日本語ラップのパイオニアであり、作家であり、古典芸能の詞文の現代語訳にも精力的に取り組んでこられたいとうせいこうさんと、本誌連載「中国文学万華鏡」で、地域や文化を超えてことばの芸術というものに通底する技芸の精髄を探っておられる三村一貴さん。漢詩から和歌、能・浄瑠璃の詞からラップまで、さまざまな韻文の技法の妙をめぐって、お二人が新鮮な視点を次々に繰り出す刺激に満ちた対談です。[構成:みすず書房編集部] いとう:前々から疑問に思っていたんだけど、西洋の詩にはもちろん脚韻があり、「アレクサンドラン」(1)云々などがあり、漢詩ももちろん脚韻(きゃくいん)を踏んでみたり、頭(とう)韻(いん)を踏んでみたり、踏み方が決まっているわけでしょう。その影響があるはずなのに、なぜ日本では脚韻がこんなにも消えるのかという問題があるわけですよ。 たとえば『和漢朗詠集』(2)を見ると、和歌を詠む人たちは漢詩もわかっ