はてなキーワード: 原体験とは
保育園のころの担任の先生が結構性格キツめの女の人だったんだけどさ
普段の言動もちょっと圧があるというか、子どもながらにちょっと苦手意識あったし、給食で嫌いなおかず出ると目の前で完食するまで昼休みお預けだし、それでも食べられない時はタッパーにおかず入れて家まで持ち帰らせれたりとか、親からもちょっとキツい人だよね〜って言われてた
先生には赤ん坊がいて、一度だけ保育園に連れてきたことがあったんだけど、昼休みに赤ん坊抱っこして隅っこで何かしてるなーって思ってぼけーっと見てたんだけどさ、どこか顔つきが普段の感じとは違って優しげな感じで、いつもと違う様子が気になって近づいてみたら、胸の部分開けだしておっぱいあげてたんだ
先生は自分が近づいて来ても別に気にするでもなくおっぱいを飲ませ続けてたんだけど、赤ん坊に語りかける口調とか眼差しとか、普段の園での先生じゃなくて母親って感じで、幼いながらにそのギャップに心打たれて、ずーっと先生のおっぱいに釘付けになってた
その時猛烈に勃起して頭に血が上ったかのように顔が熱くなったのを覚えてる
それ以来、おっぱいをしゃぶる行為に猛烈な興奮を覚えるようになった
案外幼少期に自分の嗜好とかって決定づけられるもんなんだな
非モテ男に言わせると、非モテを原体験とするような異性嫌悪は必ず前提に同性側のロールへの倦厭があり、自分に謎ルールを押し付ける同性DQNはバカ→それを持て囃す異性もバカという順序(逆ではない)がある
女の側もそんなに変わらんなあと思って途中まで読んでいたら
・可愛い服を身に着けていいのはカーストトップオブトップの女子だけ、中途半端な女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない
世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手にカテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた
このあたりでぶっとんでしまった
非モテ男としては「アホDQNと女」 「硬派な俺ら」に世界を切断して我が領土の平穏を確保した後は面倒なだけの恋愛規範は丸ごと彼岸のものとして押しやってしまうのが当然自然な心理機序だと思っていたからである
非モテ男グループの仲間がちょっと色気づいてチャラついた服を着だしたからといってわざわざ叩くなど思いもよらないし、それで交際を始めたら寂しいかもしれないがそうですかと送り出すだけだろう
よく非モテ男に投げつけられる罵倒の語彙の一つに卑屈があるが、これこそ卑屈、ルサンチマンの欠如、革命精神の敵というほかない
といっても、首席卒業クラスの上澄みレベルをdisるつもりはない。
あくまでアマチュアの自分が教室の先生とか、最近だったら主に配信とかでお目にかかれる、いうなれば「量産型」卒業生のお話。
自分が習っている先生は3人目(社会人向けレッスン)だけど、幼少から高校まで習ってた1人目と2人目は藝大卒の人。
これが原体験にあって、かつ藝大卒を自称する配信者の演奏を見た感じ、ホントにこの学校出身の人って、根本が驚くほど似通っているというか、弾き方に共通点がある。
とにかく
この弾き方のメリットは、普通の人から見たらわかりやすく上手に見えて、すごい!という評価をもらえることだろう。
そして大抵の場合はそれでいいじゃん、いやそれが大事じゃんになると思う。
だから自分がこれから書くデメリットは、正直かなり逆張りな自覚はある。
ということで、上掲の弾き方の問題点を挙げると
もちろん上に書いた弾き方を出発点にして、表現の繊細さを極めるのは不可能じゃないと思うし、それを実現できている人もいるにはいる。
でも、何をどう聴かせたいのか?という根本部分を置き去りにして、最初からやたらと正確さと音の大きさだけを是とする価値観を主軸にするのは、表現として不自然過ぎるでしょっていう。
何より表現を突き詰める過程で、このままでは伝えたいことが伝わらない→伝わるよう正確に弾こう、いや弾けなきゃ気が済まない!というのが本来の上達の流れなわけで、
そういう順序も踏まえずにいきなり正確に弾け!とか、習う方からしたらなぜそんなに厳しくツッコむのか理解できないので、苦痛でしかない。
結果、こういう超面倒な技術習得ありきのプロセスに過剰適応できた人しか生き残れないし、そういうタイプの人が、後から細やかな表現を磨くのは並大抵のことじゃないというのは、この学校出身の人の演奏の多くが、
音程だけはやたら正確だけど、それ以外はインパクトだけの大味な表現だったり、細やかさを実現していてもどこかわざとらしい(≒不自然さが抜けてない)音になっていることで証明されていると感じてしまう。
ちなみに自分はそういう価値観に嫌気が差したことや、何より身体に対する負担が大きすぎてこのままでは先がないと判断したことで、より古典的な弾き方に回帰し、音大受験レベルの曲をさらいつつ楽しくやっている。
即ち
その結果、今は自分の弾き方に近い音を出してる人が多い、桐朋出身のヴァイオリン奏者をいいなーと思うようになった(習ってる先生は桐朋出身じゃありません、念の為)。
なお桐朋出身のソリストで、サイトウ・キネン・オーケストラのコンミスも務めた故・潮田益子氏は生前
独裁者みたいな現場を仕切ってるやつ(以下Nと呼ぶ)がいて、そいつに気に入られない人間は徹底的にパワハラを受ける職場だった。
当時まだ経験も少なかった俺はNには相手にすらされてはいなかったが、俺の直属の上司がなにかのきっかけで独裁者に嫌われたようで、その結果しばらくして飛んでしまった。
すると今度は俺が突然的にされてしまい、そっから地獄みたいになっていった。
上司が飛んだ時は自分の担当部分にはすでに色々な遅れが生じてた(嫌がらせでそうなってた部分も多かった)ので
Nには「帰ってもいいよ、この状況で帰れると思うなら」みたいな感じで言われた。
今思えば「帰れると思うので帰りますね」とか言ってそのまま辞めればよかったとつくづく思う。
でも当時の俺は要領が悪く、家に帰る勇気もなかった。
いや、正直言うとその時点ではもう判断能力が落ちていたんだと思う。そして家に帰るという気力すら失っていたと思う。
記憶が曖昧な部分が多いが、夜中まで仕事して3~4時くらいに机の下で丸くなって寝る、朝礼が始まったらぼんやりした頭でなにか話してるな~って感じで聞いて、昼くらいまでぼんやりしたまま仕事をする。
昼にビル内の店で昼飯を買って、そのビルに入ってる企業が使えるジムでシャワーを浴びる。下着は使い捨てにして、何枚かの服を時々ランドリーで洗ってローテーションしてた。
その後は深夜まで黙々と仕事する。夕飯はデスクで食べてると独裁者に「よく飯とか食ってられるよな~」みたいな嫌味を少し遠くのとこで、取り巻きに語る体でこっちに聞こえるように嫌味を言われるのであまり食べなかった気がする。
夜中は人がいなくなるからそん時に食べていたと思う。
家には月1くらいは帰っていたとは思うが、なぜかそこらへんの記憶が抜け落ちてる。曜日感覚も失ってる感じだった。
しばらくは仕事だけはとにかく頑張ってやろうとしていたが、途中からはもはやその気力も失っていて、一応やりはするんだがパフォーマンスとしては本来出せる力の半分にも満たなかったと思う。
惰性でただそこにいるだけでもはや自分がなにをしてるのかもよく分からなくなっていた。
会社としてそんな役にも立たなくなった人間を置いておく意味なんてないと思うんだが、なぜかクビにされるでもなくそんな状態で仕事は続いた。
3~4ヶ月くらいそういうのが続いていたか、ひょっとしたら半年くらいだったかもしれない。
終わりとしてはそのプロジェクトが終わるということになり、そのタイミングでNに辞めますと伝えた。
Nは最後まで冷たい目で俺を見ていて、その時もニヤニヤしながら「ああそうなんだあ 今更かあ笑」みたいな事を言って自分の取り巻きにも誘い笑いをさせてた。
本当に、今の俺なら間違いなく「人としてクソすぎて笑っちゃいました」とか「お子さんかわいいですね写真見ました」とかとにかくなにかしら捨て台詞くらいは吐いてると思う。
ただ当時の俺はあまりにショボくてなにも言えなかった。黙って睨みつけるのが精一杯だった。
仕事を辞めるというときに、好きだった音楽をもうずっと長い間聞いていないことに気づいた。
BUMP OF CHICKENというバンドは知らなかったんだけど、そのタイミングでなにかで一曲きいて良さそうだなと思ってたのでアルバムを買ってみた。
で、職場に最後に行った時の帰り道に聞いたのが「ギルド」という曲だった。
とりあえず汗流して 努力をしたつもりでいただけ
悲しいんじゃなくて 疲れただけ
奪われたのは何だ 奪い取ったのは何だ
美しくなんかなくて 優しくも出来なくて
それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか
バンプのアルバムは良い曲がたくさんあったが、この曲を聞いた時に涙がポロポロこぼれてしまった。
酷い目にあったという恨み、それを打破できず負けてしまった自分への怒り、色んな気持ちが溢れて涙が止まらなかった。
焦って路地裏に入りフヒフヒと泣いたのを今も覚えてる。
この曲の歌詞の解釈としては単に働く仕事の歌ではなく「人間という仕事」という、人間が生きることそのものを「仕事」と仮定した詩的なものだと思うんだが、
当時仕事の場で自分の人間性まで否定されたような気がしていた俺にはダイレクトに重なりすぎた。
しかしこの曲のおかげで俺は勇気をもらえた。それはこれくらい暗い気持ちを歌詞にできる人がいるんだなと思ったからだ。
希望を見出だす歌詞でもあるんだが、その前提としての視点が「どん底にいる自分」としてもろ重なったのだ。
それから社会復帰するまでは何ヶ月も引きこもっていたんだけど、時々この曲を聞いていた。
この曲で生きる希望が湧いたとかそういう話ではないんだが、自分の中にあるふつふつとした得体のしれない暗いものを描写してくれてるようで、そこに安堵があった。
今はこの曲を聞き返すのはなかなか難しい。聞くと泣けてくるしどこか恥ずかしさもある。
トランプが大統領になったときだって、「オバマはケニア生まれで大統領の資格はない」とか、「ヒラリーは嘘つきだ」とか、そんかスキャンダルばかりだったじゃん。
トランプの選挙活動っていったら、野球帽作ったりTシャツ作ったりだったじゃん。
ほんと、政策なんかどうでもいいの。
トランプが国境に壁を作るとか言ってたのと同じように、所沢あたりに関所を作るっていっときゃOK
なんでもわかりやすいのがいいんだよ。
有権者は石丸伸二と石丸幸人の違いだってわかんないんだから、政策アピールするのなんか無駄。
関所はやりすぎでもさ、埼玉県民のせいってのはなかなかいいよ。
都民が家買えないのはのぼってくる埼玉県民のせいだから、10年以上東京に住所があると家買いやすいようにするとか言えばいいんだよ。
どうすりゃいいか知らんけど、そういうのはアタマがいいやつらに任せて、埼玉ヘイトを叫んでおけばいい。
都民が近所にある大学に通えないのは、学力が高いだけで調子に乗って上京してくる田舎もんのせいだから、東京にある大学は都民枠作れとか、そんなんでオーケー。
石松某氏や石丸某氏に票を入れた若者を叩く風潮はどうかと思うぞ。
なんかそういう、知識人(ぶった)連中に馬鹿にされる原体験って、けっこう根深いわけ。トランプ大統領誕生って、そういうのの積み重ねが原因だと思うよ。
まあ石丸伸二も冷笑系でどうかと思うけど、敵対勢力をどんなに小馬鹿にしたって信者は喜ぶだけで離れないわけだし、あの姿勢も正解じゃないかな。
なんていうか、気が熟してなかったというのと、やっぱり資質が足りなかったんだろうな。
石丸叩きとか、立花孝志叩きが、いい感じに若者の反骨精神に火をつけて、四年後にもうちょっといい役者が登場すれば、きっと面白いことになるよ。
橋下徹みたいな人物、ちょっと違うな、アイツは賢すぎる。もっと、騒ぐだけの、小泉純一郎みたいな感じのほうがいいのか、いや小泉も違うな。
やっぱり石原慎太郎かな。
死んじまったけど。
あれをもっとアホにしたようなキャラがそのうち都知事になるよ。
傲慢そうだし。
あるいは、この経験があったからのちの体験にスムースに繋がったとか。
ゲームボーイってあっただろ?
多分、人生におけるポータブルなデジタルデバイスの原体験ってあれだったと思う。
持ち運び出来て、画面を見ながら操作することを当たり前のこととして捉えるための原体験。
それがゲームボーイだった。
あれがあったから、その後の技術革新で登場した液晶付きの携帯電話、さらにその後に登場したスマートフォンなども違和感なく使うことが出来た。
思うんだけどね。
もしもバーチャルボーイが成功していた世界線というものがあったとしたら、その世界ではもっと仮想現実のためのデバイスが普及していたんじゃないかと。
人々が違和感なくゴーグル越しに世界を見ることを受け入れていた原体験を持っている世界。
そういう世界ではもっともっと仮想現実デバイスが売れていたと思う。
新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分の気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。
「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」
30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強に熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。
人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生の出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分の意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切りに人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティーの人生の責任は取れない=つまり全ての最終決断はケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)
Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループの広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所やグループには出来るのになぜ出来ない?の世界の不思議をいつも彼なりのアイデアで解決してきたし(それでも出来ない/私たちがやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)
ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループの中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまったからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちだけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます
公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティー、アイドル、芸能界に限らない人間の普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断はきっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)
繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手な憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロで活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロで活動する、だったのかもしれません。
とはいえ、中島健人がいるグループのファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループのエースである中島健人と共に。
そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプルな私たちのメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字やそれからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)
それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドル⇔ファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情得たことがないのでいかに彼らの存在が自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、
我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、
※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※
私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。
その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。
今や社会人としてビジネスにおける数字の重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメの世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファンの雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDやDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしまい担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています、推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!
Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンス、MCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー、自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体(テレビ)が絞られていた平成の時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味で国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手な確信のようなものを持ってしまっていたのでした、
最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、
一昨年のマリの卒業はその過程(発表〜カウコンの卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間で証明してくれたのではないかと思っています。
だからこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由や意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います。
また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉)
本人は発表翌日ドラマの宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身の言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドルの方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zoneが卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。
一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたはSexyのアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)
前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループの温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります。
※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※
私は中学高校と体育会系の部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春をシンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的やモチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。
部活と仕事(人生)なので根底が全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)
もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知に差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。
表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?
一つ疑問なのは、グループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択をしました。
私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在の事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。
実際に一連の騒動に不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。
彼のいう、1人のアイドル、俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、
と書きながら、最近インタビューや映画にまつわる番組、海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくまで国内と海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断をしたこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、
さて、この簡単に言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います。
こんな長々と書き綴りましたが、
最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタクの本音のひとつをもう一つだけ書いてしまうと、
「やっぱりSexy Zoneがいい!」
「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」
ってお互い言ってもいいんだよ!
まだ許す!許せる!間に合う!
最後の最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。
でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます。
書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。
席替えで3回連続くらいで近い席になったから10分休みや給食の時は結構喋ってたし、
気が合って、話しててすごく楽しかったし、自惚れかもしれないがその子も楽しいと思っててくれたと思う。
俺はその女子の事が好きになった。
だけどその子は他クラスのDQN寄りのイケメンが好きだって言ってて、
「面識あるの?」って聞いたら「出身小学校も違うし話した事無いけど」って言ってて。
なんかそれが凄いショックって言うか、結局顔かよみたいな。
俺はその子と一緒に居て楽しいから、仲が良いから、好きになったのに、
その女子にとっての価値判断基準って言うのは仲が良いとかそういうのじゃないんだなあって。
まあ、よくある話なんだと思うけど、中学の頃なんか自分の周りが世界の全てみたいなところがあったから結構衝撃的で、
結局こんなんじゃ生きててもしょうがなくない?みたいな思考になって、全てが怠くなって学校に行けなくなった。不登校になった。
それくらいショックで辛かった。
(ちなみに当時、自分は担任の教師と異常に折り合いが悪かったので、親とか学校への説明は「担任がダルいから行かない」で押し通した)
今思うとこれが人生初の失恋であり女性恐怖症でありミソジニー的思考である原体験なのかなーと思う。
「まあ、あいつはあんな感じだったけど、世の中ああいう冷たい女ばっかりじゃないだろうし、というかむしろあんなドライな奴少数派だろうし、高校生になればきっと楽しくて気の合う彼女が出来るさ」
なんて考えて、中学3年になったタイミングで学校に復帰し、その後高校、浪人、大学、就職と人生を進めたわけだが…。
だけど、大人になってから、Twitter(現:X)なんかで、女性の「初対面で友達枠と恋人枠どちらに入れるか決まってて、友達枠の男から告白されると引く」とか、
「恋愛対象外の友達の男から告白されるとぬいぐるみからペニスが生えてきたような衝撃を受ける」みたいな言説が盛んになされていて、
むしろあの時のあの女子の感覚って女性の中でのマジョリティだって気付いて女性恐怖症的なミソジニーが爆発しつつある。
女性にとって仲が良いとか一緒に居て楽しいとかそういうのはマジでどうでも良くて、結局顔とか金とかしか見てないんだなって。
その血も涙もない感性が本気で怖いし、資本主義と優生思想に脳を焼かれ過ぎてる感覚が人として嫌気がさして、正直自分の中でミソジニー的な意識が芽生えている。
男はそんな事無いじゃん?
まあネットだと露悪的な書き込みの方がウケるから女は顔とパイオツが全てとか言ってるけどさ、
ブスでも仲が良ければ好きになるのが男だし、友達として一緒にゲームとかして遊んでその流れでセックスっていうのに憧れてる男は相当数いる。
俺自身もその後の人生で好きになった子って全員友達で、一緒に遊んだり話したりして楽しいなって思えた子だけで、
もちろんクラスや学年にはその子よりも顔面偏差値が高い、所謂「学年一の美人」なんかも居たわけだけど、
そういう美人でも友達じゃなかったら別に好きとかには全くならなかったな。
俺個人の話から外れて男全体の傾向で見ても、例えばアイドルなんかでも高嶺の花の韓国アイドルよりもAKBとかの方が人気なのは接触イベントでコミュニケーションを重視した方が男に刺さるって理由だろうし、
握手会なんかで会話を重ねて「仲が良い」と男に思わせる事が男から好意と金を引き出せる証左になっている。
(無論、それを「仲が良い」と思うのは完全なる認知の誤認ではあるが)
最近人気のVtuberも要はゲームしながらダラダラと雑談をする「友達ムーブ」が男の性欲に一番刺さるから人気なのだろうと思う。
まあ男って日本だけで7000万人?とかいるわけだから、そりゃシビアな男も1000万人くらいは居るんかもしれんけど、
傾向的には男の方が情に弱いと思ってて、俺はその中でもかなりウェットな性格をしていると思うんだけど、
そういう俺から見たら女性って本当に冷血でドライで怖いし、性格とか仲のよさじゃなくてスペックや容姿で全てを決める感じが本当に下劣だなって思う。
そういうのも俺が不細工だからそう感じるだけで、イケメン側だったとしたらそんな事一切感じないんだろうが、
だからといって「お前が不細工なのが悪い」なんて言われたら反発したくもなる。不細工の何が悪いねん。悪いのは顔だけで全部決めとるお前やろが。
ギター買って、クロマチックとローポジションのメジャーコードだけ毎日続けて3ヶ月くらい経った気がする。マジで全く何も弾けない。クロマチックとメジャーコードとメジャースケールしか弾けない。
嘘。全くではない。
OMOIDE IN MY HEADのリードギターの方?はイントロだけ弾ける。
深夜高速もイントロだけ弾ける。
Uフレットで星降る夜になったのコードも通しで覚えたけど、コードチェンジが遅すぎて話にならない。
そんな感じで弾ける内に入るようなレパートリーはない。でも弾いてると気持ちは良い。他人が聴いててどうかは知らない。自分で録音してみて聴くのは楽しい。自分大好きだから。
つまみ食いはしてみるけど、コードチェンジが遅すぎたり前後のフレーズはミュートが難しすぎてハゲそうになったりですぐ投げる。
じゃあコードチェンジの練習をすれば良いし、ミュートの練習法を調べれば良いんだけどやらない。ついでにクロマチックとか他のコードも覚えて手癖でジャカジャカやれるようになりたいと思ってるけど、やらない。
毎日やろうやろうと思ってやらない。
でもこんな感じで一度フェードアウトしてギター売った前科があるので、今やってる基礎練習だけは毎日欠かさない。
今日は気まぐれにマルチのプリセットのリードなんちゃらみたいな音で弾いてみた。なんか20th century boyみたいな音だなって思った。
ふとEコード鳴らしてたら、コレ20th century boyそのものじゃんって気がついた。
こんな感じだっけと思ってジャカジャーンって鳴らしてたら、続くフレーズを小指が6弦で自然と探っていて、すぐに見つかった。