はてなキーワード: 津軽弁とは
京都の水族館の研究室がバイオハザードのアンブレラ社っぽい、っていう話の画像の中でスタッフが関西弁云々ってのがあって、「この設備で関西弁って面白いな」となんとなく思った。
関西のラボが関西弁なのはよく考えたら当たり前で、そこに面白さを見出したのは、(特にマッドな)ラボのスタッフは標準語を話す、というステレオタイプを持ってることの現れだろう。したがってここでおかしいのはラボではなく自分の認知である。
とはいえ、ラボの標準語っぽさはどこから来るのか。「自閉症は津軽弁を話さない」という研究からすると、ASD者の特性が有利なマッドサイエンスでは標準語に偏りそうな感じもあり、なんとなく理系より文系の方が方言が強い感覚がある。(とはいえ私の通った大学は理系もみな関西弁だったから、ラボ=標準語というのはまるっきりテレビの世界の話だ。)
そういうわけで、方言を話すマッドサイエンティストというキャラを作るのは面白いかもしれない。
その際、単に方言を話させたり、そのお国のステレオタイプを塗り付ける(例:軽薄な関西人、寡黙な東北人など)のでもそれなりに面白そうではあるが、ここにさらに「自閉症は津軽弁を話さない」の理論を踏まえたそこのラボで方言が使われる理由のようなものを付け足しても良いかもしれない。
自閉症が津軽弁を話さないのは、ASD者は会話よりメディアから言葉を覚えるからだという。
そうすると、そのマッドサイエンティストは組織に育てられ組織のメディアで育ったのかもしれない。
組織は、言葉が違う=地域共同体的な側面があることからすると、政治経済を支配する中央から冷遇される、「南部」とか「少数民族」とかであろうか。
しかしそんな組織の中だけで高度な先端科学者を育成するのは難しいから、その科学者は英語圏か中国に留学したのだろう。だから母語は標準語に汚染されず、組織の使う方言のままになる。
何となくだけど、組織の設定も込みで、「方言を話すマッドサイエンティスト」キャラが出来てきた。
(余談だが、ASD者が方言を話さないのは会話よりメディアから言葉を学ぶからという理屈からすると、ネットメディアから言葉を学べばネットスラングに染まったASD者が発生しそうだ。理系研究室、会話でネットスラング使いがち問題の遠因だろうか。)
津軽弁では「つけらっと」
それを津軽弁で言ってください。
「ほんまのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけよ。でも、アトピーのかゆみのように、身体的な苦しみとか病気とかは、独りになったところでもしんどさは変わらへんわ。でも、人とうまく付き合うことで自信をもって、生きがいを見つけたりすることができるんやで。つまり、人間関係は大事なんやなってことやな。」
やっぱり広島弁で言ってください。
「ホンマのこと言うと、アドラー先生が言うたように、人生で悩みってのはほとんどが人との付き合いがからんでるわけや。でも、アトピーのカゆみのように、からだ的なしんどさとか病気とかは、独りになったって、めちゃくちゃキツイんよ。でも、人とうまく付き合うことで自信持ったり、生きがい見つけたりすることができるんやで。つまり、ヒトとの関係って大事なんやなってことやねん。」
それは今現在ロシアとウクライナが対立しているために「そういうことにした方が都合がいいから」でしかありません
津軽弁と大阪弁より、HochdeutcschとNiederdeutschよりずっと小さな差しかないロシア語とウクライナ語が「方言」ではなく「別の言語」とされているのも、
ロシアとウクライナが対立しているのでウクライナにとって「そういうことにした方が都合がいいから」でしかありません
ドイツ人とオーストリア人は外交的にくっつくと都合が悪い時には「ドイツ人とオーストリア人は別の民族だ」と言い、くっついた方が都合がいい時には「我々は同じドイツ民族だ」と言ってきました
ナチスドイツと対立している時にはソビエト連邦が「祖国」だったんですね
同じ民族であることにした方が都合がいい時は同じ民族だと言い、別の民族だということにした方が都合がいい時には別の民族だと主張します
うちの父は75歳。ここ数年殊更に理解力が低下しているように感じる。
例えば雨の日に「傘どうした?」と訊いてきたから「コンビニで買ったよ」と答えたら、「買った」という言葉を理解できず、「コンビニで…何?」「カッタって…何?」という反応をしてきたり、孫がお爺ちゃんに会いたがってるという話題に「愛されてるね」と言ったら、「愛されてるって、誰が誰を?」と首をかしげていたり。
自分の声が小さく発音などが悪いせいもあるかもしれないけれど、同じテレビを見ていても全く理解できておらず、今日も「なんだ、旦那のほうは中国人か。だから何言ってるのかわからなかったんだ」とか言ってたから「いや、中国人は奥さんの方で、旦那さんの言葉が分からないのは津軽弁で話してたからだよ」と訂正したりもした。
元々頭のいいほうではないのだけれど、それでも一応大学も出て宅建なんかも持ってるし、やはり初期の認知症を疑ってしまう。そう言うと「まだ大丈夫!」と本人は胸を張っているのだが、無理にでも動き出したほうが良いのだろうか
あー、また出てきたよ、青森を小馬鹿にしたコンテンツが。これ青森出身の人が書いたならまだわかるけど、ツイッター見たら岩手出身らしいじゃん。なんで自分の地元の岩手じゃなくて青森なんだよ。訛り具合じゃ変わらねえだろ。
まあいい、これは同じ北東北のよしみで許してやるよ。でも、青森が他県の人に田舎扱いされることにいい加減耐えられなくなってきた。
漫画とかドラマの世界だと、究極の田舎、僻地といえばいつも青森だ。「青森の工場に転勤になった。もう会えない」ってなんだよ。新幹線に3時間20分乗れば東京まで出れるぞ。いつの時代だ。
そもそも青森に転勤ってどんな会社だよ。工場なんか大してねえし、むしろ輸送費がかかってコストがかさむだけだぞ。ストーリー構成上、キャラを退場させるために青森にしてるんだろうけど、適当すぎるだろ。
上京したばかりの田舎者キャラがいつも青森出身者でインチキ津軽弁喋ってるのもムカつく。「~やづ」とか言わねえし。しかも実家がリンゴ農家とか安直過ぎ。馬鹿にしてんのか。なんで毎回青森なんだよ。鳥取とか佐賀とか他にも色々あるだろ。
田舎田舎って、現在も住んでる人がいるんだぞ。田舎って馬鹿にしていいのは地元民だけだ。
……と青森出身者が書いてみた。そんなこと気にするなって思われるかもしれんが、毎回毎回地元がド田舎扱いされるのは普通に嫌だぞ。せめて青森を出すなら、なぜ青森である必要性があるのか、こっちが納得するようディテールまで作り込んでほしいわ。
はっきりした線引はできないよ。
ただオタク気質というのは、自閉症と強い相関関係があると思う。マンガやアニメが好きでもオタクという雰囲気が出ない人は自閉症じゃないんだろう。
オタクという言葉自体は自閉症を意味していないが、世間一般で「オタク」と蔑まれる傾向の人間は自閉症気味だと思う。
自閉スペクトラム症と言われるように、症状は多岐にわたるし、コミュニケーションが出来ないレベルから日常に差し支えないレベルまで多彩(程度の差があれ、しかし共通の傾向はある)だからスペクトラム症。
https://www.smilenavigator.jp/asd/abc/
”定型発達児が家族の真似もテレビ・映画のキャラクター真似も可能であるのに対して、自閉症児では家族の真似は困難だがテレビ・映画のキャラクターの真似は可能”
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/lingfieldwork/n/nefd96c0b8e71
この記事もアーカイブとしての言語学なのか、地域の人のアイデンティティのための言語学なのか、列挙してるだけなのか分かんなかった。
学者が研究しようが都会に憧れて方言を話す人はいるし、方言の中にも地方ごと島ごとに方言があるというのは学問としては良いのだろうと。
バイリンガルになってネイティブに馴染めないアイデンティティの問題っていうけど、それと方言は違うし、そもそもネイティブでも国語がうまく使えない人っているし。その人のアイデンティティどうすんの?みたいな。
朝鮮みたいに日本語強制させられて大変ってのは政治の問題。言語学じゃないだろと。そこで発生するのはアーカイブとしての必要性なんだろうし。
元記事では医療の話が出てたけどイヌイットの人とかは雪を表す単語がいくつもあるっていうよね。変えないと多分いけなかったんだよね。
津軽弁の寒さのためとか必要に応じて生まれる言葉もあるだろうし、そこの人が職業や体格的に話やすかった単語とかあると思うけどさ、なんかどっちにしても元記事よええなって思う。