はてなキーワード: 喰いタンとは
はじめはリーチしか使えなくて、というかリーチ以外を使おうとすると大体あがれない状態からはじまって。
次に「役牌を鳴く」って技を覚えたらリーチしかできない時よりちょっとだけ楽しくなって
その次あたりに「タンヤオ」「喰いタン」覚えたら役牌無くても鳴けて一気に自由度広がるじゃん。
その辺りでうっすらと牌効率のパッシブ取得してさ、しばらく雀魂の胴の間あたり満喫して
攻撃面はこれでいいから次は防御だと「ベタ降り」覚えて、ついでに「ダマテン」も会得してさ
今は「筋読み」を覚えたいなと思いながら銀の間で遊んでる。楽しい。
「ピンフ」はまだ覚えてないけど。
あと「点数計算」とかまったく覚える気配もない。
みんなのランキングにこのジャンルの漫画が少なくて…(というか誰も挙げてない…?)
急激に増えたジャンルだし、オールタイムベストとかに出てこなくなりがちですよね…
なら自分で書いちゃえ、です。
片っ端から読んでるので話題作・有名作品は大体読んでると思います。
30.半助喰物帖
26.ダンジョン飯
25.そばもん
22.リトル・フォレスト
21.陋巷酒家
20.まかない君
18.甘々と稲妻
17.作りたい女と食べたい女
16.舞妓さんちのまかないさん
15.琥珀の夢で酔いましょう
14.鍋に弾丸を受けながら
13.花のズボラ飯
8.花と奥たん
6.らーめん才遊記
4.クッキングパパ
3.きのう何食べた?
2.ネイチャージモン
1.鉄鍋のジャン
・寺沢大介は1作品にしました。喰いタン、寿司2、味っ子、寿司(全国大会編含む)の順で好きです
・「ゴールデンカムイ」くらいの頻度の物は除外。線引は曖昧です。
・バトル少ないのは完全に好みの問題です
//追記
・明記してなかったんですが「好きな作品」30選です。
//追記2
・反応多くて嬉しい。ジャンやジモン面白いよね!反応0だけどよなよな餃子最近のイチオシです
・茄子は料理カテゴリの認識じゃなかったけど、大好きな作品です。アサディジョ漬けが妙に美味しそう。
・ブコメだと「ねむらない街の喫茶店」「ハッスルで行こう」「肉極道」「冷蔵庫探偵」が未読でした。読んでみます。
・趣味は料理で再現も良くやります。レシピは何食べが一番良く使う。次点でクッキングパパ。あとめしにしましょう(というかパル)も一杯作りました。
だからやらない、で終わりたいのだが、今流行りの雀魂で3人麻雀がやたら人気なのが、個人的にイラッとする。
そりゃ3人打ちは役が作りやすい、ゲーム展開が早くて短時間で終わる等の点で手軽に楽しめるという意味で、ソシャゲとの相性は4人麻雀よりいいんだと思う。
でも「麻雀がそんな簡単にアガれてたまるか」「役満はそれだけで一つの奇跡」と思っていて、喰いタンすら許せない自分としては、このメリットが全てデメリットなわけ。
ぶっちゃけゲーム展開が早すぎる上にスコアが乱高下しまくるので、体感的には完全に別ゲーってか、俺の知ってる麻雀じゃねー感がやばい。
自分が4人打ちでも結構緊張させられるレベルのヘボなのが悪いのかもしれないが、ヘボなりに楽しんで初歩を覚えた大昔の原体験を否定されるみたいな感じもあって、ちょっとしんどい。
つーか誰だよ、3人打ちなんて余興にもならない、クソな遊び方を最初に考えたやつは。
そもそも麻雀自体、プレイ時間かかりすぎるわ、点数計算難しすぎるわ、役覚えるのめんどくさすぎるわ、しまいには「健康麻雀」という言葉ができるくらい酒タバコギャンブル臭が半端ないわと、どこまでも現代的なゲームじゃないので、今どきのゲーム界隈では傍流止まり。
そして筆者も、ゲームを通じたコミュニケーションツールとしての麻雀が消えかかっている頃(「麻雀やる?それともぷよぷよ?」の二択だった時代)に覚えた上に、正直言って下手である。
まあでも
「序盤全力でツッパってアガれないならベタオリが無難」「てか基本アガれません」「一回も振り込まず、満貫以上で一回アガっときゃ大体勝てる」「門前早打ち路線かつ、無闇に鳴かないほうがいい」「デカい役作ってそうな家があったら役牌で潰せ」「喰いタンねーわ」
くらいは、どうにか理解していたり。
それでも、上手い人とやるとオリきれずに振り込まされるとか日常茶飯事なので、麻雀はムズい。
つまりヘボはヘボってこと。
アレの何が楽しいんだ?と思わされる。
もうね、四人打ちとはゲーム的に別モン。
まず驚くのは、ゲームの流れの早さ。ありえないレベルで早い。四人打ちと比べたらあっという間に決まってしまうと言っていい。
加えて、大きい役がバンバン出るのにもビビる。麻雀ってそんな簡単に倍満跳満とか出るんだっけ?という感じ。
だから四人打ちとは逆に、強気に打つなんて絶対に無理。とにかく慎重に慎重に…となって神経すり減らすことおびただしい。
よく「サンマは手軽だよー」と聞くけど、個人的には全然手軽じゃないどころかおっかないし、遊んでいて目が回る。
人数を合わせるため、俺たち兄弟は一蓮托生ということにした。
「じゃあ、マスダが4位の場合は弟くんも4位ってことか」
「そうだ。3位以上は買出し組になる」
「え、それでいいの?」
「まあ……元はといえば、今回の集まりもこっち側の提案だし、それ位の“ハンデ”は背負うさ」
俺はあえて歯切れの悪い物言いをした。
「マスダたちが3位の場合は? ジャンケンで兄弟どちらかが残るって感じ?」
「んー、そうだな……」
ちゃんとした台本が用意してあるわけじゃないので、このあたりはアドリブ次第である。
「“なしなし”がいい?」
「いや、“ありあり”でいいだろう」
「じゃあ、サイコロ振って」
麻雀の取り決めには様々な“あり”と“なし”があるが、仲間内のお遊びでこれらを細かく確認することはない。
“ありあり”とした場合、面倒なので他のものも“あり”とするのが俺たちの中で暗黙のルールだった。
例えば、頼りない照明しかない、このような場所で麻雀をやる場合は“イカサマもあり”となる。
つまり今回のルールは喰いタンあり、役の後付けあり、赤牌あり、ピンヅモあり、喰い替えあり、イカサマありの“ありありありありありあり”……
舌を噛みそうなので、俺たちは気取って“ブローノ・ルール”と呼んでいる。
ちなみに、ここでいう“俺たち”とは“俺と弟のみ”を指す。
もちろん“イカサマあり”を知っているのも“俺たち”だけだ。
麻雀をやったことがあるならば、誰しも一度は考えたことがあるだろう。
運要素の強いこのゲームで、果たして打ち手の強さがどれほど関係するのか。
一説には、麻雀に勝つのに必要なのは運であり、負けないために必要なのが実力だ。
そのどちらもコントロールできるのがプロだが、素人の俺たちはもっと泥臭くやるしかない。
「カン……よし、ドラ4だ」
牌のすり替え、積み込み、出来ることは何でもやった。
少し練習した程度の拙いものだったが、この暗がりだからバレることはない。
更に、みんな夜更かししているから頭が回らず、視野も狭まっている。
多少、露骨にやっても誰も気づかない。
「それロン」
「えー、マジかあ」
「マスダ早いなあ」
もしバレた場合、交友関係に新年早々ヒビが入るという相応のリスクを背負っているからな。
それに、これはこれで神経を使うし、楽勝ってわけにもいかない。
あんまり目立つような勝ち方をしたら疑われるので、適度に手を抜く必要がある。
そのためには、相手の手牌を把握することが肝要だ。
「あ~暇だな~」
俺たちが打っている間、弟は退屈そうに、いかにも落ち着きのない子供といった感じで山内を歩き回る。
「日の出まだかな~」
その手には双眼鏡が握られているが、覗き込んだところで見えるはずもない。
「ねー、次は打たせてよ……」
「……この局までは待ってろ」
こうして相手の手の内を見たら、俺たちにしか分からないサインでそれを知らせる。
傾向さえ分かれば十分だ。
「ちぇ、そっちがきたか……マスダ、それロン」
そんな調子で派手さこそないものの、終わってみれば俺たちが1位だった。
うちの実家には親父の雀牌があった。
しかし、私が知る限りその雀牌で麻雀が打たれたことはない。子供の頃はその理由がわからなかった。
私もある程度大人になり、ネット麻雀を通じて麻雀を覚えた。私が麻雀を覚えたことを知った友人たちは時々私を麻雀に誘うようになった。
友人同士の麻雀でお金をかけることはなかった。ネット麻雀で覚えた私は、牌の配り方や取り方、王牌の作り方などを教わりながら、聴牌しても自分で判断しなければならないリアル麻雀におっかなびっくりしていた。しかし、友人の家にある雀牌を見て、うちの雀牌はちょっと凄いのかもしれないと思うようになった。
まず、実家のは背面が竹でできている。そして、全体的に角が削れている。これはあらかじめそういう形ではなかったことが明白である。なぜならその雀牌には花牌という普通の麻雀では使わない牌も付いており、その花牌と他の牌では角の丸みに明らかな差があるのだ。これはプラスチック製では現れない使い込まれ方だ。
これ、もしかして今は手に入らない象牙製なのかな?と思って、ある日親父に訊いてみた。親父は笑って、「そんな高級品うちにはねーよ」といっていたが、実際どうなのかはわからない。
重ねて親父に訊いてみた。「なんで今は麻雀しないの?」そしたら答えはすぐに帰ってきた。「もう面子がいないからなぁ」と。そんな寂しい理由でもうこの雀牌は使われないのだろうか、そう思ったらつい、じゃあうちに友達呼んでこの雀牌使ってもいい?なんて訊いてしまった。が、ダメだとあっさり言われてしまった。その答えにブーイングをしたら、親父は笑って言った。「その雀牌、ガン牌ができるからな」
雀牌をよく見ると背面の竹と本体の接合部分が割れていて、接着剤で修正されているものが多い。確かにこれは少し頑張れば簡単にガン牌ができてしまうだろう。
そうか、もうこれでこの雀牌はお役御免なわけだ。だから子供が上海で遊ぶくらいのことにしか使われていないのか。子供の頃からの疑問に納得がいった。
今度は父が私に話しかけてきた。ネット麻雀で覚えたんだよ、と答えて私がよく麻雀を打ちに行くサイトを教えると、そうか、じゃあ俺もやってみるかな、と、父がたどたどしい手つきでパソコンに向かい始めた。
そして色々教えた結果、父は私が普段居座るのとは違う、喰いタン赤牌なしの部屋に落ち着いた。父が言うには喰いタンは邪道だそうだ。
家賃、光熱費で4万、通信費で1万、食費が酒込みで10万以上。
エンゲル係数高い。
パソコン買い換えたいしスマホももうボロボロ。貯金増やしたい。
如何に安く時間をつぶすか、でツイッターとかはてブとか見てたんだけど、今は、
無料漫画に限りがあり、ミスター味っこ、将太の寿司、喰いタンを読んで今はザ・シェフ読んでる。パタリロの無料期間が即終了してしまったのが悲しい。
スロパチステーションと1game。どうやらいそまるとてつさん以外の演者は受け入れられない。
そこそこコンテンツあるんだけど、今更なーって。グリッドマンとか今やってる奴と、古めのアニメを見たり見なかったり
・ゲーム
スマホゲーやる気は全然ないから、面白そうな旧作で1000円ぐらいのやつ探してamazonで買ってる。50時間とかプレイできるとコスパはなかなかいい。
前提として、私は元々アニメ・マンガ・ゲームが大好きな所謂二次元のオタ。
そんな私が一番ジャニーズの音楽を聴いてたのは小学校中学年〜中学1年生あたりで、ちょうどジャニーズがドラマの主演・主題歌に抜擢されることが多かった時期。あと「学校へ行こう!」とかも見てた。
その頃は見ていないと次の日学校で話題についていけないタイプの番組のような認識もあって、もちろん楽しんで見ていたけどファンになるほどの熱意はなかったような感じがします。
そのまま中学に上がって、二次元に目覚めてしまったので芸能人に対する興味は右肩下がり。
頻度は減ったもののテレビは見てました。でも、友人とはテレビの話題はめったにしてませんでした。
というのも、中学に入ってから周囲にジャニオタの子が増えたんです。テレビの話題はそういう子達のグループがしてた記憶。
その子達の熱意はほんとにすごくて、もう別世界みたいで、ジャニーズってすごいんだな!とただただびっくりしてました。
そういう趣味は完全に自分とは別世界という認識のまま大学生になったある日、昔見ていた「学校へ行こう!」が久しぶりに帰ってくるというのを知りました
懐かしいなあ〜と思って見始めたんですけど、小学生の頃の記憶なので案外覚えていないことが多い上に見た期間もわりと短くて、かなり新鮮な気持ちでした。
で、「V6ってこんなに面白いグループだったんだ」と思って、そこで少し気になり始めました。
それまではV6といえば、「学校へ行こう!」の修学旅行とかブルーベリー狩りのトレス動画をよく見るなあくらいの認識でした。
それ以降、そういえば・・・と思う事が重なってきたんです。
当時観てた「喰いタン」「ランチの女王」にも出てて、「清盛」でかなり癖のある平時忠役やってたの森田くんだった。
アメトークのボーイスカウト芸人、芸人じゃないのに出てるの長野くんだった。
ディズニーで一番大好きなターザン主題歌の日本語バージョン歌ってるの坂本くんだった。
大好きだった「犬夜叉」も「ごくせん」も、第1シリーズの主題歌歌ってるのV6だった。
学校へ行こう!の記憶が強かったけど、実は個々での活動をよく見ていたし、曲だってけっこう小さい頃から馴染みがあったことに気づいたんです。
個人的にはターザンとFeel your bleezeのことを思い出した時の衝撃?が特に大きくて、俄然気になりだしました。
とりあえずCDだ、と思ってSUPER Very bestを買って聴いてみたらもう全部好きでびっくりして、その勢いでグループについても調べたら私が生まれた年にデビューしていて二度びっくり。
なのにバラエティともなるとあんなに面白いなんて、こんな魅力的な人達が存在していたのかと。
坂本くんの色っぽく伸びやかでどんな曲でもハマる全てを兼ね揃えた歌声、
長野くんのしっとりと優しくて穏やかな気持ちにさせてくれる歌声、
森田くんの心地よく、キャラメルボイスと名付けた人は天才か!と思うような歌声、
三宅くんの一度聴いたら忘れられない、かわいい中に色気もある耳に残る歌声、
岡田くんのホッとするような、まっすぐな癒しと爽やかさに溢れる歌声。
更にトニセンならカッコイイ大人の代名詞か!と思わせてくれる色気と爽やかさの中に積み重ねてきた色々なものを感じさせる曲になるし、
カミセンなら特徴的な3人の声質が抜群に効いたカカオ70%前後っぽいスイートビターなアイドル全開の曲になるし、
それだけじゃなくどのコンビで組んでも本当に素敵な曲になるのがすごい。これ以上言葉がもう出てこない。
ちょこちょこと他のCDやDVDも揃えつつ、TVや雑誌のスケジュールもチェックして見て。FCは社会人になったら入りたい。
デビューして20年以上、同じメンバーでこれだけ高いクオリティの歌とダンスを続けているのってすごいことなんだ!と思います。
ダンスとか疎いけど、V6のダンスハチャメチャにかっこいい。何回でも見れる。
もっと早くに生まれたかったとは言わないけど、もっと早くにこの魅力に気付けていれば・・・とかつて三次元に見向きもしなかった自分に後悔したり。
大きな趣味だった二次元オタク活動でしんどいことがあったり、将来のことでいろいろ悩んでいる時期にはまったのも大きかったかも。
まだしっかり聴いていない曲もある身で言うのもあれなんですが、V6の曲って、世界とか愛とか壮大なことよりもっと身近な未来のこととか、そんな中での夢とか希望、明日も頑張ってみようよ、と思わせるような楽曲が多いような気がするんです。
それを聴いていると本当に勇気が湧いてくるし、「あ〜〜〜生きよう!!!」ってなります。助けられてます。
ROCK YOUR SOUL聴いてイライラをぶっ飛ばしたり、
by your sideを聴いて脳内で乙女ゲー原作アニメのOP映像みたいなのを想像したり(乙女ゲーマーの業かもしれない)、
まだまだファンになりたてなので、ファンの方の親切なブログを読んだりして色々教えてもらいながら、V6を応援していきたいなと思う今日この頃でした。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の料理漫画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「料理漫画にはまったく興味ないんだが、しかし自分の料理漫画趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない料理漫画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、料理漫画のことを紹介するために
読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に料理漫画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あと、いくら料理漫画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
チャウ・シンチー好きが『食神』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
料理漫画知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ドラマ版味いちもんめ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「味っ子以前」を濃縮しきっていて、「味っ子以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも20巻前後だし。
ただ、ここでアニメ版の今川監督の演出トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「チャンピオンオタが考える一般人に受け入れられそうな漫画(そうチャンピオンオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「チャンピオンオタとしてはこの二つは“バトル漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボンボン読者が持ってる料理への憧憬と、秋元康のデブオタ的なお菓子へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもジャリ向け漫画的な
「とりあえず混ぜれば上手くなるだろう」を体現するリトルグルメ
「ネタが尽きたのでシリアスな設定にしよう」を体現する後半のトーナメント
の二つをはじめとして、クソ不味い料理を作中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ブラックジャックだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが漫画ゴラクでは大人気になったこと
日テレなら実写テレビドラマになって、それが東山紀之主演になってもおかしくはなさそうなのに、
また東山紀之主演で同じ枠に料理漫画の『喰いタン』がつくられたこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり雁屋哲は左翼のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「野望の王国」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるオーストラリアへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも合計六回、っていうオーストラリア勝負が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「オーストラリアの歴史語り」ということへの諦めきれなさがいかにも左翼的だなあと思えてしまうから。
オーストラリアに関する、左翼的歴史観の語りを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
MASTERキートンだったらきっちりコミックス一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて六回もオーストラリア勝負を書いてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきた歴史が捨てられないサヨク」としては、たとえ雁屋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で包丁人味平読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
スーパーくいしん坊よりも前の段階で、ビッグ錠の哲学とか料理技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの料理漫画がジャンプでこの時代に連載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく料理漫画好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるBLACK徒然草でしかビッグ錠を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
久住の「目」あるいは谷口の「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「生きる為の食事を毎日食べる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『孤独のグルメ』特別編は病院食以外ではあり得なかったとも思う。
「食事シーンは祝祭化されてる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は孤独のグルメにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう昔のテレ東が番組編成の時期にやる大食い対決をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
味っ子から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、EDに食事のシーンはあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。