■学長くんガチョーン. 宮脇修一さん
世界の海洋堂、代表。代表なのにセンム。4人なのにチャンバラトリオ、を思わせる。造形、フィギュアの世界観を作り上げたとてつもない偉業ですが、軽~くおもろく見える。大阪やの~。門真の本社や長浜の博物館やワンフェスに寄せてもらったりしてます。
◆海洋堂
海洋堂は唯一造形集団を名乗っている。色んな玩具・フィギュアプラモメーカーがあるが、ここが他と違うところ。作っている全ての製品・作品・商品に原型・造形作家の名前を入れていることが海洋堂の誇るべき最大のセールスポイント。素晴らしいものは人がつくっているんだということを訴え続けている。日本中に様々な展示施設を作り、海洋堂のものの作り様、生き様を世の中の人に認めてもらおうという布教活動をしている。
◆仕事を始めて50年
この仕事を始めて50年。15歳で中学を卒業し、そのまま父の作った海洋堂というプラモ屋に入り、それからものづくりをやり続けて50年。
1964年に海洋堂ができた。小学校に入るときに、プラモが大好きな少年だったので父が模型屋さんをやってあげようとできた。プラスチックという素晴らしい素材、色が塗れて、加工しやすく、大量に作れて、精密で、腐らない。このような模型の素材が誕生し、好きになった。模型を作り続けた。小学校に入ったときから好きなものが決まっていた。中学を出たら他のことを考えずに、模型・プラモなど全てのものを作る世界を広げていってやろうという野心が最初からあった。
周りからは高校くらい出て、大学も行っておきと言われたが、父が教育に対して自分の意見が強い人だったので、信用の出来ない先生に愛する息子を預けることができるか!わしが育てるんや!と、ずっとひたすら模型の世界を生き続けて50年。これが僕の一番のセールスポイント。
◆造形師
原型だけをつくるのではなく、大きいものや一品物や作品をつくる。造形作家はいっぱいある。アルチザンもそう。日本は物資の工房もある。ものを作るシステムは出来ていたはずだが、それがプラモ・模型に関してはあまりなかった。そういったものをオタクの世界と融合できた。それまでアカデミックな彫刻や美術、仏像のすばらしい作家はいた。そこに漫画のキャラクター・怪獣・化け物などオタクの要素を取り込んで、楽しい仕事を。
自分たちの欲しいものが世の中になかったから、僕らがつくろう、と。漫画のキャラクターや怪獣、ありとあらゆるそういうものを作り始めたのが、オタクの仕事で造形をやったというところが一番のストロングポイント。
日本のものづくりは真面目すぎる。もっとおもろいものつくったらよろしいがな。美少女・怪獣・ロボット・戦車など自分たちの手で絵を描くようにつくるということが、僕たちが新しく始めたフィギュアの仕事。
◆海洋堂の野望
20年前にお菓子のおまけで大ブームが起こった。しかし、まだまだ日本人は世界で一番フィギュアを愛していない。4,50年前は街中におもちゃ屋・プラモ屋・文具屋があった。つくるものを売っているところが山のようにあった。今は死滅してしまい、通販へ。日本人は世界で一番立体物を楽しめていない。日本人の欠けた部分をなんとか補っていきたい。みんなフィギュアを好きになってくれよ、と。海洋堂のことなんてまだまだ誰も知らない。もっともっとフィギュア・立体物・造形の楽しさ、面白さを世の中に広げていきたい。
◆学校
海洋堂はトキワ荘みたいなもの。漫画・アニメ・恐竜・美少女・ロボットなどが好きな人達が集まる場所さえあれば一つの学校。好きな人間が集まってお互いの力を見ながら、ライバルとして競い合いながら、意識し合いながら高みを目指す場所。切磋琢磨している。
海洋堂は一時期、20人くらいが共同生活でひたすらものをつくることをやっていた。その熱量は他では味わえない。今度は大阪芸術大学などいろんな専門学校ができて好きな集まる場所ができた。大阪芸術大学では180人くらいの生徒が一気にフィギュアを習う。そういう時代がやってきた。65歳でもまだまだ現場で、第一線で働く。海洋堂の代表である人間がフィギュアを最前線の話、面白さ、魅力を伝えて、様々な作家の魅力をみんなへ共有することが教えることの原動力。
◆キミたちへのメッセージ
BOMEくんという60歳になる美少女フィギュア作家がいる。小学5年生からうちのお客さんだった。才能は全くなかった。ただひたすら美少女が好き。漫画が好き。好きなことも見つけてしまうとその力だけで、いまや村上隆さんと組んでベルサイユ美術館やカルティエ現代美術館で展示会ができるくらいのすごい男になれる。
まずは、自分は何が好きか。好きなものさえあればなんとかなる。
★後記
最後に出てくるBOMEさん。フランス人ぽいあだ名と思ってたら、帽子とメガネのボーメ、と知って、大阪やの~。同じ年同じ月生まれですが、本社に行ったとき一人もくもくと造形してらっしゃって、ぼくは偉人を前にキンチョーしてうまくしゃべれませんでした。2022年、文化庁長官表彰を受けられた。ぼく審査員で、強く推しました。