はてなキーワード: DAXとは
これだけ
(追記)
ド玄人
・RDBっぽく使うテクニックと勘違いしてる素人チラホラおるな
・PowerQueryはちょっとでかいデータ食わせるとすぐフリーズする、DAXもPBIに比べていまいち使いづらい。
・スピルを使いこなせる人かなぁ
・PowerQueryを使いこなせるやつが職場に1人いたらなあ。
・お前みたいなACCESSとEXCELの使い分けができない人間は迷惑
・まずはリスト形式で作成してピボットでマトリクス化するのが文明人
・Access使ったほうがいいのでは
・行列に貼り付けたデータ範囲からSQLで柔軟にデータ抜き出せるような技でもあるの?
・https://www.soumu.go.jp/main_content/000723697.pdf ←これをちゃんと理解しつつ実行できてるか、は結構重要。
・INDIRECT関数 rowやらmatchやら数値を返す系の関数をうまく扱えるようになると玄人感出せる
・テーブル化、シートが多いブックで参照が飛び交う場合は命名ルールをちゃんと整理するかCtrl+[ のショトカを活用するかしないと、ここで参照してるテーブルどのシートだっけ?が多発するぞい
ド素人
・テーブルとか言って、今あるデータを見映え加工してる帳票屋を自負すること自体がもうね。
・テーブル化という言葉を知らなかったから知られてみたら、普通にいつも使っている方法だった。GUIだとわざわざその動作の名前を知らなくても良いのが魅力ね。
・整然データになってるならテーブル化してるかしてないかは正直どうでもいい
・テーブル化は汎用性無くなるので嫌い。ピボットテーブルはもっと酷い。
・テーブル化を知った人々、それほどデータもないしょうもないリストまでテーブル化し始めるので、「おぉ、こいつは金槌を手に入れたのだな」って気持ちになる
・AXCELがどうしたって?
・エクセル・サーガ?
【状況認識】
■国内
日本は余談は許さないが感染拡大が止まりつつあるように見える。
ただし、兵庫県では医療現場でクラスターが形成されていることが危惧される。
仮に春夏に収まったとしても秋から冬にかけて爆発して大変なことになる可能性もある。
■先進国
Social Distancing に従わない者も少なくないかもいれない。特に若者。
世代間対立とみなされ、#BoomerRemover などという酷いハッシュタグも。
貯蓄率低くSocial Distancing で死ぬ自営業者も多そう
学者の中にも現在の lock down は間違っているとの意見が。
こうした状況 lock downがうまくいかず、さらに感染拡大→医療崩壊に進むかも。
この薬が効くのでは?という話が出てくるが、劇的に効く既存の薬があれば
既に中国で見つけていると思う。残念ながら悲観的にならざるをえない。
一方で、「ナファモスタット(商品名フサン)」が初期には効くのではないか?との話も。
やはり以前として完成までには12-18か月とのこと。
またワクチンはそもそもできない可能性も低くはないと思われる。
【暫定戦略】
■日本株
日本は意外と軽症で済むかもしれない。かつ、日銀の買い支えがあるので
勢いよく下がらない。
■外国株
米国株はコロナ前の上昇が大きかったので、今の水準でもまだ高いのではないのか。
ヨーロッパ株はコロナ前の上昇があまりなかったので、既に現在の株価でコロナ悪化を織り込んでいるかもいれない。
一日大きく下がって、翌日大きく戻る(けども完全には戻しきれない)傾向がある
大きく戻った日には少し玉を増やすことを考える。
DAX, FTSEのショートは現状の小さいポジションをそのまま維持。
■長期的視点
円で積みあがってしまった資産をどうリスクヘッジするか。何に分散させればよいのか?を検討。
2020/3/19 9:55
9/25-9/29、夏季休暇を取得し、憧れの国ドイツへ旅行してきました。
前夜。
トランジットのため成田から北京国際空港へ。海外で初めて口にした食べ物はピザハットのピザ。政治的事情から各SNSにはアクセスできず、乗り継ぎまで人生の貴重な8時間を出国せず空港内で過ごしました。
中国国際航空を利用しました。何故か機内モードでも電子端末は一切電源を消すよう命じられたため、退屈な機内でした。本を読んでは眠くなるため機内ではほぼ寝てました。また機内食はお粗末なもので、一緒に出されるパンやフルーツの方がずっと美味しく感じました。
9/25
フランクフルト国際空港着💢やはりメルケル氏が当選していました。
新秋のドイツは気温10~15度と寒いので、空港から降りてきた薄着の漢民族は凍えていたようです。
ドイツ鉄道が発行している「ジャーマンレイルパス」を事前に購入していたので、ヴァリデーションを済ませフランクフルトからベルリンへ移動。しかしながら自由席も指定席もほぼ満席状態で、後から乗った私は車内で立ち往生してしまうことに。ベルリンまでの移動時間はおよそ4時間半。全日一等席に乗れる権利を有していたのに惨めな旅だと思っていたら検札に来ていた乗務員が空いている自由席を見つけてくれ、さらに隣に座っていたウルリッヒ・ミューエ似のおっさんもスーツケースを上の棚に入れるのを手伝ってくれました。この時感謝の気持ちを述べた言葉がドイツに来て初めて使用したドイツ語でした。
ベルリン。
インターシティホテルベルリンにチェック。このホテルは2日間滞在していた。一人で予約しているのに何故か掛け布団が二つあったのが気に障りましたが快適に過ごせました。いかんせん成田搭乗から今まで風呂に入る機会が無かったので、ガラス張りのシャワー室でシャワーを浴びる。
行ったところ。
ブランデンブルク門。言うまでもなく、ベルリンの壁を象徴する建造物。これを見るためにドイツに来たと言っても過言ではないくらい見たかったもの。なお、この日から8日後に東西再統一27周年を迎えました。東西融合を祝して、記念に橋を架けました。興味深かったのが、門周辺はイギリスやフランス等各国の大使館がひしめき合っていて、門の直ぐわきにアメリカ大使館では警備員が厳めしく立っていたました。そして、『舞姫』で豊太郎が闊歩したウンター・デン・リンデン通り沿いを100m程歩くと今度はロシア大使館が見えてくるのですが、アメリカ大使館の2倍の敷地で厳重な警備と邸宅さながらの荘厳さがありました。当時ソ連が東ベルリンを統治する上で、東側諸国のリーダーたる威信を発揮しようとしていたかがうかがえますね。
次。DDR Museumという旧東ドイツの博物館。じっくりねっとり展示品を舐め回すように見ながら1時間半くらい経ったところで閉館のアナウンスが。まだ全部見終わってないんですが。
アレクサンダー広場のベルリンテレビ塔、に行く前に広場周辺でカリーヴルストを夕食。正直ケチャップは苦手なのですが、これはケチャップと合いますねぇ!!!!これだけでお腹一杯になってしまいました。
テレビ塔。夜景を期待してわざわざ22時に入場したのですが、ちょっと想像と違っていましたね。
2日目。朝から特急に乗ってチェコに行こうとしたのですが寝過ごしました。ただ、片道の移動時間がこれまた5時間も掛かるので仮に朝一の列車に乗っても、宿泊の都合上、日帰りで帰るとなるとろくに滞在できず一日を列車で過ごしかねないスケジュールでもあったので、正直フイにして後悔はしませんでした。
テレビを点けたらチャンピオンズリーグでバイエルンとアンデルレヒトの試合が中継されていました。2-0でバイエルンが快勝していて流石FCバイエルンでした。
昼。電車に乗ってシュタージ博物館へ。これも東ドイツ関係。『善き人のためのソナタ』にも出てきた建物。写真のネクタイは、よく見ると小さな穴が開いていて、この穴を通してカメラで反体制派の行動を盗撮していたというのですから恐ろしい。
夕方。オーバーバウム橋からシュプレー川沿いの「イースト・サイド・ギャラリー」を見学。これも東ドイツ時代の遺産。写真の男性二人(ブレジネフとホーネッカー)が交わしているアツいキスは決して男色を表しているのではなく、共産圏における挨拶の一つだという…。その後はポツダムに移動しサンスーシ宮殿を見学するつもりでいましたが、気付いたら閉園時間が近付いていたため断念。片道1時間の電車を引き返すことに。
夜。ポツダムプラッツのレストランで夕食。ベルリンのピルスナーを堪能。ドイツのビールは飲めるけど、日本のビールは何であんな苦くて不味いんでしょうか。クネーデルズッペ。ブイヨンベースに牛レバーの肉団子というシンプルなスープ料理なのですが、これが非常に美味しかったです。スープ料理で初めて感激しました。最後にベルリン名物、アイスバイン。塩漬けの豚肉を茹でたもので美味しかったのですが、ボリュームに屈し食べきれずギブアップ。すいませんでした。
帰路。連邦議事堂。丁度議会選挙の直後だったのか館内見学の予約が取れず外から見学。
ホテル内。ビールを飲みながらテレビでドルトムントとレアルマドリードの試合を観戦。やはりピルスナーは飲みやすい!それでいて1.03ユーロ(約137円)という驚きの安さ。なお試合は3-1でレアルがドルトムントをボコボコにしてました。
3日目。6時にチェックアウトを済ませ、西方シュトゥットゥガルトへ。メルセデス・ベンツ・ミュージアムを見学しに。ルイス・ハミルトンは好きじゃないですが、メルセデス・ベンツは好きです。前からSLS AMGやAMG GTのロングノーズのボディが気に入らなかったのですが、300SL等歴代の車種を見ていくにつれてこのノーズが力強さが感じられるようになり好きになりました。あと、AMG GTって写真で見るより意外と車体が小さかったです。
博物館を後にし、ケルンへ移動。2時間程移動してケルンのホテル、マテルヌスハウスにチェックイン。受付は愛想が良く好感を持てましたが、部屋がツインダブルベットで虚しさがこみ上げてきました。加えて、もともとコンベンションホールをホテルにした作りなのか、浴室の作りが人工的でこれまたムードダウン。
ケルン大聖堂。二つのアーチがそびえるゴシック様式のローマ・カトリック教会。ブランデンブルク門と並んで見たかったものその2。駅からライン川を渡った先が撮影ポイントで、道行く外国人のスリの恐怖に怯えながら100枚くらい写真を撮っていました。
夕食。『地球の歩き方』にも掲載されている有名店なレストラン。ここではケルシュという地ビールを堪能。フルーティーな味わいで飲みやすいけど、水だと揶揄されてもいいくらい苦味が薄く刺激が弱い。でもボクは好き。
4日目。最終日。朝食はフルーツポンチばかり食べてました。ゆっくりしてからチェックアウトを済まし、フランクフルトへ。
フランクフルト証券取引所。入口前に雄牛と熊の銅像。ブルベア。DAXは8月以降ずっとブルってやがる!館内ツアーガイドがドイツ語で何を言ってるかさっぱり判らなかったです。取引所を後にし、しばらくフランクフルトの金融街を闊歩してからフランクフルト国際空港へ。ドイツ旅行はこれにて終わり。
魔の5日目。トランジットの北京行の便がまさかの遅延で予定の日本行の便に乗れず。後にトランジットのカウンターに行って出発便を振り替えればよいとわかったのですが、何せ初めての事態でかなりアプセット。何とか便を振り替えてもらいましたが、中国人の話す英語が判らず聞き取るのにかなり苦労しました。
19時頃羽田空港着。成田じゃなくてよかったです。ここでクイズ。東京に着いて一番最初に食べたものは?そうですね、ラーメンですね。
初めて一人で行く海外旅行でしたが、正直旅行というより社会科見学に近いものでした。博物館で2時間も3時間も過ごすのでもし人と一緒に来ていたらうんざりするでしょうし、この点は一人でよかったです。完全に自分の時間が流れていました。
しかしながら、やはりトラブルがある時はやはり一人で対処しないといけないですし、当然コミュニケーションは外国語なので言葉がわからないと辛いものがありますね。幸い身振り手振り肉体言語でも伝わるのでこの点は何とかなることはありますが。意外にも滞在期間中一切日本語を喋らなかったのが精神的に辛かったです。
レイトショーの回を観に行った。
まずとなりの席に座ってたババアが最悪。
七対の触手を落ち着くなくうねうね蠢かせて視界を塞ぐし、十七秒間隔で先端からオレンジ色の膿汁みたいなものを撒き散らす。
入場前に持たされた3DLSDを服用すると、光の世界へジャック・イン。
おれたちはもうゴジラだ。
アーチ型に列に並べられた、八十ほどあるパイプ椅子のうち、その日使われているのはたった五脚だった。わたしたちは互いに離れて座っていた。わたしたちは一人になるためにここに来たのだ。自己省察、つまりは失われた人生を結果論で批判したいという欲求。それは宗教の信者が抱く祈りへの欲求くらいにやむにやまれぬものだった。
シンゴジは昔の大作の映画みたいに、本編上映中に休憩時間が挟まっていて、そのあいだトイレにも行かず、ホットドッグを補充しようとしないやつは十五分間のニュースを観させられる。その一コーナーは株式市場報告だった。素人くさい二人の女の子が、熱心にその日の市場の動向を報告するのだ。
私は見て、聞いた。女の子たちは私の娘だった。オオクニヌシとアマツヒコネ、十歳と十二万歳。二人の母親が電話でぶっきらぼうに、娘たちがTOHOシンデレラに選ばれてこれこれの番組に出ることになったと教えてくれた。
二人は画面で無表情にアラブ首長国連邦で急速に進展している状況について報告していた。
「東京株式市場には深刻な影響は出ていないと政府はコメントしています」
「ドバイは国民ひとりあたりの負債が世界一多い」オオクニヌシが言った。「そして、建築バブルもはじけ、もはやドバイは借金を〜〜〜(聞き取れない)へ返せません」
「何十億かの誤差はありますが」
「負債を負ったこの都市国家は、六ヶ月の返済猶予を諸銀行に求めています」
「ダウ・ジョーンズが下がった」
「ドイツ銀行」
「下がった」
「また下がった」
「ホンコンのハンセン指数」
「どんどん下がる」
「下がった、下がった、下がった」
以前の人生は毎分のように自分を書き換えていく。四年後にも私はここにいて、この薄暗い客席で悲惨に座って石原さとみのルー語を聴いているのだろう。
自由になった未来などなかなか想像できない。信じられるものなど何一つない。
日本は立ち直りなどしない。
この二十数年、いや、この六十五年間、立ち直ってこなかった。
立ち直ったのは監督の鬱だけだ。
「恐怖は増すばかりです」
「数字の恐怖、拡大していく損失の恐怖」
「恐怖とはゴジラのことです。話題はゴジラです。ゴジラには収益性があります。五百八十億ドル、それとも八百億ドル?」
「速報です。ハリウッド版ゴジラを製作しているレジェンダリー・ピクチャーズが中国企業に買収されました」
「速報です。エヴァンゲリオンはもう誰も観ていません」
「なぜなら誰もが観ているからです」
戦争、休戦、無秩序に右往左往する群衆のインスピレーションとなってきたサッカーとゴジラと映画。どれも世界で熱狂的に愛されている。あるオブジェクトを追い回し、草地や芝生や都市で行われ、国全体が高揚や悲嘆に身を悶える。
もしゴジラがアメリカの発明品だったならば、古くからの清教徒的な本性に導かれて、マスターベーション禁止という原則にのっとった作品にならざるをえなかっただろう、とヨーロッパの知識人が唱えたりしないだろうか。
これはいま私が考えていることのうち、以前は決して考える必要のなかったことの一つだ。
肌が音を立てながらが溶けていくのを感じる。
性器が溶解していくのを感じる。
それがなぜか妙に心地いい。