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2011年10月13日木曜日

ゲンズブールのこと。


■Buenos   ゲンズブールのこと。
 
 セルジュ・ゲンズブール。
 死んで20年になります。
 あこがれの人です。
 マルチな生きざまに惹かれます。
 作詞家、作曲家、歌手、画家、映画監督。
 映像はダメでしたが、音は20世紀に金字塔を打ち立てました。
 ブリジッド・バルドー、ジェーン・バーキン、女遍歴でも金字塔をおっ立てたとか。
 それよりもマルチが臭い立つのは、酒、タバコ、クスリ、反体制、貧弱なヤサ男のネクタイ青年期、無精ヒゲと澱んだ目で暴れた晩年、女にモテまくるコンプレックスのかたまり、フランスの横山やすし、才能あり余って破綻していくめんどくさいオッサンの生涯です。

 「ゲンズブールと女たち」は、フランスのマンガ家、ジョアン・スクチールが初めてメガホンを握った映画。
 ゲンズブールの伝記と思いきや、スクチールのイマジネーション下にあるゲンズブール物語を紡いだ情緒豊かな作品でした。
 でも、主役のエリック・エルモスニーノがゲンズブールに似すぎていて、というか、奇跡のように似た俳優が存在したことでゲンズブール映画が21世紀に実現したわけですね。ブリジッド・バルドー役もジュリエット・グレコ役もみな肢体グリグリとリアリティーをゲンズブールとスクリーンにぶつけてきます。
 もちろんジェーン・バーキン役のルーシー・ゴードンが準主役なのですが、撮影後に彼女が首つり自殺したという情報が「イル・ポスティーノ」のマッシモ・トロイージの鬼気迫る演技とダブってしまいます。

 映画は、少年期、青年期、晩年期、それぞれを異なる筆致で描きます。
 少年期。ロシア系ユダヤ人としてナチ占領下のパリを斜に構えて突っ張る姿は、ルイ・マル「さよなら子どもたち」にダブります。青年期、孤児院で神経質なギターを弾き自らが音楽に弾けるシーン、分身が絵を焼くシーン、そして邂逅したボリス・ヴィアンがミニ・トランペットでセッションに絡むシーンは、珠玉。晩年、ジャマイカから戻り、ラ・マルセイエーズを軍人らと歌うシーンも劇的です。映像の力をよく理解している監督です。初作品とは思えない。 

 ぼくがゲンズブールを初めて聴いたのは、京都大学西部講堂のウラにあったたまり場でした。30年前、そこを仕切っていたコンチネンタルキッズのしのやん(モヒカン)が「おまえコレ好きなハズや」と塩化ビニルのLPに針をゴトリと乗せたのです。「Je Taime... Moi non plus」でした。次の曲が「69 annee erotique」。ショック。どっちもあり得ないエッチな曲。これぞパンク。身の毛がよだち、イッパツでヤラれました。 

 当時ぼくは音楽的にはロンドンパンクと京都・東京インディーズの間を行き来していたのですが、それからゲンズブールにブリジッド・フォンテーヌやらリタ・ミツコやらがかぶってきてしまい、30年です。 

 91年、ゲンズブール死すの報に触れた際も、ショックとはいえ案の定、やることやった感がただよっていました。ぼくがスパイとしてパリに勤務することになるのはその2年後ですが、到着した晩にアパートのTVをつけたら、ゲンズブールとバーキンの特集番組がオンエアされていたことを鮮明に覚えています。このオッサンは、大切にされているんだな、と。 

 以来20年、ぼくもうろうろしています。放蕩に憧れて、でもそのスタート地点に立つこともできずに、ただうろうろするばかりです。

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