はてなキーワード: 加害意識とは
昨日36歳にして人生で初めてLINEブロックされたんけど、これショックでかすぎて記録したい。
私が思春期時代にも着拒とかあったけど、このコミニュケーションインフレ時代に、それまで仲良くしてた(と当人だけ思っていたわけだが)相手から「突然ごめんやけど、お前とは金輪際なんの言葉も受信したくないし何の関わりも持ちたくないのでブロックします。RIP🙏」って30代後半の死んだ感受性でもめちゃくちゃメンタルやられるな?
しかも恋人とか家族とか親友といった重要な他者でもない、上司なのに、こんなにも心がぐちゃぐちゃだ。検索履歴が「LINEブロック意味」「LINEブロック性格やばい」「LINEブロック倍返し」などで埋まっていく飲み虚しい。後悔と戸惑いで意識リソースすべて持ってかれるの虚しい。
こんな、こんな心を動かされることがまだあるんだ。
ネガティブ感情による攻撃は、怨恨による不条理や不利益が溢れ出る命の泉なので、くそうざいキショい頼むから4んでくれ、と思っても着拒やブロックはしない。多少利害が絡む相手ならば。しかしそれをおいても攻撃せざるを得ないハラスメント案件を無自覚に発生させていたこの事実が、その無言による糾弾が、いちばん堪える。
これまでの自分の言動、加害意識はなかったその言動すべてがハラスメンタルでしたという事実を突きつけられ、この存在自体が無価値どころか有害であるという自認で、意識ある時間がすべて自己を脅かしタイムになる。今日仕事あったからまだよかったが明日は日曜だし死ぬだろう。
中年期の感受性でこんなにも心揺さぶられることは最近とみになかったし、なんなら「ひとの気持ちを想像してみましょう」をガチでやれる機会をくれらあたりさすが上司なんだけど、これまで7年一緒にやってきたから、めっちゃ感謝してるから、それでも大好きだから、やっぱりすごく悲しくてさみしいわ。
週明け1on1どうすんのこれよ。
昨日36歳にして人生で初めてブロックされたんだけど、これは、ショックでかすぎて、記録したい。
私が思春期の時代にも着拒とかはあったけど、このコミニュケーションインフレ時代に、それまでふつうに仲良くしてた(と当人だけ思っていたわけだが)相手から「突然ごめんやけど、お前とは金輪際なんの言葉も受信したくないし何の関わりも持ちたくないのでブロックします以上」やられるの30代後半でもメンタルめちゃくちゃやられるな?
しかもべつに恋人とか家族とか親友といった重要な他者でもない、職場の上司なのに、こんなにも心がまっくろだ。
土曜の検索履歴が「LINEブロック意味」「LINEブロック性格やばい」「LINEブロック倍返し」などで埋まっていく。意識のリソースすべて持ってかれる。すごい。こんな、こんな心を動かされることが、まだあるんだ。
ネガティブ感情はリスクであり、不条理や不利益を生み出す源泉なので、なんらかの利害関係がある以上くそうざいキショい4んでくれ、と思っても着拒やLブロックはしない。しかし、それを発生させるほどのハラスメント案件を発生させていた事実が、その無言による糾弾が、いちばん応える。
これまでの自分の言動、加害意識はなかったその言動すべてが、加害意識がないゆえにその最悪さを増し、ハラスメンタルを決めていたという事実を突きつけられる。この存在自体が無価値どころか有害であったのか。
中年期の死んだ感受性で、こんなにも心揺さぶられることはなかったし、なんなら「ひとの気持ちを想像してみましょう」をガチでやれる機会なんて最近なかなかないから流石は上司なんだけど、これまで7年一緒にやってきたから、めっちゃ感謝してるから、それでも大好きだから、すごく悲しくてさみしいですよ。
君たちはどう生きるか、をみた。
自分はジブリファンではないので、物語の先にある「モデル」や「元ネタ」までは考えが及ばないのだが、
「こんなお話だと解釈したぞ〜」ってのを書きたい!(ネタバレあり)
「ライフステージ転換期の、戸惑いと受容を描いたお話」だと思った。
転換期の渦中、心や体の変化に戸惑いを抱える者たちが神隠しにあった〜みたいな。
キリコに関しては、次のステージに引き上げてくれるキャラに感じた。
ちょっと悪知恵をくれる先輩だったり、手助けしてくれる産婆さんみたいな(実際物語では船頭や見守り役に徹するし)。
だけど眞人はこの先の人生に興味がなさそうで、疎開先の学校も嫌、新しいお母さんも嫌、
気持ちはこれから先の「生」よりも、死んでしまったお母さん、つまり「過去」に向いている。
しかし体や心は先へ先へと成長していて、ナツコや父親の「性」に触れて戸惑い、怒りを感じている。
塔への侵入が失敗に終わった後の眞人の声の低さに驚いた。
2次成長の強調を感じて、眞人は少年→青年になりかけている状態なんだなと思った。
初期、アオサギヘ異常な攻撃性を持って接しているのも思春期のあまりあるパワーを感じたw
自傷行為は、クラスメイトへの嫌がらせではなく「こんな環境に送り込んだ父親」を責めたい面もありそう。
「自分が拒否しているんじゃない、周りが自分を拒否しているんだ」という状態を作り出したい、
社会への拒絶を相手のせいにしたい…という受け身な心の表現のように思えた。
アオサギはそんな「社会的死を望む眞人の心の表れ、葛藤」なのかなと。
成長なんかしないでずっと自分の中にいたい!ずっと子供でいたい!みたいな願い。
異世界に行ったのもの「ナツコを取り返しにいくぞ〜!」みたいなモチベがあったわけではなく、
ただただお母さんに会うために、流されるままにいった印象。
なんなら「お母さん=過去」に向かって、成長したくない〜〜みたいな思いも抱えながら向かっている感じ。
同様に、ナツコもつわりに苦しみ、出産が怖かった。いきなりできた息子(眞人)が怖かった。
言われなきゃ妊娠中なんてわからない、母親感のない妖艶なお姉さんビジュ。
そんな、変化が怖い!変わりたくない!状態の眞人とナツコが、同じく殻に閉じこもった大叔父に導かれて異世界へ行ったのかな〜というのが物語の始まりの捉え方。
ヒミとの出会いは、「自分の中の母親像に別の面を見つける」という体験だったんじゃないかなあ。
母親が元少女だったことを知る、そして少女が母親になるということのヒミツを知るというか。
産屋に入る=禁忌を犯す…というのは、「性行為」を知る?とかなんじゃないかなと。
(ナツコとヤったとか、ナツコで抜いたとかじゃなく、どうやったら子供ができるか知っちゃう…みたいな)
ヒミ/ヒサコ、ナツコ、眞人は性行為を知っているから楽園から追い出される…みたいな見方もできるのかなあ。大叔父はそれを知ることを拒んだからずっと楽園にいる。
血の表現の多さや、おどろおどろしいジャムパンは処女性の喪失のようにも思えたし、ジャムとパンはキリスト教で言うワイン(血)とパン(肉)にも思えた。
(あの食事シーンでキリストとの契約=人類を繁栄させ続けることを約束させられたのかな?とも思ったり。)
精子っぽい表現の多用、「命を奪う、頂く」「命が死ぬ、命をつくる」みたいなモチーフも多くて、全体的に「命の受け継ぎ」が描かれてる感じがした。
ワラワラの邪魔をする老ペリカンたちは、戦争によって死んでしまった人や今で言う氷河期世代なんかの
「そう生きざるをえなかった人々=命を繋げなかった人々」なのかなあとも思えて、
その選択や悲しみを否定する気にはならず、敵キャラだとは思わなかった。
このへんは私が出産適齢期を過ぎつつある未婚女性だからそう感じ取ったのかも。
そしてこれだけ性的な印象を感じておきながら、物語全体を通して「子を産め」というメッセージだとは思わなかった。
というか、大叔父の世界で作り出されるワラワラたち=精子たち?は…なんか受精しなさそうな感じがするw
殺生もせず、無垢なもの(加害意識を持たざるもの)の精子の放出は、オナニーなんでないかい…?と。。
ナツコが「あんたなんて大嫌い」みたいに言うのは、眞人だけに向けられた言葉じゃなくて
子供を産み育てることへの恐怖、与えられる存在から「与える・守る存在」に変わらなければならない、母になることへの恐怖の表現なんじゃないかなと。
眞人が「お母さん」と呼びかけることでやや柔和な表情に変わるのは、眞人への好意ではなくて覚悟が決まったような、我を取り戻したような感じがした。
あのシーンでナツコは母になる覚悟、眞人は大人になる覚悟(母親の死を受け入れ新しい母親を受け入れる、実社会と向き合う覚悟)が決まった感じ。
そういう意味ではこの物語は神隠しではなくて、「ナツコの出産」の寓意でもあるのかな?
13個の石の積み木が駿の作品数を意味しているとは思いもしなかった〜!(というかそんな知識なかった!)
英語で12まではeleven…twelve…て数えるけど、13からはteenで数え始めるので、そういうキッズとティーンの境目に留まる…みたいな意味なのかなと思って見てた。
大叔父はキッズにしがみついて、1から13まで積み続けるが13を超えられない(13個詰むとバランスが崩れてしまう)
眞人にとってのアオサギは、大叔父にとってのインコ大王なんじゃないかな。大叔父は、インコ大王と共に自分の楽園に閉じこもることを決めた。
眞人はアオサギを説得し、社会と向き合うことを決めた。13よりその先の世界を作っていくことを決めた。
(この異世界が聖書の楽園だとしたら、キリコは蛇の側面もあるのかな…)
大叔父もけして悪役とは思えなかった。
本をたくさん読んで知識と理想の社会への願いはたくさんあったんだろう。だけど実社会で石を積むことを選ばず、自分の楽園を"理想の世界"にすることを選んだ。
大叔父は眞人を楽園に閉じ込めようなんて思ってなくて、世界へ送り出すことを心から喜び、希望を託しているように思えた。
このシーン、これが駿からのメッセージなんだろうなと思って見ていた。
自分の理想や知識や教養を大切に、でも自分の中だけでもなく、血縁でもなく、半径5mでもない、外の世界と折り合いつけて"よく生きてくれ"みたいな。
いつまでも誰かの作品や誰かに庇護される世界に留まっているなよ〜みたいな。
私たちはみんな14個目のブロックを渡されていて、この世界をよくするためにそれを投じる責任がある。そんなことを思った。
神隠しのような、蘇りのような、胎内回りのような鑑賞体験を通して自分が感じたのは「やだ〜〜思春期追体験みたい〜〜〜」という感想。
アオサギが言ったように、私たちはじきにこの感情を忘れてしまう。
成長と共に、私たちの世界への意志(理想や希望や野望)はどんどん弱まってしまう。だけどカケラぐらいはみんな持っている。
自分が忘れても、キリコ(私たちの思春期を見守っていてくれた少し上の先輩)はうっすらとその青い時代を覚えていてくれる。
この社会の暖かさと、この社会を大人として生きていく自分の責任…みたいなものを感じらせられて、鑑賞後はなんだかじんわりと涙目になってしまったのだった。
アッ…そういえばこの映画には「おわり」がなかった。たぶん。
監督から後世を生きるわたしたちに対して「社会と関わること」「命を紡ぐこと」「ものをつくること」のバトンを受け渡されてるような気がして、
この世界はおわらない、つづいてく…さぁ、君たちはどう生きるか?みたいなメッセージを感じた。(タイトルのまんまァ!!)
この映画難しいなって思ったのは、小さな感情の動きやメタファーっぽいものがバラ撒かれていて、
それらが調理されて最終的にハンバーグやらカレーになって出されるでもなく、そのまま終わるところ。
見る人は、物語のカケラを自分なりに取捨選択して、頭のなかでそれぞれのストーリーに調理しなければいけない。
それゆえ、ジブリや駿ファンはそれを彼らの社史や人生だと捉えるし、そうでない人は何か別のものに捉えるのかも。
(当然"カケラ"だけ渡されるわけなので「なんのストーリーもなかった…なにこれ?」となるのも当たり前。)
私は出産適齢期を過ぎつつある未婚女性なので、どうしてもカケラの拾い方や積み方にクセがあると思う。
でもそういう、「見る人によって様々なミスリードが生まれる=見る人の中にいろんなストーリーが生まれる作品」って本当に面白いと思うんだよね。
結局この映画が見せているのは映画ではなく、自分自身のような気がする。
私の勝手な解釈を読んでイラだった人もいるかもだけど、もしよかったら他の方が感じたストーリーも教えてほしい!
先人の皆さんたちの解説も楽しく読みました〜!!(ジブリいろいろ未視聴なのでほ〜そう読み取ると確かにおもろ〜と勉強になった…
https://anond.hatelabo.jp/20230714205336
アンジュルムの「悔しいわ」の歌詞本当にひどいと思う。好きな人は好きでいいかと思うけど私がモヤるポイントは
自分だってがんばってるのに報われないとかならわかる。でも努力の部分の描写ゼロで成功した人をいいな〜って思うだけならただの妬みでは?妬みでもいいけど常に主体的で自分の道を行こうって歌ってくれてたアンジュが「選ばれなかった」嫉妬の気持ちを歌わされてるのまじでつらい、あえてそれをやりたかったのかもだけど、、、うああ、、
「これが私たちのリアルな気持ちなんです」「汚いところも含めて見てほしい」って気持ちでメンバーが書いた歌詞なら賛否両論を引き受ける覚悟があってのことなんだなって思うけど、これ今度の新曲ね!って押しつけられたものがこれって。周囲の大人たちメンバーにこんなイヤな意味で強い言葉の印象を与えて平気なのかな?
イヤな曲を歌うことも必要だとは思うけど女のリアルな気持ちを代弁!みたいな曲を立場の強い人が本物の若い女の子に押し付けて歌わせるのめちゃくちゃ嫌だ…権力構造…
そういうラベリングほんと似合わない(※個人のイメージです!!!!)
心の中で汚い言葉を使うのは自由だけどそれをまったく反省する気持ちがないのかこの「私」ちゃんは??っていうのが気にかかる。だって侮蔑的な言い方なのはどんだけ爽やかに歌っても変わらんからね…
肯定的なメッセージが多かったアンジュの曲の中で、内心はこういうマイナスなこともあるんだよ〜っていう曲として苦労人路線の曲を作りたかったのかもだけど歌詞の中の「私」が自分は今イヤなこと言っちゃったなっていう意識のかけらもない、加害意識ゼロの人間なのかもと思うとあんまり素敵には見えないよ。結局はLOVEでしょも薄っぺらく聞こえるよ!!!、だって愛とか思いやりゼロじゃんこの「私」ちゃん…
どんな意図があろうともよくないことをなんのフォローもなしに言ったらよくないって言われるよ。フォローはライナーノーツじゃなくて歌詞の中でしてくれないと作品としてよくないなって言われるの当然だよ。しかも別に自分はこういうつもりで〜つて自分主体の言い訳してるだけでフォローにもなってない。
ただし曲はまじで最高だ
リアルな表現も大事だよ〜ってのもわかるよ。でもさ、、とにかく素敵じゃないわ…これ…アイドルってやはり素敵であってほしいよ私は…
※ただし曲は最高だしMVも本当に最高
映画ファンコミュニティuni cinemaの代表が、四年前に彼女に性加害をしていたらしい。
https://twitter.com/kaiheijp/status/1515009464427945984?s=20&t=Mt7Wa0_-Ik84CEPPkxdFFw
この代表は最近「映画界の性加害に反対!」とはっきり意思表示してるらしく、
「どの口が言っているんだ?」と元カノがキレた形になっている、と。
あー、これは相当恨みを買ってたんだろうなーってのが感想。
で、問題はそっちじゃなくて。
「四年前にあんなことしておいて、どのつら下げて性加害反対とか言ってんの!?」って主張において、
私はこの「四年前」って時期がキーになっていると思うんです。
四年前って、今ほどネットにフェミニズムが広まってない時代でしょ。
フェミニズムがドッと流れてきたのって、この3-4年だと思う。
(「フェミニズムという学問はずっと前から存在していて、フェミニストの人たちはそれより前からずっと頑張ってきたんです!」
って主張はもちろんわかってます。でも実際にネットでその言葉が市民権を得たのは3-4年のはず。はあちゅうのmetooとか四年前くらいじゃない?)
だから、まだフェミニズムがインストールされていない時代において、この代表の男は本当にクソだったのかも。
当たり前に男尊女卑するし、パワハラしてたから、もうそもそも加害意識がなく無自覚に加害してた可能性もある。
そいつが今になって聖人君主のように「映画界から性加害を無くそう!」って言ってるのが巨大ブーメラン、
って話だと思うけど、
でも、この四年間でさ、私たちはフェミニズムを知ったじゃん。過渡期じゃん。
それでアップデートされたから、「性加害良くない!」って、この代表は言えるようになったんじゃないの。
「四年前はひどかった。でもいろんな知識を得て、今、アップデートされた。」
こういう男、これからたくさん出てくるんじゃないのかな。
アップデートされて、変わろうとする男たち。
でも、この代表みたいに「お前、四年前あんなことやってただろ」で出鼻くじかれたらさ、
もうこれ、男は詰んでるんじゃないすかね?
この代表が、「加害するのやめようー!」と言う前に被害者に謝罪してたらOKになってたのかしら?
そうすると今度は、加害者が謝罪すること、償うことは、加害者自身のためにやってることだから、救済の余地ナシ、みたいな話になりません?
聖人君主みたいに「これまで加害歴が一切ない男」だけが「加害するのやめようー!」って言える世の中であれ。ってことですかね。
やっぱり、男は「変わろうとすること」すら許されていない気がする。
「まさかとは思いますが、この「弟」とは貴方の想像上の産物に過ぎないのではないでしょうか」で有名な精神科医、林公一の回答が酷い。
http://kokoro.squares.net/psyqa1111.html
お恥ずかしい話しながら、過去に妹に対し性的な行為を行った時期があります。私は14歳~18歳の頃、妹は7歳~11歳位の間です。
無論SEXは在りませんでしたが女性への興味から「見る」から「触る」に、徐々に性器を愛撫しあう関係に発展。私が18歳になり真剣に付き合いたい女性が出来て同時に中学生になった妹が行為に嫌悪を示し終わりになりました。
これに対する回答があまりにも酷い。
幼い妹に未成年だったとはいえ性的行為をしておいて加害意識のない、妹の悪口を言いまくりの相談者に対して、林公一は味方している。妹を境界型人格障害といい、悪口に同調しているのだ。
しかも性的虐待を糾弾する父親をあろうことがお助けおじさん呼ばわりして非難している。
極め付けは、これだ。
一方は虐待であったと主張し、他方は虐待ではなかったと主張するというものです。このように双方の主張が食い違うのは、性的虐待に関しては、ごく普通のことです。
年の離れた兄が、妹に対して性的行為を行ったのであれば、それは虐待に違いないではないか。そう思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかしそれは単純すぎる考え方です。PTSDの図書室にも紹介した『近親姦に別れを』に、以下のような記述があります。
「近親姦のうちいくつかに痛みは伴っていない。ほとんどの近親姦的状況には、楽しい面がある。愛と忠誠心が含まれていることがある・・・。近親姦には相互的満足がある場合すらある。」
これは臨床的な事実です(関連として【0995】もご参照ください)。このような事実の理解なしでは、近親姦(および、家庭内のいわゆる性的虐待)の理解にはたどりつけません。被害者は気の毒であり、悪い加害者を罰しなければならない、といった、マスコミ的というか、正義の市民運動的というか、とにかくそうした一面的な考え方では何の解決にもならないのです。
ふざけんな!!
性的な知識のない、立場の弱い幼い少女に対しての性的行為が性的虐待以外のなんだというのか!!
この精神科医は性的虐待加害者の認知の歪みを肯定して助長している。
http://kokoro.squares.net/?p=4629
こちらの第三者の疑問に対しても「この兄妹に虐待があったかどうかはわからない」と答えている。
http://kokoro.squares.net/?p=10583
こちらでも、叔父の性的虐待に苦しむ人に対して「拒否しようと思えば拒否できたわけですから、合意の要素があった」「合意の要素があることは、家族内での性行為にはしばしばある」とか言っているのだ。
こんな奴が有名な精神科医やってていいのか…
妹萌え板というのを見つけた
https://itest.bbspink.com/subback/siscon
妹に対する欲情や性犯罪、性的虐待を自慢している奴らがわらわらいる。
スレを見るだけで「妹のパンツの匂い」「妹と小六から中二にかけてセックスしてた」などとひどい。
ツイッターで「妹」と検索窓に入れると、「妹 パンツ」「妹 下着」と出てきて、検索すると妹の下着を晒すクズがわらわらいる。妹をオナペ呼ばわりしたり欲情をツイートする奴、妹の飲み物に精液混ぜるやつまでいる。
こんなまとめもある。
http://majikichi.com/archives/8959507.html
http://shitsumon-aru.net/archives/36636477.html
兄達が加害意識もなく、妹への性的虐待の思い出を自慢し合っている。
30: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:32:16.99 ID:DB46Fx6H0
32: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:33:08.08 ID:ign0B3evd
ワイみたいにスレたてて語るとええで
めっちゃチンチンガチガチになる
41: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:36:24.90 ID:DB46Fx6H0
49: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:41:44.14 ID:ign0B3evd
今もまだ10代後半やで
たぶん彼氏はおらん
51: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:42:47.35 ID:XxrPRrzQ0
兄に触られたのわかっとるならトラウマになってるんかね
顔はかわいい?
53: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:44:39.49 ID:ign0B3evd
顔はそこそこやね
クラスに一人か二人いるようなかわいい系で若干綾瀬はるかとかに似てる
58: 以下、\(^o^)/がお送りします 2020/05/15(金) 03:46:15.22 ID:XxrPRrzQ0
ええな
被害者のトラウマすら「点数高い」と言い、自分が興奮したからプラマイゼロと語る歪み。
性犯罪者はいつも非難するコメ欄すらも、「萌え萌え妹への痴漢は男のロマン」と絶賛する。
一部の男にとって、妹とは最も身近で安全な性的興味、欲求をぶつけられる相手なのだろう。
近親だということで、背徳感もちょうど良く満たされるのだろう。
おまけに
・兄も未成年なことが多く、罰せられにくい
・発覚しても、両親にとっては兄も子供。被害者を抑圧して兄の肩を持ってしまいがち
・兄は「監護者」ではないので「監護者わいせつ罪」にあたらない
という難点がある。
どうやったら防げるんだろうか。そして罪悪感を持たせられるんだろうか。
それは被害者が加害者を怒らせないようにするための生存方法としての笑顔かもしれないし、正常な幸福感が麻痺した状態かもしれない。
たまに加害者が優しい瞬間にホッとしたのかもしれなければ、洗脳されたのかもしれない(幼児なら尚更)
でもその笑顔が、加害者から加害意識を奪い、「じゃれてる延長」「我が家はどこにでもある明るい家庭」「あの子は許してくれる」などと勘違いさせてしまう。渦の外にいる我々にとってどれほど異常でも。
被害者を責めるわけじゃない。笑顔を見せるな被害者らしくしろという方が横暴だ。
痴漢は基本自分より弱い対象なら何やってもいいだろうという明確な加害意識が根底にあると思うから、セクハラとは同系統でも加害性の深刻度が違うと思うけどどうだろう。あなたに痴漢して大丈夫じゃんって味をしめた犯人がエスカレートして他の娘レイプする可能性もあったわけだけど、あなたにとって世界ってそういうことが起こっても自分の身は自分で守るもので自己責任の世界なんだね〜。
セクハラに関しても、女性→男性の例も実際起訴されてるわけだし、同性同士の例もあると思うけどそういうこと気にしてる感じじゃないね。
なんとなく、根本的にエロいこと好きでエロいのが人間なんだからいいじゃんって感じの人に読める。それはそれで需要があると思うし、そうじゃないふつーの女(元増田にはつまんねー女に見えてそうだけど…)と付き合うのは大変だろうと思う。一部男性からは女神扱いされるかもしれないけど、女もホントはセクハラされたいんだよ〜とか間違っても言わず、自分は特殊例とちゃんと供給する際男性陣にわからせてくれればOKです。
この娘が幼い頃から「ママには内緒だよ」と性的虐待を受けていた。
幼い娘にとってそれは父親との戯れであり、遊びだった。父親に懐いていた。
中学生の彼女にとって、父親と風呂に入るのも、そこで行われる行為も日常茶飯事だった。母親も疑問を持たなかった。父親が目の前で娘の胸を揉んでいても、父親が「風呂の中で娘にち○こが入りそうになったよ」と言っても(これは母親自身が言っていた)、それを流して我が家は仲の良い家庭だと信じていた。
事実この頃の父親のSNSを見ても、会社で高い地位を築いたごく普通の家族思いの父親にしか見えない。娘や息子をドライブに連れて行った、などと書いている。
娘は密かに悩み苦しみ、父娘物のエロを見るようになった。娘の友達に被害を打ち明け、それが友人間のトラブルに発展した。
友人にも追い詰められた娘は孤独を埋めるように自分から父親と風呂に入ったりもした。そしてまた自分を責めた。
そして自殺未遂。家族は泣き、原因は友人間のトラブル、いじめだと決め付けた。両親は両親なりに娘を支えようとした。自分達に原因があるとは思いもよらず。
その後、娘が教師に性的虐待を打ち明け、娘は児相に保護され、父親は捕まった。父親は身に覚えがないと主張し、「何故娘がこんなことをするのかわからない」と病んでみせた(多分本気だ)。有罪判決の後、父親は死んだ。SNSには良き父親であった彼を信じるコメントがついていた。
母親は「家族思いのパパがそんなことするわけない!娘はいじめで病んでいて嘘つきだ!娘を洗脳して誘拐した児相を許さない!娘を返せ!」とツイッターで主張し続けている。「子供を児相に誘拐された」という親達と同調し合っているが、その文体はどう見ても正気じゃない。娘のあらゆる個人情報(特定されそうなやつや、見ていたエロサイトなど)を晒して罵っている様は立派な毒親だ。
2人の息子も母親に同調しているようだ。母親を恐れているのかもしれない。
一度ネットニュースに母親の訴えが掲載されたが、「中学生の娘と風呂?本当に冤罪?おかしいのはこの家庭では?」というコメントが沢山付き、母親はそれに対して怒りをぶちまけた。
娘は今、保護してくれている大人に感謝して過ごしている。だが、心の傷は深い。被害自体も、家族が被害を信じてくれなかったことに対しても。
性的虐待はどこの家庭でも起こり得る。
相手の好意に対して写真を取り上げた事が褒められたことじゃないのはわかるし、気分いいものでは無い。それはわかる。晒しあげる事に対しての賛否で言えば俺は否のサイドだ。(かといって贈り手が怒り狂うならまだしも当事者以外がネットリンチする感覚はよくわからん)
だが「好意で贈ったものに対しては喜んで受け取れ」「ブランドで選り好みするな」って反応が増田でも見受けられた。この反応、普通に怖くない?俺はtwitterよりこの1部の反応の方がよっぽどゾッとした。
その主張には「好意があればアクセサリを贈るのに距離感や親密度は関係ない」という根拠があるし、その論拠には1番気をつけなければならない「男性性による女性性への加害意識とそれに対する受け手の女性の恐怖」が完全に度外視されてるからだ。
だからtwitterでも当人が冒頭で「アクセサリを贈ること自体がナイトメアモード」と明記してるにも関わらず、その意味が理解出来ず未だに「ブランドの問題」だと認識している人間がいる。
身の回りには居ない人種だったので、プレゼントの貰い手の心理的負担を一切考慮しない贈り手っていうのがそこそこ存在する事実に恐怖を感じた。勿論俺の半径内での価値観なので、ひょっとしたらアクセサリを気軽に贈り合うコミュニティがどこかに存在するのかもしれないが、俺は知らない。
ほぼ自分用のまとめやけど、共有するで。
・アンチフェミニズム→女性差別に関わると判断する関連するものは許さない
フェミニストとの最大の違いは女性が自分らしくするための自由と権利を主張するのがフェミニストであるのに対し、女性差別や性差別されている性搾取されていると観点で加害をやめろと主張する側がアンチフェミニズム
・ミソジニー→女性らしさが嫌い(本来の定義はこう)、単語としての誤用が多い
男が女性らしさを嫌うというのが本来の意味でいうミソジニーに近い(ゲイの男が女たちはどうしようもない陰湿だと誹謗中傷するのがミソジニーの典型例)
これらの属性は完全に分離してるわけではなく、複数の属性を同時に持っているタイプの人もいる。
フェミニストでミサンドリーの人もいるし、ミソジニーでアンチフェミニズムの人もいる。
本人すらも自覚してなかったりするので分類しようしたり、お前フェミぶってるけどミソジニーやんけとか突っ込んだりすると烈火のごとく怒って猛反撃されたりするので事実上タブーになりやすい。
どう牽強付会な説明を加えても一般的文脈において精神疾患と関連のない語彙を強引に結びつけているのは変わりませんね。明確に「統失」「躁鬱」(「アスペ」「ADHD」「発達」「知障(池沼)」、「身障」「「めくら」「つんぼ」、「ガイジ」)などという言葉を使って他人を揶揄するのは極めて差別的な意識に基づいていると言えますが、「片手落ち」や「頭が悪い」等の語彙は一般的文脈では障害者差別的なニュアンスは認識されません。妄想は完全にその類の語彙であり、「頭がおかしい」も社会通念上排除はされていません(「キチガイ」はアウトと判断される)。
この文章が、「もし難病差別反対を主張するなら、差別用語を使用するな」「もし差別用語を使用するなら、難病差別に反対するな」と読めるのであれば、申し訳ないです。これ以上わかりやすく説明することは私には難しいです。
差別が問題であると捉えているなら、先に言った通り一般語彙を精神疾患と結びつけるような解釈を強く発信することを慎むはずですし、このような発言は出てこないはずです。差別意識への自覚の有無を問題だと言うのであれば、少なくともそのような規範意識はあって当然です。そのような意識がないのなら、差別自体を問題視しているのではなく、あなたが想定しているようなブクマカを冷笑・嘲笑したいという加害意識が基になっているというだけでしょう。
また精神疾患が難病である、という理解を内面化されているのも不自然です。(後から出てきたもので他の人の言及に影響されてるんでしょうが)
今健康な人であっても精神疾患になる可能性があり、その確率は決して低いものではありません。適切な治療をすれば寛解する可能性があり、そうでなくても周りの理解が有れば社会参画は可能な場合は多いです。
だからと言って一般人と同じなのだから合理的配慮が必要ない、というような話では当然ないですが、アンタッチャブルなものであり、例えば「妄想」や「頭がおかしい」という状態と切って離せないような存在であると主張するかのような言説はやはり差別的であると言わざるを得ません。