これもほしい。対策急務。 RT @contractio: 『なぜあの人たちは書いてないことが読めるのか』(河出書房新社) 2013-03-26 10:55:04 via twicca to @contractio これは話が逆で、むしろ この人たちは、なぜ自分が「書かれたことしか読み取っていない」と言えるのか。 社会生活は、つねに「書かれていないこと」の読み取りを強制されていて、 うまく参加できない人は、そこでつまずいている状況があります。*1 「書かれてあることを読み取っている」については、文字や音声の物証を挙げて、目の前で説明できるので、わかりやすいでしょう。ところが、 「書かれていないこともすでに読み取っている」 については、説明が抽象的にならざるを得ません。 「書かれていないこと」の中身は、即物的に提示しにくいからです。 すでにやっていること、なのに 一部の方々は、「書かれたことし
《精神科の診断カテゴリ名の運用について》(togetter) 酒井泰斗氏から、私にいただいたレスポンスです(ありがとうございます)。 以下は今の時点でのお返事、というか、とりあえずの整理です。 モチーフの基調音として それまで価値観を共有していると思っていた周囲の人たちまで、 実際に生じたことについての、古臭い解釈に居直ることがあります。 「権威ある誰か」の言い分は、そこでダメ押しみたいに抑圧する(参照)。 「これ、おかしいですよね」 「いや、問題じゃないな」 → 問題意識を分節することそのものが、どうしようもなく孤立する。逆境にある。 あなたには、なぜそれが「問題」だと分かるんですか? あなたが考えを変えればいいのではありませんか? → 新しく説明原理から作り直すしかない。 そしてそれは、既存の解釈格子に捨てられる。 「そんなものは、説明でもないし、問題でもない」と言われ続ける。 「個別
【承前】 @contractio / @ueyamakzk せっかくいろいろ書いていただいたので... レスポンスを頂き、ありがとうございます。 とはいえ正直なところ、居直りをされてしまったように感じています。 酒井さんは先日、私が「発達障碍的」という言葉を使ったところ、 以下のようにコメントされています(参照)。 @contractio / @ueyamakzk んーと。「精神科の診断カテゴリを(不... これを「厳密に用いるべきだ」という趣旨と受け止めたのですが、 日常レベルの言い換えとして、私がそんなにひどい曲解をしたとも思えません。 ところが酒井さんは、歌舞伎役者のように 「生まれてこのかた、一度も述べたことのない主張だ」とおっしゃる。 酒井さん(あるいはエスノメソドロジー?)においては、 「不当である」ことと、「厳密ではない」ことの あいだ に、激しい差異があるのでしょう。 ――
菅野盾樹氏の執筆による、「臨床的眼ざしの誕生――医療の記号論」より(強調・改行は引用者): 徴候への眼なざしがそれを〈症候〉と捉えること(症候の生成)はどのようにして可能だろうか。この問いに対しては眼なざしが帰属する「暗黙知」(tacit knowing)の規定性を挙げておいた。つまり症候を捉える眼なざしは、生きられたエクスパートシステム(implicit expert system)のひとつの要素なのである。エスノメソドロジストの目的は、おのおのの社会的実践(医療、教育、司法など)に対して、この種のシステムが明確化する様態を記述することだと思える。彼らは、これをもって、コミュニケーション過程において社会的実践の類的同一性が構築されるという事態の解明と見なしている。 実際のところ、彼らは当該の社会的実践を規定するシステムを前提しているのではないか、という疑いを払拭できない。つまり、彼らの記
以下の酒井泰斗氏のご指摘は、さまざまな関係者にも読んでいただきたく、まとめてみました。 直接には私へのレスポンスですが、「これにどうお答えするか」というのは、 技法のもんだいとして、時間をかけて議論したいです。 ●「分析にあたっては、継続的な修正のできるやり方が必要」(酒井〔contractio〕氏) 以下、現時点で答えられることにお返事してみます。 《当事者》枠とディシプリン 【1】 「A:苛立ちの分析」は──「苛立っているひとの分析」ではなくて──、「それが生じる状況-に参加している人たちが-何をどのようにしたか-についての分析」を必要とするでしょう。 2012-11-16 22:07:19 via HootSuite @ueyamakzk ところで、そうしたことと、「B:悩んでる人、弱い立場の人を一方的に《当事者》と名詞化するのではなくて、…、分析してもらえませんか?」というお願いの
本エントリは、twitter 上でのやり取りについて、あまりに長くなったお返事をまとめたものです。 直前の大まかな文脈についてはこちらを、さらに詳細なリンク先等はこちらを、ご覧ください。*1 《「理論」という言葉は、どういう意味で使われているか?》(togetter) @ueyamakzk それはそれとして。上山さんは、ここで「理論」という言葉を持ち出しましたが、それは、一方では ちょっと異様な感じがします。(ふつう、他人のやり方(or失敗)を真似したり参考にしたりするときに、「理論」には訴えないでしょう。) 2012-11-14 02:06:40 via web to @ueyamakzk ご指摘ありがとうございます。 「理論という言葉の前提が問題だ」というお返事を書いていたら、酒井さんも 「そもそも理論ってなんだ」 という話をされていたみたいです。 ひとまず私が「理論」という言葉で意味
contractio 氏、「正しいこと言いたいなら 笑いか権力、どっちか取らなあかんで」(togetter) お忙しいところ、お返事ありがとうございます。 【※本エントリに頂いたお返事も、togetter に追加しました。】 私は 《権力》 という言葉を、「領土的な反復や強制力」というぐらいの意味で使っていました。 集団のなかで自分だけが笑えない場合、その場に反復される《笑いのスタイル》に、どうしても入っていけない。 これはマイノリティだけでなくて、例えば 「とんねるず⇔ダウンタウン」 のように、それぞれがお笑い強者のはずなのに、同席すると笑えない、ということがあります。 つまり、ある解釈のフレームがその場を支配する必要があって、それが軋み(きしみ)を起こすと、笑えない。私はそこに、権力の話との重なりを読みとったのでした。 周囲が笑っているのに、自分が笑えない場合、それが お笑いのスタイル
ハイデガーMartin Heidegger(1889-1976)―なぜ、有るものがあって、無ではないのか? http://www.ne.jp/asahi/village/good/heidegger.html さて二十世紀のドイツ哲学といえば、まずハイデガー(1890-1976)だ。 ハイデガー哲学のテーマは、ただ一つ、「存在」である。 平たく言えば「ある」とは何か、である。 「ある」ものが何か、ではない。ここは要注意。 「ある」もの(=存在者)と、「ある」という事柄(=存在)とは、厳しく区別しなければならない。 この二つを混同して、その上、精神ではなく物の存在を、「存在」の意味だと考えしまうと、「ある」という事柄が誤解される、とハイデガーは言う。 むしろ「存在」とは、全ての「あるもの」をあらしめている働きである。 (この働きの根源を、中世の神学者たちは「神」と呼んだ。) 「存在」というこ
readingベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)作者: ヴァルターベンヤミン,Walter Benjamin,浅井健二郎,久保哲司出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1995/06メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 50回この商品を含むブログ (66件) を見る [目次] 凡例 言語一般および人間の言語について * ゲーテの『親和力』 * アレゴリーとバロック悲劇 * パリ──十九性器の首都 セントラルパーク ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて * シュルレアリスム ベルト・ブレヒト 叙事演劇とは何か 写真小史 複製技術時代の芸術作品 * 歴史の概念について 解説 ──── ■関連はてなダイアリー id:nakamurabashiさん「「大量複製業者」の時代の終わり」 http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin 有事の学問は確かにタイムリーだけど、平時の方が圧倒的に長いんじゃないの、とまず思った。あと、有事に応用できないスキームは問題があるというか、有事平時の区別ができてしまう時点で社会科学としてどうなのと。 2011-03-30 21:43:50 るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin 災害があったからといって、社会の基本的構造が変化するわけではない。相変わらず生産と配分と再生産が経済の基礎だし、人々は意味を通じて相互作用している。「応用問題」としての有事の学は否定しないが、そこに主に注力するのはどうかと思う。 2011-03-30 22:28:05
@moriteppei@mastodon.social @moriteppei RT @kabutoyama_taro: 一昨日だか、@ishtaristさんと長い意見交換をしたフェミニズムと当事者性問題に、私自身がモノの見事に予言の自己成就的にハマってしまいましたわ。とほほ…。 2010-11-23 13:03:15 @moriteppei@mastodon.social @moriteppei ↓何それ。そういうものの見方に対する反省(倫理的反省ではなく、認識上の反省)、全然ないのかよ。なぁーにが「予言の自己成就的に」だ。気取ってんなよ。ぼくは学者でもフェミニストでもないが、「非は完全あちら」っすか。学問っちゅーのは、悪者がいて、ホント楽な商売でやんすねえ。ゲホホ。 2010-11-23 13:07:49 @moriteppei@mastodon.social @moriteppei
「議論できねーヤツが議論しているから」というマジレスはありでしょうか、なしでしょうか。 なぜツイッターでは繰り返し「ツイッターは議論に向かない」と執拗に主張されるのか問題 - Togetter まあ、それは暴言としてもだ、基本的にはツールのせいにするのはどうかと。場とか道具とか環境のせいにしてもはじまらん。そのツールや場や道具や環境のもとでも機能する状況があるのならば、きっとそれ以外の要因によって議論にならなくなっているはずなわけで。 Twitterでも議論が成立することがある以上、議論が成立しないのはTwitter以外に問題があると考えたいのよね。もちろん、このまとめの表題にあるように、「向き・不向き」の話なわけだから、ツールとして向かない可能性はあるんだけども、ツール自体に問題がなく、使われ方に問題があるのならば、その問題点を修正すればいいだけのことだしね。Twitterの向き・不向き
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