はてなキーワード: トラックとは
どうもお久しぶりです。
2023年3月に『自動車製造業に勤めて10年経ったが女性が主ラインの主力にはならない』というエントリを投稿した者です。
以前のエントリで言及していた通りに私へ対して異動があり、そして2023年3月当時と比較して自動車業界全体の動向へ変化が起きているので、私のその後の報告をしつつ様々なことを筆が乗るままに書いていこうかな?なんて思っています。
まず、現在の私は完全にオフィスワークという働き方になっています。
新社会人で女でありながら工場勤務を志向したとき、将来の自分はオフィスワークになるだなんてまったく予想をしていませんでした。
工場勤務のキャリアの中で自身が勤める会社のキャリアステップにはライン工からオフィスワークへ移行するキャリアが存在していることへ気付き、そしてそれは女性従業員が選びがちなキャリアであることを知りました。
中にはこのステップをいわゆるマミー・トラックであると判断する人も居るでしょうが、近年の会社は女性管理職の数を拡充していく方針を示していて、私が異動した年度と比較しても様々な部署へ女性管理職が増え、そして現在の私も管理職です。
ではこの私の管理職、どの程度の権限があるのか?と言えば、基本給などを定める給与等級制度から現在の私の管理職階級を判断しますと、これは工場内で生産ラインのシフト組長やライン長と同等の管理職階級であります。
以前のエントリで「ライン長を目指して」と激励してくれた方が居ましたが、既に工場勤務でなくライン長では無いですが同等の地位へ身を置けるようになったことを激励へのお礼と共に報告させて頂きます。
ただ、工場に関わることのない仕事をしている人がシフト組長やライン長がどのような規模感のチーム管理職なのか?の判断が付きにくいでしょうから説明いたしますと、現在の私は他社と関わることの多い部署に所属していまして、他社との比較であれば20人30人規模の人員を率いるチームの管理職、課長、主任、プロジェクトマネージャーと同程度の管理職です(会社が非常に巨大であれば係長の場合もあり)。
つまり端的に日本国内で共通認識を取れる表現で言えば、現在の私は東証プライム上場しているグループ全体で数十万人を擁する大企業に務めるオフィスワーカーで20人30人規模の人員を率いるチームのプロジェクトマネージャーということになります。
このキャリアをどのように捉えるかは個々人へお任せしますが、私個人としましては社内で出会ったパートナーと恋愛結婚をし、子供を2人もうけて、自然に囲まれ工場があるような地方在住ですが子供の頃に憧れた赤い屋根の小さな新築戸建を得られ、愛犬を飼い、アップライトですが私のピアノを持てて、自家用車によって繁華街へ夫と子供と一緒に遊びに行けるような生活をさせて貰ってますので、私程度の能力であれば十分充実した毎日を得られたのではないかなと思っています。流石に億万長者になる実力はないので。
もしかしたら自慢で嫌味だと捉えてしまう人も居るかも知れませんが、私が私の人生の工場キャリアで汗水垂らし得た自慢の宝物です。
工場務めは大学教授や政治家のような『おいしい仕事』では無いですが、工場務めの女性のキャリアの1つの例として記憶して頂ければ幸いです。丸の内みたいにキラキラしてないけれど工場で10年働けばこうなるぞと。
さて話は変わりますが、当時のエントリとそのブコメを眺めると現在の自動車業界を取り巻く環境と、それらを見ていた人たちの意識自体も大きく様変わりしていることが分かります。
特に大きな違いは『EVシフト』へ関する意識でしょう。欧州のようにEVシフトを強く推進しないと日本の自動車界は壊滅するのような主張が散見していますが、産業・需要の実態にそぐわない政治主導による急進的なEVシフトによって欧州自動車業界は危機的な状況に立たされています。
もちろん日本自動車界が取った多角戦略の正しさが短期的に証明されたからと言って永続的に正しいとは限らないので油断は出来ません。
発展途上国では安い中華EVのシェアが伸び始めていると数字が示していますし、日本自動車は現状に満足せず産業・需要の実態に合わせたフレキシブルな経営・製造・販売体勢が必要です。
特に私は製造現場出身なので、老若男女が働きやすい製造手法と現場環境の改善・創出の大切さは身にしみていますので現場レベルで安い中華EVへ対抗できる体勢の獲得が肝要かと思います。
そして、日本は一層の少子高齢化社会へ着実に進んでおり、日本経済を支える産業維持をするのに人手不足が深刻化しています。コロナ禍のような人手不足状況が工場でも恒久的になると考えると戦々恐々としますし、なんとかしないといけません。
各自治体の合計特殊出生率を見ると、合計特殊出生率が高い自治体は若い世代がしっかりと報酬を得られる産業のある自治体の出生率は高い傾向なのがわかります。
子育て世帯にお金を配るのではなく、私は子育て世帯をも含んだ若い世代全体の収入を増やすことが合計特殊出生率をあげていく上で重要ではないかと思うのです。
少なくとも社会保障費は自分たちの世代よりも後の世代が支えてくれるものです。今の若者を儲けさせなければ自分たちの年金・医療費などの社会保障費が減っていくのは明白なのです。
私は経験上知っています。工場でしっかり稼いでいる仲間たちの家庭の何処かでは毎月のように子供が生まれていることを。それも1人や2人ではありません。
私が勤めていた工場の膨大にある知る限りの各ラインには出産・育児休暇を取っている人員が必ず居たくらい子供が生まれることは珍しいことじゃなかったのです。
私はこの状況を工場以外にも拡大していくべきだと感じますし、そのためには工場勤め並みに若い世代を儲けさせるべきだと主張します。
工場務めは福利厚生が充実していますし、独身寮があったり食費補助があったりするので額面年収よりも実質的な年収は多く、例えば20代の製造業年収へ皆さまが負担している家賃と光熱費を足してみて下さい。家賃が計算しやすいよう5万円/月ならば60万円も実質年収が多いんですよ。これは本当に大きなことです。
私が所属する労働組合としても将来的な人手不足を解消するため非正規雇用の従業員、いわゆる期間工や派遣の正社員登用の推進を会社へ訴え出ており、それは労使一体のもと実際に施策として行われています。そもそも私の所属する労働組合は1年以上勤めれば期間工でも加入できます。
一部で囁かれている「正社員貴族様のための団体」などという揶揄はまったくもって現状を追っておらず労働組合の現状を知る気も、3Kとして忌避していて工場へ務める気もない業界外の人の勝手な想像でしょう。
これはもうあまりにも愚か過ぎる揶揄なので強調して否定しておきます。私の所属する労働組合は非正規従業員も加入できますっ!!!!
さて最後の締めですが、筆が乗るままに今の思いの丈を書き連ねましたが、子供が居ますし自分の老後の心配もありますし、日本が今よりほんの少しでも良くなっていったらなぁと思っております。
また何かの機会で書かせていただこうと思います。ではでは。
https://youtu.be/vqmW1BQ1cbw?si=ddZiG0ya441vNMP5
左上から
WaymoはGoogleの親会社Alphabetが所有する自動運転車企業。
NVIDIAのGPU技術を利用して自動運転システムのシミュレーションやAI処理を行っている。
NVIDIAの技術を採用し、AIによる車両制御や安全システムの開発を進めている。
かつてNVIDIAのGPUを採用していたが、現在は独自設計のFSDチップに移行。
NVIDIAの競合とも言える関係にあり、独自路線で自動運転技術の進化を牽引。
NVIDIAのプラットフォームを活用し、AI処理やシミュレーションを実施。
NVIDIAの自動運転プラットフォーム「Drive Orin」を採用し、高度な車両システムを構築。
中国の新興EVメーカーで、ハイブリッドEV(EREV)に強みを持つ。
NVIDIAの「Drive Orin」を利用し、次世代のインテリジェント車両を開発中。
NVIDIAと提携し、2024年以降の車両にDrive Orinを搭載した自動運転機能を提供予定。
世界最大級の自動車メーカーで、電動化と自動運転技術を推進中。
NVIDIAのプラットフォームを利用し、自動運転システムの開発を行っている。
NVIDIAの技術を採用し、ロボットのAI処理と効率的な運行を実現。
NVIDIAのGPUで強化されたシミュレーション技術を活用。
NVIDIAのAI技術を利用し、自動運転車両のソフトウェア開発を行っている。
NVIDIAのDriveプラットフォームを採用し、自動運転トラックや車両開発を推進中。
完全自動運転車の商用化を目指している。
NVIDIAのGPUを採用し、インフォテインメントや運転支援システムに活用。
Teslaの競合として注目を集める。
ピックアップトラックとSUVの電動化で注目されるアメリカ企業。
NVIDIAとの直接的な提携は公表されていないが、AI技術やシミュレーションに関連する可能性がある。
NVIDIAと提携し、Drive Orinを採用した新しいADASシステムを開発中。
地図見る前に現地行ってみろよ。車で。
南の方はトラックステーションだし、あそこらへん車社会でアリオ葛西行くのもチャリか車みたいな地方と同じ文化圏だぞ。江戸川区って。
一般論として、男性は女性より力強く、女性は男性より気が利くとされている。
だが、男性より力強い女性はいくらでもいるし、女性より虚弱な男性もいくらでもいる。
女性より気の利く男性もいるし、男性より気の利かない女性だっている。
それらを無視して「男なんだから」や「女なんだから」という理屈で型にはめるのを避け、
個々人の能力に応じた場を提供できるようにするのがフェミニズムであるべきだ。
本来能力が求められるべき場において、フェミニズムが目指した「平等」はジェンダーに囚われること無く個々人の能力だけで可否を決められるべきである。
「女性枠」を声高に訴えるフェミニストは、それだけでフェミニズム足り得ないはずだった。
だが、男女共同参画社会基本法には以下のように規定されている。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html
3 第一項第二号の議員のうち、男女のいずれか一方の議員の数は、同号に規定する議員の総数の十分の四未満であってはならない。
また、有名どころでは日弁連が「女性副会長クオータ制」を導入している。
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2017/171208_2.html
本制度は、現在の副会長の人数を2人増員して15人とした上で、副会長のうち2人以上は女性が選任されなければならないとするものです。
つまり、現在のフェミニズムとは個々人の能力ではなく男女の人数ありきでの調整となっているのだ。
これらの「女性優遇」を実施している側の意見として以下の論文がある。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaijosei/31/1/31_111/_pdf
クオータが必要とされる背景には,女性が議員になるためには様々な障壁が存在し,それを一つひとつ取り除くのにはあまりに時間がかかることがある。
そこで発想を逆転させ,まずは枠を設け女性議員を増やし,その後に障壁を除去するなどの環境整備を整えた方が早く結果は出るであろう。
まず数ありきで増やした上で、その枠を目指す女性が増えれば自然に平等へと近づいていくはずだ、という発想だ。
ジャニーズからデビューした若手や舞台やコンサートなど興業をやれるレベルで商売になるジュニアのグループは基本的に成人でちっちゃい小中学生はいない。
はてなやXに張り付いている暇な高齢未婚おじさんは「ジャニーズジュニア=小柄な小中学生の少年が女にキャーキャー言われてる」のを想像しているが、実際にコンサートや舞台で座長として稼いでるのはジュニアのグループはとっくに成人した人権のある身長の男性の集まり
去年御園座で座長公演していた美少年というグループもそんな感じ
女さん相手ではちっちゃい小中学生は商売にならないしファンコミュニティも存在しない。
誤差レベルで発生する女による淫行事件でも、女側が少年ポルノ入手や少年を食うために情報収集したり同好の士と情報交換していた話は出てこない
というか女は個人でなくグループや箱(ジャニーズやら宝塚)につくので、新しい地図やNumberiみたいな分裂ならともかく独立してして個人活動したらファンが消える。
ジャニー喜多川がお先に入りのジュニアを集めてYa-Ya-yahというグループを結成。まだメンバーが小中学生の未デビューグループにもかかわらず、TVや雑誌でガンガン売り出し、当時人気絶頂のモーニング娘やハロモニ。と同時間帯に冠番組、不二家やピザーラのTVCMを持たせていたが人気が出ず解散。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Ya-Ya-yah
同じくジャニー喜多川がまだ14歳のスペオキ佐藤勝利や13歳の松島聡や11歳のマリウス葉を売り出すために高校生のジュニア2人(菊池風磨・中島健人)をつけてSexy Zoneとしてデビュー。
デビュー曲はご祝儀買いを含めてもパッとせず、その後も動員も売り上げも低空飛行で、同時期にデビューの不細工高齢ジュニアのキスマイに完敗。
デビュー当時の東名阪の繁華街を周る広告トラックでもキスマイには群がって写メを撮る女子は多数いたが、Sexy Zoneは無視されてる状態だった
とにかく固定ファン自体いない状態だったが、年月を重ねるうちにグループを引っ張る菊池風磨と中島健人がSMAPのツートップ(木村・中居)のように固定ファンがついた程度。
timelesz
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Ya-Ya-yah
フォーリーブスの頃からジャニーズ事務所と繋がりが強い集英社のmyojoが毎年やってる「Jr大賞」という大規模投票も身長170cm以上の成人だらけなのにね
商店街みたいな歩道をあるいてたら、バスの車外放送みたいな感じで『曲がりま…うわぁぁぁ(キキーッドーン)』って音がして、悲鳴とかもして。見えないけど、多分外の車道でトラックかバスが暴走事故で偉いことなってるな、って戦慄してたら『ごめんなさァァい!!次から気を付けまァァす!!』って絶叫してるのが聞こえて(今更もう遅いだろ…)って暗い気持ちになってたら『実は…実は今破片が○×(聞き取れない)に直撃して…』って実況はじめたとこで目が覚めた。見えてないけど、工場のでかいガスタンクみたいな、壊れたら絶対ヤバいとこに当たったイメージがあって、二次の大惨事で更なる阿鼻叫喚になるか、最悪近くにいた我も死んでるだろうなって…つーか、演出が不穏すぎるだろ!音だけで想像かきたてんじゃないよ!自分がやらかした事故なら、起きてからなんだ夢だった(ホッ)と安心するためのアレだろうな、とか分かるんだが、これは何なんだろうな?夢占いとか暗示は信じないけど、今日旅行で泊まってるから長時間運転あるし、なんか不穏やな~
スケルトン+フロート+ジップライン+カタパルト vs 大型トラック という図式が成立するから悩む余地があるんじゃん。
徒歩+梯子+ロープ or 大型トラックの二択で徒歩選ぶ理由ないんだから玄関まで無理やりトラックかバイクで乗り付けるルート探す以外のゲーム性崩壊してるだろ。
特にデスストみたいな登山ゲーの場合はルート開拓こそが楽しみでしょ。
乗り物最強ゲーにしたら「壊れるギリギリまで乗り物でガレ場を突っ込んでいくだけのゲーム」にしかならんだろ。
そりゃお前クソほど評価下がるよ。
DC版でプレイしてたから世間でなんでこんな評判悪いのか不思議だったんだけどさ、カタパルトのうまい使い方調べてる時に見つけたDC版追加要素一覧見てビビったわ。
スケルトンさえないとかもはや原始人だろ。
まあコジプロ的には「大災害により文明が崩壊した世界で原始人みたいに歩荷をする」ってコンセプトだったんだろうけど、それならトラックもバイクも排除しろよ。
乗り物最強ゲーで歩荷がただの罰ゲームにしかなってなかっただろ無印。
そりゃお前「え?これ歩荷ゲーじゃないの?トラックゲーじゃん」になるわ。
ジップラインにフローター乗せて仕上げはダッシュスケルトンでガシャガシャ走り回れてるから「歩荷も強いなあ……つうかジップラインしまくればもうトラックとかいらねえな」ってなるわけじゃん。
これ作ってる時に誰も指摘しなかったの?
それとも全部コジマが聞き流していざ不評が出まくってから「やっぱやろっか」で追加したのか?
五十を過ぎてから、思い出したかのように急に息を吸うことが増えた。
止まっていたのかも知れないし、知らぬ間に浅くなっていたのかも知れない。
深呼吸のようなゆっくりなものではなく、びっくりした瞬間の勢いのような感じでそのまま吸い続け、深呼吸のように息を吐き出す。
書類に目を落としている時、テレビをぼーっと眺めている時、パソコンで今日の出来事を斜め読みしている時、本当にふとした時に起こる。
そうすると決まって、飼っていた犬が死んだ時のことを思い出す。
社会に出てもまだ実家ぐらしだった時、残業が終わってそのまま同僚と飲みに出て日付が変わる頃家に帰ると、苦しそうにする犬を母親が目を真っ赤にして励ましながら撫で続けていた。
すでに20年を生きた一匹の家族は半年前くらいから急に弱り始めた。
医者に見せてもできることはなく、弱っていく姿をただ見ていることしかできなかった。
ここ数日は横たわったままで呼びかけに小さく目を開ける程度だったのが、今日になって急に苦しみ始めたらしい。
翌日休みだったこともあり酒に任せてそのまま眠るつもりだったが、さっさとシャワーを浴びてから自分も犬の横に座り負担にならないように撫で始めた。
呼吸が段々と細くなってきたようにも思う。撫で始めてから1時間くらいだろうか。
一匹の家族は突然大きく息を吸うと、それを吐くことなく動かなくなってしまった。
その時の息の吸い方にとてもよく似ているのだ。
今はまだ自分の命は高い位置を飛んでいて、エアポケットのような落差があってもそれで死ぬことはない。
でももし命が水面すれすれの低いところを飛んでいた時、こうしたちょっとした下振れでその線を越えていってしまうのかも知れない。
そんな呼吸のように思えた。
いや、本当にこの命は高い位置を飛ぶことができているのだろうか。
昨日の酒せいかスポンジでできたアスファルトの上を歩いているようなふわふわとした感覚で店を目指す。
トラックが直付けできる無骨な冷凍庫の扉を横目に店の奥に向かって「氷を下さい」と声を掛けると、個人客には興味がなさそうに「何にお使いでしょう」とぶっきらぼうな声が返ってくる。
「飼っていた犬が」
ここまで口にした途端、涙が溢れて嗚咽が止まらなくなった。
今日、片道一車線の道路を車で走ってたらデカい猪がうりぼう引き連れて右手側の雑木林からから飛び出してきた。
こっちは買ったばかりの新車。
対向車との距離的にギリギリ行けると思って対向車線に避けてすぐに車線戻したんだ。
そしたら後ろの車が猪みて急ブレーキかけたらしく、さらに後ろの車と衝突。
対向車線の軽も俺の動きを予想できなかったらしく急ブレーキかけたところ後ろから来てるトラックに後ろから潰されて、トラックが軽の上に乗り上げてた。
こっちは動物にもぶつかってないし、他の車との衝突もなかったからそのまま走行して帰宅したけど、帰ったら俺も悪かったんじゃないか、あとでしょっ引かれるんじゃないかと不安でしょうがない。
でもどうすりゃよかったんだ。
こっちは清水の舞台から飛び降りて買ったピカピカの新車でガードレールにぶつけたり、ましてあんなデカくて牙生えてる猪にぶつけるなんて絶対無理。
せっかく仕事納めて実家に帰って、両親に優しく出迎えられたのにガクガク震えてる。
どうしようもないよな?
アカデミアは本当に終わりなのかもなと思えてきた。
競争的資金まわりや予算削減とかの話題のときには「我々は人類の知への貢献を担っているのに!」と言いつつ、ワークライフバランスだの子育てだのの話題のときは「我々は単なる雇われサラリーマンのようなものであり特別ではない普通の人間」と言いだす。「厳しい査読をクリアして論文を出版している」「厳しいテニュアトラック審査を通過してポジションを得たのである」(だから偉い)と主張しているが、それは本当に「人類の知への貢献」なのかどうかについては口をつぐむ。酷い奴になると「自分は論文を出すのが責任である。査読ゲームが意味のあるものかどうかは査読者の責任」とか言い出したりする。
サラリーマン的な保護された生き方をしたいということなら、それは普通の人たちであるということだからアカデミアの特権的な社会的立場は捨てなければならない。民間企業なら儲からない事業(アカデミアなら学部や専攻や研究室)は撤退して配置転換もするし、失敗すれば責任を取って降格やクビや左遷もあるということだ。そういった「普通」になることを暗黙的に拒否しつつ特権的な社会的立場は維持しながら社会的に保護されたいということを要するに言っている若い(あるいは若くない)アカデミシャンが増えており、そこには「人類の知への貢献」という建前はもはやない。「論文を出しているのだから貢献である」という子供のようなロジックは民間企業ですら通用しない。
極め付けは「このままではアカデミアは衰退し無くなってしまうぞ」という脅しだ。収益を挙げられない、掲げた存在意義を達成できない民間企業は潰れて消えるだけである。その従業員が「このままでは俺たちの会社は潰れるぞ」と訴えたところで社会は「そうですね」としか言わない。サラリーマンになるというのはそういうことである。アカデミアは関係者の希望通りにサラリーマン化し、意味のない目的を掲げている、あるいは掲げた目的を達成できないサラリーマンであるということでつつがなく消えていくのかもしれないと思うようになった。