ためし読み 2024/8/20 岸 圭介 そのことばは子どもに正しく伝わっていますか?――ことばの「意味」と「価値」を伝える教育 『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』より「はじめに」を公開!
教育基本法改正案が残念ながら通ってしまいましたが、安倍首相などが良く使うので、嫌でも新聞とかネットで目に入る「教育再生」の言葉が、今更ながら気になってきました。「教育改革」という言葉はあまり気にならないんですけど。 「再生」というからには、前に「生きていた」状態があるという事ですよね。「教育再生」という事は、以前には、望ましい教育がされていた、教育が「生きていた」という事なんでしょうが、それって一体何時のことよ? 日本教育再生機構のホームページを見たら、八木理事長の「今、私は明治の初年に明治天皇が示された「五箇条の御誓文」の精神に立ち返ることを提唱したい。」の挨拶とともに、御誓文が書かれた画像が載っているけど、もしやその時代? どんなに古くても教育勅語ぐらいまでかと思ってたけど、そこまで戻るの? 日本教育再生機構のホームページを続けて読んでいると、「教育再生から日本の再生へ」という言葉が使
「教育基本法」改正案に対する「反対の声明文」に対し匿名「抗議文」メールによる「脅迫」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで取り扱った報道に対する「中学生が自分で考えたのではなく、教師の介入によるものだ」といった類の批判に対して、「この年頃*1の子供が自分で考えて行動できないと思うなんて中学生を馬鹿にしすぎだよね」とカミさんに言ったところ、カミさんは「そうね。売春だって恐喝だって窃盗だってするのだから」と言いました。「随分と極端な例だな」と思いながら私は首肯*2しつつ苦笑。 確かにこの手の批判は意見書を送った中学生が「従順で教師の言うままに従う人間」でなければ成立しないわけで、報道でこの年頃の子供が「大人に従わない不道徳で自分勝手な怪物」*3扱いされることがあるのと対極的。 件の報道に対して、それを叩くために「わらわらと湧いている人々」は、おそらく意見書が「愛国心」教育を批判する内容だったから
■そして私も吹き上がってみる 教育基本法改正に反対 北星女子中3生、首相に意見書 http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061117&j=0022&k=200611176471 あーこれですねえ。私は皆様ご存知の通り左に巻いている人間で今回の教育基本法改正案衆院通過に対しては深く憂えるものではありますが、こういうクラスや学校単位で盛り上がって運動、って話を見ると、逆に「(その内容への賛成反対以前に)こういう盛り上がりには乗れない人」や「改正に賛成の人」などは居づらいだろうなあと思うわけです。周囲が何をしてようが泰然自若としてられる人ならいいんだけどね。「一クラスの二十七人」ってのはクラスの全員?(最近の学校のクラス編成ってわからないんで。うちらの頃だったら27人って「多数だけど全員じゃない」くらいの数なんですが) 有志だったらいい
■[子ども・教育]これを「規範意識」で救えるというのだろうか 【教育基本法「改正」反対】 ■児童虐待 秋田・大仙の男児殺害:我が子殺害、境遇や言動が類似 畠山鈴香被告と進藤容疑者 社会的底辺で虐げられた女性は、経済難などの苦痛から逃れるため、関心が子育てよりも男性との関係に向かう場合が多い。落ち着いた状態では子供を可愛がるが、感情が不安定な時に子供を疎ましく感じるようになる。 この記事は「母親」だけを対象としているが、子どもを殺した母たちが自身の境遇を変えるジャンピングボードとして関係を持った男性もまた、児童虐待(虐待死)に大きく関与している。虐待関連記事をずっと追って来たが、報道された男性たちも「社会的底辺」で低賃金と不安定雇用にあえぐ人が多かった。子どもを虐待する人たち。多くは、彼ら自身がこの社会で安定した居場所を持てず、結果として「オマエになんか値打ちはない」という評価の中で生き
このところ、教育基本法の改定に賛成する人々の意見をあっちこっち見にいっていたのだが、賛成の理由はどうやら”日教組粉砕”らしい。小学生のころにみかけた”ニッキョーソオ、フンサーイ”と、軍歌をバックに怒号するウヨクの黒いトラックの思い出からはや20年以上たつわけであるが、いまだに”ニッキョーソオ、フンサーイ”なわけで、ついにはそれが政治日程に載っている、ということなのである。いやはや時代はかわったものだ。などと目を細めるほど歳をとっているわけではないので、彼らの考え方に関する私のささやかな分析をかきとめておく。簡単なことだ。彼らの頭の中では、目下の教育は以下のような仕組みなのである。 日教組(及びその黒幕である共産党) −> 教師 −>生徒。 これを教育基本法の改定により次のように変える。 日本政府 −> 教師 −>生徒 実にわかりやすい。正しいかどうかはともかく、明快である。要するに教育の大
高校の単位不足問題についてあちこちのメディアからコメントを求められる。 テレビだけはお断りしたけれど(すみません)、新聞雑誌からの取材にはその場で思いついたことをだらだらしゃべる。 私は高校の現場の人間ではないので、素人の意見を述べるしかない。 私の見るところ、この履修問題が顕在化したプロセスはつぎのようなものである。 (1)学習指導要領と現場での教育内容には乖離がある (2)この乖離を学校と教育委員会は法規の「弾力的運用」によってつじつまあわせをしていた (3)「弾力」の度が過ぎたので、あちこちでほころびが出た この現状認識に特に異存のある方はいないであろう。 (1)は現実である。 実際に文科省の示す学習指導要領通りに授業をやるだけの時間も人的リソースも確保できないと悲鳴を上げている学校はいくらもある。 主な理由は(教員たちによれば)教員たちにあまりに大量のペーパーワークが課せられている
いじめっこはどこに?(狂童日報) あー、そうだな、とだいたい賛同。で、私が思うことなど少々。いじめの撲滅は不可能である。どの人間のなかにもある邪悪さがそれを駆り立てているのであって、人間が正邪の二面性を免れえぬ以上、いじめの撲滅などという目標は絵に描いた餅、空念仏、空理空論である。これは人間観に関わるのかもしれない。子供であろうが大人であろうが、その中の邪悪な部分は決して振り払うことができない。このように考えず邪悪さをなにやら、本来良心に満ちた人間を惑わせるノイズ、のように考えるから撲滅などという発想がでてくる。人間は正邪の二面性をもつ、という観点からすればいじめは犯罪であるという認識が形成されたほうがよい。たとえば、男による女のレイプは生物学的な本質かもしれないが、それが犯罪であることと似ている。犯罪である、とするのが人間なのである。 いじめは犯罪であるという規定があれば、いじめなる社会
分かりやすい敵をつくり己の正当性を主張するのは権力闘争ってか政治の常套手段だ。国鉄民営化の際は地方赤字ローカル線や国労が、郵政民営化の際は…う~んと、とにかく反対する人間すべてが抵抗勢力にされた。 もちろん、こうした“敵”に問題がないわけではないのだが、単純な二分法とか勧善懲悪というのは、物事の本質から目を逸らさせる。ま、だから常套手段なんだけど。 ここ数日、日教組攻撃が目に付くようになってきた。そうですよ。教育基本法「改正」を有利に運ぶための最高の敵は日教組でしたか。 う 日教組を含め官公労にに問題がないわけではないだろう。むしろ、非道い話を一つ一つ取り上げればきりはない。それはそれで大問題である。 世話になっている人はたくさんいるけど、総体としての官公労は、あまり好きではない。そもそも個人的には「先生」にアレルギーがあるのだ。 だからといって教職員含め公務員一人々がアレかって言う
安倍新首相の施政方針演説が行われた。教育の建て直しと称する教育基本法の改正、脳みそ筋肉の、いや訂正筋肉質の政府、二毛作人生が方針として示された。 教育の荒廃を救うのは教育基本法の改正だ(もっと言うと日教組教員の撲滅だ)、というのが安倍氏をはじめ復古調(菅直人のいうところの保守亜流)政治家のホンネだろう。 多くの人にとって、今日公教育が信頼されるものとなっていない。教育の質が悪いこと、子どもたちの学力がひどいことになっていることが共有された認識になっている。で、それにつけ込む政治家が言うのが、戦後教育の抜本的見直し、というフレーズになる。それが国民に翻訳されると、教育基本法で「民主的」な(私はそうでもないと思うが)教育が子どもや教員に甘すぎたからこんなことになったから、厳しくすれば子どもたちの学力も上がる、という話になっている。 ところが現実はどうだろうか。教育基本法の精神をホンネではせせら
■ようするに皆で一緒に旗を振ったり国歌を歌ったりするような行動が「愛国心」推進派的には望ましい行動なわけですね http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060621/1150831613 サッカーやサッカーに関する言及と政治を絡めて見てしまうのは、自分が政治的立ち位置を気にするタイプだからというのももちろんあるけど、一方でこういう風に「愛国心」を持つことの押しつけをしたがる人たちに、いとも気軽に「「愛国心」はあって当然」の例として利用されてしまうということがあるからだ。だいたい勝手にスポーツの国別対抗試合で自国チームを応援している人たちの行動の動機や心情を決め付けられたくないのである。 「愛国心」「国と郷土を愛する」が教育基本法に書き込まれたあかつきには、オリンピックやワールドカップで自国チームを応援しているかどうかの調査が行われ、応援してない(相手チームの応援を
載ってるのは良いんだけど。カテゴリ「食」は無いんじゃないの?(笑) タグ「GJ!」とメッセージ「力作。」って表現に癒されました。 言及先からのコメントは、自分の所の消火活動が手一杯でこっちには来ないだろうと。早々に結論づけています。 例によって、気分を入れ替えいつも通りのまったり風味で開始します。 昨日の気になったサイトに ゆらぎの神話 ポータル と言うところがあります。まだ活動は小規模みたいですが、クトゥール神話体系みたいに話しが広がると面白そうだと思います。 基本原則が面白いですね。 記述者は、既存の設定を自由に用いて記述してよい 記述者は、既存の設定と矛盾する記述をしてもよい 読み手は、神話世界を自分の好きなように解釈してよい 未整理であることは好ましくないことではない この神話は、他の実在の神話と同じように断りなく自由に引用できる 特に、5個目の内容。この神話体系に関する著作権の帰
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