開会の辞,(佐 藤 彰 一)[229KB] 序 テクストの二重性についての考察,(松 澤 和 宏)[532KB] 文献学と解釈学の間のテクスト記号学──文献資料から作品へ──,(フランソワ・ラスティエ[内田智秀 訳]) [958KB] 文の本質について,──文の統語構造・文モダリティ・発話行為──,(カレル・フィアラ) [578KB] 『百科全書』と解釈学,(クレール・フォヴェルグ)[422KB] ミシェル・フーコーにおける「実定性」について,(重 見 晋 也) [532KB] 生成論・本文批評・創作過程,(サイモン・ギャトレル[上原早苗 訳])[913KB] テスの物語をいかに解釈するか?──ハーディと改変──,(上 原 早 苗)[573KB] 「文献学と解釈学の間」の<橋>としての編集文献学──学術用語の翻訳をめぐって──,(明 星 聖 子)[406KB] バルザック『農民』──ロヴァ
2021年3月に刊行された『フーコー研究』(岩波書店)をめぐって、3月末に京都大学人文科学研究所主催で開催されたシンポジウム「狂い咲く、フーコー」の4時間半にわたる議論に、各発言者が加筆。400名にも及ぶ聴講者を集めたオンライン・シンポジウムの全記録。 20世紀フランス現代思想の代表的知識人ミシェル・フーコー。その新たな研究が日本発ではじまっている。京都大学人文科学研究所が2017年より3年間にわたって活動した研究会の記録を基にして、『フーコー研究』が刊行された。その内容・テーマを各執筆者がダイジェストに紹介し、議論する。最新のフーコー研究への誘いの書。総勢32名の執筆者は、専門領域も異なり、それぞれの分野から、精緻なフーコー研究がなされている。フーコー研究者のみならず、初学者が紐解ける〈入門の書〉。 ◆執筆者 相澤伸依・市田良彦・上尾真道・上田和彦・王寺賢太・隠岐さや香・重田園江・北垣徹
ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学 (岩波新書 新赤版 1802) 作者: 慎改康之 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2019/10/19 メディア: 新書 この商品を含むブログを見る 慎改康之『ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学』岩波新書、2019年。 著者は、フーコーの著作、講義録の見事な翻訳と、明晰な解説をすでにいくつも世に送り出している。本書は、その著者による待望のフーコー入門書である。入門書であるのだから、フーコーの主要著作の内容紹介はもちろんなされる(まだ邦訳のない『肉の告白』の解説もなされる)。しかし、それと並んで本書が重視するのは、著作と著作のあいだにあるつながりである。フーコーは次々と主題を変える。その変化をどう説明すればいいのか。 著者によれば、最初期のフーコーの問題意識は、近代社会のなかで失われた人間性をどう取り戻すか、というものだっ
私はフーコー主義者ではないが、それゆえにフーコーの可能性をつぶすさまざまな言説が気になる。 1)初期のフーコーは完全にメルロ=ポンティの「コピー」とでもいうべき立場であった(ビンスワンガー序文、ゲシュタルトクライス、精神医学とパーソナリティ。。)。ただし心理学の利用を放棄し、歴史性の問題へと足早に移行したこと、それはダイレクトに「制度論」へと向かうことを可能にした(「狂気の歴史」)。だがそれを可能にしたのはフッサールの「幾何学の起源」のメルロ=ポンティ的読解である。デリダ的読解ではない。 2)狂気の歴史の「序文」はほとんどメルロ=ポンティだが、デリダの不毛な介入ゆえ、フーコーは構造主義者やエピステモロジーへと近づく身振りをせざるをえなかった。サルトルがジュネを殺したように、デリダはフーコーを殺しかけたのである。彼は多くの点でサルトル的殺人を反復している。 とくに狂気の歴史が反精神医学と混同
◆箱田 徹 20130920 『フーコーの闘争――〈統治する主体〉の誕生』,慶應義塾大学出版会,320p. ISBN-10: 4766420667 ISBN-13: 9784766420661 \2500+税 [amazon]/[kinokuniya] ※ 【関連サイト】 ◇ Michel Foucault Archive (仏, 英ほか) http://michel-foucault-archives.org/ ◇ Portail Michel Foucault (仏) http://portail-michel-foucault.org/ ※関連行事、出版物の案内など。 ◇ Foucault News(英、仏ほか) http://foucaultnews.wordpress.com/ ※関連情報のアップデート ◇ Foucault Info (英) http://foucault.in
なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の
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