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イギリスの哲学者ホワイトヘッドは、「西洋哲学の歴史はプラトンへの膨大な注釈である」と言った。同様に日本の怪獣映画の歴史は1954年の初代ゴジラに対する膨大なオマージュである。そういう意味で、今回の「シン・ゴジラ」もまた、初代ゴジラに対するオマージュ作品の一つであることに変わりはない。 しかし、「シン・ゴジラ」の質はこれまでのゴジラ映画とダントツに異なる。個人的に今回のゴジラはある種コペルニクス的転回というか、コロンブスのたまごというか、これまでゴジラ作品が新しく公開されるたびに抱いてきた違和感を解消してくれた。「災害としてのゴジラ」の徹底した描写である。 初代ゴジラは水爆の影響を受けて誕生した。日本に与えられるゴジラの傷跡は、単なる自然災害を超えた、水爆による「人災」としての意味合いも強かった。一方、それ以降のゴジラ映画、特に他の怪獣が出ないファーストへのオマージュが強い作品は、どうしても
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