はてなキーワード: 美青年とは
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
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この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
了解しました。「ガンダムを見たくないが、内容は知っておきたい」というニーズに応じて、**ストーリーを一気に理解できる要約**を以下にご提供します。
今回はシリーズの中核「宇宙世紀」のストーリーに絞って、**一貫した人類の歴史として俯瞰できるよう**に整理します。
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用語 | 内容 |
**アムロ・レイ** | 初代主人公。人類初のニュータイプ。 |
**シャア・アズナブル** | 天才パイロットであり、ジオンの象徴。理想と狂気の間で揺れる。 |
**ニュータイプ** | 戦争を超えて“心が通じ合える”新人類。でも結局は戦争に使われる。 |
**地球連邦** | 地球側の国家連合。腐敗・独裁傾向が強くなる。 |
**ジオン公国 / ネオ・ジオン** | 宇宙移民の独立国。たびたび復活する。シャアやその弟子が率いる。 |
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テーマ | 内容 |
戦争 | 利権・理想・感情が入り乱れ、終わらない。 |
人類の進化 | 「ニュータイプ」が希望かもしれないが、現実には武器になる。 |
理解と対立 | 「分かり合えるかもしれない」が、「結局殺し合ってしまう」。 |
個人の葛藤 | 誰もが何かを守り、何かを失う。そして壊れていく。 |
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見なくても、これだけ頭に入れておけば、
少し前に見かけた「おじさんになりたい」という旨の増田の投稿が胸に刺さり続けている。
昔から漠然と感じていた気持ちを言語化してもらったかのような爽快感と、つっかかりが取れたことによっての感情瀑布が半端ない。
そうか、私もおじさんになりたかったんだな……と思う。
年の離れた兄が、家に招いた友人たちと馬鹿騒ぎをしているのを羨ましいなーと見ていた幼少期。
優しい兄が「妹も一緒にいていいか」と言ってくれて、混ざってゲームをした事もあったが、当たり前だがいつもの雰囲気ではなくなったと幼いながらに感じた。
時を経て、おじさん達が楽しそうにしょうもない下ネタを交えながら子供みたいにゲームをやってるのを見て改めて感じる。
あ~~~~~いいなー、オッサンになりて~~~。
そこでふと思い立った。
技術力もかなり進歩した今、私もオッサンになれるのでは?!と。
でもすぐに思い直した。
いやいや、いくらガワをオッサンにしたとて、それは私が追い求めたオッサンではないのだ。
オッサンの凄さといえば、逆に、美少女からオッサンの声が聞こえるのは最早「様式美」なのでは?と思える程におもしろコンテンツとして成り立つことだと思う。
正直薄ら寒くない?
面白さを感じる可能性を自らは1ミクロンも見いだせない。滑る未来しか見えない。
オッサンのガワから女の声がしても「あっ、へー。女なんだ、そう……」みたいなリアクションしか生まれなさそう。
いや、オッサンから女の声聞こえてきても正直面白くなさそうなの本当になんで?
私のユーモアセンスと想像力が貧困すぎるだけかもしれないが……。鳴いてる上に飛んでるタイプのオッサンVtuber(中身女)がいたら教えて欲しい。
まぁ、オッサンを神格化しすぎているだけなのかもしれないが、正直自分でもそれはそうと思う。
自分のことをいい匂いと表現するのは憚られるが、オッサンから芯のほっそい女声がしたら「擬似的ないい匂い」で一気に興醒めする。
「オッサンに声あってねぇよオバサン」「うるせぇ!」みたいなレスバにさえ発展しなさそう。泣ける。オモチャにしろよ。
どことない「このオッサンバ美肉オバサン、オモチャにしていいんか分からん」感が漂うのがいたたまれないのかもしれない。オモチャにしろよ。
ましてや「バ美肉おじさんを最初はただのオッサンと思ってたのに、最近可愛く見えてしまう……」「中身はオッサン、だがそれがいい」みたいな図式は(個人的に)最高に面白い。
でもそれって要は昔私が目の当たりにしてきた「男同士の気兼ねないやり取り」なんだよな、とも思う。
バ美肉おじさんオバサンが「最近可愛く見える」となると、それはもう私が望むものとは乖離してるのだ。
可愛く見られる可能性を考慮するなよオバサンって言われたらそれは正解。
バ美肉オバサンがおもしろコンテンツ化するための方法はあるのか。
私も面白くおじさんになりたいよ。趣旨が変わってる気がするけど、面白いおじさんにはいつまでもなりたい。本当にね。
でも要は、男同士のしょうもなやり取りコミュニティが羨ましいのであって、私が一時的におじさんになっても、真の意味ではそのコミュニティに入れることは無い。
女同士のコミュニティがあるように、男の人にも当然ある。このオバサン、生態系を脅かしたいわけじゃないのだ。
指をくわえて来世は男に生まれるかー!という風に思っているのがちょうどいいのだろう。
うーん、でもやっぱり面白いおじさんにはなりたい。
【追記】
コメントやブクマコメで気付いたんですけど、バ美肉って『美少女』になるのか。そりゃ『美』って『美少女』だよな。
Webから拾ってきた言葉をよく考えずにオモチャの如くブンブン振り回しておりました。申し訳ない。
一部の方に察していただけているように『美少女』ではなく『おじさん』になりたいです!
おじさんのVtuberからオバサンの声がする!っていうのを想定していただければ……
この感覚に関しては言語化が難しいんですが、ショタや美青年になるのはまた違うんですね。
混乱を招いては、と思ったのでこのことのみ追記させて頂きました。
また、こんなしょうもないものに、有難くもコメントしてくださり、ありがとうございます。
中学生の頃に白人のドイツ人の友達がいた。近所に同世代の子供が自分しかいなかった事もあり、よく遊んでいたのでかなり仲が良かった。
小学生の頃に大学の先生だった父親に連れられて日本に来ていた。まあまあな田舎だった地元では結構目立つ存在だった
彼は消臭力のミゲルくんみたいな美少年(美青年?)で、とにかくモテた。(以下ミゲルくんと呼ぶ)
同学年はもちろん上下の学年にもモテてたし、話しかける勇気がない層も含めるとかなりの数のファンがいただろう。
一緒に電車に乗って街に遊びに行ったときには社会人らしき成人女性から話掛けられて連絡先を貰っていた(もちろん自分は無視されていた)。まぁそれについては今考えるとヤバいなと思うけど
そんなモテモテの彼だからバレンタインデーにはとんでもないことになる。学校にチョコを持っていくのが固く禁じられている為、放課後に彼の家にチョコを渡しに来る女子が大挙して押し寄せるのだ。田舎で1つの家に人だかりが出来るのは餅まきの時ぐらいしかないのだが、それに匹敵するほど女子の群れが出来ていた。
もちろん自分は蚊帳の外なのだが、自分の家のチャイムを鳴らす女子が現れた。
母親もミゲルくんの家の盛況に気づいていたのだろう。そしてその中でもミゲルくんではなく自分の息子にチョコを渡してくれる女子が現れたのだと思ったのだろう。
母が嬉しそうに呼びに来る。
でも自分は気づいていた。彼女たちは自分にチョコを渡しに来たのではないのだろうと。
「これミゲルくんに渡してくれる?」
目立たないタイプの女子2人組から、きれいに包装された小箱を受け取る。
ミゲルくんに直接渡す度胸のない女子からチョコの配達係に任命されたのだ。
2人が帰った後、自室の学習机に備え付けてあるの一番広い収納スペースに小箱を保管し、夜になってからミゲルくんに渡した。
その日一日母はご機嫌だった。けれど何をもらったのとかは聞いてこなかった。思春期で恥ずかしがるだろうからとの気遣いだろう。
それが苦しかった。母に申し訳なかった。異性から見向きもされない息子でごめんって。(ちなみに裏で一部の女子からは金魚のフンと呼ばれていた)
作者が死んでもう二度と完結することのない、氷室冴子の「銀の海 金の大地」をふと思い出す
少女の兄は絶世の美青年であるが生まれつき目も耳も使えず言葉も話せず、しかし主人公とだけはテレパシーで会話ができる
か弱く美しい兄は女たちにその身を狙われるので主人公が守っており、依存関係で兄妹の仲が妖しかった
兄妹の母は知的障害者で女児程度の知能しかなく、父はおらず、14歳の少女が不具者の家族らを必死で生かす
「転生ファンタジー」という名目で始まったので、恐らくはこの時代の話は序章にすぎず、次々と生まれ直しては新しい時代で再び巡り合うような物語のはずだったんだろう
しかし主人公らは生まれ直すことなく、この時代の中だけで話が止まる
古事記の「狭穂彦王の叛乱」をやるつもりだったそうなのだが、それもやらなかった
狭穂毘売は垂仁天皇の皇后となっていた。ところがある日、兄の狭穂毘古に「お前は夫と私どちらが愛おしいか」と尋ねられて「兄のほうが愛おしい」と答えたところ、短刀を渡され天皇を暗殺するように言われる。
妻を心から愛している天皇は何の疑問も抱かず姫の膝枕で眠りにつき、姫は三度短刀を振りかざすが夫不憫さに耐えられず涙をこぼしてしまう。目が覚めた天皇から、夢の中で「錦色の小蛇が私の首に巻きつき、佐保の方角から雨雲が起こり私の頬に雨がかかった。」これはどういう意味だろうと言われ、狭穂毘売は暗殺未遂の顛末を述べた後兄の元へ逃れてしまった。
反逆者は討伐せねばならないが、天皇は姫を深く愛しており、姫の腹には天皇の子がすくすくと育っていた。姫も息子を道連れにするのが忍びなく天皇に息子を引き取るように頼んだ。
天皇は敏捷な兵士を差し向けて息子を渡しに来た姫を奪還させようとするが、姫の決意は固かった。髪は剃りあげて鬘にし腕輪の糸は切り目を入れてあり衣装も酒で腐らせて兵士が触れるそばから破けてしまったため姫の奪還は叶わない。天皇が「この子の名はどうしたらよいか」と尋ねると、姫は「火の中で産んだのですから、名は本牟智和気御子とつけたらよいでしょう」と申し上げた。また天皇が「お前が結んだ下紐は、誰が解いてくれるのか」と尋ねると、姫は「旦波比古多多須美知能宇斯王に兄比売と弟比売という姉妹がいます。彼女らは忠誠な民です。故に二人をお召しになるのがよいでしょう」と申し上げた。そうして炎に包まれた稲城の中で、狭穂毘売は兄に殉じてしまった。
「BL漫画…いわゆる二次元、また三次元であっても遠くから見るだけのナマモノに求めるのは、スラッとして清潔でいい匂いがしてムダ毛は生えておらず女に生々しい性欲を向けることもない、美青年・美少年達同士だけで構成される美しい世界なのです。」
「BL漫画…いわゆる二次元、また三次元であっても遠くから見るだけのナマモノに求めるのは、スラッとして清潔でいい匂いがしてムダ毛は生えておらず女に生々しい性欲を向けることもない、美青年・美少年達同士だけで構成される美しい世界なのです。」
BL漫画…いわゆる二次元、また三次元であっても遠くから見るだけのナマモノに求めるのは、スラッとして清潔でいい匂いがしてムダ毛は生えておらず女に生々しい性欲を向けることもない、美青年・美少年達同士だけで構成される美しい世界なのです。
赤ブーのイベントで男性サークルが現れたことに対する毒マシュマロが投げつけられた件が燃えている。
「男性の描いた本は想像してしまう」とは何を想像してしまうことを指しているの?男性だと、何だから嫌だと言っているのかわからず。
毒マロを本人に投げつけた行為はその後の反発を読めない愚かな行為だが、その心情は理解できるので解説します。
BL漫画…いわゆる二次元、また三次元であっても遠くから見るだけのナマモノに求めるのは、スラッとして清潔でいい匂いがしてムダ毛は生えておらず女に生々しい性欲を向けることもない、美青年・美少年達同士だけで構成される美しい世界なのです。
その世界に没頭するにあたって現実の男(にまつわる生々しさ、醜さ)は不要、というかむしろ無いほうがよい邪魔物なのです。
美しいものだけで構成された美しい作品を、現実の男が作っててその男の姿まで知ってしまったら、その絵・作品を見るたびサークルスペースで見てしまった作者男の映像が頭の中で再生されてしまって、その生々しさでオエーとなるのです。作品に没頭できなくなってしまう。
別にこちらから積極的に作者の姿を探したわけでもないのに、ただイベントに一般参加しただけで作者の生々しいリアルな姿(醜さ)を見せられてしまい、脳内に刻まれてしまったのです。
(くだんの男性作者さんの容姿が劣ってると言いたいのではない。女にとって男は一部の例外を除いてだいたい醜いのです)
作り出した作者が醜くても作品に罪はないからこそ作品の世界に没頭したいのに、記憶の片隅にやきついた作者男の映像に邪魔されてしまう。これまで楽しんでいたものが楽しめなくなるという妨害行為をされてしまった。それが嫌で、そんな被害者を再発させないよう、男作者は予防してほしいのです。
3次元のナマモノも同じ。あくまで現実から切り離された虚構の姿、推しの肉体から我々の網膜・脳内に投影された映写像を消費しているのであって、もしその推し対象が現実の女と付き合ってる(性交してる)なんて聞いたら、一気にそこら辺にいる男と同格になってしまって、神格化の対象でなくなり、妄想できなくなり、幻滅して怒りが出てくるのです。(その怒りは推し本人に向かうことよりも、推しと付き合ってる女に向くことのほうが多い…こちらはもっと前から尊く崇めてたのにぽっと出の女が外見の良さを使って推しを生々しい世界に引きずり降ろしてしまったという怒りもあるし、これまでファンの皆が共有していた推しを抜け駆けして独り占めしてズルいという怒りもあるので)
※結婚しました報告は別。それはもう推しが神格の世界から降りて還俗したという宣言なので、一気に興味がなくなって他人事になり、弟の結婚を祝う姉のような生暖かい目で見られる。
「女性はうっすらと男性を嫌ってる」を自身も実感する中で、作品の中の世界だけは別だったのに、そこにうっすら嫌ってる現実の男がその世界の創作者としてしゃしゃり出てきたら、どんな気持ちになるかわかるよね?
「男は女性でなく女体が好き」(男は女の人格はどうでもよく、性欲を満たせる肉体が好き)と言われてるように、女も「女は男体でなく男性が好き」(女はリアルの男の体はどうでもよいどころかむしろ嫌いで、男から得られる奉仕行為や庇護による安心感が好き)なのです。
美しい男性や好きな男性相手に限っては、その肉体も好きになることもあるが例外で、そうでない世の中で見かける多くの男の体は、嫌いなのです。それは好きな作品、好きな絵の作者であっても同様です。
作品ファンの女は作者男のことも好きなのだろう、存在を受け入れてくれるのだろう、なんて勘違いはしないでほしい。
てかさー、はてブには同人嗜む女は私以外にもたくさんいるよね?わかる癖に何すっとぼけて黙ってるの?いちいち解説させんなよめんどくさい。
☆追記☆
ブコメで「女みんながこうと思わないでほしい」なんてカマトトぶったコメントがついてるけどさ、
前にるろ剣の作者がジャンプ表紙の集合写真で初めて顔を出したとき、その容姿が不評すぎてショック受けた女性ファンが激減してアンケート結果や売り上げに影響までしたので、次年度からジャンプの作者集合写真がなくなった歴史を知らないかな?
「こうでない」女のほうが少数で、私みたいな女のほうが多いと思うよ。
☆追記2☆
釣り認定とか納得できない人がいるようなのでもう一例出そうか?
popoi 私事。昔,ComicCity参加時,売り子様から<スケブok>と聞いたのでお願いしてみたら,作家様から<Cityは女の子のイベントで,貴方は男だから駄目>て断られた事が。硝音あや先生(@shouoto))って言う人なんですけどね。
・オッペンハイマーの時も思ったけど第二次世界大戦の時の流れ+共産党とかのくだりもわかってないと十二分についてけないやつやこれ
・黒背景で男2人が深刻そうな顔して意味深なタイトルが付いてるミニシアター系映画ポスターならとりあえず観に行くチョロい己よ
・観る前予想→渋おじさんとイケメン青年が対立組織か仲間の工作員(スパイ)でどっちかがあの美女と薄暗Sexy描写控えめ湿度高めのLOVE展開とかで情報抜き取り取られ組織に渡す渡さない組織への忠誠心〜戦時中の歴史に翻弄される秘密組織での薄暗利益損得男男クソデカ感情ノワールもの
・観た後→よくわかんなかった…渋おじさんとイケメン青年そんなに絡まんかったし クソデカ感情の台風の目は美女オンリーやった… なんかスパイ諜報活動というより会食会食会食独占欲暴力会食会食 戦争おわり イケメン で終わった
・「(日本食は)慣れなくて」「じゃあこれから慣れなきゃな(これからも支配してくから日本食との付き合い長くなるぞ)」の日本悪描写として秀逸〜ってなった こうトイレを綺麗に使ってくださってありがとうございますの圧を感じさせる日本的な嫌な感じ出てた
・op初っ端で無音黒背景でスタッフ名漢字が画面いっぱいに出た5分弱の「え?何?」的な劇場の空気 これは貴重な体験やった 中国語って時点でカッコいいからズルいぜ
・NOと言える芸子さん
・一番好感を持ったのは日本軍のそこそこ偉そうな立場の人 というかこの人だけブレずに終始「戦争中の物語」をやっとったから好感を持てた
・まさかの犬映画…?と思ったらそんな事はなかったぜ なんとか大統領かわいい エンドクレジットにも「小柴」みたく書いてあってかわいい
加害者としてド畜生な事するのは被害者側視点で作られた映画だからなのはわかるし
仲間内の羊料理のシーンで腹を割って会話して「お前らのこと忘れない」って会話してたり
加害者側で描写しても「人間」のいいところ悪いところ両方書くのはクオリティ高いゾ〜ってなった
・日本軍の自転車シーンで「また俺の(自転車だけ)かよ!」はおもろかった なんかあそこだけ謎のほのぼの感ある そこも「悪い奴らにもそういう一面が」感あってよかった
そこそこ偉い日本軍人が役の人の日本語は8,9割聞き取れたけどモブ日本軍とかイケメン青年の日本語はたまに聞き取れない時あった 音が繫がっちゃってどういう単語を言ってるのか聞き取れなかった
でも日本軍のそこそこ偉い人は日本人俳優さんだったから中国中心で活動してるとかそういう人なのかな
・日本軍のそこそこ偉い人、もっとえげつない に方をしてザマァ的な展開のやつかと思った あの日の丸屏風に をぶちまけるとか荒ぶりドッグにかぶりつかれるとか
・そんなお高貴な血筋の方をお亡くなりになるリスク高い現場によこすか?
・不穏な聴取シーンからパン?して「おっと裾に1滴返り血が」はカッケェ〜しびぃ〜ってなった
・イケメン青年の尋問シーンで「なんでそんな血が飛び散るとわかりきっているのにそんなに仕立ての良さそうなスーツをお召すんですの…?でも返り値に濡れる美青年がドチャクソSexyだからヨシ!」ってなった
・「偶然」ピンポイントで新聞記事が床に落ちてたり委任状がデスクに無防備に置いてあったりスパイものの割になんかガバいねん
日本韓国とちょっと違う種類の「美しさ」で新鮮だった ケイトの東京飲茶シリーズのレベル100イエベって感じ
・なんで美女生きてるん?
・2/3辺りから「攻めの嫉妬から来る激情に萌える癖を持つちょっと歴史に詳しいタイプの人が書いたハーレー・クイン小説かな?」みたいな展開か始まり主人公が渋おじさんからいきなりイケメン青年に代わり「?」ってなってる間になんか「あーここで序盤のシーン回収する感じね!回収されても分からん!」ってなった
「大富豪の美青年が、ひと目見た瞬間に惹かれた美しい女児を引き取り、初潮が来るより前から性的に開発する」
という設定だけなら18禁でもおかしくないような展開を好み「禁断」「囚」はけっこう売れたシリーズだった
20年ほど前の当時のネットにはいわゆる表現の自由戦士は目立たず
むしろ男性オタクが「エロ少女漫画をぶっ潰せ」という運動を2ちゃんねるで行い行政への通報テンプレがつくられ抗議活動していた
まだアフィサイトが流行る前で、テキストサイトでもエロ少女漫画叩きが盛んに行われていた
運動の成果なのか知らんが、エロ少女漫画はTLへと分かれ、少女漫画自体は全盛期より健全化が図られ昔はエロ漫画雑誌だった「デザート」は超健全雑誌に
ピッコマで刑部作品が配信されているのを見てふと当時を思い出した
でも10代だった当時と比べて、今読むとそこまでエロくもないな
いやストーリーとしてはエロいことやってるんだけど、赤面してもだえる少女の顔や男の大きな手などがうつされ
男がみんなやたら長くてうっとおしい前髪をしていて、髪で片目を省略して描いてることが多い
作者は、無垢な魂を持ちつつ体は淫蕩な少女を描くのが楽しい人で、男は少女の引き立て役なんだろうな
長身金持ちイケメンというのも、少女の小さな体を引き立てるため、少女の価値を高めるため、少女に釣り合わせるため
男がいわゆる便利棒でしかない