきて、おんぶしたりして大騒ぎした!ことが懐かしい。




翌年ぼくは官僚になり、そのまた翌年やってきたPiLを東京で観ました。

そのときは同期の谷脇康彦さんと二人で行きました。

スーツ・ネクタイで、荒れる渋公。

その地域で一番浮いてた二人だと思われます。




いまぼくは「学長くん」モードのときは、家紋のかわりにPiLSexPistolsのピンバッジでありますが、気づかれることなく過ごしております。







デヴィッド・バーンとジョン・ライドン。

NYLONDONで同時期に暴れた英国人。

ぼくにとってパンクの両雄。

十代、京都で人生を決めるに当たり最も刺激を与えられた彼らの今を、還暦、京都で観たのは偶然ではあるまい。

ぼくのパンク道、まだまだ。

2021年11月15日月曜日

自在化身体論

 ■自在化身体論


稲見昌彦さんほか著「自在化身体論」。

東京大学先端研のわがボス、そして超人スポーツ協会で共同代表を務める稲見教授が率いる「稲見自在化身体プロジェクト」。

身体情報学のもとに集う、脳科学、心理学、情報工学、機械工学、メディアデザイン学の若き学者たちによる自己紹介、引き込まれます。


近代に入り移動、生産、情報の技術が発展した。稲見さんは「脱身体化」「苦役からの解放」という。

そう、そしてさらなるテクノロジーでぼくは「超ヒマ社会」が来ると考える。

でも稲見さんは次は「自在化身体」だという。

ロボットやアバターを自己化するとともに、身体をサイボーグ・ロボット化すると。


自在化とは「機械によって拡張された能力を、人が自由自在に扱えること」としている。

体に第3・第4の腕を装着する「MetaLimbs」を見たことがある人はすぐイメージがつかめよう。

それをリアル空間・バーチャル空間に拡張し、分散し、共有する。


プロジェクトには5つの研究テーマがある。

1.感覚の強化(超感覚)

2.物理身体の強化(超身体)

3.心と身体を分離して設計(幽体離脱・変身)

4.分身

5.合体

稲見さんの前著にはSF、ポップカルチャーが満載で、その系譜だ。

ブログ「スーパーヒューマン誕生!」

http://ichiyanakamura.blogspot.com/2016/12/blog-post_93.html


「サイバー空間とフィジカル空間を縦横無尽に渡り歩き、超人的な能力を自由自在に操る人」=「ディジタルサイボーグ」を実現する基礎技術の確立がプロジェクトのゴール。

MITネグロポンテ「ビットとアトムの結合」を身体に引き戻す。これぞ「新人類」の誕生。


このため、「心と身体を分離して設計(幽体離脱・変身)」するという。

人のハードとソフトを分離してレイヤ別に脱構築する。

そして外の身体=ロボット・アバターを自分として操りつつ、機械を身につけて自分と感じるようにする。


遠くにいるロボット・アバターに自分の行動を自動化技術で引き継がせる。

リアルなロボットやバーチャルなアバターを、オートマとマニュアルを切り替えつつ、一つの自分と行き来して操る。


リアル+バーチャルのNか所でN個の身体を持つことになる。

稲見さんはXEROXマーク・ワイザーが唱えた機械の偏在=ユビキタス・コンピューティングをなぞらえ「意識の偏在」を説く。

意識や身体の偏在、つまり自己の偏在。地球征服の欲求をかきたてる。

他方それは、他者による自己の支配や共有も見据えることになる。


多くの者がひとつのみこしをかつぐような「合体」も研究テーマだ。

身体を他人やAIと共有する可能性も議論され、身につけたロボットアームを他者が操縦する実験なども進められている。


自分のモノや身体をシェアリングで拡張することも言及されている。

行動はデジタル化される。データとして分散され、共有される。地球規模で。

大衆が誘導されたり、自分が支配・管理されたりする可能性もある。

計り知れないインパクト。


本書に登場する学術領域をピックアップすると、機械工学、情報工学、制御工学、脳科学、神経科学、心理学、生理学、救急医学。そして東大・瓜生大輔さんの美学、倫理学、文化人類学。


研究は「中間点」だが、自己の分散・共有まで含む社会実装を想定すると、さらに、哲学(自己とは)、経済学(生産量、雇用、分配)、法学(表現自由・公規制)も要求される。

ワクワクします。


MITネグロポンテのビット・アトム結合を理解するためMITメディアラボで2年がかりで勉強し調査しインタビューして「デジタルのおもちゃ箱」を上梓したのが20年前。

次はそれくらい自在化身体論に突っ込んでみたい、そう思わせる、衝撃の書であります。






ところで。ついでに報告します。

先日、京都、大雨。

四条河原町を歩くと、フラつく。

へたりこみました。立てない。

約束で合流した親類が119し、初救急車。

救急士さんと。

この指何本? 1本。 

これは? 4本。

これは何? This is a pen(初めて使った)。


病院についた。

お医者さん。

この指何本? 1本。 

これは? 4本。

これは何? This is a pen(人生2回め)。

血ィ抜いて、心電図、CT撮って、点滴もろて、しのごの、

ぜんぶ異状なし、耳(三半規管)ちゃうかな、という診断。

どうやら超低気圧と加齢のせいらしく。


頭ハッキリしてて体うごかず、ハード・ソフト分離。

ひとごとじゃない、自分にも起きることなんだ。

これを意図してコントロールできればよいのだが。

三半規管に外部刺激を与えて人の動きを操る実験を見たことがあります。

そうか、あれは自分ごとだったのか。

技術と身体の融合、関わってまいりたく存じます。




2021年11月8日月曜日

AIと身体に関する2冊、ご紹介。

■AIと身体に関する2冊、ご紹介。


AIと身体に関する書物を2冊ご紹介します。



ピーター・スコット・モーガン著「ネオ・ヒューマン」。

運動ニューロン疾患と診断された科学者が脳をAIで補完しつつ肉体を機械に置き換えサイボーグと化す。アバター、音声合成、視線入力を通じバーチャルに生きる。

病に立ち向かうというより、それを機会として新生する、人類の未来を拓く挑戦の書。


肢体や臓器の機能が損なわれても、脳が働く限り、生命が維持される。

いやむしろ、脳がAIやロボットと直結することで身体は拡張し、活動の自由を得る。

その可能性を、科学者が自ら実践すべく突き進むプロジェクト。

筆者は肢体が動かず声を失った今も活躍中という。


この書物は肉体とITの融合という明るい未来をリニアに描くのではなく、エスタブリッシュメントとの断層、ゲイに対する圧力、ビジネスでの奮闘という筆者の苛烈な半生を並走させる。

そして本題のプロジェクト遂行も難航する。それを最後に七人の侍が突破する。

生き様の書です。


これまであきらめていたことが、テクノロジーを取り込むことで、反転して新しい未来がもたらされる、かもしれない。

でもそれは、旧弊と闘い、仲間を募り、資金を得て、発信し、という覚悟を伴う。

自分ごととして考えると、その気力、が続くかなぁ。という読後感です。




もう一冊。

ルイス・デルモンテ著「AI・兵器・戦争の未来」。

AI兵器の開発と人類の制御・管理を問う。

自律型兵器、全能兵器、自動操縦、AIインプラント兵士、その技術的・政治的シナリオ。

迫る現実であり、果てしない思考実験です。

つらつら考えました。


AIとナノテクが進化しすぎる。

自律型兵器の開発を禁ずる条約は、大国(米中)が共にメリットを見出す必要がある。

小国、少数民族、テロリストが新兵器を使う可能性が高まったときだろう。

つまりテクノロジーの民主化を抑制する必要が生じる事態を意味する。

テック民主化の抑制に対し、日本はどうする。


軍隊はSE化するだろう。

オペレーション部隊はAIに置き換わり、AIの開発・保守に大多数の人材をあてることになる。

投資銀行のように。

軍人の失業問題が厄介なことになりそう。

AI進化への反対は軍人が一番強い勢力になるかも。


本書は、シンギュラリティ後にAIを脳内にインプラントする兵士の大量出現を想定して、兵士がAIを制御するのか、AIが兵士を制御するのか、を論じている。

んなもんAIが兵士を制御する以外、軍事的インセンティブはなかろう。

それを望むのは誰か、という問いですな。


AIインプラントした人がAIシステムにアップロードするものは知識じゃなくて経験や感情。

それは新たな生命維持や再生なので、そっちはインセンティブがあるだろう。

シンギュラリティ後。その技術を見極めるまで生きる。

っていい目標だな。


巻末、防衛省の小野圭司さんによる解説。

安保の議論は専門家に留めてはいけない。

関西の阪神ファンはプロからおばちゃん、子供まで論評し、ガバナンスを保つという世論の効用「阪神ファンの応援心理」を説く。

本書で一番しっくりきました。