はてなキーワード: 映画監督とは
タイトルの通りです。
色々な意見や考え方を知りたいので、コメントを残してもらえるとありがたいです。
自分の意見や考え方について他の人がどう感じるか、あるいは自分と同じように感じた人がどう対処しているかを参考にさせてほしいため、この文章を書きます。
「男だからそう思うんだろう」「女だからこういうことを言うんだろう」というバイアスを避けたいため、
できる限りフラットな文章を心掛けて書きます。また、筆者の性別は言及しません。
(本題)
例えばの話ですが、一人の映画監督が作った映画がとても好きだとします
その映画監督が、例えばセクハラやパワハラで告発されたとき、皆さんはその作品を今後の人生二度と見ないようにしますか?
映画に限らず、近頃では宝塚の先輩から後輩へのパワハラがありましたが、自分の好きな物に関わる人間にそのような事実が発覚したら、どんなに好きなものであっても二度と足を運ばない、お金を払わない、手に取らないようにしますか?
自分は、ハラスメント加害者を応援することはないし、起こったことに対してすごく気分が悪くなります。映画監督ならもう二度と映画を撮らなくていいと思います。
ですが、例えばその加害者が作った映画や漫画、音楽、物語などが自分にとってとても思い出深く、かつ作品自体もとてもいいものだとずっと思ってきた場合、もう見ないという選択をすることは自分にはとても難しいです。
先に書いている「もう映画を撮らなくていい」という思いはありますが、これまでの映画が見たいという気持ちもある。
でも、例えばサブスクリプションなどで自分が見ることによって映画監督の収入になるのは嫌だと思うし、「再生数が多いから大衆からは許されているだろう」という裏付けにされるのは心底嫌だとも思います。
そういう考えと同時に、「あの作品また見たい」という気持ちが生まれることもあります。「あの人のあの作品、見たことなかったから見てみたかったな」という気持ちになるときもあります。
要するに、自分が復帰などの言い訳(再生回数の一因とか)にされるのが嫌だけど、でもその作品は楽しみたいという非常に自分勝手な気持ちです。
ハラスメント加害者が関わったものは絶対見ないという強い意志を持っている人たちに「そういう行動を取るから復帰できるかもしれないという幻想を抱かせる、実際に復帰させてしまう」と言われるとぐうの音も出ないです。
そういう人たちに批判されるのが嫌だから、表面上は絶対見ない、見たくもないと思うようにしている気がします。
ちなみに、自分はハラスメント加害者や性犯罪者が更生するのは無理だと思っています。多少の反省はするかもしれないけど、そう簡単に変わらないと思います。だから、ハラスメントで告発されたらもうその人にその仕事はできないと思うし、それでいいと思っています。
でも、現実として「金になる」と判断されればどんなにこちらが反対してもまた出てくるだろうと思います。
それを防ぐためには、やはり加害者のプラスになる行動を取らないことが自分達に求められていると思います
それを頭で理解しながら、性懲りもなくその作品を見ようとする自分が最低な奴だと思い、もし自分と同じように考えたことがある人がいたら、どう考えて行動しているのか、どう考えるようにしているかを聞かせてもらえるとありがたいと思い、これを書きました。
先日行われた文学フリマで発行された某アンソロジーに私は寄稿した。
きっかけはTwitterで「公募でエッセイを募集します」というツイートを見たから。ただのエッセイ集ではなく、ひとつのテーマが決められているエッセイ集であり、「面白そうだな」「ちょうど書きたいことがあるな」と思って参加することを決めた。
限られた文字数制限の中、決められたテーマに沿ったエッセイを執筆し応募した。そしてありがたいことに掲載が決定した。内容次第では掲載出来ないと書かれたいた中でその連絡はすごく嬉しかった。特に報酬はなくアンソロジーの献本1冊のみだったが、読みたい本を頂けるだけで非常にありがたかった。
自分の文章が載らなかったとしても購入したいと思っていた。なんでもない、自分となんら変わりない人間の考えていることや人生だったりをエッセイやブログを通して読むことが元々好きだった。同じテーマでみんなは何を書くのか、気になって仕方が無かった。「匿名で掲載することも可能」と応募要項に書かれていたことから、かなり癖のあるエッセイが読めるのではないかと密かに期待していた。(特に尖っていなくても大抵面白いと思って読むが)
文学フリマ開催2週間ほど前に、企画アカウントからイベントに向けた告知ツイートがされた。
見てみると、告知画像に私の名前は無かった。たくさん並んだ執筆者の名前の最後に「他」と書かれていただけ。
たくさん参加者がいたんだなくらいにしか思っておらず、特別自身の名前をアピールしたかったわけでも無かったので、この時点では不思議に思っていなかった。
この告知ツイートの直後、企画主催者から「出来れば告知ツイートを拡散してほしい」という旨の連絡が届いた為、自身のアカウントで引用ツイートした。
告知画像に自分の名前が載っていないのに「このアンソロジーに寄稿しました」というのはなんだかおかしい気がしたが、なるべく多くの人の手に渡って欲しいと思ったので喜んで協力した。
企画アカウントの方で参加者と思われる方の宣伝ツイート(「寄稿しました」「是非お手に取ってください」等)がリツイートされて回ってくる。しかし私の告知ツイートはリツイートされることは無かった。まぁ見逃してるのかな、別に告知の宣伝を全員分リツイートしなくてもいいしな、とあまり深刻に考えていなかった。
リツイートされているアカウントをふと眺めていると、全て告知画像に名前が載っているアカウントばかりだった。リツイートされたアカウントをひとつずつチェックすると、全て1万人以上フォロワーがいるアカウントだった。
一方私のアカウントは、日常をツイートするだけのフォロワー数3桁のアカウント。
それから「力になれば」と思って告知ツイートを何度かしたが、もちろん企画アカウントにリツイートされることはなかった。その間も万単位のフォロワーがいる、名前の掲載されたアカウントばかりが企画アカウントにリツイートされていた。
動けば動くほど、恥ずかしかった。
文学フリマ当日、アンソロジーは完売したらしい。それは非常に嬉しく思ったが、なんだか恥ずかしくてあまりちゃんとツイートは見れなかった。
文学フリマ開催日から数日後、企画主催者から献本が届いた。恥ずかしく思ってはいたが、本自体は楽しみに思っていたので読み進めていく。そして異変に気付く。
自分が応募した際に規定されていた文字数制限を大幅に超えて執筆している人ばかりなのだ。
おや、と思いつつもエッセイ自体が面白かった為、あまり気にせず読み進める。6人のエッセイを読んだが、どれも文字数制限を大幅に超えている。
そして7人目のエッセイを読み進める。公募募集時に「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きがあったにもかかわらず、このエッセイは自分語りだらけで、なんならテーマにも沿っていなかった。
あまり面白くないなと思いつつ最後まで読んだ。そして最後の文章は以下の通りだった。
"普段文章なんか全然書かない。お金貰わなきゃ一生書かなかったと思うから、今回この機会貰えて嬉しかったすw"
ああ、なるほど。
企画主催者が自分の好きな著名人に文章を書いて貰う為の口実として作られた企画だったんだ。
本をパラパラとめくると、企画主催者がお金を渡して文章を書かせたであろう十数人には、来歴についてのページが用意されていた。映画監督、写真家、小説家など。何年生まれでどの大学を出た、こういう大きな仕事をしている等、書店で売られている本に掲載されているような紹介ページが個々に用意されていた。
一方自分の掲載されているページを見た。もちろん後ろから数えた方が早い位置に掲載されており、名前のみの掲載だった。
恥ずかしいというよりも、やるせなさがあった。
私はこのアンソロジーを、一読者として楽しみにしていたのに、「私が好きなクリエイターに文章を書かせるためのきっかけ」でしかなかったことをハッキリとわかってしまった。
企画主催者が公募でエッセイを募集したのは、本のボリュームを出したかったからであって、「このテーマで色んなエッセイを読みたい」という気持ちからの募集ではなかったのだ。企画主催者は特に著名人でもなんでもない素人の書いた文章に、ページを割きたくはなかったんだろう。
公募募集時の「自分語りに留まらないエッセイを書いて下さい」という注意書きも、素人の自分語りは聞くに堪えないが、自分の好きなクリエイターの自分語りなら大いに結構というスタンスだったのであろう。
別にお金を貰いたかったわけでもないし、来歴ページを用意して欲しかったわけではない。献本を頂けただけでも非常にありがたく思っている。
せめて、せめて自分から頼んでお金を積んで文章を書いて貰った人にはそうとわからないようにして欲しかった。参加者全員平等に扱って欲しかった。
「このテーマで文章を書きたい!」という強い気持ちがあるわけでもない、ただただお金を貰って文章を書いている人ばかりのアンソロジーだとわかってしまってから、ひどく陳腐なものに見えてしまって以降この本を読めていない。
テーマが魅力的で期待していたばっかりにガッカリしてしまった。
所詮趣味の同人活動なので、別にこの企画主催者のようなやり方があってもいいと思うが、一参加者として良い気持ちではなかったということをここに残しておく。
女性作家によるレズビアン小説が発表されるが、作者はトランスジェンダー自称男性だと発覚する
高校は男子校出身で、大学からトランスを自称しては女子トイレに入らせろと揉めて女子トイレ使用の権利を勝ち取っていたという
↓
作家はレズビアン当事者オンリーというレズビアン小説賞にも応募していた
レズビアンの出会いイベントやサイトなどは「身体男性を受け入れないのは差別だ」と男も受け入れるよう要請されて潰されまくっているが、その作家も男を受け入れろ派のため叩かれる
ゲイイベントに身体女性を受け入れろ運動は起きていないが、レズビアンは男性たちから攻撃の対象になっている
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「女を自称しながらレズビアンイベントを潰すな」といった書き込みに対し作家が訴訟を起こし、数人を訴えるも敗訴
noteで「実名告発しなければこちらが死に追い込まれる」として、開示請求で得た相手の一般人女性らの住所氏名を公開
↓
note運営に記事を削除され、レズビアンであるが故に差別を受けた、このままでは差別で殺されると嘆く
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小説家たち50人以上が作家に賛同し「LGBTQの人権を擁護しよう」との声明を出す
いや~映画監督って女優のレイプ告発とか相次いでたけど、その時に「レイプはやめよう」と100人近くで声明出すことなんてなかったよね~
Lは男を受け入れろと言いながらLGBTQとかひとまとめにすんなよ
自転車を趣味にしていると早タヒか?っていう話になってた。→栗原さん
そのときに谷垣禎一も自転車がきっかけでタヒんだよねっていうのは勘違いでした
平均寿命がどんどんのびっていって人生100年時代とかいってるけど、男の平均身長といっしょで
平均寿命(とくに男)がこれから高止まりすんじゃないか?そうおもう今日この頃です。
独身率増えると早タヒ男子グループってのが例外的でなくなるから、こいつらがぐっぐぐいっと押し下げそう!
#103万の壁突破
松本人志といえば、日本のお笑い界を語る上で欠かせない存在だ。彼がこれまで残してきた影響は計り知れず、多くの若手芸人たちが彼に憧れ、彼の背中を追ってきた。そんな松本人志が再び活動を始めたことに対し、なぜ支持しない人間がいるのか不思議で仕方ない。彼の復帰を批判する者は、お笑いの歴史や松本の功績を全く理解していないのではないだろうか。正直、「馬鹿」と言わざるを得ない。
まず、松本人志がいなければ、今の日本のお笑いの形が違っていたことは間違いない。彼は「ダウンタウン」としての活動を通じて、これまでに数々の革新をもたらしてきた。トークスタイル、笑いのタイミング、毒のあるユーモアなど、今のバラエティ番組やコントで当たり前とされているものは、松本が作り上げたと言っても過言ではない。彼の復帰は、今後の芸能界にも再び活気を与えるだろうし、さらに新しいトレンドを生む可能性もあるのだ。
批判者たちは、松本人志の「過去の栄光」に固執しているというが、これは明らかに間違いだ。彼は常に新しい挑戦をしてきた。映画監督としての活動や、自身の意見を率直に語るテレビ番組での発信もそうだが、彼は一貫して「変化」を恐れず、お笑いの枠を越えた表現を追求してきた。これこそが松本人志の真骨頂であり、彼の復帰を支持しないというのは、そうした挑戦を全く理解していないに等しい。
また、松本が復帰することで日本のエンタメ業界が活気づくことは間違いない。今の芸人やタレントたちは、ネットの影響で注目を集めやすくなっているが、松本のように「地に足をつけた笑い」を知る人は少ない。松本が復帰することで、若手が学ぶべきものが多く生まれるだろう。彼の経験からにじみ出る「本物の笑い」は、ただ笑いをとるだけでなく、視聴者に感動や共感をもたらす力がある。
結局のところ、松本人志の復帰を支持しない人たちは、今のお笑い界に何が必要かを分かっていない。彼の存在は、常に「本気で笑いを追求する」という姿勢を芸人に伝えてきた。日本の笑いの底力をさらに深め、観る人に楽しさと意義を届けるためにも、松本人志の復帰を応援しない手はない。彼を支持しないのは、ただの馬鹿と言っても過言ではないだろう。
1970~80年代(そのころをキャリアに含む)の映画監督とか漫画家とか小説家とかの、どのタイプの創作論みても、みんな「創作は良い意味でも悪い意味でも影響を与えるにきまってるじゃん」「影響与えない方が負けだよヤバいよ」ってちゃんと書いてるし
オタクが勝手にトラウマ化してる宮崎事件の後もコミケ創立関係者の米やんとかははっきりと「創作は影響を与える側」のこと書いてたはずだけど。
もちろんそれは「キャプテン翼を見てサッカー選手になるのは良い影響!ワンピース見て海賊になるのはあり得ない悪い影響!」みたいなお為ごかしではないよ。
なんか創作論でも、消費者意識がある以上仕方ないんだろうけど、オタクは断絶してる。はっきりいって戦闘経験がない。
オタクがいう「相手に譲歩するのは即負け」みたいな自称リアリズムって、漫画家の活動(ちばてつや他)とか見てないし実際一度も自身では規制の現場に立ったことのない「空想リアル」だろ。それこそプラネテスのロックスミスとかに影響受けてる辺りの。
ゲームや開発者や実況者に対する解像度が低すぎてお話にならない。
まず、ゲームにも色々ある。FPSのような競技性が高い物(ネタバレとか特に無い)から、
紙芝居ゲーやシナリオ重視RPGのような映画とほとんど変わらない物(ネタバレ拡散=そのゲームを購入してプレイする価値を完全に失わせる業務妨害レベル)まである。
映画とほとんど変わらない物の作者にとっては、映画監督にとってのファスト映画の公開(しかも収益化あり)と何ら変わらない事をされている。
そして開発者は実況者全員を敵視しているのではない。
開発者は実況に対してルールを定め、そのルールを守る実況者は敵視していない。
開発者が定めたルールを破ってネタバレ等をしている悪質実況者を敵視しているのだ。
特にその被害が大きいネタバレが命取りになるゲームの開発者が悪質実況者に対して怒り狂うのは当然の事である。
実際、映画監督がファスト映画に対して苦言を述べているのはググればすぐ出てくるが、それと同じである。
そもそも他人が現在有効な著作権を持っている著作物を許諾なく勝手に利用してやっている悪質な実況と
著作権が大昔に消失してパブリックドメイン(利用するのに誰の許諾も不要)となったルールで試合を行っているスポーツや将棋とかとを
ブコメで自分の思い入れのある分野で、よっしゃーと思いながらブヒブヒ書き始めて、字が足らなくなって、高揚感と消化不良感に包まれて朝の通勤電車に乗ることあるよね?(俺はあります)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/178130/
なので、ピンポイントで映画「ブエノスアイレス」のサウンドトラックについて増田でもう少し書こうと思う。
ブエノスアイレスは香港の映画監督のウォンカーウァイの作品である。ウォンカーウァイが最近なにをしてるか全く知らないが、90年代後半から2000年ごろにかけて無茶苦茶はやった。マジで流行った。東京の一番オシャレな映画館(と俺が思っていた)シネマライズで前作が動員記録を打ち立てて、その最新作がシネマライズで公開されるってから、レンタルビデオ屋で過去作の「恋する惑星」とか予習してから渋谷のスペイン坂まで、地方出身の俺は当時付き合い始めたばかりの彼女と出かけたわけである。
個人的な思い出はさておき、記憶に残るサントラの重要な要因として「時代性」がある。シネマライズ、香港返還、ちょっと先取りしたゲイムービー、ちょっと前の流れだがピアソラブームなどの時代の空気をたっぷり吸った「ブエノスアイレス」はその要素に溢れてる。
収録曲に関してはアストールピアソラ、フランクザッパ、カエターノヴェローソ、という3人の組み合わせである。この3人を一つの場に持ってこようと思った人間はいないのではないか。そしてその3人は同時代にいながら、互いの音楽を聞いていないのではないか(いや、ザッパは聞いてるかも)。しかし、その三者三様の音楽がブエノスアイレスという映画の中にめちゃくちゃ嵌っている。
楽曲以外の収録要素もいい。一曲目のカエターノの「ククルククパローマ」のイントロの前に、短くイグアスの滝の音が入る。イグアスの滝は映画の中で象徴的な役割を果たしており、サントラの導入としては最高である。また楽曲の合間に、映画本編の登場人物のセリフが収録されているのがいい。広東語なので何言ってるかわかんないが、こういうのは雰囲気だ。
こんな最高な作品だが、他の名作サウンドトラックと同様に廃盤となっているようだ。映画自体も前評判の割には大ヒットというわけでもなく、ウォンカーウァイの時代も遠い過去になってるからしょうがない。
・大乱闘穴ブラザーズ映画と思ってみたらとんでもねえ百合が根底に流れている映画だった
・「同じ人を知っているはずなのにまるで別人という人間が自分以外にも複数いる」部分が推しカプ妄想の参考になるかと思い見たのであんまり期待してなかったし三谷幸喜作品って50代以降がメインターゲットなのであんまり期待してなかったけど思ったほど悪くなかったし「三谷幸喜が生きてる内に作品を履修できて良かったな」という気持ちになった 合う合わない別にしてエンタメに歴史を残す作り手が生きてる内に本人作品を摂取できる機会があってよかった
夫躍り出る夫の名前の末に番号ついてるのもなんか夢感増してた
・スオミの「帰る場所」ポジを確固キープし、スオミの人生と並走し続ける黒光さんとスオミの処女貰ったであろう先生が優勝・勝者です以上
・最後のスオミ本人による供述シーンで夫達それぞれの椅子のデザインとか座り方で一目で個性伝わらせようとしてきてくれてる感じがよかった
・指示厨の夫の椅子が映画監督(人に指示を出し動かす役割の人間の椅子)の椅子っぽいのがオッ秀逸!ってなった
・映画本編自身が終止して良くも悪くも大衆的で「一目で伝わらせる」のはすごいことなんだなぁとおもった エンターテイメントや…
でも作り手が歴史ある大手すぎるので作り手の感性に大衆的が合わせられてる説もあるっちゃあるな…と思った
・3席くらいとなりのマダムが目茶苦茶楽しんで映画観てて、自己顕示欲とかなしに素直に「映画を見てて思わず声を漏らしてしまう」みたいな場面が何度もあって面白さバフかけられた感あった
・猿轡とちょっと首元はだけてるだけなのにあんなにエロスなの、さっすが天下の大女優、長澤まさみさんやでぇ…背景黒なのが尚更エッチ感にバフかけとったな…
・さすがに…さすがに、セーラー服は、ツインテは…キチィて…!いかに長澤まさみといえども…!
・頼む…中学時代に誰とでも表面上「仲良く」できる(誰も気づいていない)スミオに対して「あんたそんな誰に対してもニコニコして疲れないの?」っていう黒光さんと誰にも仮面を気付かれないと思っていたスミオさんがハッとする…そんなやり取り絶対にあったでしょう…!そんな過去回ください!いや語られないほうが美しいのでやっぱいいです…!黒光さんは生徒会とかお硬い役職についていたのではないか?
・映画評価で「序盤でミステリのネタがわかりすぎる」とかちょいちょい見たけど全然そんなことなかったぜ!
エンドロールで「航空学校」ってあったから訓練用の設備貸してもらったんかなとか邪推しちゃったぜ!エンドロールが短いぜ!でも助手さんの名前とかも書いてあってヌクモリティを感じたぜ!
・警察後輩の存在、狂言まわしとしてかなり助かった この人がいないと兄弟たちの身内感に疎外感を感じてストーリーを追うほどの興味を持ち続けられたか少し不安なくらい
・むっちりクソガキのクソガキっぷり草
「ついに捨てられたの?」草
有名心霊スポットにテントを張って、深夜にその中で出演者が順番に怪談話をするという企画をしてたら、何者かがテントの周囲を歩き回る気配がする。
一同は「ひー」とビビるだけ。だいぶ時間がたってから男の出演者が外にでて、周囲を確認するがなにもなかった。
別のビデオ。
そこにかかわって行方不明になってる人もいるというエピソードもある。
撮影スタッフや出演者がそこに訪れて、撮影していたら謎の車がやってくる。
ビビって一目散に逃走。
別のビデオ。
オカルトライターがホラー映画の監督をそこに招いてインタビュー。
しばらくしたら背後の壁の天井あたりから、真っ白い手がぶら下がる。
こういうのを見ていつも不満に思うのは、決定的な瞬間にでくわしてるのになぜ突撃しないのか。
・テントの外で怪しい気配がする→すぐ外にでて正体をたしかめる
・心霊スポットに謎の車がやってきた→関係者の方ですか?と正体を確かめる
・リアルな見た目の幽霊の手が出現した→その手を掴みにいく。あとで手の出たあたりを調べて人がいる余地がないか確認する。
このくらいしてくれないとモヤモヤする。