はてなキーワード: 慰霊祭とは
ナガヤーッス
本日は世界赤十字デー、ヨーロッパ戦勝記念日、第二次世界大戦中に命を失った全ての人に追悼を捧げる日、八田興一の慰霊祭、日本においてはゴーヤーの日、松の日、声の日となっております。
命は大事ですね、命が亡くなると色々調べなければいけなくなります。
だからといって命があっても調べる必要がないということではありません。
どういう風に亡くなったのかを調べないと次善策を練ることができないのです。
そしてやはり命を失う前に何かしらのサインがあれば助けることももしかしたら可能なのかもしれません。
危険な場所では赤信号を出したり、声かけをしたりするなどして命が亡くなることを防いでいきましょう。
声掛けよいか!声掛けヨシ!
何で年末の忙しい時期に、クソ面倒な事案をぶっ込んできたのだろう。
#住民監査請求結果(令和4年受付分)
件名 | 受付日 | 結果通知日 | 結果 | 結果通知(曜日) | |
1 | マンションの耐震改修計画等に欠陥があるなどとして、その補助金の返還を求める住民監査請求 | 令和4年8月19日 | 令和4年10月6日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
2 | 都営住宅管理総合システムの改善委託等に過大な金額を支払っているなどとして、その補填等を求める住民監査請求 | 令和4年9月5日 | 令和4年10月20日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
3 | 東京都中学校英語スピーキングテスト事業は入試の公平性・透明性を害するおそれがあるなどとして、一切の公金支出をしないことなどを求める住民監査請求 | 令和4年9月9日 | 令和4年10月27日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
4 | 東京都若年被害女性等支援事業について、当該事業の受託者の会計報告には合理性、整合性がないなどとして、当該受託者の会計報告の妥当性についてなどの監査を求める住民監査請求 | 令和4年9月15日 | 令和4年10月27日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
5 | 東京都若年被害女性等支援事業について当該事業の受託者の会計報告に不正があるとして、当該報告について監査を求める件 | 令和4年11月2日 | 令和4年12月28日 | 理由あり(認容) | 水 |
#住民監査請求結果(令和3年受付分)
件名 | 受付日 | 結果通知日 | 結果 | ||
1 | 港湾施設用地の使用許可に関する住民監査請求 | 令和3年1月12日 | 令和3年2月10日 | 監査実施せず(却下) | 水 |
2 | サービス付き高齢者向け住宅の整備に対する都補助金の返還等を求める件 | 令和3年3月15日 | 令和3年4月27日 | 監査実施せず(却下) | 火 |
3 | 虚偽申請によって介護サービス事業所の指定を受けた事業者が不正に請求し受領したとする介護給付費及び介護扶助費の都負担分の返還等を求める件 | 令和3年4月14日 | 令和3年5月27日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
4 | サービス付き高齢者向け住宅の整備に対する都補助金の返還等を求める件(その2) | 令和3年5月14日 | 令和3年6月24日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
5 | 支給要件を満たさない飲食店に対し東京都感染拡大防止等協力金を支給したことは違法・不当として当該協力金の返還等を求める件 | 令和3年9月3日 | 令和3年10月20日 | 監査実施せず(却下) | 水 |
6 | 生活保護法に基づく検診命令に係る書面の記載等に違法があり、都の管理に違法な怠る事実があるとして、当該検診命令の停止等を求める住民監査請求 | 令和3年11月9日 | 令和3年12月16日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
7 | 元東京都議会議員の行為が違法・不当であるとして議員報酬等の返還等を求める住民監査請求(その1) | 令和3年12月1日 | 令和3年12月16日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
8 | 元東京都議会議員の行為が違法・不当であるとして議員報酬等の返還等を求める住民監査請求(その2) | 令和3年12月1日 | 令和3年12月16日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
9 | 職務専念義務に違反して勤務しない交通局職員に対する給与の支出は違法・不当であるとしてその返還を求める住民監査請求 | 令和3年12月28日 | 令和4年2月3日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
#住民監査請求結果(令和2年受付分)
件名 | 受付日 | 結果通知日 | 結果 | ||
1 | サービス付き高齢者向け住宅の運営状況等に違法・不当があるとして当該住宅の整備に対する都補助金の返還等を求める件 | 令和2年1月24日 | 令和2年3月19日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
2 | 電子交付を希望して公文書開示請求を行ったところ、およそ300枚の開示決定通知書が送付されたことは不当であるとして、開示する公文書だけではなく開示決定通知書も電子交付を選択できるようにすること等を求める件 | 令和2年1月27日 | 令和2年3月19日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
3 | 都立高等学校の校長が教育教材用DVDを購入した際、郵便と比較して高額な1,500円の発送費を支出したことは無駄使いであるとして、校長に対し発送費の返還を求める件 | 令和2年3月2日 | 令和2年4月23日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
4 | 下水道管路内調査工に関する住民監査請求 | 令和2年3月18日 | 令和2年4月28日 | 監査実施せず(却下) | 火 |
5 | 既存住宅における高断熱窓導入促進事業に係る助成金交付の差止めを求める件 | 令和2年4月10日 | 令和2年5月21日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
6 | 下水道管路内調査工に関する住民監査請求(その2) | 令和2年5月27日 | 令和2年6月18日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
7 | 都立高等学校等の日本放送協会放送受信料の支出は違法・不当であるとし、日本放送協会が放送法を遵守しているかの確認の措置を求める件 | 令和2年6月23日 | 令和2年7月30日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
8 | 国民年金保険料に関する住民監査請求 | 令和2年9月15日 | 令和2年9月24日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
9 | 都及び(公財)東京しごと財団が実施する中小企業の人材確保支援事業において、同財団の委託先の違反行為が常態化しており、事業の本来目的が毀損されているなどとして、委託費用の全額返還などの措置を求める件 | 令和2年10月16日 | 令和2年12月11日 | 理由なし(棄却) | 金 |
10 | 道路構造設計及び工事方法に関する住民監査請求 | 令和2年11月2日 | 令和2年12月24日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
11 | 都市計画道路小金井3・4・11号線外に係る支出を違法として費用返還を求める住民監査請求 | 令和2年11月11日 | 令和2年12月24日 | 監査実施せず(却下) | 木 |
タイトルそのまんま。
もう何週間か前の話だが、忘れないように書き残す。
自分はとある生命科学系の研究所に所属しており、実験動物としてマウスを飼っている。
コロナ禍で彼等を大量処分することになった。まさか動物が感染したとかそんな話じゃない。研究所の飼育管理の方々がいつ今回のウイルスに感染するかわからない。出勤日を減らさざるを得ない。
我々も状況は同様だ。陽性となればしばらくは軟禁だ。周囲が罹っても軟禁だ。
今までの飼育規模の継続は人的資源の面でのリスクが高い。それから、より根本的に、コロナ禍で出来もしない実験のために動物を飼っておくべきではない。
たくさんの遺体が目の前に折り重なる。
抜けた毛が手袋に付く。
小さいビニール袋に1袋につき20匹ほど入れ、ずっしりとしてまだ柔らかくぐにゃっとした感触がするそれらを飼育室の外に持ち出して、腐らないよう冷凍庫に入れる。
実験を行う者として、実験動物の処分は日常だ。実験動物に相対する時は、感情よりも真っ先に、実験動物を扱う際の倫理とされる行動規範が脳内に浮かぶ。自分は有言無言にそう訓練されてきた。今度の事でも感情の激しい揺れはない。実験できないならば速やかに処分することこそが実験動物の適切な扱いだ。
ただ、現実に巡った思考を忘れてしまうことは、明らかに動物に対して真摯ではないと思う。
普段見ることのない大きさの遺体の山を見たときの、最初は見た目からの印象の強さ。処分しながらずっと、昔に読んだ No.6 (あさのあつこ著) というSF小説を思い出していた。児童向けの顔をして、非常にシビアかつ強い物語だったことをよく覚えている。その小説の中に、人々がうず高く積み重なって死にゆくシーンがある。主人公たちは積み重なった人々を這い上って目的の場所へ向かう。そのシーンを思い出した。
マウスには逃れる術などない、と思う。
あと、これだけ処分できたというかすかな達成感、管理が楽になる、飼育費用が減るというかすかなポジティブな感情。
規模縮小の状況の中でマウスを増やさないため、自分を駆り立てるために必要だった思考。と言ったら美化し過ぎだ。その側面もあるが、自然に巡った思考だ。
普段、実験動物について家で思い出すことはない。ただ今回だけは例外だった。
コロナ禍がペットを飼うきっかけになったとか、保護動物がもらわれていったとか、そういうニュースを読むことがある。でも、人間に寄り添って暮らしてくれている動物達の中で、我々の実験動物はそちら側ではなかった。
2011日3月9日は癌を患っていた私の母が安らかに逝った命日なんだが、慌ただしく葬儀の準備契約を済ませたところに大震災が来た。
葬儀社も震災による被害を受けて壊滅、列席予定だった人たちも多く亡くなり、私の母の葬式どころではなくなってしまった。
幸いにも遺体の安置されていた斎場は高台にあったので津波にさらわれずに済んだが、生きているものが優先される中で遺体は放置せざるを得ず母の遺体はそこに放置された。
ようやく母の遺体を回収したのは一ヶ月も過ぎた頃で、腐敗が進んで酷い状態だったので、葬式もあげずにそのまま県外の火葬場へと直行して、私の手元には小さな骨壷が一つ残っただけだ。
あれから5年が経過しようとしていて、震災で亡くなった沢山の方々を偲ぶ気持ちは私に当然あるし、友人や親戚も数多く亡くなった悲しみはある。
私の母が癌で死んだことを知っている人間がもう五年も経つのかと話題に上げ線香をあげにきてくれることは無いが、震災で亡くなった人は毎年のように慰霊祭やらで弔ってもらえる。
日航機の件でもそうだが、おそらく今後数十年以上はこの慰霊祭が毎年行われて、テレビで報道され、後世の人達が震災で亡くなった方々を偲ぶことだろう。
だがそこに私の母は入っていない。
金はあるが数年後に迫った定年退職後の余生を考えると、母の墓を守る人は遠からずいなくなるだろうし、私を弔ってくれる子供や家族はもういない。
なぜ大震災で亡くなった方々は毎年弔ってもらえるんだろうか。
311が近づいてその話題が毎年のぼるたびに私の心は嫉妬にも似た忸怩たる思いであふれるのだ。
死んだ人間には何の意味もないかもしれないが、すべての人が死ぬことを受け入れた上で指摘するなら、震災で死んだ人は幸せだ。
死んだあとも半永久的に弔ってもらえるし、それが忘れ去られるには相当の年月がいるだろうから、その間はずっと遺族や関係のない国民まで覚えていてくれて弔ってくれる。
私の母は、私は、遠からず誰も弔ってくれない無縁仏になるだろう。
寺に全額遺産を寄進して永年供養をお願いしてはあるが、どうしても私の頭からもし母が震災で死んでいたら、と思わずに入られないのだ。