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哲学に関するglobalheadのブックマーク (15)

  • ウィトゲンシュタインにおける言葉の意味と哲学の意義(大谷 弘) │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

    稿は、『哲学探究』を中心とする後期ウィトゲンシュタインの言葉の意味についての見解を検討し、それを通して、後期ウィトゲンシュタインが「哲学」というものをどのような営みとして捉えていたのかということを明らかにする試みである。後期のウィトゲンシュタインは、言葉の「意味」を考えるに当たって、「使用」に注目することを重視する。しかし、ウィトゲンシュタインが「使用」ということで何を考え、また、言葉の意味と使用の関係をどのように考えていたのかは、必ずしも明らかではない。この問題についての従来の解釈は、大きく二つに分かれる。一つは、言葉の意味にとって質的な使用の特徴を同定し、それに基づく哲学的な「意味の使用説」をウィトゲンシュタインに帰す解釈である。この方向での解釈は、「使用」を証明や検証という概念と同化し、構成主義者としてウィトゲンシュタインを描く者、あるいは決断や決定という概念と「使用」を結び付け

  • 3分でわかる! ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』

    哲学の結論はそれぞれバラバラだ。数学や自然科学のように、スッキリした答えがでない。それもそのはず、過去の哲学はその思考ツールとしての言葉を誤って使っていたからだ。言葉の分析をすれば、正しいことがわかる。なぜなら思考=言語だからだ。 言葉が世界を正確に写し取っている 『論理哲学論考』とは、一言でいうと「過去のすべての哲学を初期化する哲学」です。 哲学というのは言葉の学問です。すべて、文として表現されます。 古代ギリシアの時代から、様々な哲学者が「言葉=思考」を展開してきました。 しかし、哲学者の説いた説が正しいかどうか以前に、彼らの言葉の使い方を分析して誤りがわかったなら、もう中身は検討しなくていいわけです。問題を消去すれば、問題は消えるというのです。 「問題はその質において最終的に解決された」(同書) たとえば、コンビニで肉まんを頼んだのに誤ってチキンが出てきたとしましょう。 そのとき、

    3分でわかる! ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
    globalhead
    globalhead 2024/11/11
    “「5・61 論理が世界を満たしている。世界の境界は論理の境界でもある」”
  • SEKAI 未来を広げるWEBマガジン by 東進

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  • 【全板集合】2chにある無駄な知識を集めるスレ『世界の魅惑的なエレベーター10』:哲学ニュースnwk

    2012年02月11日20:22 【全板集合】2chにある無駄な知識を集めるスレ『世界の魅惑的なエレベーター10』 Tweet 642: 水先案名無い人:2010/08/16(月) 13:30:16 ID:rwnDrPpT0 両生類への完全な移行型種 7 名前: セラピスト(東京都) :2010/08/16(月) 13:25:24.95 ID:Cu1XjM/20 これが2004年に発見された両生類への完全な移行型種であるティクターリク オカルトバカどもの「進化では海から陸に上がるような 大きな変化は不可能」という馬鹿げたタワゴトが 完全に粉砕された 655: 水先案名無い人:2010/08/16(月) 19:10:16 ID:Za83JwCp0 >>642 これが俺らのご先祖様か・・・・ こいつが何のキッカケか陸に上がっちゃったことで なんか、ありえないくらいトンデモナ

  • スワンプマン - Wikipedia

    スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。思考などの心の状態や発話の内容を主体がその時とっている内的な状態だけでなく、来歴にも依存するものとして捉える彼の理論への可能な反論として提唱された[1]。ルース・ミリカンの目的論的意味論などの同じく歴史主義的・外在主義的な志向性や内容の理論への反例としても論じられる[2]。スワンプマンとは「沼 (Swamp) 」の「男 (man) 」という意味の英語。 ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。 この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言

  • 水槽の中の脳 - Wikipedia

    水槽に浮かぶ脳。分かりやすくするため、脳とコンピューターの間をつなぐ配線は三しか描かれていない。 水槽の中の脳(すいそうのなかののう、英: brain in a vat)とは、「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ている夢なのではないか」という仮説。哲学の世界で多用される懐疑主義的な思考実験で、デカルトのグローバル懐疑論(悪しき霊、欺く神)の現代版である。1981年に哲学者ヒラリー・パトナムが用いた思考実験が有名であるが[1]、同種の思考実験はそれ以前からある[2]。正しい知識とは何か、意識とはいったい何なのか、といった問題、そして言葉の意味や事物の実在性といった問題を議論する際に使用される。水槽の脳、培養槽に浮かぶ脳、桶(おけ)の中の脳、水槽脳仮説などと訳される。 ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような特殊な成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細

    水槽の中の脳 - Wikipedia
  • メアリーの部屋 - Wikipedia

    メアリーの部屋は1982年に哲学者フランク・ジャクソンによって提出された思考実験である。思考実験の内容は以下の通りである。 白黒の部屋で生まれ育ったメアリーという女性がいる。 メアリーはこの部屋から一歩も外に出た事がない。 つまりメアリーは生まれてこのかた 色というものを一度も見たことがない。

    メアリーの部屋 - Wikipedia
  • 哲学的ゾンビ - Wikipedia

    哲学的ゾンビ(てつがくてきゾンビ、英語: Philosophical zombie、略: p-zombie)とは、心の哲学で使われる言葉である。物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、我々の意識にのぼってくる感覚意識やそれにともなう経験(クオリア)を全く持っていない存在と定義されている。 デイヴィッド・チャーマーズが1990年代にクオリアの説明に用いた思考実験であり心の哲学者たちの間で有名になった。 ホラー映画に出てくるゾンビと区別するために、現象ゾンビ(Phenomenal Zombie)とも呼ばれる。おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義(または唯物論)の立場を攻撃する際に用いられる。ゾンビの概念を用いて物理主義を批判するこの論証のことをゾンビ論法(Zombie Argument)、または想像可能性論法(Conceivability Argumen

  • 中国語の部屋 - Wikipedia

    中国語の部屋(ちゅうごくごのへや、Chinese Room)とは、哲学者のジョン・サールが、1980年に “Minds, Brains, and Programs(脳、心、プログラム)” という論文の中で発表した思考実験[1]。 中国語を理解できない人を小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるという内容。チューリング・テストを発展させた思考実験で、意識の問題を考えるのに使われる。 ある小部屋の中に、漢字を理解できない英国人(以下Aとする)を閉じこめておく。この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通してAに1枚の紙きれが差し入れられる。そこにはAが見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、Aにしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。Aの仕事はこの記号の列に対して、新たな記号を書き加えてから、紙き

  • ウィトゲンシュタイン

    ウィトゲンシュタイン Ludwig Wittgenstein( 1889-1951) 二十世紀の哲学を「言語論的転回」と特徴づける人は多い。その一つの中心にあるのがウィトゲンシュタインである。 ウィトゲンシュタインの哲学は、『論理哲学論考』に代表される前期哲学と、『哲学探究』を中心とする後期哲学とに分かれている。 両者は、ある意味で正反対の立場に立つものだが、一貫して「言葉とは何か」「意味とは何か」という問いに貫かれている。 簡単に言えば(あまり簡単ではないが)、前期では、言語が世界を写す「像」であるという前提から出発して、言語を論理的に純化する(それによって認識を明晰化し、更に認識の限界を示す)ことを目指したのに対し、 後期では逆に、言語をその多様な姿において考察し、言語は(それ自身以外の何かに根拠を持つものではない)自律的な出来事である、という観点にたどり着いている。 『論理哲学論考』

  • やるおで学ぶ西洋近現代哲学入門:ハムスター速報 2ろぐ

    哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-225.html 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/21(金) 02:20:23.61 ID:sIt3qGIe0       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●)   \ やる夫は何故生まれて来たんだお   |      (__人__)    |     \     ` ⌒´     /       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●

  • 記号と事件 - 池田信夫 blog

    書は、ドゥルーズの死の直前に出た訳書の文庫化だが、彼の多くのの中で最初に読むとしていいだろう。それは『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』などの内容が対話調でやさしく語られているだけでなく、むしろ最晩年の彼がそうした過去の議論を否定しているからだ。フーコーは、規律社会と、その主たる技法である「監禁」の思想家とみなされることが多い。しかし、じつをいうと、フーコーは、規律社会とは私たちがそこから脱却しようとしている社会であり、規律社会はもはや私たちとは無縁だということを述べた先駆者のひとりなのです。(単行p.288)「監視社会」の恐怖を煽り、「プライバシー」なる幻想を振り回すおめでたい人々は、全知全能の「ビッグブラザー」が国民を監視していると思い込んでいるのだろう。しかし年金問題で露呈したのは、ビッグブラザーのお笑い的な実態だ。むしろ問題は、社会に流通する膨大な情報をだれも管理でき

  • ドゥルーズ

    ドゥルーズ Gilles Deleuze(1925-1995) ドゥルーズは、健全な「欲望」の姿と当の「私」のあり方を、語っている。以下は、二十代の女性が酔って書く日記の一節。 「私の心と私の言葉の間には、決してうめられない溝がいくつもあって、それと同じくらい、私の文章と私の間にも距離があるはずだ。 でも一般にみんな、日記に向かうとき素直になっているような気になっている感じがして、気持ち悪いから何となく日記は気取っていて、いやなのだ。 当に人を救う尊い仕事をしている男が、ある朝交差点で世にもHなお姉さんの後ろ姿に勃起し、さらにその日のうちに幼い娘に八つ当たりし、と話しあって高次の愛に接したら、それはみんなその人で、その混沌が最高なのにみんな物語が好きだから、人もそうだから、統一されたいと願ったり、自分をいいと思ったり悪いと思ったり、大忙しだ。 変なの。」(吉ばなな『アムリタ』)

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    『千のプラトー 資主義と分裂症』 ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ(共著) 宇野 邦一 他訳 河出書房新社(1994) ¥7,035(税込み) ISBN:4309241514 フランスの哲学者ジル・ドゥルーズと、精神分析家フェリックス・ガタリの共著です。哲学書として読むべきか、副題の「資主義と分裂症」に留意して社会臨床的な試みの著述であるとみなすのかは悩むところですが、一般的には哲学書、分類上はポスト・モダニスム系の哲学書とされています。なお、書は「資主義と分裂症」の第1部をなす『アンチ・オイディプス』(1972年)の続編として1980年に刊行されました。 ポスト・モダニスムとは、近代の負の側面に執拗に光を当てようとする一群の哲学ですが、思考の射程が時にギリシャ・ローマに遡ることがあるとはいえ、扱われることは主に近代のありようであり、今日、普遍的ないし自明とされるものは近代社

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。

    中沢新一さんの真正面からの真剣ふりおろしは、 会場のすべての人々の魂をつかんだと思います。 1500名の聴衆に「静けさのある興奮」が訪れました。 糸井重里に邪魔されながら、 タモリさんに突っこまれながら、 旧石器時代から現代につながる人間たちの姿を、 そして未来に向けての人間たちの希望を…… 目の前に、想像させてくれたのです。 「はじめての中沢新一」 イベントの日の語りを、贈りもののように、 ほぼすべて、おとどけしてゆきます。 (これまでの「はじめての中沢新一」連載はこちらです)

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