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2012年12月31日月曜日

もしもボクが文化大臣だったらw


■もしもボクが文化大臣だったらw

 念仏のように繰り返す「文化省を作ろう」です。
 文化庁と、総務省と経産省のIT部門、知財本部とIT本部を足したものです。
 初代大臣はオノ・ヨーコさんです。
「ハコはええから中身を考えろ。」というご批判もいただいております。そうですね、政策はオノ・ヨーコさんが考えるものですが、それだけだと無責任なので、もしもぼくが大臣だったらこうかな、というのを挙げてみます。数値目標と予算額はまたの機会に。
 コレをやれ、コレをやるな、というコメント歓迎。

基本政策:文化により誇りを持ち尊敬される国の形成。
文化を生産する力の底上げと発信・流入の活性化
文化政策資金の増強と若年層への政策資源の重点配備
世界一の情報通信基盤の整備と利用能力の涵養
国民、産業、学界と文化政策の連携強化


個別政策

1) 文化産業政策の強化:日本をコンテンツ産業の本場にする
・コンテンツ産業の法人税撤廃
・電波利用料のコンテンツ制作への使途拡充
・コミケ、ニコニコ超会議、初音ミク及びそれに類するものの奨励及び外敵からの保護

2) 文化通商外交の強化:海外への情報発信量を増大させる
・日本コンテンツ向け海外メディア枠の確保
・海外の日本コンテンツ輸入規制撤廃推進
・コンテンツ、自動車、ファッションら総合輸出策の支援(経産省、国交省らと連携)
・人気ウェブサイトの多言語翻訳無料化

3) 文化教育の強化:情報生産力を養う環境を整備する
・音楽・図画工作の授業倍増 (教育大臣と連携)
・子ども創作表現活動拠点の全国整備
・国際的なコンテンツ大学院の重点整備 (教育大臣と連携)

4) 従来型文化行政の転換:著作権政策と芸術伝統文化保護策を刷新する
・著作権バーチャル特区の設定
・デジタル著作権法案の策定
 ・業界補助金の縮小と文化バウチャーの創設
 ・文化寄付優遇税制の創設

5) IT利用政策の強化:利用面の遅れを挽回する
・デジタル教科書の整備(教育大臣と連携)
NHKネット配信の義務化
・ネット選挙の推進
・全省庁・自治体のオープンデータの推進

6) ポスト・インターネット政策の構築:次世代IT基盤の整備と開発を推進する
・全国の学校の先端情報基地化
・スマートシティー、スマートグリッド、デジタルサイネージの全国整備
・電波政策、IT研究開発、IT標準化政策の総点検

7) 政策形成手法の改善:オープンでソーシャル手法を構築する
・世界的文化/IT関係者による政策評価機関の設置
・国際的文化政策ラウンドテーブルの常設
・ソーシャルメディアによる政策参加手法の試行
・ポリティカルアポインティと専門家登用の強化

2012年12月27日木曜日

オープンデータは社会を変えるか?

■オープンデータは社会を変えるか?
 オープンデータ。政府・自治体はじめパブリックなデータを公開し、民間が活用し、情報サービスを生んでいく運動。オープンデータ流通推進コンソーシアム主催のイベントが2012年12月10日、東大にて開催されました。ぼくはこのコンソーシアムの理事として参加しました。http://www.opendata.gr.jp/
 情報公開に対し霞ヶ関は前のめりです。総務省の阪本泰男政策統括官(元ぼくの上司、えらい)は「産官学連携で国際協調も進める」決意を示し、内閣官房の奈良俊哉IT担当参事官(えらい)は「政府自ら二次利用可能な形式で公開していく」ことを明言しました。内閣、総務、文科、厚労、農水、経産、国交、財務といった仲の悪そうな省庁が一つのテーブルについて公開策を練り始めているそうです。経産省の岡田武情報プロジェクト室長(えらい)はソウケイセンの終了を示唆しました。早慶戦じゃなくて総務/経産戦争です。ソレお願いします。元 郵政/通産戦争の前線で消耗した身としまして。

 シンポの冒頭では、学会大御所3名からのプレゼンがありました。東大前総長の小宮山宏さん、慶應大の村井純さん、東大の坂村健さん。
 小宮山さんは「ソウケイセンやめろ、民間も言い訳やめて取り組め」と檄を飛ばす。ぼくはデジタル教科書・教材協議会の会長ー事務局長の関係なので、小宮山先生の怖さは身にしみており、このオヤジが本気なら動くかもという気がしております。
 村井さんは「3/11以後、震災や原発の情報を共有することを通じ、国民のオープンデータへの需要が顕在化した」と語る。「ユーザ一人一人が情報を発信してコンテンツを作るウェザーニュース型、政府がデータを一括して出す気象庁型、双方がある。」そうですね、データをオープンにするだけでなく、それをソーシャルメディアで活用して、大きな恩恵を得ることが重要です。
 坂村さんもそのポイントを突きます。「オープンにするだけじゃだめだ。東電が3/11以降に出したデータはGIFやFLASH。これでは使えない。"でんき予報"は個人やYahoo!がAPIを組み合わせてできたもの。CSVとAPIが必要だ。データを使える形で公開して、一般市民・プログラマがサイトを作っていくことが必要だ。」公共にはきちんと出してもらう。民間はきちんと使い込む。ということですね。
 さらに坂村さんは社会政策にも踏み込みます。「日本は"これならやっていい”というポジティブリストが主流。でもオープンデータは英米法的なネガティブリスト式、"これはやっちゃいかん"でないと、イノベーションに対応できない。」はい。日本のネットの広がりは、先輩たちが「やっちゃいかん」ことなのに突き進んだからという歴史、知ってます。
 「ネットを使えない人がいる。だからネットを採用しない。などという社会の態度のせいで革新が止まる。フィンランドはブロードバンドへのアクセスを国民の権利として保障している。日本も社会権にすべき。全ての社会活動を "全員ネット"前提で考えよう。」そのとおり。ネット選挙しかり、デジタル教科書しかり、一部を気にして全体が進んでいない。変えましょう。

 さて、ぼくは利活用・普及委員長でもありまして、活動をご報告申し上げました。多くの省庁のかたがた、自治体のリーダー、企業や研究機関のみなさんにご参加いただき、情報発信や事例開発を進めています。委員会はオープンで、毎度Ust中継しています。オープンデータが注目され始めたとはいえ、まだまだ専門家の話であり、重要な課題であることを国民全体に認識してもらうには、かなりの普及活動が必要です。まず事例や成果を挙げて、積み重ねて、みんなで共有すること。アイディアソン、ハッカソンを開催したり、オープンデータ事例を勝手表彰したり、できること、どんどんやります。
 村井さんが「みんなで作るといっても、クラウドソースはいかん、デザインを5万円とかで募集するとすばらしい作品が集まってきたりするんだが、これやるとデザイナーが死ぬんだよね」と言ってました。すみません。コンソーシアムのロゴはコレで作っちゃいました。箱からポンとオープン。費用、きっちり、5万円。できること、どんどんやります。
 ぼくらの役割は、コンソーシアム主導で普及活動を進めるというより、自治体、企業、個人で汗を流している活動に光を当て、支援し、つなぎ合わせ、後に続く自治体、企業、個人を増やしていくことです。ご指導ください。

 パネルディスカッションの席でぼくが話したのは2点。

1) サステナブルな推進のためには、ビジネスモデルを開発することがポイント。ぼくが関わっているデジタル教科書やデジタルサイネージでも、オープンなデータは教材にもなるしサイネージコンテンツにもなる。だが、いま想像・想定できない利用法やビジネスが広がるという点が大事。この1-2年でメディア環境は大きく変化した。スマホなどのマルチスクリーン、クラウドネットワーク、ソーシャルサービスが普及し、膨大な情報が生産され、共有されることが認識されている。オープンデータはその次の次元。これまでのコミュニケーションはP2P、人と人、1億人×1億人だったが、これからは、ぼくの周りの全てのモノ、100個ぐらいのモノがみな情報を発信する、M2M、モノとモノ、だから100億×100億、情報量としてはン万倍になる。新しい産業が生まれる。間違いない。

2) コンソーシアムがすべきことは3点。+を伸ばすこと。まずはビジネスモデルを作ること。情報提供・共有のインセンティブは、今は善意に頼っている。企業として収益を上げられる道筋を作る。次に、-を減らすこと。それは安心感を醸成すること。デジタル化に対する不安や抵抗が必ず出てくる。プライバシー保護などの運用をちゃんとしてるよ、という情報を発信する。3点目は、産学官のタッグを組み続けること。そこで政府に期待するのは、最大のデータ保持者としてデータを出せ!だけでなく、カネも出せ!ということ。民間が立ち上がるまでの間、資金の出し手としてプレイしてくれることを期待する。
 政権が変わるギリギリのタイミングでしたが、政府高官にも多数会場にお越し頂いていましたんで、そこんとこ一つよろしくお願いする次第です。

 ところで、データガバナンス委員会の井上由里子主査:一橋大学教授が、「政府保有データの著作権をフリーにして使わせるべきだ」と提案されました。これ、とても重要な課題です、というか、そもそもオープンデータの入口論だと思います。これは早急に実現すべく動きたい。法律の問題なのか、行政運用の問題なのか、政策論的には整理を要しますが、トットトやっつけるべき案件として、具体的に動きたいと思います。政府はじめ関係者のみなさま、攻め上りますので、よろしく。

2012年12月24日月曜日

ウェブで政治を動かす!

ウェブで政治を動かす!
  津田大介さん著「ウェブで政治を動かす!」を読みました。
「動く」じゃなく「動かす」としたところに政治への熱さが伝わります。
 津田さんに最初にお目にかかったのは、もう10年も前になりますか、日経のイベントでした。音楽業界の記事を書いておられたころでした。ふむ、こういう当たりの柔らかい若者がきちんとした文章でデジタルで勝負する、いい時代が来たなと感じさせてくれる、アンテナに響くかたでした。
 それが今やある種日本の世論を左右する、いい意味で政治的なポジションに就かれている。いい国です。
 総選挙前の実にいいタイミングで書店に並んだところも、持ってる。

 読みつつ、数点コメント。


 

●「違法DL刑罰化に見る政策決定の危うさ」と、保護期間延長問題について「ウェブで「著作権問題」が動いた」健全さとが同居する著作権制度、という指摘。

→まだシステムは収まりません。前者についてはぼくも危なすぎると感じます。それは音楽業界がロビイングで成功したということよりも、その成功を認知したハードウェア業界や外資が逆襲するだろうという危なさ。
 後者の延長問題は津田さんの活動に参加しましんたんで、だよね~という感想。


 
2010年の東京都青少年保護育成条例で、非実在青少年規定が削除されるに至るツイッター・デモの役割と、マスメディアの冷淡さ。東日本大震災がソーシャルメディアとマスメディアの相互連携の契機になったとの記述。そして医薬品ネット販売解禁含め運動を実現する点でネットは役に立っていないとの評価。

→ネットが行政や制度に影響を及ぼしつつある。その状況にマスメディアは冷淡であり、意図的に鈍感でした。しかしこの1年、ソーシャルメディアの利用は記者の個人発信を促し、マスメディア自身の姿も変えつつあります。今回の総選挙でそれは加速したと見ます。
 しかし、ネットの威力を冷静に見ていて過度にあおらないのも津田さんらしい。加速したとはいえ、新聞などの世論調査とネット上の空気とは随分差がありますし、新聞の調査に近い投票結果でありました。「ネット世論」なるものはまだその水準であることを認識しておくことも大切ですね。
 ただ今回、新聞の調査を受ける形で毎度ネット上の議論が活発化し、それが一定の世論形成に影響を及ぼしたことも事実。マスメディアとソーシャルメディアの共存スタイルが少し見えた、という気がします。ウェブで政治は多少、動いた。



藤末健三参院議員「ネット選挙解禁は世代間抗争」。

→そのとおり、これは政府の問題ではなく、政治の内部抗争なので、クーデターでカタつけてください。
 民主党が3年前の衆院選マニフェストで、IT関連で掲げたのは「ネット選挙解禁」だけなんです。競争促進も電波開放も教育情報化も電子政府もヒトコトもなく、こんな政党に任せていいのか!とぼくは憤っていたのです。なのにその唯一の公約「ネット選挙」も果たさず下野! それぐらいやっとけよ! 藤末総務副大臣の任期があと半年あれば、やってくれてたんじゃないかなぁ。
 さて、その藤末センセイとぼくは、ネット選挙と並び、モ一つ議論してきたことがあります。ネット出身議員を誕生させようという話です。
 だけど、津田さんの本には、参院全国区に一人で立つなら120万票必要との計算が出てきます。
 23万フォロワーの津田さんでも厳しいってことか! 津田さん、次の選挙、立候補してくれるないかなぁ。
 ところで、一連の政治家によるネット炎上事例を見ていると、ソーシャルリテラシーは議員の基礎能力となっていると思います。
 炎上対策のニューメディアリスク協会が協力します。
 本書の中で、橋本岳さんは、政治家=メディアであり、ネットを含めたメディアの使い分けは政治家自らが行うべきと説きます。
 正しい! 政治家はメディアです。田中角栄はテレビ局を生み、ケネディはテレビで当選し、中曽根康弘は電通がプロデュースしましたが、オバマはブラックベリーでソーシャルです。ペイドメディア時代の政治家はペイド側のプロデューサを欲しましたが、オウンドメディア時代は自らリテラシーを磨く。せめて政策秘書か公設秘書にわかってる人を配置ください。



遅れている日本のオープンガバメントにも希望の光が見えているとの記述。

→これは、ぼくのしごと。オープンデータ流通促進コンソーシアムの活動に力を入れます。
 ご指導のほどを。

2012年12月20日木曜日

北京大学出張講義メモ

■北京大学出張講義メモ
 最低の学食は、名古屋大学のミソカツ定食である。あんなマズいメシは日本ではお目にかかれない。おかげでヤミつきなって、名古屋に行くたび、寄ってしまう。
 で、いま北京大学におります。最高です、 この学食。肉やら野菜やら卵やらがナマで並んでいて、指図すればそれをジャアジャアとデカい鍋で焼いてくれて。折しも北京は雪。近年に珍しい寒さとかで、熱いメシが効きます。いろんな国のいろんな大学の学食を荒らした身としては、同志社大学のザワついた学食に迫る、最高峰的な、いいかんじ。
 北京大学は中国の学問の最高峰に位置します。そこでですね、日本のメディア政策、含む「ポップカルチャー」について3本講義せよという指令が来まして。外務省筋から。ただし2012年、尖閣に発する問題のため「行動を慎重に」との指令も来まして。だから、この2年、過ごしてきた「和服、着物ではダメだ」という命令も来ました。2年ぶりにスーツを着ることになりました。
 体重は変わっていないのに和服暮らしだったせいか、気がつけばスーツがきつくなっていました。グルコサミン体操が効くそうです。誰かがそう言いました。ウソかもしれません。でもしばらくグルグルぐるぐるグルコサミンをやって、なんとかスーツで行きました。
 
 講義は連続8時間。博士課程の学生、というか研究者20名。女子が8割。バックグラウンドは政治、法律、経済、経営、国際関係など。
 前半、メディア政策について話しました。通信自由化、放送メディア開発、地域情報化、マルチメディア政策、NTT再編、地デジ整備、通信放送融合、インターネット政策、規制緩和、国際調整、技術開発、標準化、省庁再編、著作権制度、知財戦略、プライバシー、電子政府、教育情報化、電波開放、青少年保護、炎上対策、オープンデータ・・・日本ではこんなのやったことありません。いつになくマジメにやりました。
 みな北京以外の、いわば田舎から上京した学生だといいます。おそらく地方で神童と呼ばれた人たちでしょう。超優秀な精鋭。中国の次世代を担われるんでしょう。

 後半、コンテンツ政策を話そう。質問しました。
 「日本のコンテンツで知ってるのは?」
 それまで静かだった連中が一斉に声を上げ始めました。
 ナルト、ブリーチ、ワンピース、デスノート、コナン、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ギンタマ、ハガレン・・
 なんや、お前らそっち系かい。なら話は簡単だ。後半はそっち系の話になりました。
 もう一問。「一番有名な日本人は?」 議論の結果は、こうです。
 1位 蒼井そら  2位 ドラえもん  3位 宮崎駿
 
 ただ、そこは北京大の博士学生。政治的な話には敏感でした。「習近平政権の第一課題は?」と振ると、地域格差、経済格差に並び、党幹部の汚職問題が挙げられました。新政権になって摘発が相次いでいるが、尻尾切りだ。ポーズに過ぎない。落ち着いたら元の腐敗に戻るだろう。など厳しい指摘。結構あけすけなんです。
 フリーディスカッションに移ると、質問が吹き出しました。タジタジでしたが、ぼくの即答も合わせてメモしておきます。

・政府に情報公開させる手法は?
 情報公開法など、制度で政府を規制し、国民に請求権を渡す手法が基本。ただ、最近のオープンデータ運動のように、政府や自治体と民間が連携して行動を促す方法もある。政府、官僚を督励し、成果を出した部門を高く評価する太陽政策だ。日本ではこちらのほうが効果的と考える。通信分野の規制緩和が進行した90年代後半は、政府の行動がプラスの評価を受けたことがエンジンとなった。

・NTT民営化・再編の経験は他産業にも波及しているのか?
 電電公社や国鉄の民営化は郵政事業はじめ他分野の民営化と競争促進の参考になった。ただし、技術進歩や競争環境によって適用可能性が異なることに注意を要する。原発問題を契機として電力の競争環境整備が課題となっているが、同じアナロジーが適用できるわけではない。

・教育情報化が論理的思考を奪う恐れはないか?
 紙をデジタルに置き換える、ペンをキーボードに置き換える、という考え方であれば、そのような恐れも想定し得る。だが、私たちのアプローチはアナログとデジタルの共存。リプレースではない。アジアでは特に「書く」文化と能力に重きを置くが、これは当面、不変。「書かせる」デバイスや授業も重要。アナログvsデジタルという問題ではなく、授業の内容の問題。デジタル技術を用いて映像の理解や表現にも力を入れるが、これも文字の論理や表現を映像に置き換えるのではなく、文字教育にアドオンするもの。

・自動翻訳技術は中国のプレゼンスを高めるか?
 2007年のTechnorati調査では、世界のブログで使われている言語は37%が日本語、36%が英語、そして8%が中国語だった。日本語が世界一だったのは若者のケータイによる情報発信。今回、北京を歩いてとても多くの人がスマホを使っているのを見た。いま計測すれば中国語が相当増えているのではないか。そして中国語で発信された情報が各国語に自動翻訳され流通する。間違いなくプレゼンスを高める。

・4Gネットワークの普及スピードをどう読むか?
 これまでの通信ネットワークの経緯を振り返れば、4Gも日本は相当速い速度で普及すると思われる。

・大学が新産業育成に果たす役割は?
 スタンフォード、ハーバード、MITのように、数々のIT企業やサービスを大学がプラットフォームになって生み出していったアメリカのような成果を日本は挙げることができていない。従来型の教育と研究だけでなく、社会経済のプラットフォーム、次世代産業の増殖炉として機能することが求められる。私も努力しているが、もはや日本の大学が日本人と日本企業を興すという考え方ではない。ぜひ北京大学のみなさんとも連携して何か生み出しましょう。

・著作権保護の強化は日本人の学習機会を奪っているのでは?
 あなたがたがアニメはじめ色んなコンテンツをフリーで使って学習しているのは知っている。日本はあなたがたより制約がある。だが私から見れば中国の保護は緩すぎる。日本の権利者からみれば問題も多い。著作権は権利者と利用者のインタフェースであり、その線引きの位置は国によって異なり、正解はない。ただ、コンテンツが国境を越えて流通する量が爆発的に増えるので、国際調整はいよいよ重要。あなたがたのようなリーダーにはしかと考えてもらいたい。

 日本大使館はじめ現地に駐在するかたがたとも話しました。学生とも著作権論議になりましたが、コンテンツをフルに楽しむなら中国という状況は変わっていません。アメトークが全部ネットでタダで見られちゃうそうです。ぼくなんかアメトークのDVD全部持ってるんですけど。よしもとのドル箱もぎゃふんです。
 中国では新政権が一足先に発足し、日本の新政権の出方を待っている状況。習近平政権は2020年までに所得を倍増する計画ですが、エネルギーや環境問題をどう並行してクリアするのか、それまでに一党独裁制がほころびすに済むのか、内なる悩みは深そうです。対外的な出方はまだ読めません。
 2012年末の時点では、反日暴動は収まり、民衆は平静を取り戻しているものの、王府井の書店では1フロア日本のマンガが占めていた場所が撤去されたままであるなど、経済の関係は落ち込んだまま。政治的にもそんな状況なので、政府レベルでは手打ちには至らず、没交渉のままだそうです。日本の大使交代もあったばかりですしね。
 帰国の翌日、日本は総選挙。新首相は対米、対中、どちらの関係も修復しなければいけませんが、まずどちらを先に訪問しますか。最初の課題です。いずれにしろ、中国との手打ちを急いでもらいたい。

 数年前に来た時と比べ、デジタルサイネージがかなり増えていました。探すまでもなく、あちこちにディスプレイが貼られています。天安門広場に巨大なLEDが2基置いてあり、国威発揚ビデオが流されていました。民衆のよりどころに、パブリックな情報を否応ない手法で共有させる。これぞ真のデジタルサイネージ。すごいなぁ。中国、成長していることを端的に示すなぁ。
 と感心していたら、それらサイネージが尖閣問題のときに活躍したという話も聞きました。あちこちのサイネージがCCTV13chに切り替わり、尖閣問題を大々的に街に報じたんですと。サイネージを使って国民の注目を引き、扇動したんですね。でも中国のサイネージはまだ孤立型、スタンドアロンが主流のはず。どうやって映像を切り替えていったんだろう? --どうやらそうしたミッションを帯びた人が動き回って操作していった、というのが現地のかたの見立てです。藪の中です。
 日本の業界は、サイネージを使って防災・緊急情報をユビキタスにどう届けるかを熱心に論じています。中国では国のプロパガンダを届ける手段として使っている模様です。サイネージ文化にも個性がありますね。勉強になりました。

2012年12月17日月曜日

新政権に求めるメディア政策

■新政権に求めるメディア政策

 総選挙から一夜が開けました。
 経済、TPP、原発・・・論点は多岐にわたりました。
 でも、メディア政策についてはほとんど議論になりませんでした。
 公約にあることはあったんですよ。自民党は、災害に強い情報インフラの整備、サイバーセキュリティ対策の強化、クールジャパンの国際展開などを掲げていましたし、民主党はスマートメーターの普及促進、マイナンバーの利用開始、電波オークションの実現などを説いていました。公明もスマートメーターの普及や医療情報化の推進、アニメなどの海外展開支援を挙げていました。ネット選挙解禁は3党ともに賛成しています。
 3年前、民主党政権に移行する際、高く掲げられたマニフェストには唯一「ネット選挙解禁」がうたわれていました。それさえ全く前進せずにおしまい。だから、これからの最長4年についても、全く期待していません。してはいませんが、新政権、改めて期待したい政策はあります。
 思い出すのは、3年前の選挙から半年後に講じられた民主党「情報通信八策」です。発足当初の政権は、情報通信法に後ろ向きで、規制緩和にも通信放送融合にも電波開放にもソフトパワー発揮にもネガティブ。ぼくらは批判を強めました。それもあり、一部若手議員が「メディア政策を講ずべき」と動き、情報通信議員連盟が結成されて、八策が策定されたのです。ぼくも協力しました。以下のとおりです。

1 情報通信分野におけるタテ割り打破のため、強力な推進体制をつくる
(「情報通信文化省」設置、「情報通信利活用促進一括法」策定等)
2 情報通信関連投資の倍増により、100兆円超の新市場を創出する
(電波の開放、減税措置、スマートグリッド・ITS・デジタルサイネージ推進等)
3 電子政府と業務見直しを一体的に進め、行政コストの5割削減を目指す
(「電子政府推進法」策定、国民ID制度構築等)
4 情報通信を最大限活用し、子どもたちの学力・創造力を向上させる
(小中高校でのデジタル教科書100%普及、全教室への無線LAN整備等)
5 医療の情報化により、国民本位の医療サービスを実現する
(電子カルテ、レセプト電子化推進等)
6 「光の道」の100%普及を目指し、50兆円規模の電波ビジネスを生み出す
(新たな電波資源の開放・利活用促進等)
7 デジタルコンテンツの普及により豊かな暮らしを実現する
(コンテンツ海外売上比3倍増、NHKアーカイブの全面ネット開放等)
8 情報通信を活用し、地球温暖化や災害から国民を守る
(スマートグリッド推進、地域防災情報システム全国展開等)

 3年間で進んだものもあります。6 光の道は関連法案が成立し、競争環境が前進するとともに、ホワイトスペースの開放など電波行政も前のめりです。8 防災対策は大震災という不幸があり、否応なく対策が強化されました。問題は、進んでいない部分です。2の投資倍増、新市場創出は赤点です。1のタテ割り打破も進んでいません。
 幸いにも、メディア政策は政権が変われどそう路線に違いはありますまい。技術進歩の恩恵を利用者に還元すること。経済と文化の発展をもたらすこと。民主党の八策も、それ以前の自民党の政策をシャープにして、政治主導で進めようとしたものです。
 

 新政権にお願いしたいのも、民主党八策のような政策をベースにしつつ、民主党ができなかった改革を強力に進めてほしいということです。
 ぼくが希望する重要事項5つ、「五箇条の御期待」を掲げておきます。

1 新メディア産業政策の推進
 サイネージ、スマグリ、オープンデータ、ICT医療、電波開放。

2 デジタル教科書の2015年整備
 デジタル教科書正規化のための法整備と国際標準化。

3 コンテンツの海外展開推進
 海外向けチャンネルの構築とNHKネット配信義務化。
 電波利用料のコンテンツ支援財源化。

4 文化省の設立
 知財・IT政策の連携、ハード・ソフト政策の連携。

5 ネット選挙解禁
 とっととやるように。

2012年12月13日木曜日

評伝 ナンシー関

評伝 ナンシー関

  横田増生著「評伝 ナンシー関」。
  ナンシー関さん。ぼくの1歳下。2002.6没。享年39。あれから10年。
「ナンシーのテレビ評の魅力は、これまで漠然と思っていたことを、的確に言語化してくれる点にある。人々の胸の中にあるもやもやとした感情を、平易な言葉と鋭利な論理で明快に説明してくれる。そうしてはじめて人はその事情を笑ったり、不愉快の理由を知って溜飲を下げたりすることができる。ナンシー関はその能力において、一頭地を抜いていた。」(本文より)
 テレビのことしか書かない。それも、デーブスペクターやら小倉智昭やら川島なおみやら神田うのやら、論ずる対象はそうしたかたがたであって、読まなくても生活に支障は生じないわけです。サラリーマンの多くはその対象さえ知らなかったりするのです。ぼくもテレビの政策に携わっていたとはいえ、そのコラムに目を通さなければ政策立案に支障を及ぼすなんてぇことは一切なかったのです。

 しかしぼくは、ほぼ全ての評論を追っていました。いつも気になっていました。それは宮部みゆきさんが言うとおり「ナンシーさんは テレビや芸能界のことだけを評論しているんじゃなく、社会を映す鏡としてのテレビを評論していた」から。テレビの、あるいはそこに登場するひとびとの、向こう側にある世相を、テレビやそこに登場するひとびとという素材だけを使って料理していたから。政治や経済や世界情勢を語らせても一級のものができたことでしょう。でもそうはしなかった。立ち位置を揺るがせない強さがありました。そして、名付け親のいとうせいこうさんが言う「ナンシーの文体の底にある、配管工がボルトで管をつないでいくような重々しい感触」が読み手をその磁場に絡め取りました。
 土屋敏男さん「ボクがテレビ番組を作るとき、半分は視聴者を意識して、残りの半分はナンシーさんがどう見てくれるのかということを意識していました。」大月隆寛さん「みんなどこかでナンシーが見てると思えば、自分で自分にツッコミ入れて、不用意に何かを信じ込んだり、勝手な思い入れだけで突っ走ったりしなくなる。心に一人のナンシーを。」批評された芸能人だけでなく、作り手も評論家も、ナンシーのことを気にしていたのですね。

 終生、肩書きは消しゴム版画家。
 ミュージック・マガジンの表紙を飾った版画について「最初がエルビス・コステロだったんだけど、出来上がったら成田三樹夫に似てるとかいわれちゃって」。成田三樹夫似のコステロ、見てみたいなぁ、どっちも好きだったんだろうなぁ。どこかに残ってますかね。
 体育の創作ダンス曲に坂本龍一「千のナイフ」を強硬に主張したり、あこがれの鈴木慶一さんとはじめてカラオケに行って「火の玉ボーイ」を歌ってもらったり、カラオケで「阿久悠しばり」をしてみたり、JR高崎線沿いの夏祭りで海老一染之助・染太郎の前座でバンド演奏したり、あの時分のあの界隈のあの系統のエピソードばかり。バブルの時代ではあるが、乗ってるわけでもなく、当然のようにそれが弾けるのもせせら笑うように眺め、その後の世相も淡々と切り取っていく。
 でも、スイスイ泳いだわけでもないんですね。シンコーミュージックの君塚太さんがはじめての単行本を担当したとき、ナンシーさんがコートのポケットからぐしゃぐしゃに押し込んだ原稿用紙を取り出して手渡す場面があります。遅筆だったんですね。93年、毎日新聞で島田雅彦さんが担当していた企画に寄せた「ベビーカーを押しながら歩いている母親のタチの悪さ」の記事に抗議が殺到したことがあります。今ならネットで猛烈な炎上でしょう。外連味のない筆致だなぁとぼくも注目したことを覚えています。でも芳根聡さんによれば、ナンシーさんは意気消沈していたとのこと。やはり、そうだったか。ナーバスでなければ、あれは書けない。
 版画から評論へ。アートから文芸に入ってきました。珍しいですよね。あ、「きょうの猫村さん」のほしよりこさんもそうか。油絵画家のほしさんとメールのやりとりをしたり話したりするうち、とてつもない言葉の才能があると思ってぼくはマンガを勧めたのですが、デビュー作で大ヒット。いまや文筆でもイケてます。前衛美術から小説に来た赤瀬川原平さんやパンクから小説に行った町田町蔵さんのような例もあるか。神様はたまに天才を生むんですな。

 週刊朝日で三年間担当した山口一臣さんは、ポスト・司馬遼太郎が見つかっていないようにポスト・ナンシーも見つかっていないと言います。ナンシー後のコラムも自称テレビ評論家たちが埋めていきましたが、彼女のように、寄らずとも斬る血しぶき感は見あたりません。
 小田嶋隆さんは「ナンシーは高い知性と観察眼がありながら、絶対に視聴者と同じ目線の高さからテレビを見て評論し続けました」「ナンシー以前にテレビ批評をしていた人たちにとって、テレビを大衆文化の中でも一番世俗的なものとして見下しているところがあって」と言いますが、ナンシー以後もそうなのではありませんか。
 10年たって未だポスト・ナンシーが見つからないのは、テレビ自体が輝きを失っているからでしょうか。それが鏡として映した社会の低迷のせいでしょうか。それとも出版ビジネスの低迷のせいかでしょうか。あるいはその全てでしょうか。
 彼女は2012年をどう切り取りますかね。テレビの後を追ってネットが隆盛する中で、うごめく人々をどう語りますかね。津田さんや夏野さんやホリエモンやきゃりーぱみゅぱみゅや初音ミクのことを。語らないのかな。やはり堀北真希の演技力や平清盛の視聴率やとくダネ!の司会交代やSMAPの五輪中継から切り込むのかな。

 ぼくはナンシーさんにお目にかからずじまいでした。でも評伝に登場するかたがたの多くを存じ上げています。いとうせいこうさんとは同じ生年月日だし、島田雅彦さんも19613月生まれだし、分野は違えど、近い世代の人たちが近い界隈でうろついてきたということなんでしょう。
 でも、その世代と界隈を引っ張るべきピースが夭折した穴は10年たってなお大きい。同世代を代表するもう一人の天才、岡崎京子さんに復活してもらうしかありますまいか。

2012年12月10日月曜日

再びソウル教育庁


■再びソウル教育庁

 ソウル教育庁を再び訪れました。前回の訪問時にはこういうことを伺ったのですが↓
 改めて状況を聞きました。
 いま重視しているのは3つ。1)校長の研修。2)教授法のスマート化。3)コンテンツの開発。校長をCEOと呼んで権限を与え、彼らに「スマート教育」を引っ張らせる。そして先生方の教授法を確立し普及させるため体験センターを開設する。同時に予算を確保してコンテンツ開発を進める。
 つまり、ハードよりコンテンツ、コンテンツより人、という考え方。日本はこの逆じゃないですか?大事なポイントですよね。
 基本アプローチが戦略的に映ります。韓国の教育情報化は4ステップをふんできました。
 1. 97年〜2000年  PC・ネットの全校配備
 2. 20012005年  教師の教育、校務情報化、教材共有化(クラウド)
 3. 20052011年  サイバー家庭学習、コンテンツ共同開発
 4. 20122015年  デジタル教科書開発、オンライン授業・評価、教員研修
 こうした積み上げの中で培われた人とコンテンツ重視の姿勢なのですね。ハードウェアがバラバラだから、アプリやコンテンツの標準化が重要という認識も改めて強調していました。

 教育庁はkkulmart.comというサイバー家庭学習のサービスとコンテンツの開発に力を入れているそうです。4300人の先生と86万人の小中学生がオンラインで利用しているとのこと。大変な規模です。全ての学校がホームページを持っているが、スマホ/タブレット向けに全てアプリ化する計画もあるとか。
 仁川のカジャ高校では、「子どもを変える前に先生を変える」ことが重要であり、デジタル教育の研修に力を入れているという話を聞きました。コンテンツ開発も現場自ら行う。生徒みんながスマホを持っていることを前提に教材を開発しているとのこと。教育情報化のアプローチは現場とも共有できているんですね。

 PCベースからタブレット/スマホベースへと進む韓国。「スマート教育」という言葉が定着しています。コンテンツ開発の現場、教科書会社のミライエ社は、自らのデジタル教科書のことを「スマート教科書」と呼んでいました。デジタル教科書はデジタル素材を使った教科書を指す国の公式名称だが、出版社としてはよりよいものを作る意識を示すため、呼び換えているんだそうです。
 ぼくらの団体は「デジタル教科書教材協議会」ですが、もう「スマート教科書教材協議会」に改名せんといかんのかの?
 ショックなことを聞きました。かつて教科書制作には日本の教科書を参考にしていたが、今は欧米を参考にしていて、日本のは見ていないというんです。うめきます。
 同じ声を教育現場でも聞きました。カジャ高校の先生は、70年代は日本の教材や問題集を大学入試に使っていたと言います。

 学校向け映像コンテンツの開発も進んでいます。PC向けの映像ネットサービス「教育IPTV」のことも通信会社KTに伺いました。
 2010年からIPユニキャスト形式でサービス提供していて、学校でも教師の18%が利用しているとのこと。来年はタブレット向けも始めるそうです。小中高向けに全科目の16万コンテンツを用意していて、教科書に準拠したものだけでも6万の動画やアニメがあるそうです。学校に対しては教育科学部から年40億ウォンの補助も出ているとか。
 教育IPTVSKLG系の通信会社も提供しています。こういうサービス、日本には見あたらないなぁ。このサービスは通信事業というより、コンテンツ事業、サービス事業です。高いレイヤのビジネスに本腰を入れているわけです。通信、メーカ大手が教育分野に注力し投資を拡大しており、競争が激化しているとのことです。
 日本は教育にビジネスを持ち込むことに躊躇しているというより、教育が国際的ビッグビジネスに成長することへの確信という点で韓国に劣後していると思います。
 さらにKTSKテレコム、SAMSUNGら通信・メーカ大手は「スマホを使ったほうが子どもは勉強する、賢くなる」とPRし、社会を説得してきたとのこと。そんなこと、日本企業はやってないですよね?
 しかも、通信3社が教育IPTVを開始したのは、政府・教育科学部がサービス開発を要請したのを受けてのことだといいます。ううむ、日本の文科省がNTTKDDIやソフトバンクにプレッシャーかけたなんて話は聞かないぞ。

 今回最も驚いたのは、COEXで開催されていたe-Learning Korea展で聞いた話。韓国政府はODAでケニアや中央アジアに教育情報化を展開してるんですと。タブレット普及や研修など。やはり世界を見ている。産業として将来の輸出を展望するとともに、文化移植も見据えているんでしょう。会場で「日本も途上国に井戸を掘ってますよね。」という声を聞きました。はい、戦略的に。とは返せませんでした。
 今回も刺激になりましたが、強い刺激の連続で、そろそろ萎えそうです。

2012年12月6日木曜日

京の場末の母の喜寿

■京の場末の母の喜寿

  今日は、極私的なことを、だらだらと、書きます。
 千宗室家元、高校の4年先輩やけど、そんな高貴なかたにお目にかかったことはあらへんのやが、場末の焼肉屋にようナマ肉を食べに行かはるいうコラム見かけたんで、気になって調べてみたらやな、むかし住んでたアパートの近くらしいわ。
 ほな、おかあさんの喜寿、そこでやろか。
 妹とそういう話になり、40年ぶりに、その場末に出かけてみました。喜寿を迎えた母と、その妹つまり叔母、その娘つまり姪、そしてその娘、など郎党を引き連れ。

 降り立ったのは京都市の北東、叡電・修学院駅。アニメ「けいおん!」の舞台であるため、カメラを提げたアニオタ風が数名きゃっきゃ騒いでおります。でも昔の面影はありません。開けた街になっていました。細々とやっていたみんな、オモチャのとうみやも、同級生の山下くんちのひさみ寿司も、310円のたこやき屋も、借りるのに米穀通帳!を要した貸本屋も、いつもパッチはいて近所に迷惑をかけるガキがいたので「パッチめいわく」と呼ばれていたお菓子屋も、店主のばあさんの頭頂部が薄かったため「かっぱ屋」と呼ばれていた駄菓子屋も、おません。
 ところが、駅から3分ばかり歩くと、北向きの6畳間に母子3人で過ごしたボロアパートが昔のたたずまいのまま残っていました。奇跡だ。奇跡は起きる。どうやら住民はみな学生の模様ですが、当時、トイレは共同、風呂もなく、裏庭でタライと洗濯板という木造2階建てに大勢の親子連れ所帯が暮らしていました。
 まことに貧しかった。しかし、実に楽しかった。ぼくが自転車で妙法の山の際にある保育園へ送っていた妹も、あのころは楽しかった記憶しかあらへん と言います。みんながいて、みんな貧しかったから。というだけではありません。ぼくの母のキャラにも起因します。

 タフな人なのです。前夫、つまり父、が事業に失敗し、実家のある京都に夜逃げしてきたことは以前お話しましたね。
 その後、女手一つ、保険の外交で二人を養うわけです。実家は西陣で、つまり京都の場末ではない街中で、父親、つまりじいさんは西陣最後の木工職人で、ぼくは今日もその形見のハカマをつけてますが、実に無口なものづくり。一方、母親、つまりばあさんは溌剌な共産党員で、戦中も幹部をかくまってメシ喰わせていたという、ウルトラパンク。実に京都、であります。
 その実家に頼るということもなく、不満も悪態もつかず倒れもせずガハハと場末で育てたわけです。高校のころハンドボールで国体に出て、喜寿の今もバタフライを泳ぐという、ぼくの親とは思えぬ強靱な体の持ち主だからこそというのもありましょう。

 腕まくりして汗を流していた母と遠出をした記憶は少ない。二人ででかけたのは2度かと。1度目は大阪万博。4年生でした。手元にチケットがあります。大人と小人。人類の進歩と調和。今と違い、科学が明るい未来をもたらしてくれる、未来、早よ来んかい、と子どもが前を向いていた時代。でも、覚えているのは、クソ暑くてやたら混んでて初めて見る外人がいっぱいいて、住友童話館とみどり館だけ見てフウフウ言うて京都に戻り、晩、四条京阪駅の脇ですすったみそラーメンの味。いまその店は「天下一品」になっています。ちなみにアパートから少しばかり南下した辺りが映画「パッチギ!」の舞台で、京都ラーメンの本場でして、天下一品の本店ができたころも、その周辺らしいフツーのラーメンと思っていたのですが、どうやら全国的にみれば特殊らしいぞ、と気がついたのは上京後。
 2度目は大阪、ミナミの角座。6年生。漫才や落語を上演していました。ちゃっきり娘、フラワーショウ、かしまし娘。桂春団治師匠が登場したとたん、落語やんけ、便所いこ便所。と多くの大人が席を立ったので、座が弾けた雰囲気になり、ぼくを含むガキどもがウワ〜ッと舞台前に押し寄せて、かぶりついてマジマジながめていたこと。ミュージシャンからお笑いに転じたドリフターズとは逆に、演歌歌手に転向するまで面白くない楽曲コントをしていた「殿様キングス」のベーシストが赤い楽器に貼り付けている円形のシールが無理して母が買ってくれた自転車にぼくが貼り付けたのと同じシールだったこと。断片的だがくっきりとした記憶。

 基本、場末の狭い界隈で過ごしていました。子どもだけで遠出するといっても、その自転車で京都大学まで学生紛争を見物に行くのがせいぜい。タイミングがいいと、ヘルメットゲバ棒vs機動隊vsやじ馬の酔っぱらい が見られるのです。人が火だるまになるのも見たことがあります。海外に初めて渡ったのはそれから10年後、自分がその大学に入って、「伊右衛門」福寿園の福井社長らのご好意でロンドンパンクを見に行く機会を得てのこと。
 その狭いコミュニティで迷惑ばかりかけるわけです。親不孝者です。ぼくは。
 夜逃げしてきた一因に、ぼくが交通事故で死にかけたこともお話ししました。何日か意識がなく、一度は死亡宣告もあったそうですが、目を覚ました瞬間に、ベッドの周りに一族郎党や小学校の校長までいて、何か言わなければと焦り、「パーマンは?」と聞いてみたところ、周りがパーマン、パーマン、と騒いで近くのテレビをつけた瞬間にパーマンが始まった!、奇跡だ奇跡だ、という、だから日曜の晩ですな、奇跡は起きるのです。
 その前、幼稚園のころ、と言っても半分以上さぼったという不良だったのですが、通りかかったちんどん屋さんについて行ってしまい、そのまま遠くに連れ去られ、誘拐騒ぎになったこともありました。オーバーオールの胸にクマさんのアップリケがついていたことは覚えていますが、大人がどう処理したかは母にまだ聞いていません。そんな迷惑が家計に響いたに違いありません。

 二年生から五年生まで同級で、場末で四六時中つるんでいたのが山口洋です。今やJPホールディングスという東証一部上場企業の社主であり、日本最大の保育園経営企業として、産業界のみならず政官界からも注目されている人物です。またおまえらか。ぼくらは先生にグーで殴られていました。「かっぱ屋」で買い込んだ爆竹やら煙幕やらを近くの歯医者の邸宅に投げ入れて大騒ぎ。田んぼから投げた泥が通ってきたクルマに見事ヒットし、降りてきたオッサンが信じられぬ俊足で二人ともつかまる。毎日なにかしらそんなことがあり、学校に通報があるとまず疑われるコンビ。
 二人が通った詩仙堂近くの空手道場で他の部員といざこざを起こし、破門となり、左京郵便局の空手部がわざわざ少年部を設けて拾ってくれたというのに、道場をシェアする柔道部の悪口を壁に書いて、破門。人生で2度の破門、おそらく周囲の大人が謝ったり調整したりしたはずです。どちらの母親も困ったことでしょう。
 同じクラスに溝端宏という観光庁長官まで務めたイカレ野郎もおり、やつともつるんでいたのですが、互いにロクな死に方はせんと思っていたのです。2年下には前原誠司という人がいて、ぼくは小学校も中学校も高校も大学もずっと2年先輩で、小学校でぼくらが作った鉄道クラブに入ってきて、高校で新設した野球部に入ってきて、その高校で初めて奨学金を受けたのがぼくで2番目が彼で、聞くところ立派な人ですが、でも未だ話したこともその予定もありません。それよか小学校のうんと下にはチュートリアルの2人がいて、お話してみたいものだなぁと切に願う偉大なる後輩の出現に胸を張っております。

 その後も事情は同じようなもので、林間学校での飲酒がバレたり、理科室の薬品を調合して作った黒色火薬の秘密実験がエラいことになったり、アタシはよう呼び出されたんえ、喜寿祝いで母に聞かされるまですっかり忘れていることも数多く。
 家計が苦しいから授業料免除で奨学金もつくが下宿するカネはない、ということで大学進学の選択肢は限られ、単騎勝負で地元の大学に入り、少しは母を喜ばせたかと思いきや、本人は通いもせずパンクで暴れて迷惑を続けるだけで、就職に至っては、銀行やら商社やら高給取りとなって親をラクにするどころか借金せねばやっていけないほど薄給の役人になるといい、しかも実家が共産党の子が政府に入るちゅうのはどないやねん、そんなん知らんがな、という不孝者のまま今日に至るわけです。
 ほんでも息子はまだ投獄されてるわけでもないし、母本人もガハハゆうて相変わらずやし、妹には孫もでき、だから母はひいばあさんになり、まぁええんちゃいますか。

 千宗室さんが通たはる焼肉屋さん、はたしてアパートの隣にありました。
 できたんは33年前ですか。
 昔ここいら田んぼでしたよ。
 このへんにコエダメおましたよ。
 夏はカエルがやかましかったですよ。
 舗装もしてなかったですよ。
 えらい変わりましたなぁ。
 ほんでもアパートはそのままでしたわ。
今日?母の喜寿です。次は傘寿、へてから米寿でんな。おおきに、また来ますわ。

2012年12月3日月曜日

世界初公開、ドゥンチョン小学校のスマート授業


■世界初公開、ドゥンチョン小学校のスマート授業

「ドゥンチョン小学校」。そのスマート授業を見学しました。デジタル教科書教材協議会の視察で訪れたのですが、これが世界初公開だそうです。31クラス820人の生徒に80人の先生。ごく普通の公立校。
 今年、政府からデジタル教育研究学校に指定されたばかりだそうです。2つの「スマート教室」が設置され、ギャラクシータブレット一人一台、電子黒板、先生用のPC、そしてwifiが整備されています。スマート教室を作る前にも、各教室にデジタルテレビ、PCがあり、ネットも接続されていたといいますから、インフラはあったんですね。以前から6割の授業でPCやネットが使われていたそうです。

 スマート教室での授業です。国語、算数、英語の授業でデジタル教科書が用意されているが、タブレットなどを使うスマート教育はどの教科で行ってもいいそうです。
 見学したのは6年生の国語。文章を読んで、共同で感想を書き、全員で討論するものです。文章はタブレットで読み、Googleドックで4人で一つの文章を作ります。SNSClassting)で共有して、電子黒板でみんなに発表したりします。SNSで自宅で宿題できるようにもなっています。クラウドサービスやSNSを使う授業は日本にはまだないのではないでしょうか。ここではごく当たり前に消化しています。

 同じ作業をするのにも、ペン操作する子もいればキーボード操作する子もいる。
 このあたり、生徒の利用力に任せているようです。
 案外、柔軟。
 さらに、生徒個人のスマホを使うことを計画中だそうです。生徒に持たせるな、という日本とは差がありますね。



(でもこのキーボード、ぼくには使えない・・)




 リー教頭は言います。「スマート教育はPCでもスマホでもよく、色んな形のものがあることを示すため、国の力を借りず自らの努力で予算も捻出して行うことにした。」学校が自らそれをデザインできる裁量があるんですね。タブレットや電子黒板など通常、教室あたり1億ウォンかかるところを5000万ウォンで整えたそうです。これを補助なく学校の意志で行うというのは、日本の公立校では無理です。それだけ裁量権のある予算がありませんし、基本インフラが整っていない状況ではさらにコストがかかるでしょうから。
 デジタル教科書は1冊数十ギガバイト。そのままだと使い勝手が悪いため、自分たちでクリップに分けてアンドロイド向けにアレンジして使っているとのこと。先生方にそうしたリテラシーもあるわけです。

 ここでは1種類のタブレットが使われていますが、生徒の個人端末を認めるということは、デバイスに依存しない環境を作るということ。リー教頭は言います。「スマート教育=生徒の多様性を認め双方向で学ぶことであり、デバイスありきではない。」日本はまだデバイス志向だと思います。「共用なので端末には何もコンテンツを残さず、SNSClassing)で自宅でも使えるようにしている。」
 さらに、言います。「映像を駆使したマルチメディア型の教科書より、現場は多様なコミュニケーションを可能とするネットワーク環境を重視している。」「多様なコンテンツ、アプリ、メディアを使うより、SNSで共有できることを重視している。」「SNSや先生の個人ブログ、メールなどさまざまな手法を使って生徒や保護者とのコミュニケーションをとっている。」
 ううむ、進んでます。

 ハン校長に聞きました。「韓国の学校現場に日本からの見学希望が殺到しており、対応に追われている。」ゴメンなさい。ぼくら20名以上で来ちゃいましたんで。
 90年代前半のマルチメディア当時、パリに滞在していたぼくのもとに日本からミニテルを見学する希望が殺到して、案内するたびにフランステレコムや郵電省から「お前らは見学人種だ」と皮肉られたのを思い出します。
 はい、われわれ見学人種はメッチャ勉強してたっぷり知識つけて終わる、という習性もありまして。教育情報化はそうならぬよう努めます。

2012年11月29日木曜日

はるかなるヒマラヤとイノシシ頭

■はるかなるヒマラヤとイノシシ頭

メインの通りなのに、アスファルトは穴だらけ。
車が揺れるというより、跳ねる。
父と母に子どもが挟まって、3人乗りのバイク。
パパーン、プゥ、パラパラ。
クラクション、クラクション、クラクション。


路地だってぶっ飛ばして逆走してくる。
たまに見かける信号は、全く灯りがついていない。
気合いで横切れ。
目と目で通じ合う。
そうゆう仲になりたいわぁ。
若い男女は闊歩しながらケータイ。
バナナのぶらさげ方とリンゴの積み方には作法がある。
香辛料の積み上げ方にも、作法がある。


オヤジの天秤にも、作法がある。
ドンキングのようなイノシシの頭を置く肉屋にも、作法がある。
電柱に牛がつながれている。
その頭上では電線が25重ぐらいに巻かれている。
ペンキ屋。金物屋。チューブ屋。工具屋。


基本、DiYなんだな。
あちこちへこんだ乗り合いの三輪車はギュウギュウを通り越し、外にあふれた人が車体にしがみついている。
日本語でそれハコノリって言うんだよ。
パパーン、プゥ、パラパラ。





 標高1330m500万人都市。ネパールの首都、カトマンズです。

「マ」ではなく「ズ」、いや、「ドゥ」にアクセントがあります。最初はグー。に近い。
人より神の方が多い町。


イスラムに押されてインドから流れてきたヒンドゥーが8割、ヒマラヤの向こう、チベットからの仏教が1割。
土着信仰も混じり、独特のネワール文化を築いています。
36のジャート(民族というかカーストというか、コミュニティ)。

あんた日本人じゃね?とおぼしき人もいれば、日焼けサロンに通い詰めたギリシャ人のようなのもいます。
ぼくが着物で歩いていても、腰に布を巻いた似たような男はたくさんいるので、日本にいる時より目立ちません。
でも、オレの写真を撮れと手招きするオヤジの化粧には頭が下がりました。


町がモヤってるのは、排気ガスか、砂埃か。 
道路に座って客を待つ靴磨き3人。
たぶん、来ないね。
しゃがんで、何もしていない男5人。
潔く、日暮れを待っているのね。
道の脇はレンガがうず高い。
壊しているんだろうか。
作っているんだろうか。


赤と黄と緑の布をまとう女2人。
勢いよく歩く。
道に出てきて洗濯物を干す女2人。
かいがいしい。
脇の太い木には枝にロープをくくりつけ、ブランコにしている。
おい坊主、そんなに高くこぐと、間違ったら死ぬぞ。
路地を全速力で走り回る子どもたち。


おまえら裸足じゃないか。走れ、走れ。
同じく走る、野良犬の群れ。こんな雑踏に。
噛まれたら泡ふいて死ぬぞ。
茶色のヤギと白黒の子ヤギ。
並んで歩くが、親子か。野良か?
この、道をふさいでいる牛も、野良かなぁ。
道を外れると土煙が立ち上っている。
壊しているんだろうか。
作っているんだろうか。


 GDPは鳥取県より小さく、一人当たりだと$650、後発開発途上国。しばしば停電となります。
海外にグルカ兵を派遣し、傭兵を産業としている点では、昔のスイスのようですね。
大国に囲まれ、世界の屋根たる山脈を持つのも似ていますが、「第三の男」の台詞、スイスの同胞愛、500年の平和と民主主義は何をもたらした?  鳩時計さ。 てな のどかさはありません。


19世紀初め、英国とのグルカ戦争に敗れたものの独立を維持、しかし政治は混沌。
2008年に王制が廃止されたばかりですが、第一党の共産党マオイスト(毛沢東主義者)と、連立与党22党!と、国軍、そして大統領と首相とがせめぎ合っています。
日本の政治がまともに見えてしまうじゃありませんか。
しかし、なのに押し寄せる熱気。
ぼくがこよなく愛するこの雑踏の猥雑さは、イスタンブールやハノイ、カサブランカや西安、それらとも似た、大阪よりもでかい人口を持つ都市のみから沸き上がる発酵エネルギーなのでしょう。



カトマンズから少し外れてみる。 



寺と仏塔と、たたずむヤギ。
この光景は、知らない。


犬と、牛と、アヒルが歩いている。

 








コメを干す。
干したコメを仕舞い、またコメを干す。
女どもが忙しい。
この光景は、知ってる。
女は働き、男が遊んでいる姿は、モロッコでも見た。



そのコメを産む棚田が眼下に広がる。
陽を浴びて輝く。
その向こう、はるかなるヒマラヤが白い。


村にある学校では、灯と揺れで崩れ落ちそうな狭い校舎に、上品な英国風制服の子どもたち。
女の子たちはピアスを刺し、みな英語を話す。 
屈託なく、まっすぐにぼくの目を見抜いてくる。

見たこともない格好をしてコンピュータを手にした不思議なぼくの目を透過して、もっと遠くの、これからの何かを見つめている。

一緒に遊んでくれた、Subi(14)と、Panisuta(13)と、Samita(6)と、Rigen(12)と、Sanjey(2)
ありがとう。
名刺を渡したら、食べちゃったSanjey、ありがとう。
未来が、あるよね。またいつか、地上で、会おう。