2016.12.17 北方領土問題のルーツとなった140年前の樺太千島交換条約 カテゴリ:地理 一連の日露首脳会談でクローズアップされた北方領土問題。 分かっているようで分かっていないこの問題の根源は明治時代に遡る。 明治2年(1869年)、明治政府は開拓使を設置して北方開拓を本格化させるが、日露が混住する樺太では住民同士の紛争も絶えなかったことから、明治7年(1874年)に両国は樺太千島交換条約を締結する。 今日でも解決の糸口を見ない北方領土問題だが、そのルーツをたどると、この条約にたどりつく。 日魯通好条約 正保元年(1644年)に江戸幕府が作成した『正保御国絵図』に「くなしり」や「えとほろ」「うるふ」など千島列島と思しき島が描かれている。 これは蝦夷の統治を委ねられていた松前藩の調査を基に描かれたとされ(他の地域に比べて精度が著しく低いことから、アイヌからの伝聞による可能性もある)、