Twitter

2011年3月30日水曜日

「マルチ・メディア」から「マルチなメディア」へ

■YouGo 「マルチ・メディア」から「マルチなメディア」へ
2011年は断絶の年です。過去20年のメディア状況と今後のメディア状況との分水嶺となります。

20年前、1990年代初めは、アナログからデジタルへの転換点。テレビ、電話からPC、ケータイへ。アナログ放送網と電話網からデジタル放送とインターネットへ。80年代中盤に盛り上がった「ニューメディア」は、CATVや衛星などアナログメディアの多様化でしたが、90年代初頭の「マルチメディア」は、パソコンに代表されるデジタル端末がインターネットなるデジタル網につながる未来を展望したものでした。

それから20年、「マルチメディア」が完成します。そして、その次のステージが始まります。
それが今年。以下の3つの状況が現れます。

1) デジタル高速ネットワーク

 2011年はブロードバンド網の全国化が達成される見込みです。そして、1994年に郵政省江川放送行政局長の発言をきっかけに始まった放送ネットワークのデジタル化が今年完成します。地デジです。日本は世界に先駆け、通信・放送を横断するデジタル高速ネットワークの整備を達成することになります。
デジタル高速ネットワークの遍在を前提としたクラウド列島。メディア融合の環境が整うわけです。
明治以来、国家が推進してきた情報ネットワークの計画的な整備が完了するということは、国の情報通信政策も大きく変わることを意味します。アナログ跡地の電波割当方法が決まれば、もうインフラ政策は要らないんじゃないか?と。さらに言えば、計画的な社会資本の全国整備というのは、今後もう我が国では案件がないかもしれません。

2) 第4のメディア
昨年は、スマートフォン、電子書籍リーダー、タッチパネルPCなど、新型のデジタル・デバイスが一斉にラインアップされ、急速な普及を見せました。大小さまざまの、モバイル型あるいは壁いちめん据え置き型の、さまざまなディスプレイが登場。50年間君臨してきたテレビ、15年間広がってきたPCとケータイに次ぐ、いわば「第4のメディア」が登場してきたわけです。
これを出版業界は電子書籍元年と呼び、教育業界はデジタル教科書元年と呼び、広告業界はデジタルサイネージ本格化と読み、いずれも異なるとらえ方ながら、実は一つの事象でした。
(そして今年のCESはネットTV(コネクテッドTV)一色となり、多彩なメディアがさらに多様化するのか、あるいは多彩なメディアがまたしてもTVに集約されていくのか、改めて混沌とした場面となったのですが。)

3) ソーシャル
CD-ROMが普及した20年前の頃から、コンテンツの重要性が唱えられてきました。マルチメディアブームの頃はまだコンテンツという名前は定着しておらず、政府も「メディア・ソフト」という呼称を用いていました。その後インターネットの登場により、放送やパッケージに加え通信のコンテンツも産業として注目されていきました。
それから15年ほどたち、コンテンツ産業に元気がなくなる一方、ソーシャルメディアが花盛り。トラフィックも収益もソーシャルに集中しています。コンテンツが真ん中に座りながらも、それをネタにつながった人々がつぶやき、段幕を作る。そちらに関心が移り、主役を張る状況は当分続くでしょう。コンテンツからコンテキスト、コミュニケーション、コミュニティへ。

これはマルチメディアからマルチ「な」メディアへの移行でもあります。


90年代初頭のマルチメディアは、映像・音楽・文字を一台で扱う万能の集約型マシンでした。これ一台に、コンピュータも、電話も、ファックスも、テレビも詰まってる。ほかに何もいらない。しかしここに来て登場した新メディア環境は、その逆。ふたたび、バラバラで多様な機械が現れて、テレビ・PC・ケータイの3スクリーンに、タッチパネルや家庭内サイネージなども加わって、いろんなデバイスを個人が同時に使いこなす。


いわゆる「トランスメディア」という状況。マーケティングの世界でいう「クロスメディア」の進化形です。


マーク・ワイザーが唱えた「ユビキタスコンピューティング」にようやく近づくわけです。1台数名のメインフレーム=第一世代、一人一台のパーソナルコンピュータ=第二世代、そして一人数台のユビキタス=第三世代。それらは有線・無線の通信・放送のクラウドで全て常時つながっているという環境で達成されます。


そしてより重要なのは、それらデバイスやネットワークがソーシャルによって価値を持つということです。5年ほど前まで、検索エンジンのように、「向こう側」の「CODE」で書かれたものがネット社会の中核だったのですが、ともだちや知り合いや信頼を置く専門家といった「こっち側の人力」がソーシャルという呼び名で力の源泉となります。こうしたトランスメディアを紡いでいくのが佐々木俊尚さんの言う「キュレーション」という機能でしょう。


90年代後半に思い描いていた、MITメディアラボが鼻高々だったウェアラブルや人工知能は来ていません。テクノロジーが全てを制圧するデジタル社会はどうやらまだ先の話で、もっとこっち側の、ベタな、キュートな、生身のデジタルが当面のお相手のようです。


PCが普及し始めたころ、ぼくの命令に従って計算するか、ぼくに指令するかの、つまり上司か部下かでしかなかったコンピュータが、いつかぼくと共に笑って泣いてくれる友だちになってくれないだろうかと思い願っていましたが、ようやくそんな時期が到来したのかも知れません。


デジタルは、ここから面白くなります。

2011年3月25日金曜日

パケ死のてんまつ


■Buenos パケ死のてんまつ

パケ死した件。ひとまず矛を収めることにしました。
なんのことかって?
データ通信で高額請求がきて、仰天したんです。いまさら。
ガタガタしていたんですが、結局、処置なく。

経緯を記しておきます。
特定の企業やサービスを批判するつもりではありませんが、恐らく同様の被害(と言っていいかどうかも判然としませんが)に遭う人も多いだろうと思います。ご注意ください、という参考まで。

11月末、一週間、ドイツとデンマークに出張するに当たり、「モバイルデータ通信レンタルサービス」を申し込みました。
ポケットwifiMifi」の定額コースを利用したことはあるのですが、今回は2カ国につき、2個持ち歩くのも重いと思い、1個で済むワールドタイプを選びました。

これには100MB20MB10MB込みの3タイプあり、それを超えると1KB当たり1円従量制というもの。
一日のメール量が多くても数メガ程度だし、動画を見るわけでもないので、20MBぐらいでいいかなと考えて、申し込みました。

さて、実際のところ、現地でのメールのやりとりは一日1M2M程度。サイトもツイッター画面を見たり短くつぶやいたり。

すると滞在1週間目に、サービスを運営する会社より、「利用データ量のご案内」というメールが届きました。そこには、欧州到着の翌日現在で、64MB65480KB)を利用しているので注意、と記載されていました。翌日時点で44MB超過し、つまり4万円以上追加請求されることになります。
慌てて利用を止めました。

後で確認したところでは、到着翌日時点というのは、到着した晩の使用量であり、夜遅くにフランクフルトに着いて寝るまでの間に64MB使っていたことになります。1メガに届かないメールと、ツイッターと、Googleニュースぐらいだと思います。それから6日ほど安心して同様に使っていたことになります。

帰国後、届いた請求には、サラリーマンの月給を超えるほどの請求額が書き込まれていました。

併せて、利用内訳として、何日の何時何分にどれだけの通信データがあったかの欧州モバイル通信会社による記録が書き込まれていました。
例えば11/28 18:17:47 2,940KB18:17:53 2,940KB18:17:59 2,940KB18:18:05 2930KB、といった記録が並んでいて、これによれば、18:17:47から18:20:14までの2分強の間にぼくは79380KBの利用、つまり8万円も使っているのです。恐らくこの間、ツイッターしか見ていません。

見ていなかったのですが、出国前にサービス会社から送られてきたメールの末尾に注意事項として「データ量の目安 Googleトップページ 20KBYahoo!のトップページ200KB・・」などとあります。仮にこれを事前に見ていたとしても、自分の利用料がそこまでの金額に跳ね上がることは予測できません。

納得できませんでした。以下の2点です。
・超過したら従量制であることは理解しているが、そのデータ量が予見できず、かつ、あまりに高額となっている。
・何をどう利用したためにそうしたデータ量になっているのかが不明であり、請求の根拠がわからない。

サービス会社とは数度にわたり、請求が正当とは言えないとの協議をしました。
カード会社にも連絡をして、請求があっても支払をストップするようお願いしました。
弁護士とも対応を相談しました。
総務省消費者行政課には、このような場合に利用者は支払い義務があるのか、同じような事例で困っている人が多いのではないかといった相談をしました。

結局サービス会社としては、実際の運営を欧州モバイル通信会社が行っていて、遡っての契約変更などに応ずることはできないし、利用データの内容もトレースきないということでした。総務省とも話をしてもらいましたが、類似の事例が起きないようにするためユーザに対する表示を改めるといった対応がせいぜいとのこと。あとはぼくが法的措置に訴える以外になくなりました。その資金コストと時間コストを考えたら請求に応ずるほうがよいという結論に達しました。

フランクフルトに死す。

海外で従量制サービスを使うのは、相当の注意を払わなければ、こういうことが起こり得るということです。
といいますか、使わないほうが身のためです。

なお、今回、通信サービス会社よりも「おかしくないか?」と思ったのは、カード会社の対応です。こういう名前の会社からの請求があったとしても不当であり協議・係争中だから支払わないでくれと頼んだのですが、「それはできない」という回答でした。全ての支払をストップする、つまりカード機能を止めるか、請求に支払った後ぼくがその会社から取り戻すかだ、というのです。
どうして?そのカード会社の顧客はぼくであって、請求してくるひとじゃないですよね? どうして顧客の要求は聞かずにぼくに請求してくるひとの要求は聞くの? 欧米で暮らしていたころには、カードへの支払は毎月、書面で届き、一件一件チェックしてから、同意したものについてそれこそチェック(小切手)を送って決済していました。日本の場合、そういう確認システムがなく、自動的に払わされるんですよね。これ、水道や電話などの自動支払も同じで、つまり銀行や会社はおかしなことをしないという社会全体の信頼感に依拠して、請求されるまま支払うのが当然のシステムになってるわけです。
これも納得のいく解決法はないものでしょうか。

2011年3月23日水曜日

DiTT 2015 ACTION PLAN


Kids DiTT 2015 ACTION PLAN
 201012月、デジタル教科書教材協議会(DiTT)は「2015アクションプラン」を公表しました。運動の基本指針を策定したものです。

 DiTTはこれを踏まえ、3月末を目途に「DiTTビジョン」を策定すべく作業を進めています。
 アクションプランの概略は以下のとおり。

1. 状況

・低迷する日本経済
 日本の産業経済は勢いを失い、国際的な地位も低下してきている。これを回復させるためには、教育による底支えが不可欠。
・混迷する日本社会
 日本の社会は不安と閉塞感にさいなまれている。これを回復させるためには、教育による活力増進が不可欠。
・危機的な日本の教育・学習環境
 日本の学力は国際的にみて10年前より低水準で、学習意欲も低い。しかし、学校教育費への公的支出(GDP比)は最下位レベルであり、教育の強化・改革が求められる。
・教育分野のICT利活用が遅れる日本
 教育分野のICT利活用は他の分野に比べて低く、国際的にみても低レベル。
・教育の情報化に出遅れた日本
 韓国が2013年にデジタル教科書を全国配布する方針であるなど、各国が積極的に取り組んでいるのに比べ、日本はようやく目標を2020年に設定した状況にある。

2. 意義

21世紀の子どもに求められる力
 工業化時代から情報化時代、そして「知識基盤社会」の時代へ
1) 社会・文化的、技術的ツールを相互作用的に活用する能力
2) 多様な社会グループにおける人間関係形成能力
3) 自立的に行動する能力

・デジタル教育の3つの特長
 デジタル教育は、創造性の向上、情報共有の促進、効率性の向上、
 いわば「たのしく」「つながって」「べんり」という機能を持ち、
 教育・学習環境の改善をもたらすことが期待できる。

3. 目標

・将来の国家目標
 デジタル教科書・教材の普及・利用を通じ、
 創造力、コミュニケーション力、学力の各指標で世界一位を目指す。
1) 創造力:Creative指標+一人当たりGDP 1位
2) コミュニケーション力:情報発信量 1位
3) 学力 :PISA 1位

2015年度までのデジタル化目標
 どこに住んでいても世界中の知識に触れる機会、
 創造力、表現力、コミュニケーション力を育む最高の環境、
 友人、先生、家庭とつながる手段を早急に整備する。
1) コンテンツ:全教科のデジタル教科書・教材
2) ネットワーク:無線LAN整備率100
3) ハード:1000万台の情報端末

4. 対応

・デジタル教育がカバーするマーケットと規模
 市場規模は約4兆円
・デジタル教育の課題
 開発及び普及に当たり、各種課題を解決していく必要がある。
 全般:財源、制度、教員研修・支援 など
 コンテンツ:教材開発、教育評価基準、著作権、フォーマット など
 ネットワーク:通信環境、セキュリティ、流通制度 など
 ハード:健康への影響、保守 など
DiTTのアプローチ
 普及啓発・未来モデル委員会、各種WG、アドバイザー、現場コミュニティ
 普及啓発、開発実証、政策提言
 2015年に全ての小中学生がデジタル教科書・教材を使える環境を整備する
・アクションプラン
1) 開発
デジタル教育に求められるスペックの検討:標準ガイドラインの策定
新しい教材・アプリの開発:WG等での開発促進
新しい学習環境の開発:WG等での開発促進
2) 普及
学校現場・WSでの実証・評価:実験の実施、評価体制の整備
デジタル教育の重要性に対する社会的理解の増進:広報・イベント、セミナー等
諸課題解決策の検討:政策提言
DiTT工程表:2015
  ・全小中学生への情報端末の配布
  ・全教科のデジタル教材の開発
  ・全授業の3割程度の利用

2011年3月19日土曜日

震災から一週間


■Buenos 震災から一週間

今日ぼくは50歳になりました。
若い頃、40台で死ぬと信じていたのに、半世紀生きました。友人たちが誕生会を準備してくれていましたが、それは震災で中止。あと10年生きていたら、その時に還暦会でも企画してくれれば幸いです。


○ネット後の震災というリアリティー
阪神淡路大震災は、ロンドンからドーバー海峡を渡ってカレーに着いた夜、ラジオで知りました。当時住んでいたパリの家に夜中たどりつき、最初の映像を見ました。日本のテレビ局が上空から撮影したもので、黒煙が上がり、高速道路が倒壊するなど衝撃的ではありましたが、どこかフィクションのようで、ある種冷静に眺められました。当時はネットもケータイも本格普及前であり、日本からの情報は放送や新聞に依存していました。
ところが2,3日たつと、地上の映像や現場の詳しい記事がパリにも届き始めました。地獄絵でした。想像を超えていました。自分の想像力の欠如に愕然とするとともに、視聴者、傍観者でしかなかった自分が遠く離れた地でできることはあるのか、途方にくれました。京都にいるたった一人の親にメッセージを送るのでさえ、国際電話が通じるまで数日かかりました。

今回の震災では、ネットもケータイもありました。しかしケータイの電話はつながらない。脆弱なメディアです。一方、核戦争を想定して構想されたインターネットはパケット通信の強みを発揮。それもメールやサイトの世代を経て、twitterSNSが主役に就いていました。どの局も同じような東京発の情報を流し続けるテレビが批判の的になったのも、ソーシャルという別チャネルが成立していたから。そしてテレビはあんなに拒否していたUst中継やニコ動配信にも踏み切り、ラジオはradikoの区域制限が外れ、世界の人々がリアルタイムで日本の放送をネットで視聴できるようになりました。阪神淡路とは異なり、海外にいても当初からリアルがリアリティーとして共有されたことでしょう。そして世界からリアルタイムに大量のメッセージが寄せられるようになっていました。


○ソーシャルメディアが果たす機能
Twitterを含むソーシャルメディアは今回、以下の4点の役割を果たしたと思います。
1. 情報共有
中央発表だけでない多元的で多面的な情報の共有
2. 権力監視
政府、関係機関、放送局に対する国民監視のプレッシャー(#edano_nero という激励も)
3. 国際発信
世界に対するリアルタイムの情報発信
4. 気分の醸成
国難に立ち向かう国民全体の一体感の創出

特に4点目は、この歴史に残る大事件の後、復旧から復興を経て新しい国の形を作っていくうえで、ネットが貢献できる最大のファクターとなるでしょう。現にぼくは、これまで息子たちを将来どうやってこの国から脱出させてやればよいのかと考えていましたが、地震の当日から翌日にかけTLを眺めていて、助け合い、分け与え、前を向き、しとやかに生き抜こうとする日本人の姿、特に若い世代の姿勢に、この国で死ねるなら本望だと感激するに至りました。
阪神淡路の村山政権と同様、今時の大震災が困った政権のもとで起きたことは不幸中の不幸ですが、だからこそ国の一体化が強められたのかもしれません。もちろんネット上でもデマや流言飛語はあふれ、瞬く間に拡散しています。時が経つにつれ、そして原発の問題が深刻になっていくにつれ、ヒステリックな発言やいらだちもバッシングも目立ってきていて、全体の雰囲気が躁になってきてもいます。「一体」は間違えると取り返しがつかない危険をはらむ。


○クールジャパンの土台をなすもの
ただ、一週間を経た段階では、それでも日本のネット社会は総体として自浄作用を発揮し、多元的な正気を保っていると見ます。日本というコミュニティが案外このソーシャルなるものとの相性がよく、原発の危機が長引いても、利用層が広がってもメルトダウンせず、うまく乗りこなしていくのではと思います。
ぼくは9/11にニューヨークで遭遇し、当時住んでいたボストンに戻ってみても、街行く人々が無口で下を向き、手に手に星条旗を掲げ、祈り続ける、その姿に接し、もちろんボストン発の便がニューヨークでテロにあった眼前の事件に自分も傷ついてはいたけれど、異邦人からみれば過剰とも映る皆のあまりの沈痛ぶりに、アメリカという国の脆弱さを、そしてその反動からくる怒りの恐ろしさを感じたものです。
日本はこうした国難に際し、日の丸を掲げ、ひざまづいて天に祈ることはありませんが、その代わりひょっとすると、若い世代にとっては、ソーシャルメディアのつながりがアメリカにおける星条旗や神のはたらきのような機能を担いつつあるのかもしれません。

地震の前日、内閣官房知財本部で知財計画2011のコンテンツ部分のとりまとめ会議が開かれました。ぼくが会長を務めるコンテンツ調査会は、本年度の柱として「クールジャパン」を据え、日本のコンテンツやサービス、商品の海外展開策に勢力を注ぎました。日本はクールと評されながらも実体がハッキリしない。どう戦略を立てればよいか。頭を悩ませていました。
地震は日本の強烈なコンテンツを世界に発信しました。揺れる国ニッポンという姿ではありません。そんな災害を受け止め、跳ね返す日本の力です。中国の震災に比較して、日本の防災システムや建物の耐震設計を称賛する声。2次大戦から立ち直った日本の復興意識や規律の正しさを特筆する記事。阪神淡路後の対応を評価する論調。パニックも暴動も起こらず、略奪もなく、静かに2列で満員電車を待つ人々。われわれにとっては、当たり前の光景です。
マンガ、アニメ、ゲーム、ファッション、回転寿司。それら全ての土台となる、そしてそれら全てを上回る強さを持つ、日本の、静かで、快活で、まっすぐで、背筋が伸びている、大人の、豊かな精神。それが改めて洋の東西を問わず海外から評価されています。もともとクールジャパンは日本が自己規定したものではなく外から流入してきた見方ですが、今回も自分たちにとって当たり前のものが意外性をもって受け止められているわけです。


○復興策を急げ
さて、現時点では福島原発対策、不明者探索、電力供給、被災地燃料・食糧確保など緊迫した課題が山積みですが、IT分野でも緊急対策が求められます。携帯電話基地局の燃料確保などです。現場ではネット環境の構築より、ファックスと紙を確保するほうが情報の共有には有用という声もあります。また、情報共有のためのクラウド環境が用意されているにもかかわらず、タテ割り省庁の壁のせいでうまく使われていないという指摘も。現場で情報を入力するボランティアを確保することが重要との意見も聞きました。
ぼくが理事長を務めるデジタルサイネージコンソーシアムも対応に大わらわです。震災後、業界としては、単純な広告サイネージはできるだけ節電に協力しようということになり、事実、あちこちの大型サイネージの電源が切られています。関係者は断腸の思いで協力してくれているわけです。ただ、街中に存在するのがサイネージの強み、アウトドアの人々に災害情報を伝えるメディアとして役に立ちたい。これには多くのコンテンツ・プロバイダーが奮起、震災に関するさまざまな情報を著作権フリーで利用できるように協力の手が続々と挙がっています。

政府・関係者は危機対応に不眠不休です。頭が下がります。緊急対策を講じ、補正予算を成立させ、次々と実行に移さなければなりません。政治の機能不全をカバーして、財務省を中心に霞ヶ関の官僚が自主的にいくつかのフォーメーションを走らせているとも聞きます。
しかし、同時に、復興対策も必要です。ブログ「復興八策」に書いたように、緊急・短期の対策に続き、被災地や日本全体の中長期的な復興策が即座に必要となります。IT分野も同様。特にIT分野の場合、「復旧」ではなく、新しいものを造る観点からの復興が求められます。この震災後の設計は、それまでとは異なる思想が必須です。
例えば今回、放送とIP網が活躍しました。危機に強く柔軟な融合ネットワークを構築していくべきです。通信・放送をまたがる融合IP網への移行です。電力供給を自律調整するスマートグリッドも大事。この数年、脚光を浴びてきた政策の速度を増すことです。
エネルギー需要が少ない経済社会の実現を支援する措置も必要でしょう。都市の分散を促してコンパクトシティを形成していく。そのための有線・無線インフラやコミュニティメディアの整備支援。20年ほど前に重要課題とされた共同溝の整備も改めて進めるべきです。
街メディアとしてのデジタルサイネージにも公共的な役割が期待されます。整備促進策と、危機の際のコンテンツ管理を考える必要があります。デジタル教科書の配備に当たっても、危機の際に役立つ情報端末とクラウド環境の設計が求められるようになります。
政府が危機対応に手一杯のなか、復興対策は無任所の政治家と官僚有志の役割と考えますが、ここは産官学の知恵を結集すべき場面。IT分野については、ぼくもアクションを起こそうと思います。

2011年3月17日木曜日

復興八策

■Buenos  復興八策


  慶應義塾大学 教授 中村伊知哉/准教授 菊池尚人


(本稿は中村・菊池両名によるものです)
 今は震災・原発に対する危機管理、防災に政府も関係者も全勢力が割かれています。
 しかしその後すぐ復興のステージとなり、そのための政策が必要です。
 今からもうその準備が必要ですが、政府に余力がありません。
 本来、超党派の国会議員と官僚有志の仕事と考えますが、
 そのきっかけの一助として、 アクションの骨子案を挙げてみます。


「復興八策」です。


1. 復興計画案を策定する。

2. 復興院設置法案を策定する。


3. 総額数十兆円規模の復興対策・補正予算の骨子を取りまとめる。


4. 財源として、相続税免除の無利子国債の発行を検討する。


5. 復興対策減税の骨子を策定する。


6. 復興対策特区として大幅に規制を変更する可能性を検討する。


7. 道州制を導入し、地域主権を確立する可能性を検討する。


8. 世界中が参加する復興イベントを企画する。

2011年3月16日水曜日

デジタル時代の文字・活字文化:後編


Net デジタル時代の文字・活字文化:後編
 シンポジウム「デジタル時代の文字・活字文化」パネルでの主なやりとり。島田雅彦さん、IIJ鈴木社長、日経新聞岡田常務と。

島田:日本の電子書籍は出版社や印刷会社が利権を狙う構図。著作家としては、出版社との関係、印税の配分が関心事。本の値段は下げ圧力がある。私は私でより売れる、より分かりやすい、よりスキャンダラスなものを書く。
 紙の本で作家の個人全集を出すことはほぼ不可能。後世に残すべき傑作も絶版状態。それらを復活させる。活字文化の多様性保持のために活用すべき。メディアミックスはローコストでできる。出版社の手を借りなくても商品が作れる。

鈴木:ギリシャ文化は口承。人間にはそれを維持して伝承していくだけの脳の形があった。書籍が大量にまかれる時代になり、記憶がどんどん外部化した。紙に文字を書いていた時代はたくさん漢字を知っていたが、コンピューターで書き出すと勝手に変換してくれる。通信環境が整って、アクセスすれば勝手に出てくるようになると、自らの頭の中に何もなくてもよくなってしまう。
 本にはある種の所有欲も満たし、知性を自分の部屋に置いておく安心感がある。単にインデックスとして、インターネット的な本の利用が全てとなったら状況は大きく変わる。

岡田:ある大学で講義をしたとき、マスコミ志望なのに毎朝、自宅で新聞を読んでいる人が1割しかいなかった。インターネットで全部分かるという答え。このままではネットしか見ない人々には本当に読んでほしい記事が届かない。
 デジタルが表現力を非常に多様化、高度化するのは報道の世界も同じ。電子版は24時間同時配信なので、同時にニューヨークやロンドンでも読んでもらえる。映像や音声も取り入れられる。

(※ここで会場に、毎朝、紙の新聞を読んでいるひとに挙手してもらったところ、ほぼ全員の手が挙がりました。そういう場であったことをお含み置きのほどを。)

中村:ネットはビジネスを破壊するのか、新しいコンテンツ、文化を生み出すのか。

島田:出回る情報量は格段に増えたが、反比例して記憶力が減退している。電子書籍と紙の本は両輪になって進むのがよい。保存性という問題もある。ハードディスクなどのデータは何年もつのか。電子配信していたものが、何か問題があった時に忽然と消えることがあり得る。ナチスの焚書は本を集めて火をつける手間がかかったが、今は一発。そういう権利をグーグルやアマゾンに渡してはまずい。

中村:出版社と組んでデジタル展開する作家もいれば、自らやるという人もいる。ヘゲモニー争いはまだ定まらないか。

島田:ベストセラー作家は有利。個別対応になって、作家によって配分率が違うとか、発行部数を値踏みするような契約の仕方になっていくのはどうか。

中村:コストが何十分の一になる中でコンテンツビジネスはどうなるのか。

鈴木:書籍は大きなマーケットではない。これまで最大のコンテンツはポルノグラフィーなどだった。次にオンライン証券が来て、今はSNSやブログで、最大のコンテンツはコミュニケーション。従来なかったバーチャルなコミュニケーションができる分野のコンテンツが一番、利潤を生んでいる。ユーチューブもグーグルもそうだ。

中村:新聞、出版も含め活字ビジネスはデジタル時代にどうなるのか。

岡田:欧米の新聞社は廃刊など厳しい現実に直面。ネットでニュースが無料で流れるようになり新聞の読者が減る。ここ1、2年、新聞社のネット戦略に見直し機運が出てきた。市民ジャーナリズムも可能性はあるが、新聞記者の仕事は手間をかけている。優秀で信頼できる記者を育てるには時間もコストもかかる。ネット上の記事、ニュースからも収益を上げることが必要だという議論が世界的に広がった。新聞界もインターネット向き合う戦略に本腰を入れ始めた。

中村:ソーシャルメディアが定着する中でジャーナリズムは揺らがないのか。

岡田:夏からツイッターでも発信を始めた。SNSの機能を電子版とどう組み合わせたらいいのかも検討している。SNSか、マスコミかという二者択一ではなく、両方があり得る。今は過渡期なので整理されていない。成熟していけば、両方成り立って、より付加価値の高い世界が生まれる。

中村:10年後、紙は残るのか。文字はどんなメディアが中心になって読まれていくのか。

島田:紙は500年もつ。グーテンベルグの聖書初版本の紙は手すきで、実にいい紙。電子の情報の保存の仕方は考え直さなければいけない。紙の本の価格は、写本の時代にはムチャクチャ高かった。そっちに戻ればいい。愛着の度合いがもっと高まるような、美術品のようなものになっていけばいい。
 ネットで無責任に垂れ流されるものを 第三者は面白おかしく読む。私は文章を磨き上げることで職人仕事のオーラを保とうとしているが、右から左に読み流されるメディアでは質よりも量の勝負になる。ただ電子派と紙派は二極分化しているので、両方の読者に受け入れられる道を探るのが得だ。

鈴木:子供のころからネットを見ている人が、ネット上の情報への触れ方で僕らと違ったものを作るかもしれない。情報の共有化がグローバルに透明性をもって行われていることは素晴らしいが、情報の発信者と受信者の関係が変わり、想定外の使われ方もされる。
 書籍だけでなく、すべての情報、コンテンツの配信がネット上で行われるようになる。ネットが記憶の外部化とか人間を変えてしまうといった視点で考えなければいけない。

岡田:紙の新聞はなくなってしまうともいわれるが、一覧性など紙の魅力、利便性は一朝一夕になくならない。ただ、長い時間で見れば、紙の部数は減っていく。その分を電子版で補う。10年後ならしっかり紙の新聞も残っていて、その中でデジタル機器、ネットのサービスとの使い分けが、今よりも整理されているのではないか。両方を一緒に使い分けるライフスタイルが生まれてくると見る。
 紙は独特の発信力を持つ。読み捨てのもの、ちょっと読みたいというものはデジタルで済む。けれど大切なものは紙で読み続ける。紙で読むことは上質なことという形になっていく。

中村:これからも文化は新しい形で進化する。一方で、変わらずに残っていくものもある。結局、文字・活字の発展ないしは混乱は、読者、利用者がこうした技術をどう生かすのかということで決まっていく。

2011年3月13日日曜日

デジタル時代の文字・活字文化:前編


Net デジタル時代の文字・活字文化:前編
  昨年12月、デジタル時代の読書のあり方を探るシンポジウム「デジタル時代の文字・活字文化」(文字・活字文化推進機構と日本経済新聞社の共催)が6日、東京・大手町の日経ホールで開かれました。

 角川グループホールディングスの角川歴彦会長による基調講演についで、作家の島田雅彦さん、IIJの鈴木幸一社長、日経新聞の岡田常務の3名とのパネル。ぼくが司会を務めました。当日の模様は紙面でも下記ULRのとおり特集記事が組まれましたが、自分のメモを残しておきます。
http://www.nikkei.com/paper/article/g=96959996889DE0E2E4E2E7E1EAE2E0E4E3E0E0E2E3E29FE3E0E1E2E2;b=20101227

 ぼくの基調プレゼンは以下のとおり。

2010年は国民読書年。本や新聞など活字文化、言葉の力が改めて注目された。同時に電子書籍元年。デジタル技術の波が本や新聞にも押し寄せている。
・テレビ、パソコン、ケータイに次ぐ「第4のメディア」が一斉に普及をしている。スマートフォン、電子書籍リーダー、タブレットPC、デジタルサイネージなどだ。

・端末の競争以上に、Google,Apple,Amazonが仕掛けてきている配信システム=プラットフォーム競争のほうが重要であり、Googleブック集団訴訟のように、問題も続いていく。
・アメリカからの波を黒船になぞらえ、たった4杯で夜も眠れず、そこで総務省、文科省、経産省の御三家が鳩首会談というのが電子書籍元年の姿であった。

・日本のケータイはガラパゴスなどと揶揄される一方、シャープがそれを逆手にとってガラパゴスという端末を発売するなど日本メーカもシーンに登場。
・出版社も31社が協会を設立、新聞社も日経電子版など本格展開する企業も。朝日-ソニー-凸版-KDDI、ドコモ-DNP、ソフトバンク:ビューンのように通信3社も参入。
・作家も対応は別れる。京極夏彦氏は講談社からiPad版を配信、村上龍氏は制作販売会社G2010を立ち上げ、大沢在昌氏・福井晴敏氏・平野啓一郎氏らも新作を配信。

Googleブック問題が一段落したものの国内でも国立国会図書館デジタルアーカイブ構想が持ち上がり、新たな問題が提起。書物をできるだけ多く流通させる公的目的と、出版・著作者の利益とのバランス論。
・一般の書籍・新聞にとどまらず、教育=教科書のデジタル化も議論に。政府は2020年の普及を見込むが、韓国は2013年、フランスは2011年としている。
・デジタル教科書教材協議会が2010年7月に立ち上がり、2015年普及を目指すことに。

・ネットでのコンテンツ流通は映像・音楽・文字合計1.5兆円。利用されているのは音楽、映像、文字の順であり、文字は最も遅れていた。いつか来る道であった。
・既に市場が成立しているものもある。2010年の電子書籍市場は670億円と言われ、アメリカの300億円市場よりはるかに大きい。ただしその大半はケータイによるマンガ。
・また、電子辞書が413億円市場を形成している。日本独特の電子書籍市場が成立。おカネは動くところでは動いている。

・それらを支えるユーザ層もしっかりとらえられていない。例えばケータイのマンガを購入しているのは若い世代。高校生の96%がケータイを持ち、71%が音楽をダウンロードし、46%がブログを持つという世界一高度に進歩したデジタル・ケータイ文化。
・新しい文化も生まれている。07年の文芸書トップ3をケータイ小説が占めた。ケータイで読まれ、ケータイで書かれている。

・3省による懇談会が設置され、権利集中管理や国内ファイルフォーマットの共通化、実証実験が進められている。だが政府は仕分けで予算をストップしたりするなど、腰が定まらない。
・先日、グーテンベルクの故郷、ドイツのマインツを訪れ、1455年の聖書を見てきた。アナログの555年を経て、デジタルの文字文化はどうなるのか。グーテンベルクさんは現状をどう見ているだろうか。

 これを受けてのパネルの模様は、次回。

2011年3月9日水曜日

世界3大ガッカリを制覇したぞい


■Buenos 世界3大ガッカリを制覇したぞい


 世界の車窓から。つづき。
 北欧の厚い雲に阻まれておぼろな低い陽は、南から昇って、南に沈みます。やわらかい光に照らされた水面は、黄金に輝きながらも、その周りは死んだような灰色で、沈黙しています。海岸はもう凍っていますが、沖でさえ間もなく力尽き、凍っていきそうな。
 17年ぶりのスウェーデン。コペンハーゲンから電車に乗り、三番目に大きい町マルメに向かいました。吹雪で、地面も家並みも白いけれど、村の教会の塔だけが茶色く、遠い春に向かって吠えるように黄金の天にそびえています。
 マルメの市庁舎前、ストール・トリエット広場には、まんなかにポール型のサイネージがあって、メッセージを発信。ヘルシンキの街角、路面に置かれていた情報サイネージと似たお知らせタイプですね。コペンハーゲンでは見なかったな。
 そのデザインセンターのカフェでこれを書いています。マルメのデザインセンターは、スタンフォードのDスクールと同じにおいがします。手作りのワークショップで何やら新機軸を産もうとしています。この町も他の北欧の町と同じく、椅子も机も、カップも文房具も、どれもこれもスキがなく洗練されていて、色鮮やかで、かといって華美でなく、そしてスポットごとに統一感がある。
 ただ一点、カフェの品揃えが少なくてガッカリ。海風が強く、下から雪が舞い上がり、むかし帯広で遭遇して以来のダイヤモンドミストに見舞われたのは、うれしさもあるものの、ビルからビルの間30mももたずに飛び込んでは移動を繰り返し、熱くしてくれる飲み物を求めるのですが、昼間っからコニャックやらホットワインやらを振る舞ってくれる店がなくて。
 ま、ぜいたくというものです。これしきガッカリと言ってはいけない。

 人間ガッカリすることは週に一度はあるものだが、ガッカリするためにわざわざ出かけることは人生そう多くない。それは、わざわざ出かけるに足るほどガッカリさせる力量のあるガッカリさんもまた地上には多くないという事実に基づく。
 そんな中、今回の旅の目的は、コペンハーゲンなのです。そう、世界3大ガッカリ「人魚像」ですね。他の2大ガッカリ、ブリュッセルの小便小僧とシンガポールのマーライオンは肉眼で見た!だからこれが人生に残される宿題だったのです。
 いやあ、ガッカリさせてくれました。
 これも灰色の海岸、吹雪にむせびつつ、トボトボと、歩かされる歩かされる。陽は柔らかいのに顔を差す風。3本の尖塔の一つ、市庁舎の鐘を聞き、LEDの3面デジタルサイネージを眺めてから、クリスチャンスボー城を抜け、王立図書館を経て、衛兵の交代を眺めるころにはもう分厚い手袋の指先は曲がらず、安全靴のようなブーツの指先は凍傷にかかるかというほど痛い。こんなにつま先が痛いのは、修学院小学校の冬の朝礼で、口中春男校長のお話が長すぎた日以来だ。
 要塞と名付けられた荒涼とした土地の向こう、低い土手が海に面したところに、ガッカリした人だかりがたむろしています。ほうらいた、人魚。ぽつねんと。聞いてはいましたが、田沢湖の辰子像よりも寂しく跪いていました。じろじろ見るんじゃないわよ。あたしだってスキでこうしてるんじゃないわよ。小林幸子の口調でつぶやいていました。
 ガッカリさせる力量。
 水面の向こう岸には風力発電機が何台も容赦なくブンブン回っていて、何の工場でしょう、たくさんの煙突がもくもく。オラオラ、はかなんでんじゃないわよ対岸の女。美川憲一の口調でヤジっています。
 それよりもコペンハーゲンのハイライトは駅前のチボリ公園でしょう。1843年に造られたおとぎのくに。アンデルセンはここで人魚姫などの構想を練ったそうです。ディズニーのリトル・マーメイドもそのおかげです。でもそれを二次創作したら訴えられます。そうやって今がある。
 かつて倉敷にもチボリ公園というのがありました。97年から2008年までの11年間。歴史がはかないぶん、おとぎ感が増します。そっちにも足を運んでおいてよかった。

 ちゃんとお仕事もしましょう。メディア空間の視察です。
 デンマークデザインセンター。
 ヘニング・ラーセンのデザインした素敵な建物。
 プロジェクター投影、液晶ディスプレイ、フォトフレーム。この3種を巧みに配置した空間デザイン。抑えめに環境へ映像を埋め込む洗練されたサイネージです。
 逓信博物館。
 暗がりの屋内、手紙を仕分ける棚や電話交換機などが展示されるアナログ空間に、小型ディスプレイを埋め込み、むかしの郵便や電信電話の仕事ぶりをプロデュースしています。この手法はヘルシンキの郵便博物館と双璧をなすデジアナ・ミックスです。少し前に立ち寄ったフランクフルトの逓信博物館は、郵便や電信電話を展示する点では同じながら、ふんだんに外光を取り入れたまばゆい白の空間で、子どもたちがキャアキャアと遊べることが主眼となっていました。コペンハーゲン、ヘルシンキ、そして東京の逓信はどちらかというと大人向けです。
 子ども向けには、国立博物館の中の子ども博物館。
 竹馬、数字遊び、パキスタンの暮らし体験、おせんたく、馬の世話、城を守る、レンガで家を造る、バイキングの暮らし体験、お絵かき、ミニチュア作り、コマ回し。手と足を動かすアナログ一色。いいですねぇ。
 学校や幼稚園から課外学習で来ているのかな?大勢の子どもたちが狭い空間を楽しんでいます。銀座線の車両が置かれているボストンの子ども博物館ほどの広さはありませんが、こぢんまりと、だけど素敵な創作場。こういう場所が日本にも欲しい。
 国立博物館から国立美術館に移動。
 カフェが黄緑の机と紫の椅子で迎えてくれます。この色彩配置は日本にはないなぁ。全面ガラス張りの外は一面の雪景色。広がる土手を、これまた大勢の子どもたちがソリで遊んでいます。
 おぉ、むかし絵はがきを部屋に飾っていた「マチス夫人の肖像」、ここにあったのか。おや、このDufyは見たことがないぞ。・・・侮れないです。

 しげしげ眺めていたら、ぼくのことをしげしげ眺める老人の視線に気がつきました。なんだろう。どうやら迷った挙げ句、近づいてくる。そして、思い切ったように、言いました。「そのジャケットどこで買ったの?」いやフツーの淡いコール天のジャケットなんですがね。「トーキョー。」そう答えると、明らかにガッカリした顔をして、去りました。そうね、ニッポンはあまりにも遠し。ガッカリに喜んでいたぼくは、ひとをガッカリさせてしまいました。

2011年3月5日土曜日

故郷のサイネージ

■ Net 故郷のサイネージ

 広島に講演に行きました。協力している広島デジタルサイネージ推進コンソーシアムの実験も気がかりで。で、静岡、京都、大阪に途中下車。サイネージ探し。

 静岡駅の地下、マツザカヤに向かう途中。立派な体格の托鉢の坊さんが立っています。その隣、タテ3面×ヨコ4面の大型液晶。左側3×3でイベントや観光案内の動画が流され、右タテ3面1列は別コンテンツ。右上は天気、右中は観光映像、右下は3×3と同じ情報。
 その左側には2面のタッチパネル画面。上にはPARCOISETANCM。市振興公社の広告募集が流れているから、これは市の施策であることがわかります。その下側には、グルメ、ショップ、イベント、観光、市広報コーナー、地図。アベックがタッチしに来た。
 ぼくも触ってみる。反応、よし。近づいたり遠ざかったりして写真を撮る。コンテンツをメモする。触る、取る、メモる。繰り返していたら、駅のひとが来て、いぶかしそうに誰何する。「愛好家でして。」と言ったら、去りました。
 少し歩きます。マツザカヤは物心ついたときからありましたが、マルイや109はありませんでした。109の店頭に、同じタッチパネル画面があります。いや、駅前のはカベに埋め込まれていましたが、こちらはスタンド型のがっちりした筐体。触って撮ってメモだ。
 しかしさっきは愛好家などと言ってしまったが。たしかにぼくは事業者じゃないし、研究者というのもおこがましい。デジタルサイネージの愛好家とかファンとか名乗るのがよさそうです。となれば、デジタルサイネージ同好会とか、全日本サイネージファンクラブとか、電子看板友の会とかを作るとふさわしいのかもしれません。

 京都市右京区太秦。四条大宮から嵐電に乗ります。「らんでん」と読みます。下から上にのぼっていくイントネーションです。京福電鉄には左京区に叡電があります。「えいでん」と読みます。下から上です。らんでんは嵐山に行きます。叡電は比叡山に行きます。ぼくは叡電沿いに住んでいました。「けいおん!!」の舞台です。今日は、らんでん、帷子ノ辻で降ります。「かたびらのつじ」と読みます。ヨコ一線で抑揚ナシに読みます。
 出たところ、700m続く「大映通り商店街」の入口があります。かつて大映の京都撮影所があったカルチェ。昭和30年代には日本のハリウッドと呼ばれ、隆盛を誇りました。大映と言えば京マチ子、若尾文子、市川雷蔵。羅生門、雨月物語、地獄門、山椒大夫。個人的には川島雄三「しとやかな獣」「女は二度生まれる」という東京作品ですが、その後の映画の斜陽化、大映の消滅に伴い、この界隈も活気を失っていったといいます。いまはトツトツと軒が並んでいる程度。ぼくが訪れた日には、「木枯らし紋次郎」を作った大映京都の技術スタッフ集団「映像京都」が解散するという侘びしいニュースもありました。
 この商店街が地域活性化にサイネージを使っていると聞き、見回りました。さほど多くはありません。スーパー「Quolor」、入口に大型の液晶ディスプレイ。道路情報を流しています。なぜだろう。パンの「WELZ」は商品棚の上に同様の液晶画面。嵐山の鵜飼など、地域情報のスライドを見せています。大映関係者はコンテンツのアドバイスをしたほうがいい。「大明電業」、電気屋さん、店頭で無農薬野菜も売っていて、その写真を小型フォトフレームで見せています。豆腐「やなせ」もフォトフレームで、これは太秦らしい、山田洋次・阿部勉監督「京都太秦物語」のPRをしています。
 アナログな京都。デジタルサイネージは目立たないのですが、不統一で未熟ではあれ、やっと一まとまりのサイネージ陣を見つけた、というところです。

 ところで、大阪には、大阪駅構内にある「美人時計」を見に行ったのですが、場所がわからない。駅にいる人たちをつかまえては「美人時計どこでっか?」と聞いて回ったのだが、「知らんで」「美人時計ゆうて何や」という反応。結局、時間切れで広島へ。調べておくんだった。というわけで今回は図らずも生まれ故郷の静岡と育ち故郷の京都の2本立て興行でした。

2011年3月1日火曜日

前略、グーテンベルク様


■Buenos 前略、グーテンベルク様

 はるか遠くに連なる真っ白な山脈。ぽこり、ぽこりの雲、白い、黒い。手前に広がるのはまっ黒な土。その上にうっすらと緑の芽の芋畑。いいジャガイモができそうです。広べったい農家がところどころに。陽が差してきました。

 固くて、幾分すっぱいライ麦パンをちぎりながら、リースリングの白ワインをやっています。隣の太ったオヤジが品のない新聞をバラバラにちらかしながら、しきりに語りかけてきます。が、何語かわからない。白ワイン飲ませろと言ってるのか?やなこった。外はきっと寒い。車内は暖かすぎる。

 これじゃ「世界の車窓から」です。富士通がお届けします。この番組、実は制作会社に勤めるぼくのいとこが作っています。

 こうして、マイン川とライン川の交わるドイツの町、マインツに向かいました。
 サンクトシュテファン教会はシャガールのめくるめくステンドグラスで被われ、それだけでもはるばる来る値打ちがありますが、やはりここはグーテンベルクの故郷。グーテンベルク博物館に足を運びます。
 そこには1455年の初版本の聖書が陳列してあります。
 アナログの555年を代表する生き証人です。
 ありがたいことです。




 そうだ、思い出しました。10年前、グーテンベルクという名前を聞いて思い浮かぶ顔を描けと8歳の長男に無理強いしたことがありました。どこかにその絵が残っているはずだとファイルを探していたら、10年前の講演スライドが出てきました。

 そのPPTスライドは、チェ・ゲバラと毛沢東とマルクスの顔写真を並べて、「チョロい革命だぜ!」と始まります。そんなのが革命か?と続きます。そうだったそうだった。当時、IT革命などと騒いでおきながら、IT系・ネット系のバブルが弾けて株価が下がったとたん、それでもうIT革命はおしまいというマスコミ論調が流れていたのでした。

 スライドはこう続きます。「IT産業がどうなるかなんてどうでもいい」「ITが産業をどう変えるのか。それは10年の産業革命」「ITが生活をどう変えるのか。それは100年の文化革命」「ITが表現・思考をどう変えるのか。それは1000年のデジタル革命」。青臭い!です。







 そこに息子の描いたイラストを貼り付け、「グーテンベルクが活版印刷を発明してから、産業革命と市民革命が生じるまで3世紀。ではデジタル技術が登場してこれから3世紀後、ぼくらは何が生じるか想像しているのか」。これも青臭い。

 だけど、自分の話すことが結局この10年何ら変わっていないことにも気がつきます。

 さらにぼくのスライドは、ウェアラブルコンピュータ、ロボットコミュータ、ユビキタスの説明へと移ります。そうです、当時MITメディアラボに身を置き、全てのモノがコンピュータと化し、ネットでつながり、交信し合い理解し合う環境が間近に迫ることを唱えていました。
 来やしません。ちいとも。

 近頃やっとデジタルサイネージが広がり始め、町のあちこちにディスプレイが見られるようになりました。モバイルとは別の、ユビキタスの一つの像がやっと結び始めたのです。でも、服もクルマも道路もみなネットで常時つながっているユビキタス環境はほど遠い。

 近頃やっとデジタル教科書の議論が始まりました。でも100ドルパソコン構想をMITでプレゼンして10年、地球上の全ての子どもがネットで創造性を発揮できるようにしようと唱えて10年、日本は一人一台にするのにまだこれから10年かけるといいます。
 愕然とするのです。

 前略グーテンベルク様。
 10年前のぼくの憤りは、単に青臭かっただけなのですかね?
 人類の10年なんてものは、そんなにちっぽけなものなのですかね?

 前略グーテンベルク様。
 今年は電子書籍元年というのですが、それはアナログ書籍の延長線上にあるんですかね?それともデジタルでシーンががらっと変わるのですかね。変わってしまったら、やはりグーテンベルク様はくやしいのですかね。

 前略グーテンベルク様。
 せっかく印刷技術作ったのに裁判に負けてくやしかったでしょうね。いまもデジタル技術作って訴えられてるひと結構いますよ。

 前略グーテンベルク様。
 おそらくまだぼくらはデジタル革命のただ中にいるのだと思うのです。だってまだまだ新しい技術が開発され、日々新しいサービスが登場していますから。それが落ち着くのはいつごろになるんでしょうかね。グーテンベルク様が作った技術が世間に定着するにはどれくらいの年月が必要だったのでしょう。
 白ワイン飲ませますから、じっくり教えて下さい。