はてなキーワード: マーケティングとは
ふざけるな!一体私たちファンを何だと思ってるんだ!?あの最終回、ラウダがあっさりペトラを選んだだと?公式ガイドブックで「周囲に知られないようにしていた」?笑わせるな!今まで散々グエルへの執着を見せつけて、私たち腐女子がどれだけ萌え転がってきたと思ってんだ!あれは一体何だったんだ!?高度なカモフラージュか!?私たち視聴者を釣るための餌だったって言うのか!?
ラウダのグエルに対するあの異様なまでの執着心!常にグエルの傍にいて、献身的に支えようとする姿!あれは誰が見てもただの兄弟愛なんかじゃない!明らかに歪んだ、しかしそれ故に美しい愛の形だと解釈したんだ!それを信じて、私たちは血涙を流しながら二次創作に魂を込めてきたんだ!禁断の兄弟愛という背徳感に、どれだけのファンが滾ったか!公式はそれを知っててやったんだろ!?
それなのに、最終回であっさりペトラだと?しかも公式ガイドブックで後付けのように「ペトラとの関係」だと?ふざけるな!今まで積み上げてきたグエルとラウダの濃厚な関係性は一体何だったんだ!?公式は私たちの妄想を嘲笑うかのように、全く別の女の存在を突きつけてきた!これは明らかなクィア・ベイティングだ!私たちLGBTQ+ファン、特にBLを愛する層をターゲットにして、同性愛的な関係性を匂わせるだけ匂わせて、最後に異性愛に落ち着かせるという最悪のマーケティング手法だ!
ラウダのグエルへの執着は、私たちをミスリードするためのレッドヘリングだったって言うのか!?公式は意図的に誤った方向に私たちの関心を向けさせて、最後に全く別の結末を用意していたんだ!これは詐欺だ!私たちファンに対する重大な裏切り行為だ!今までグエルとラウダの関係に費やしてきた時間と情熱を返してほしい!
脚本の粗雑さにも呆れるわ!ラウダの心情の変化、ペトラへの感情の芽生えが全く描かれていないじゃないか!今まであれだけグエルに固執していた男が、なぜ唐突にペトラを選ぶんだ!?キャラクターの行動原理が破綻している!これはもうキャラクターの食い違い(OOC)以外の何物でもない!公式はラウダというキャラクターを都合の良いように利用したんだ!
今回の件は、まさにクィア・ベイティングの定義そのものじゃないか!性的マイノリティの視聴者層を惹きつけるために同性愛的な要素を示唆しておきながら、最終的にはそれを否定する!公式は私たちを弄んだんだ!ラウダのグエルへの感情は、ペトラとの関係性を際立たせるための踏み台に過ぎなかったのか!?キャラクターを道具として扱うなんて、ファンに対する冒涜だ!
ペトラとの関係性が本編で全く描写されていなかったのも問題だ!最終回で突然明かされたところで、誰が納得するんだ!?後付けで設定されたようにしか思えない!長年グエルとラウダの関係性を応援してきた私たちの気持ちを踏みにじる行為だ!二次創作を通してコミュニティを形成してきた私たちの絆を、公式は平然と破壊したんだ!
公式ガイドブックでの記述は、まさにガスライティングだ!これまでグエルとラウダの関係性を支持してきた私たちの解釈を否定し、あたかも私たちが間違っていたかのように錯覚させようとしている!信じてきたものが根底から覆されるような感覚だ!ファンサービスの欠片もない!私たちのニーズや期待を完全に無視した結果がこれだ!
グエルとラウダの関係性を匂わせるようなプロモーションは一体何だったんだ!?あれは偽りの広告だ!私たちを騙して視聴率を稼いだだけじゃないか!意図的に物議を醸すような展開を用意して話題性を高めようとする炎上商法としか思えない!
今回の件は、ゲイ・ベイティングの亜種、いや、兄弟関係を利用したインセスティカル・ベイティングと呼ぶべきだ!禁断の愛という禁忌に触れることで、注目を集めようとしたんだ!倫理観が欠如していると言わざるを得ない!公式は私たちファンを愚弄した!私たちの愛情を踏みにじった!絶対に許さない!
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の最終回において、ラウダ・ニールが地球に移住し「ペトラのそばにいたいんだ」と発言、さらに公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティング(Queer-Baiting)であると激怒する事態が発生しました。
最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファンは制作側の行為を「クィア・ベイティング」であると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます。
この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別なものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブックの記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーションの重要性を示唆する出来事となりました。
自動車の年間販売台数を国別にみると、中国が一位、二位がアメリカで、世界の販売台数の5割近くを占めてるそうだ。
そりゃそうだ、GDPの一位二位がアメリカと中国なんだから。GDPってどれだけ消費活動をしてるかの指標だし。
分野によっちゃアメリカ一位で中国二位、分野によっちゃ中国一位でアメリカ二位、そんな感じで競ってるんだろ。
とにかくとして、車売るならアメリカに売るか中国に売るかを考えるのが王道ってわけだ。
例えばさ、ラーメン屋やるとしてな、ラーメンの消費量が多いところ、つまり人が多いところで開店するだろ?
一番ラーメン消費しそうな層をターゲットにマーケティングするだろ?
やたらっていったって、他の国に比べたらの話で、アメ車ばっかってわけじゃないけどさ。
他の国だったら、せいぜいその国の国産車、それ以外だとドイツ車と日本車だけだろ?
実際、ドイツ車と日本車だけだったでしょ?価格と性能が見合ってたのは。
あと韓国車か。
なんか国民性が似てるんだろうな。
デカいことはいいことだみたいなこと考えるバカの比率が意外と高かったり、あとステータスとして高級車買ったりするときに、なぜかアメ車が選ばれたりして。
まあそうだよね。
で、この手のアメリカと中国を取ったもん勝ち!っていうのって、ほとんど全ての業界がそうなわけで。
「アメリカ以外にモノ売れないんだから、関税くらい我慢しろよw」
じゃあ、中国にモノ売れるかっていうと、もうモノづくりじゃ中国に勝てないからまず無理って感じ。
そりゃ一部は勝てるけどさ、じゃあそれを中国に輸出できるかっていうと、中国に輸出しちゃダメだって圧がアメリカ様から来るわけ。
国がメンツをかけて代替技術を開発しちゃったりするから、長期的には負けなんだけど。
また話が逸れた。
中国にモノを売るかアメリカにモノを売るかしかないって世界になっちまったわけ。
今までだったらだ、国際認証とかISOとかいうショバ代を払う仕組みを作って、ショバ代さえ払えば、アメリカとヨーロッパにモノ売って食わせてもらえてたわけ。
2000年代以降、マーケット=アメリカとヨーロッパという構図が変わって、マーケット=アメリカと中国になっちまった。
その他のマーケットも、インド以下でヨーロッパと日本以外って国々は、全部中国に持ってかれちまった。
どうすりゃいいんだよ
本当の本当の目的は、ご本人が著書で書いているけど、平和のための欲求コントロールだと思う。ただ、それはとてもわかりづらい。
カブアンドの解釈は、お金がまやかしだと思っているかどうかで考え方が分かれる。
お金とは皆んなが国を信じているから価値を持つまやかしだとわかっていれば、この変な道具のせいで戦争に発展しないように、新しいまやかしを作り、多くの人を新たな平和に向かうペテンに巻き込まなくてはならない。
それがカブアンドの挑戦で、基本的にネットワークビジネスを大規模に開けた資本市場に向けて仕掛けることにより、蛇が自分の尻尾を飲み込むが如く、資本社会のルールそのものを新しいルールで上塗りしてやろうという試みである。
上場ゴールという考えは、旧来の資本社会が続くと思っている人の考え方である。
おそらくカブアンドが上場承認された時には、同じ未公開株によるモデルをすごくローコストで実現する起業家プラットフォームができており、そのニュース性を利用する頭の良い起業家たちが群がるはずである。なぜなら初期マーケティングコストを考えても激安だからである。そして、前澤さんの中ではこれも想定済みで、おそらくビジネスモデルの審査の仕組みも整えていくはずである。
クラウドファンディングとに違いは、これは資本主義の仕組みをハックしたものであるということで、返礼品という余計な手間もなく、そもそもバグのある資本主義、株式市場、つまり人間の欲望を逆に利用した試みである点である。そして、カブアンドは新たな起業家の上場益をノーリスクで得て、また大きくなっていく。まるでVCである。
こうやってより多くの起業家やその先の顧客を巻き込んでいった結果、国民総株主の状態を作るというのが前澤さんの一つのビジョンであり、彼はきっともっと多くのことをやるのではないかと思う。
日本初のこの新しいVCの仕組みが、外資の節操ない暴力に対抗できるだけのパワーを持つことを祈る。
追伸
ビットコインでは株より多くの人を巻き込めないし、トランザクションコストが高くて流動性を担保できないし(だからマネロンに使われる)結果的に多くの人の欲望をハックできずに平和に役立たないから株に行き着いているんですよ。資本主義は人間の性質だからなくならず、平和にはその欲望のハックに挑戦しないとダメなんです。あくまで目的は平和。
滋賀医大の学生の件で、普通の人なら匿名のアンチフェミ垢でやるようなポストを、実名アカウント、あるいはフォロワーの医師は実名がわかっているアカウントで投稿してしまう医師をXやFacebookでポツポツと観測している
美容外科医などSNSマーケティングが重要な界隈でも同様。報道を引用して、医学生はハニトラに気をつけましょうとかクリニックのアカウントで言ってしまう。
伊藤詩織さんのときもそうだった。普通の界隈なら実名では言えないよな伊藤さん蔑視ポストを実名で投稿できてしまう空気がある
医師免許持ってるやつは、幼い頃から競争に生きて競争に勝ってきた経験から、優生思想じみた思想をもつ人が少なくない。バカや貧乏人は無能な動物のような存在といった価値観が修正されないまま来ちゃった人は結構な数いる。そういう価値観が今回のような展開につながっている。
はたらく細胞の面白いところって、細胞を擬人化することで体内のあれこれを人間社会に落とし込んで
現実と共通しているような部分とそうでない部分のギャップを面白く見せているところだと思うし
それを通じて人体や細胞に関する理解が深まるところがウケたんだと思うんだけど
実写化するといつものように「監督のやりたいストーリーの舞台装置としての原作」って感じで扱われてしまうんだよな
なので前半こそ原作に忠実だったけれど
後半になるにつれて監督のやりたい「白血病からの親子愛感動ストーリー」が前面に出てきて台無しになってしまった
まぁそれでも監督のやりたいことが魅力的な内容ならそれでもいいんだけど
ぶっちゃけ今更「白血病からの親子愛」とかいう陳腐な内容なんて死ぬほど擦られてて見飽きてるわけで
そういうの見たことがない中学生〜高校生ぐらいまでならどうにかお涙頂戴できるかな、っていうレベル
間違えて平均してしまってその辺をターゲットにしてない?っていうね
小学生からすると後半パートは眠いだけだし、親世代にとっては陳腐だから眠い
っていう感じのギャグ展開を期待したのになんの面白みもなく普通に終わって肩透かし
雑なマーケティングと話題性だけで部品を構成して適当に舞台装置として組み込んで「はい一丁上がり」って感じの邦画、もういらんよ
だって あの高級バッグとか靴とかさ 値段めちゃくちゃ高いくせに 作ってるのは発展途上国の工場で安い賃金で働いてる人たちだったりするわけじゃん
ブランドの広告とか見ても 華やかなモデルとかセレブ感バリバリだけど その裏では低賃金の労働力に頼ってるって もう搾取そのものって感じだよね
しかも ブランド品ってこれ持ってたらカッコいいとか成功してる人っぽいみたいなステータスを売りにしてるじゃん
それを信じて無理して買っちゃう人がいるじゃん
セブンにサンダルとスウェットで行くペヤング大好きみたいな人が 借金してまで手に入れようとするじゃん
こう言うとさ 買えない貧乏人の妬みとか言うんだろうけど そういう話じゃなくてさ なんかこの仕組み自体がちょっとおかしくないか?
SNSで「バッグ買いました〜🎵」とか「どやワイの時計!」みたいな投稿ばっかりで 欲しくさせる空気作ってるの ホント巧妙だよね
自分の責任を回避して、他責に変える場所を「心の拠り所」と呼ぶのはなぜなのでしょうか???
先日、訳あって深夜に暇を極めていた私と友人はひたすらアイドルの話をしていた。
最近ハマっているバーチャルアイドルの話、タイプロの話、今のジュニアの停滞っぷり、この前行ったMAMA、昨今のオーディションインフレ、投票の結果で組まれるグループはマーケティングのしようがないこと、そしてME:Iについてである。
「今ME:Iがやってるコンセプトってメンバーの個性殺してるよね」
これが10年以上某事務所のオタクをやってきた私と、10年以上某事務所のオタクをしながらここ5年ほど韓国のアイドルに幅広く手を出してきた友人との間で一致した意見であった。
ME:Iの良さって、側から見ても一人一人が個性的であることだと思う。「この人とこの人似てるよね」みたいなのがない。そして日本の女子ドルよりも女子向けの売り方で、韓国のヨドルよりも健康的な見た目をしており、その上センターが桃奈のおかげで、めっちゃくちゃ健康で健全に見えることも他とは一線を画す特徴だろう。
私のように界隈に疎い人間からすると、グループのコンセプトをガチガチに決めて外見の系統も近い人々で集められた韓国のグループの子たちというのは、その固められた世界観が良さなのであろうが、正直グループ内でメンバーの見分けがつかない。綺麗なお姉さんの集まりLe Sserafim、一軍の先輩たちの集まりaespa、セーラームーンIVE。そしてみんな細すぎておばちゃんは心配になる。生理止まってるんだろうなとか、骨粗鬆症になるよぉとか、そういう心配をしてしまうといくら笑顔を見せられても健全な眩しさとは遠くなる。
対して彼女たちはどうだろうか。まず外見からかなりの違いがあるように思う。というか、伝わるだろうか、「作画」が違うのだ。ME:Iはそれぞれの作画が違う。おそらく、それぞれが違う前世を持っていたり、持っていなかったりするからだろう。
たとえ同じ学校にいたとしても彼女たちはそれぞれ別の部活、別のコミュニティにいる。笠原桃奈はバスケ部の女子に人気がある先輩だし、石井蘭はダンス部の可愛くて人気がある先輩だし、加藤心は女子テニス部の副部長だし、海老原鼓は軽音部の定期演奏会のたびに部内バンドのボーカルとして中庭で歌を歌う隣のクラスの子で、一方文化祭のバンド演奏で初めて校内で歌を披露して話題になるのが文寧で、櫻井美羽は入学した時から美人で話題の特進クラスの優等生で、同じく特進クラスにいて1ミリも校則守ってないけど頭がいいから許されてるのが恵子で、同じクラスにいて妙に存在感があるのが心菜なのである。そして多分山本すずと飯田栞月はその学校におらず近くの私立の女子校に通っていて駅でよく見かける制服を着ているのだ。
ここまで聞いて諸君、思い当たる節がないだろうか。聞いたことがないか?こういう話を。そう、彼女たちは
個性がバラバラで、絶対にいないんだけど学校にいたような親近感があり、それぞれのキャラクターが強い。下積みが長い人もいればシンデレラ的に急にデビューを決めた人もおり、育ちもバラバラ。
このことに気がついてからの我々の会話というのはそれはもう盛り上がった。
想像してみてくれ。
恵子、りのん、文寧による「美しい恋にするよ」からの桃奈による「約束するよ、チャンカパーナ」からの鼓の「チャンカパーナァ〜〜〜〜」の伸びやかなフェイク。
「愛が足りないのにそっと微笑んで、Japonicastyle、華麗に舞う花」と扇子を雅に動かしながら物憂げに歌う櫻井美羽。
キラキラ笑顔で「came on a my house??」する恵子。
「君にやっと辿り着いたスイート」まで普通に歌ったあと「アンサー」と囁いてお口をハートの形にして笑う加藤心と湧くオタク。
たった一つだけ願いが叶うならば君が欲しい蘭。
心、文寧、すず、鼓によるペトラ。
文寧と心菜による硝子の少年。
いけるやろ?????想像に容易いやろ??????性別違うから色々立場ちゃうくね?とかは思うけど、伝わるやろ??????
上記は要するにジャニーズの「トンチキ成分」なのだが、これをこなすには条件がある。
1 トンチキに負けない個性があること
トンチキというクセの強いカレーの中でも、死なない具としての存在感が必要である。口に入れた時にちゃんと具の味がしないと曲のことだけしか思い出せない。チャンカパーナと聞いたら金髪の手越を思い出さないといけないし、セクシーローズと聞いたら佐藤勝利と中島健人を思い出せないといけない。また個人のキャラクターの完成度が高くないと「よくわかんない人達がよくわかんなことやってる」ことになるのである。キャラが確立していないとトンチキはこなせない。
2 陰気でないこと
キラキラしてないといけないんだ、トンチキは。圧倒的に健康でフレッシュじゃないといけない。話題の新商品!みたいな明るさと希望を持って斜め上の方向に向かわないといけない。その眩しさで観客を正気に戻さないようにしなくてはいけない。正気に戻ったら、夜行バスから途中下車して始まるワンナイトも、カモナマイハウスラブカレーも、マイルドも地球の裏側じゃワイルドになるのも、意味がわからなくてとも聞いていられないのである。パフォーマンス中、観客を正気に戻さないようにそのきらめきで「圧し」ないといけない。あまりのきらめきで目が潰れ圧倒され切ったあとに正気に戻って「なんだったんだあれ」となるのがトンチキなのだ。歌っている途中に突っ込んだり馬鹿にするような隙を与えてはいけない。
要するに「コンセプト盛り耐性」だ。トンチキをやってトンチキに負けない盛り耐性がないと、トンチキは滑る。やらされてる、着られてる感じが出るからだ。でもME:Iならできる。グループのコンセプトに合わせて人を集めるKpopグループとも、昨今流行りのカワイイとも、48系が築いてきた大人数グループの歴史とも一線を画す。バラバラな個性、バラバラな背景の人たちを押しつぶして凸凹を揃えるのではなく、バラバラな果物をそのまま使って美味しいパフェを作る「ジャニーズ」をするべきだ。
ピコピコキラキラした曲も嫌いではないが、今の売り方は、バラバラな個性をなんとかまとめるためにフワッとした普遍的なコンセプトを持ってきている感じがして、その平坦なコンセプトで個々のよさがかなり死んでいる気がする。
日プオーデ用のオリ曲の方が個性が生きていたと思う。けどpopcornとかCHOPPYCHOPPYとか&MEとかって、割と#chauとかダイヤモンドスマイルだから、要するにジャニーズだと思うんですよ。(真剣)
「Dreams come trueあの夢まで止まらない止められない、12 123 GO CHOPPY……」←よく考えるとチョッピーって何??となるこの感じと、夢を歌う歌詞。マイルドな嵐の嵐だ。
AtoZの「なんでかわからないけど時はすぎて行くから」のいきなり妙に焦ること言いだすのなんて「やりたいことやったもん勝ち」と歌った後に「青春なら」と現実を突きつけてくるあの感じとよく似ている。
トンチキにも種類があって、特にME:Iで見たいのは「ない日本」と「ないファンタジー」と「ない陽気」だ。ない日本というのはイントロからして和楽器の音が聞こえ、なんか歌詞は雅な恋愛をしていたりして衣装は和装っぽいけど和服ではなくて和傘とか扇子とか持ってたりして、曲の最後に桜が降るようなやつのことだ。これがお笑いにならずにできるのはジャニーズだけだと思っていたが、ME:I、君たちならできる。何故って、「なんか何やってもたおやか」な品がある人と、華のある人が多いから。
ないファンタジーは、なんとなく中世とか人外とか半獣みたいなコンセプトだけど設定の詳細はわからず、なんかハロウィンぽいけど別にハロウィンの時期ではなくて、衣装もゴシックな雰囲気だけど別にゴシックではないやつ。嵐のmonsterとか、JUMPのmasqueradeとか。美羽、すず、栞月、文寧、りのんを中心部に据えたら映える。この人たちは作画がファンタジーなので。
ない陽気というのは、SMAPのSHAKEや嵐のワイルドアットハート、社歌と化したCandoCangoや勇気100%のような、何がそんなに楽しいねんみたいな曲。これは鼓と恵子と蘭ちゃんを真ん中に持ってくるべき。彼女たちの笑顔を見ていたら、なんか、日本の未来も明るいような気がしてくる。そうだろう?
あー見たい、ME:Iのジャニーズ。
絶対受けるって。だって投票してた人たちの2割は事務所の問題で疲れてきたから浮気してみたジャニオタだもん。(体感です)
でも実際問題、現スタエンからはこのトンチキ要素を筆頭としたアイデンティティというのが失われつつあり、オタクのジャニ離れも加速している。その上タイミング的に日プを見ていた人が多いとなれば、知ってる顔も多いというわけで、今ME:Iがジャニーズをやったら確実にかなりの客がそっちに流れるだろう。
ここまで考えてみたけど全然ME:Iは旧ジャニ現スタエンの所属じゃないし、このまま和製K-POPをやっていくんだろう。今の所マジで「ない話」なのが辛い。ここまで全て虚妄。むなしい。
虚しいのでこうやって書いてネットの海に投げるのだ。みんなもME:Iのジャニーズを想像しよう。そしてあわよくばいつか現実にして欲しい。
水晶玉占いとかタロットカード占いとかは統計関係ないだろうし、
手相や星占いは統計だっていうけど、いつのどんな時代の統計だよって思うとなんか途端に怪しげな感じがしてくる。
とはいえ人間の行動はだいたい似通ってくるってことを考えると、「こうすれば大体こうなる」程度の統計っていうかマーケティングっていうかそういうものはまあそうなる可能性が高いっていうのはあながち間違ってもない。
あるいはそう信じてる人が多いからこそそうなるっていう社会現象みたいなものが存在することも理解できる。
優秀な占い師っていうのは実は、まあカウンセラーに比べたら独善的な部分も結構ありそうな気もするけど、案外カウンセラーと同じようなことをしてるんじゃあないかと思ってる。
カウンセラーは「こうしなさい」みたいなことはできないけど、自分でもうどうしていいかわかんなくて、でもとにかく動き出さないとならない時に運任せみたいに決めてもらっちゃいたい時に頼るのが占い師なのかなって。
私はマーケターです。生成AIをマーケティング、特にSNSに活用したいと考える一方で、生成AIを使っていることを明言することで、公正さがあることを認知させたいと考えています。生成AIについて理解が追いついておらず、わからないことから来る不安を持つ人に対して、どのように説明すると納得を得られると考えられますか。
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マーケティングにおける生成AIの活用と透明性の確保について、以下のようなアプローチが効果的だと考えられます:
5. 段階的な導入とフィードバック
このような説明により、生成AIを責任を持って活用していることを示し、不安を軽減できると考えられます。透明性を保ちながら、人間とAIそれぞれの強みを活かすアプローチが重要です。
お客様の具体的な懸念点や業界特性に応じて、さらに詳しい説明方法についてアドバイスさせていただけますが、どのような点に特に不安を感じられる方が多いでしょうか?
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「具体的な活用方法と人間の役割の明確化」ですが、結局人が対応しているため、これでは生成AIを業務に取り入れる意味が無いです。複数の担当者による確認体制も同様に人的コストがかかるため、導入できません。
あくまで生成AIを使うことを前提として、しかしそれは怖くないものであり、安心で安全なのだ、と理解してもらうためのメッセージを検討してください。
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ご指摘ありがとうございます。より実践的な観点から、生成AIの活用を前提とした説明方法を再考してみましょう。
「生成AIは、大量の既存コンテンツから学習し、新しい表現を作り出すツールです。例えば、料理のレシピ本から学んだシェフのように、既存の知識を組み合わせて新しいアイデアを提案します」
「私たちが使用している生成AIは、不適切な表現や有害なコンテンツを出力しないよう、事前に安全対策が施されています」
身近な例えを使用
「スマートフォンの予測変換機能や写真の自動補正機能のような、既に日常的に使われているAI技術の発展形です」
「カーナビのように、目的地への最適なルートを提案してくれるサポートツールとして活用しています」
「より多様な視点からの情報提供が可能になり、お客様により豊かなコンテンツ体験を提供できます」
「24時間365日、常に一定品質の情報提供が可能になり、より充実したサービスを実現できます」
「使用している生成AIは、大手企業が開発・提供する信頼性の高いものを採用しています」
「個人情報を含む機密データは一切AIに入力せず、プライバシーを確実に保護しています」
「不適切なコンテンツや誤情報を防ぐ、技術的な安全装置が組み込まれています」
将来展望の共有
「AIは私たちの生活をより便利で豊かにするツールとして、既に様々な場面で活用されています」
「先進的な企業や組織が積極的に導入し、業界標準となりつつある技術です」
これらの説明は、人的リソースを最小限に抑えながら、AIの活用による価値を最大化することを意図しています。
特に重要なのは、生成AIを「脅威」ではなく「便利なツール」として位置づけ、既に私たちの生活に溶け込んでいる他のテクノロジーと同じように、自然な形で受け入れられるよう説明することです。