はてなキーワード: 大学受験とは
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@opanpios
弁護士は金儲けのためにDVモラハラ離婚事件や刑事弁護をやってると思い込んでる人がいるけど、その弁護士たちは金儲けとかに興味がない人たちです。本当にお金のこと真剣に考えてるのは不動産の案件ばっかり狙って離婚や刑事弁護を殊更回避してる私共ですので誤爆しないようにされたい。
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@opanpios
【投資で生きていきたい🏙️大家業・弁護士業】不動産賃貸業法人5期目。 宅建・任意売却取扱主任者合格。競売不動産取扱主任者登録。📚高卒フリーター→地方公務員→無職→24歳で大学受験→大学•院→弁護士登録10年超。不動産・企業の法律問題取扱。弁護士法人代表。債権回収会社の取締役弁護士。📈米国・新興国・日本株うろうろ。
その経歴で中央大や首都大レベルじゃあ地方出身なら駅弁や中堅私立から同レベルがいいとこだよ。
適当にだらしなく生きてる奴が中堅大学以上に行くのは、地方だと困難よ。
確実に旧帝は無理、地方から同レベル帯に進学したけど、大学入って都市部出身者の教育環境に驚いた。(中学受験経験者や私立中高一貫校出身者ばかり、何より勉強することがダサいという価値観がなく、また切磋琢磨する相手が昔からいる。)
特に勉学はダサいという価値観が多いから、一緒に勉強する仲間を見つけるのがとっても難しい。そして、塾があまり無いから、指導レベルもかなり低い。有名な塾や予備校は電車で数時間の距離だから、そもそも選択肢にならない。勉強する習慣が身につかない、そもそも勉強するという発想にならない。
この結果、まず高校進学時にふるい分けが発生する。そもそも頭の出来が違う天才、そこそこできる秀才、ガリ勉タイプ以外は大学受験をしない高校に進学する。
ここで県内2〜3番目高校に入ればともかく、その地域の自称新学校に行くと、ここでさえ勉強に対する意識は全体的に低いままになる。
するとどうなるか。やはり環境(予備校と切磋琢磨できる仲間)の都合、中堅私立から駅弁以上に行くのは、高校時点での天才、部活引退後や浪人生で挽回する秀才、ガリ勉のどれかに収まる。
【適当にだらしなく生きて、9ヶ月間くらいチョロっと勉強して何の苦労もなく中央大と首都大学東京(現都立大)に現役で受かる】ようなあなたは【部活引退後や浪人生で挽回する秀才】あたりになりそうだから、対して変わんないよ。
というか、中央大と首都大という選択肢からすると3科目受験者かな?。地方は私立が下という意識が極めて強く、7科目前提で科目を絞ることは基本ないので、何なら学歴だけなら悪くなるかもね。
あと、その経歴と年収で上位1割は厳しいだろ。東京出身でその意識は認識甘くないか?。
そこそこ勉強でき東京にずっといたという経歴にもかかわらず、高校時代にまともな勉強をせず、中央大や首都大である点を考えれば、認識が甘いのだろうと理解できるが。
まあ、増田は田舎で生まれりゃ田舎で満足できる価値観が身につけられていいよな、と言っている(皮肉にも見えるが)けど、結局それさえも人それぞれよ。
俺は地方の感覚が嫌で脱出したけど、都会の感覚を身につけて地元に戻ったせいで、苦労してる奴もいる(コミニュケーション上や人間性の問題、ジェネレーションギャップに近いもの)。
ずっと地方で大学受験しなくても、地元の工場に就職して早くて結婚して幸せになった奴や不幸になった奴どっちもいる。
そしてこれは東京近辺でも同じだよ。大学同期を見ているが、結局本人次第やろ。
それに住宅に不満があるなら、家の購入を諦め賃貸にしたり、場所を移せばいいわけだ。
(なお、地方で金を稼ぐで東京並みに稼ぐのは当然難しいなので、あなたの経歴の年収より1割から2割くらい低いイメージとなる、転勤ありきの大手や地場の一族なら別だけど)
そもそも日本での男性の幸福度の大きな要因は配偶者と配偶者を獲得できる経済力で、あと影響が大きいのは通勤時間と職場環境がじゃないか?その学歴ならある程度書物読めるんだから、幸福度の研究を確認しようぜ。
年配の利害関係の無い人にちょっと評価されたり、何かの時に足切りされないってだけ
不利な戦いを強いられ続けるなら足切りされた方が良いんじゃないかと思うことも多々
大学生活でも他大のサークルと絡む時早慶東大とかが多い、6大学だと特に
運動系だと早慶東大の女子マネの数に笑った経験はみんな有ると思う
プロ野球のトライアウトとか独立リーグくらいのガッツがある人にはマーチ良いかも
中途半端に頭が有るから上との差を理解してモヤモヤするのもマーチ卒の特徴だと思う
麻布競馬場の本でマーチの上澄み≒慶応の落ちこぼれみたいな書き方だったけど共感する人多いと思う
愛されて育ったけど。でもどこか歪な家庭ではあった。時が経つにつれ両親も同じように歪な環境で育った可哀想な大人だと知った。
親孝行とかしたことない。実家にお金を入れたこともない。凍り付いた空気の中、家族を捨てるように家を飛び出して1人暮らしを始めた。そのくせ絶縁するつもりもない。
弟の大学受験の日、父親が200万近い借金をパチンコで作っていた。当然今に始まった話ではなく私が産まれる前から父親の金遣いは終わっていたらしい。それを私たち子どもには悟らせまいと隠して振る舞ってきたと母親は誇らしげに語るが、全然私たちは悟っていたし悟っていることを母親に悟らせまいと子どもらしく振る舞うことに努めていた。それはそれとして、借金しまくりな上に家事育児もロクにせず(家にいるときはずっとパソコンでゲームをしている)おまけにタバコのせいなのか前歯がない父親。借金がバレた時も私たち家族に対して謝罪ができないような人間性。
一方母は、電磁波を抑えるシールなるものをネットで購入して家中の家電に貼りまくっていたことがある。そのシールを家族全員のスマホに貼れと迫ってきてその日は渋々貼ったが、次の日にはこっそり剥がした。そのことがバレた時、ものすごい怒られた。これもまた私が産まれる前から電磁波を気にするところがあったらしい。中学の頃に母親から「あんたは声が低いから可愛らしくなくてモテない」だの「あんたみたいな顔に産んでごめんね」だのデリカシーのないことを言われたが、両親の教育の賜物(笑)だろうかあまり傷付かなかった。それ以上にこんなこと言う人間が自分の親だと受け入れなければならない現実の方が何倍もショックだった。
ヤバい親だと突き放すのは簡単だけど、完全に嫌いになることができない。なんやかんやこうして生きているのはこれまで育ててくれたおかげだし(主に母が)やっぱり困った時には頼ってしまう。
この前、スマホのアルバムを見ていたらおすすめの動画が表示されていてあまり記憶にないサムネだったから開いてみた。動画の中身は家族みんなで集まってゲームをしていた時のものだった。あーそういえばこんな風に楽しく過ごせた時間もあったなーと思い出して情けないけど泣いた。この動画を撮ったときは私が高校生の頃だった気がする。
本格的に家族内の空気が終わりだしたのは私が21の時だった。この時に父親の200万近い借金がわかって母親も堪忍袋の緒が切れて母の怒鳴り声を聞きながら寝る日々だった。当然家族同士会話は無かった。そんな日々が続いたはものの段々みんな会話するようになった。でも私だけが最後まで父を避け続けて会話しないまま実家にいることが耐え切れずに1人暮らしを始めた。
なのに今更両親のことを大切にした方がいいんじゃないかと思えてきた。父のことも、母のことも。結局は自分の大事な家族なんだと。(弟は当然大事なので省略)親孝行とかした方がいいんじゃないか?なんて。親のことは嫌いだし大切だ。2つの相反する感情で未だに身動きが取れずにいる。親を大切だと思う私の気持ちはもしかしてエゴなんじゃないかと、私がやる親孝行は自己満足で全ては自分勝手の一言で片付いてしまうんじゃないかと。愛ってなんなんだよ。どこにあるんだよ。でもひとつだけ言えるのは、私は両親から愛されて育った、ということ。
未だに親子関係で悩んだり逃げたりして親孝行もせず社会人になって、本当に情けないしダサいし幼稚だ。
みんな、愛が何かって知ってるのかなー。
ある人がエンジニアには学位がいるといったが、ITは必ずしも必須ではない。
アルゴリズムとデーター構造の本は腐るほどあるし、競技プログラミングの問題を解く過程でも勉強できる。
ただ、githubのコードでK1,K2…Knみたいな説明をしてるところがあって、そういうのを理解するのに学位がいる。
正確に言うと学位をとる過程で身に着けた数学の知識やイロハが必要で、ここら辺に関するものを勉強するのは大学じゃないと結構難しい。
(プログラマーのためのわかりやすい数学の本というのもあるにはあるが、コンパイラーの本や量子コンピューターについて解説してるウェブサイトは数学の知識がある人向けに書いてあるので、学位がないものにとってはマジで地獄でした)
ただ、学位を取るには大学受験を突破しなければならず、情報系の大学はそこそこ偏差値が高いので、いわゆるまじめ系くずだと難しい傾向にある。
ファイルの中身をメモリーにおいていいなら、そこまで難しくはないな。
スクロールやキャレットの画面外の移動の時だけ、レイアウト行を構築すればそれでおしまい。
http://s170199.ppp.asahi-net.or.jp/vivi/docs/buffer/edit_buffer.php
ViViエディターの人の記事が書いているような複雑怪奇なバッファー管理はいらない。
メモリーを32GBぐらい積んでいれば、ギャップバッファーでも1GB未満の大きさのファイルの読み書きは簡単にできる。
自作のエディタでも900MBを12秒ぐらいで読み込むことができた。
ただ、この機能を実装すると行ジャンプのダイアログを出したときに最大行数がわからなくなる。
まともに使いたいなら、ちょっと考え方を変えないと駄目だ。
1GBを超えると何かしらの制限に引っ掛かる。
EmEditorや鈴川エディタ、巨大ファイル対応ログビュアーなど巨大ファイルを扱えるエディターはマジすごい。
最低賃金のウェブプログラマー兼雑用で、大学受験に落ちた俺にはこれが限界…。
自作のエディターでつかってるgap_vectorもどこかから拾ってきたやつで、スクラッチで書いたわけではない。
こんなことなら、きちんと数学IIICを勉強して情報系の大学に行けるようにするべきだった。
大学に入るためには教科書の基礎問題だけでなく、応用問題みたいな知識の使い方を問う問題まで解けるように努力すべきだったorz
企業の研究職として就職したが、手取り19万円です。こんなはずじゃなかった。
下に見られて悔しい。
と身の上話は置いといて。
ワイの小さい頃の夢は、医療系国家資格を所有する研究者になることじゃった。
医学科行けよと思うのは当たり前だが、4年間で大学を卒業できるというのが魅力的じゃったし、医学科より難易度が低かったためお得じゃ~んと考えてしまったんじゃ。
ワイの親は国立信仰の学歴厨だったので、私立大は許されなかったのじゃ。だから必死になって勉強したのじゃ。数学はもちろんⅢまで履修し、理科も2科目、英語もきちんと勉強したのじゃ。
なのになんだこの仕打ちは?お勉強たくさん頑張ったのに、なんでこんなに給料が低いのじゃ。大学受験はもちろん、大学入学後も数多の課題を乗り越え国家試験に合格したんじゃ。
恐ろしいぞ。年間休日が少ないのはもちろんのこと、基本給も恐ろしく低いのじゃ。そのうえ、大学病院などは最初から正規職員として雇ってくれないところもあるのじゃ。でも、必死に勉強はしなきゃいけないのじゃ。そりゃそうじゃ、医学は日々進歩するからのぅ。やりがい搾取じゃ。
ワイは研究の道を諦めきれなくて、企業に就職したのじゃ。生憎もう金がないから博士課程には進まなかったのじゃ。企業で頑張ってみようと思ったのじゃ。働いてみたら手取り19万じゃ。そのため、学んだことを活かせるように、臨床検査技師として一から仕事しようと考えたのじゃ。しかし、これは罠じゃ。院卒だと小さな病院はなかなか雇ってくれないのじゃ。規模が大きめの症例数の多い病院じゃないと雇ってくれないのじゃ。しかしながら、そういうところは正規職員では無い可能性もあるのじゃ。さらに、新たに資格が必要なこともあるのじゃ。例えば、病理部に就職するとなれば、細胞検査士を取らなきゃ意味無いのじゃ。養成所に通わなければならないのじゃ。
もっともっと検査技師としての仕事の幅を増やして欲しいのじゃ。しっかり数Ⅲまで勉強したのじゃ。よく医学部保健学科は下に見られることがあるのじゃ。でも、保健学科受験生全員、きちんと勉強してるのじゃ。それだけはそれだけはばかにしないでほしいのじゃ。皆頑張ってるのじゃ。
正直数Ⅲが必要な学部全体の卒業生の中で一番お給料が低いと言っても過言ではないのじゃ。なんとかしてこの医療分野を変えてはくれんかのぅ。だって、ヒトとして生きていくための基本の学問じゃないのかのぅ。
医学科めざせばよかったのかのぅ。文系に進むべきだったのかのぅ。
でも、ワイは夢を諦めたくないよぅ。
炎上しそうすぎて大幅改変になった現代ビジネス記事原案を供養。
*
(前編)
私は小中高と地方の公立を出て、浪人して都内の医学部を卒業している。
「東大生の親の6割が年収950万円以上」というデータが話題になったが、地方出身からすると、やはり医学部も華々しい世界だった。
まず医学部では「親が医者」なのは当たり前で、教授や講師と話す時も、世間話は最初に「親御さんは医者?」が挨拶代わりになる。私の体感では、おそらく学生の半数近くが医者の子息だった。
ハリー・ポッターになぞらえて、両親が共に医者という人を「純血」、片方が医者だと「半純血」、両方とも医者ではない人のことは「マグル」と呼ぶ文化まである。「マグル」は家系に医者がいない学生が、自虐的に苦笑いしながら使う単語だ。
しかし、「マグル」の学生も、平均的なサラリーマン家庭出身という人はほとんどいない。みな経営者や士業の家庭で、都心のタワマンが「実家」だった。
出身高校もほとんどがいわゆる「御三家」など、都内の名門私立高校が並ぶ。入学式の日、周りが何故か全員、初対面ではありえない打ち解け方で話していて困惑したものだ。
蓋を開けてみれば元々彼らは中高の同級生だったか、SAPIXや鉄緑会などの有名塾で一度は顔を見知ったメンバーだったのだ。
私のように地方公立校から、塾にも行かずに来たという子は全く見当たらなかった。
*
大学生はお金がかかる。私も美容や服飾、外食や旅行を楽しみたかったので、多い時は週9でバイトを3つ掛け持ちして、必死に時間をお金に変えた。
学費や家賃、生活費などは親持ちだったが、その他は自分のバイト代で賄うように言われていた。
けれどここではバイトを親に推奨されるというのは珍しく、むしろ「禁止」される方が普通だ。特に、家庭教師はOKでも、高卒やフリーターと一緒に働くような飲食店などは禁止されている子が多い。
そのため、そういったバイトをしたいお嬢様は、親に隠れてこっそりやることになる。私も、友達の給料明細の送付先を、私の一人暮らしの住所にするなど「協力」したことがある。
この「バイトをしたい」とはもちろん、お小遣いが欲しいという意味ではない。「人生で一度はやってみたい」「大学生っぽいことがしたい」という、興味と好奇心でやる子が多かった。
こういう子達は、1回で何十万とする美容代や旅行費も全て親の負担だ。ブランド物も親のカードで買い放題。
限度額は聞いたことがないので分からない。この顔ぶれの中で「限度額」などという貧乏くさい言葉を口にすることすら憚られた。
当然、金額を理由に遊ぶ場所を決めることもまずない。味や質、美しさ……綺麗な概念ばかりで話し合いが進む中、頭の中で電卓を弾き、時給計算などしているのは私だけだった。
*
ここまでの話だけ聞くと、「地方出身の庶民が階級社会に直面してショックを受け、格差に悩む」というあらすじになりそうだが、私はそのような気持ちになったことは、実は全くない。
実際のところ、これまで属した集団の中で、大学は一番居心地がよかった。なんせ周りの人間のほとんどが私より頭が良く、私より裕福で、性格も曲がっていないのである。普通に暮らしていて、不快にさせられることはほとんどない。
尊敬できる人ばかりの中に混じり、今までしたことがなかったような華やかな経験を教わることは、とても刺激的で楽しく、毎日が面白かった。
地方公立の狭い世界のみみっちい基準で「神童」だの「お嬢様」だのとくだらないことを言われて暮らすよりもよほどいい。周りのやっていることがバカバカしく思えて退屈することも、足を引っ張られて苛立つこともない。
生まれて初めて自分が全てにおいて下位、いやほぼ底辺に位置する環境に身を置いたが、劣等感を持つどころか、なんて気が楽なのだろうと感動した。
要するに「上には上がある」といっただけのよくある話なのだが、私はその「上」の存在を知って心の底から安堵したのである。
*
(中編)
私が育ったのは地方都市のド真ん中。東京で「都会」と言うと笑われるが、下手に「田舎」と言うと顰蹙を買う、そんな街だ。近くの有名大に行かず、わざわざ地元では知名度の低い都内の大学に行ったのは、その街にとことん嫌気がさしたからだった。
先祖代々続く大病院の家系などではないので、決して高い身分ではないのだが、私も一応、医者の娘ではある。ちなみに、母親は医者ではないので「半純血」だ。
金銭的な理由から受けられない大学もあったし、贅沢三昧という訳ではなかった。だが、本当の意味で生活に困ったことはないと思う。
「全身脱毛の費用を自分で稼いでいる」というだけで、大学の中では十分「苦労人」のポジションだったが、それだけだ。学費も家賃も、いくらかかっているのか知らないまま生きてきた。
そもそも、私の家庭ではそういうことを詮索するのはタブーだった。三階建てのまあまあ広い一軒家に住んでいたが、幼い好奇心で「この家、いくらしたの?」などと聞こうものなら、なんて下品で失礼なことを言うのかと眉を顰められた。
よって親の学歴も自分が大学受験をするまで知らなかったし、収入は今でも知らない。なんとなく肌感覚で予想はできるが、聞いたことはない。
*
わざわざ地方公立の小中高に進んだのは、習い事の練習時間を確保するためだ。物心つく前からピアノやヴァイオリン、新体操などを習っており、そちらを人生の軸に据えたかった。そのため、進級が厳しく勉強時間を取られる中高一貫私立を避けた。
しかし、その選択のせいで、私は信じられない世界を目にしてしまう。
校内のヒエラルキーのトップにいたのは、我が家のクローゼットより狭い団地に住むヤンキー達だ。暴力や窃盗などの犯罪行為、くだらない揉め事が起こるのは日常風景だった。後ろの黒板にはデカデカと卑猥な言葉が書かれ、授業中も大声で教師に反抗する。共用部の壁には穴が開き、「アスベスト発生注意!」と貼り紙がされるも、その意味も理解できない生徒がまた上から穴を開けていた。
一番呆れ返ったのは中学校で、「廊下に繰り返し大便をしてそのまま片付けない人がいる」という全校集会が開かれた時だ。まるで動物園だ。
外で障害を持った通行人を取り囲んでからかい、面白がって恫喝している場面にも遭遇したこともあり、これが同じ人間なのかと目を疑った。
生まれてからこの環境しか知らなかったにもかかわらず、私はこちらの方がよっぽど馴染めなかった。いや、大学の時と違って、馴染む努力をする気にもなれなかった、というのが正しいだろうか。
ことわっておくが最初から「知能」だの「貧富」だの、そういうことで差別意識を抱いていた訳ではない。ただ、そんな概念が生まれる前の、何も知らない子供の目からしても、違和感を覚えることがたくさんあった。
何か作業をする時、見るからに効率の悪いやり方で苦労しているのが理解できなかった。建設的な話し合いができず、どれだけ分かりやすく説明しても話が通じないことが不思議だった。卑猥な話で大喜びするのも、暴力で強さを誇示するのも、正直バカバカしいと思っていた。
*
何よりも嫌だったのが、その層に漂うあの独特な僻み根性、卑屈な被害者意識のようなものだ。
クラスでナルミヤの服が流行り、皆がメゾピアノやポンポネットの服を自慢する中、私はいつもラルフローレンやバーバリーの服を着ていた。ナルミヤに興味もあったのだが、親の趣味で買ってもらえなかった。
その時、私は価格の差など何も知らず、愚痴のつもりでこう発言してしまう。
「みんないいなあ、うちの親、ラルフローレンばっかり買ってくるからもう飽きちゃう」
たったこの程度であからさまに数人の目つきが変わり、その後も悪意を持ってこの発言が拡散された。
子供が「他人の服をそうやって価格で値踏みしており、それを恥ずかしげもなく表に出す」という感性は初めて見るものだったし、それが物凄く卑しく思え、正直ドン引きしてしまった。
自分の性格が良いというつもりは全くないが、もし私が逆の立場になったら、そんな態度は絶対に取らなかっただろう。そのような言動は「悪い」というよりも「恥ずかしい」からだ。
たとえ内心で反感や嫉妬は覚えたとしても、そういう行動は自ら「私は負けています!可哀想な貧民です!」と宣伝して歩いているとしか思えないではないか。
別に私にとって服は値段ではなく、ナルミヤは負けではなかったのに。
*
万事がそういった雰囲気だった。
あまり勉強をしすぎるとバカにされるので、「カースト上位」のグループに属している子は実は勉強ができても、学校のテストではわざと悪い点を取るなど工夫していた。実際に勉強している時間を「テレビを見ている」と嘘をつき、親から聞いた内容を覚えてから学校に行くという話も耳にしたことがある。
何もかもが面倒くさかった。先入観などなくても反射的に、彼らに対して「卑しい」という軽蔑が沸々と湧いてきて、止められなかった。
お金や学力のあるなしなんてどうでもいい。ただ、それによって勝手に「見下された」「自慢された」と思い込んで攻撃性を発揮してくる、その人間性を見せられるとやはり「見下す」以外の感情が湧かない。
そういう人を表すぴったりの言葉は「育ちが悪い」しか思いつかないのだ。
そして、その思いが強くなればなるほどに、そんな低俗で差別的な感情を持つ自分に対してもまた同じように「卑しい」と自己嫌悪に陥った。
よく「人を見下している」「お高く止まっている」と悪口を言われたが、次第にそれが事実になってしまっていることも自分では分かっていた。
やがて進路を変更して医学の道に進んだ私は、この自らの醜さにも似たもう一つの「卑しい世界」を嫌というほど味わうことになる。
体力面の自信のなさから、ほとんどの医学部生が就職するような「ブランド病院」とは程遠い、「ハイポ(仕事量、労働時間が少ない)だけど治安が最悪な風俗街の病院」に就職したのだ。
*
(後編)
立地や将来性、指導体制などを考慮せず、「あまり働かなくていい」「給料が高い」というだけで風俗街の病院に流れ着くような医者は、まあロクな層ではない。街の治安と相応に、職員の民度も低かった。
病院があるのは中途半端な田舎だ。ここでは娯楽が、酒と性とギャンブルとゴシップしかない。
都会で大学生活を過ごした同僚たちも、その鬱屈した思いからか、段々と空気が荒んでいった。
数ヵ月経つ頃には、口を開けば下ネタと自慢や武勇伝、他人の悪口や噂話、そして「女性職員の容姿を採点し、デブやブスと言って大笑いする」といった、聞いているだけで気が滅入るような下卑た話題ばかりが出るようになった。
百歩譲って内輪だけの飲み会でやってくれればいいのだが、職場の男女共用のスペースで大声を出して話しているのは、流石に品性を疑ってしまう。
「このバッグは何十万円した」「今月はいくら使った」などという、赤裸々すぎる金額事情をストレートに自慢してくるのにもびっくりした。今まで出会った医者の中で、そんな恥ずかしいことを嬉々として吹聴する人間は一人もいなかった。
彼らの鬱憤の矛先は、「見下している相手」により強く向けられる。
*
立地が立地なので患者層もあまり良くなく、社会的に地位が低かったり、生活に困っていたりする患者が多い。それをストレス解消とばかりに、裏で笑いながら蔑むのが、病院の常になっていた。
気持ちは分かる。確かに、あそこまでかけ離れた階層の人たちと関わるのは、正直つらい。頭がおかしいのかと思ってしまうようなクレーマーもいる。貧困のために清潔が行き届いておらず、吐き気を催すような悪臭に涙目で耐えて処置をすることもある。病院に来ているのに、こちらが一生懸命になっても、まるで治す気がないのか?という横柄な態度を取る患者もいる。
救急車がタダだから、生活保護は医療費がタダだからと、まるでタクシーや無料相談のように使う人のせいで、本当に必要な人に医療が行き渡らなくなることもある。
特に槍玉に挙がるのは「せいほ(生活保護)」と「プシコ(精神疾患)」、「痴呆(認知症)」である。他にも、「ホームレス」「反社」「デブ」「ババア・ジジイ」「底辺」「貧乏」「キチガイ」など、診察室を一歩出れば、とても患者には聞かせられないような、ありとあらゆる差別用語が飛び交った。
*
バカにされるのは患者だけではない。看護師も同様だ。ある同期が看護師に怒られた時、「大学を出てないから分からないんだろ」「低学歴が」とあまりにも直接的に吐き捨てるのを聞いたことがある。
一方で看護師たちの当たりも強かった。いや、当たりが強いというか、私達とは、元々装備している語彙がそもそも違うのだ。
特に怒っている訳ではなくでも、「ちょっと邪魔!」「うるさいよ」といった風な、私達が「初対面の人に対して一度も発したことがないような言葉」を、まるで当たり前のように使ってくるのだ。
これにはかなりギョッとする。私達が急いでいても「すみません、ちょっとよけてもらえますか?」と言うのは、別に敬っている訳でも遜っている訳でもなく、これしか適切な語彙が浮かばないからだ。
根本的な問題は、学歴や収入の高低ではなく、培われた文化の違いなのだ。「そんな風に人間を扱う文化」に染まりたくない気持ちが勝り、同じ土俵で言い返す気にもなれない。
病院の同僚医師たちも、私立医学部を卒業している人間が多く、元々それほど育ちは悪くなかったはずだ。しかし、あまりのカルチャーショックに耐えられず、段々と人格が歪んでいった……いや、歪めていくしかなかったのかもしれない。
地方にいた頃の私のように——。
*
医者や政治家など「救う仕事」をする人間に、できるだけ庶民の感覚を取り入れるための方策として、「学費を下げる」「お金が足りなくても成績優秀者が医学部や名門大学に入れる枠を作る」といったことが推奨されているのをよく見る。
実際に、現状の医師たちの間でも、「国立は苦労していて性格が悪い」「私立は裏口で頭が悪い」といった論争があり、お互いに見下しているような風潮が一部ある。
それを、もっと幅広い層の人間を混ぜたからと言って、お互いに馴染めるとは思えないのだ。
同業者の間で「もし自分の子供を行かせるなら私立がいいか、公立でもいいか」という話が出ることがある。この話題は、温室から一度も出たことがない人ほど「公立でもいい」と言いがちだ。
公立の良い所として、「早いうちから色々な階層の人と関わって免疫をつける」というものが挙げられるが、私はそれこそが最大のデメリットだと思っている。皮肉なことに「その経験の多さ」こそが、差別や偏見、選民思想を強め、分断を生むことになるのだ。
免疫どころか、触れれば触れるほどウンザリして、アレルギー反応を起こすようになってしまう。様々な階層の人間の存在を見せたいのなら、同級生として一緒くたに扱われるのではなく、ボランティアでもすれば十分ではないか。
だからこそ自分が多様な層と関わった経験があったりする人ほど「子供は絶対に私立」と言う。もし他が全て同じ条件なら、学費の「高い」方に行かせたいという発想すらある。
「知らなくていい世界を知らない育ちの良さ」というのは、その後いくらお金を積んでも手に入らない。一生ものの財産だ。
社会の下層と徹底的に隔離され守られてきた人は、「みんな同じ人間。差別は良くない」という綺麗事を良い意味で本気で信じ、汚れのない心で生きていける。
もしかしたら私の親は、私を「世間知らず」にしたくなかったのかもしれない。だが私は「知ってしまった」ことを、後悔している。
もし子を持つことがあったら、我が子には私のような性根の歪んだ人間になってほしくない。
見方を変えれば、男は浪人というリスクが高い状況に追い込まれがちだ、そうでなければ人生設計が困難であると報じることもできるはずだ。
しかし日本ではそうしない。なぜか「リスクを回避することができる余裕のある女という性別」を取り上げ、やれジェンダー格差がどうだと説法を始める。率直に言って狂っている。
理由は簡単で、浪人せずに現役で合格できる大学に入っても、人並みの人生を送ることができる公算があるからだ。
難関校への受験以外の選択肢が存在し、そちらに人が一定数流れるというだけの状況に対し、ジェンダービジネスに脳を支配された人間は「そうせざるを得ないジェンダーバイアスがどうのこうの」と言い始めてしまう。
男にとっても女にとっても、浪人は避けるべきだという認識に相違はないはずだ。だというのに、男は浪人が武器というように扱われることの腹立たしさよ。そんなに浪人がしたければ勝手にしていればいいだろう。
世の中の女たちは、自分は浪人をしなくても人並みの人生を送ることができる、学歴という箔がなくても生きていくことができる、そう信じることができているのだ。それの何がいけないのか。それの何を是正するべきなのか?
そもそも「浪人がしやすい環境を促進」って口に出してなお、自分がおかしいことを言っている自覚はないのか?そんなに浪人がしたいのか?それとも学習塾と癒着しているのか?浪人せずに難関校に現役合格することが1番だというのに。何かを履き違えてしまっていることに気が付かないのか?
その一方で、男は学歴という箔がなければ今後の人生を送ることができないと、そう信じて浪人を選択している。彼らにとって、現役で合格できる大学に入学した後の人生は「避けるべきだ」と考えているからだ。
もちろん浪人を選択した全員が救われる訳ではない。一定数の人間は、自身が受け入れたリスクを背負って社会から退場していく。それは妥協して現役でも合格可能だった「避けるべき大学」にいくことかもしれないし、あるいはそれすらも捨て去り引き篭もることかもしれない。しかしながら世間はこのような、性別特有のリスクを背負った人間を「自己責任」として見放そうとする。理由は簡単で、彼らを救済することがビジネスにならないからだ。
オブラートに包まずに言ってしまえば、彼らは大学受験という名のパンニング皿から零れ落ちた砂利に他ならない。彼らは砂金ではなかったのだ。そして金でなければ拾い上げるものもいない。それ故に放置され、将来は閉ざされ、社会に認められていないために伴侶も得られず、されども人生は終わらず、先の見えない灰色の人生を送る。これが、はてなで大人気の弱者男性、子供部屋おじさんというやつだ(現代社会はこの手のスラングに富む)。そして、そのうちのいくらかは未来に絶望して首を括るかもしれないし、失うもののない無敵の人となって社会に反抗するかもしれない。しかし社会はこれを気に留めない。金に目がくらんでいるからだ。社会は砂金を求めて、男性を「選別」していく。そうして砂利は捨てられていく。
これが「浪人のしやすい環境」の実態だ。実際は順序が逆で、「浪人しなくては生きていけない」という強迫観念と、それを抱かせるには十分な選別社会を目の当たりにしているからこそ、男は浪人するのだ。浪人「せざるを得ない」状況に置かれている人間を捕まえて、やれお前は恵まれているだのと捲し立てることの残酷さが、少しは理解できただろうか?
と口酸っぱく主張したところで、誰も受け入れてくれはしないだろう。誰だって上澄みを掬いたいからだ。社会というのはそういう形をしている。いや、生命そのものが、そういう仕組みで成り立っているのだ。雄が雌を求めて競争し、敗者は淘汰される。私たちがしていることは、サバンナのライオンと大差ないのかもしれない。敗者が地に伏せ積み重なった地平を、私たちは踏みしめている。ジェンダービジネスはそんなことも忘れさせてしまったに違いない……
自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき、心因性頻尿になって外に出られなくなった。
金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。
それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自身自分に何が起こったのか理解できなかった。
学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。
学校に行けなくなった。
学歴主義で権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。
私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、
リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。
そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校も不登校になって、高校も退学した。
大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、
中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で
MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初に受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。
大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。
自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。
復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。
私の時代は不登校や発達障害は時代の最先端の社会問題で、まだ数が少なく、学校や大学側も対応に苦慮していた。
体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。
大学は地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学を勉強し、
ヴェーバーやデュルケム、フーコー、マクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。
大学時代、地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワークの初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。
それから何冊か自分でネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、
自分は文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。
しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。
大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。
毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。
ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分で計算し、心が折れた。
何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。
画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真だけが、自分が唯一続けてきたものだった。
それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金と手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。
父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。
父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳と年金を取得した。
初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分で家具を買っていいことに気づいた。
家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。
友人が美術館のバイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。
が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。
休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館のスタッフを少しやって、年末年始は地元に帰った。
両親に、戻ってくるように言われた。
父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。
利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない
人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。
私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。
地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。
すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。
小さめの不動産会社で事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。
私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援やギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。
非課税世帯なので、返済する必要はないから安心して、説明された。
自分の決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、
それを使い生活保護でもやっていける物件に引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。
就労移行支援は少し通ったが、この時間でバイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。
並行して勉強を進め、基本情報技術者試験に合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社で資料作りのバイトをし、
その間にMOSのExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。
翌年バイトが契約終了になったので、ネットワークの仕事にチャレンジすることにした。
人生で初めてのフルタイムのバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。
昔柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。
価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。
薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。
ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。
毎日現地作業員と電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。
障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。
ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。
諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワークの仕事をやることになった。
今度は客先常駐。仕事に出る前に第一級陸上特殊無線技師の資格を取った。
高校数学は赤点だったので、選抜試験も養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。
そのあと1時間半ほどかかる場所で夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。
夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。
大手IT企業の子会社で、採用の仕事をした。面接時はいずれITの仕事を回してくれると言っていたが、
一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。
障害者雇用の契約社員として、またIT系企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、
今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。
ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。
今の案件は年内で終了するらしい。
数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。
貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。
まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、
リモートだから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。
私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと
「自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。
だから、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。
今の時代は障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。
何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、
マイノリティが自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。
社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。
今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。
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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。
人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。
特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。
私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから。
…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。
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思ったより反響があって驚きました。
タイトルは自分の人生を象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という
素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。
励ましの言葉やアドバイス、叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます。
わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。
障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。
ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。
カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります。
高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語性IQと動作性IQに結構な隔たりがありました。
当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。
一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。
今は人からは障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。
慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦でしか生きていけないと思います」という
大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に
自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。
大学でも発達障害で中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので
これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります。
自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。
人を観察して、絵文字や顔文字をちゃんと使って明るく取っつきやすいイメージを持ってもらえるよう修正し、
見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって
人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが
とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップやエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います。
お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。
恵まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。
人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまうものですが
そのように思う瞬間はあっても、絶対に客観性を失わないようにしようと常に思っています。
同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2460507
女子枠の試験問題が簡単すぎるというアンフェに対してブクマカたちは
・凡人には回答できない
・上位1%を選抜できる
・院生なら回答できるかもしれない
などなど大絶賛している
しかし、これはそもそも大学受験の問題で受験するのは高校卒業見込みの女性のみに出題されるもの。
男性にも女性にも出題される一般入試の問題と比べて、女性のみに出題されるものが前者よりもはるかに難しくてもよかったの??
女子枠の女性だけが受験のレベルを遥かに超えてて院生にも難しいような問題が出題されるって差別じゃないの?
「女性だけ難問が出題される(点数が取りにくい)」が差別じゃないなら「女性だけ一律減点される(点数が取りにくい)」も差別じゃなくなっちゃうよ。
つまり、ブクマカはアンフェを攻撃できるという目先に利益につられて女性差別をしてるんだけど、これってアスペ的な特性で誘導されてるのか、本心からやってるのかどっちなんだろう