人間にとって「正義の名のもとに誰かを叩くのは気持ち良い」というのは確かにあるが、それに気づいた人が「正義の名のもとに誰かを叩いている奴を俺が(安全な場所から)叩いてやる!」という方向に無意識に走りがちなのも、やはり人間というものである
「引きどき」ってあると思うんです。 仕事で揉めたり、相手がよくわかんないこと言い出して拮抗状態になって、ウワーこれもうどうしよう、みたいになって、最終的にこっちに非がないことがわかって「まあまあじゃあここいらで一発手打ちにしましょうや」となり、相手が謝罪してきたとき。ついつい「ほらだから言っただろ」みたいになりがちなんですけど、こっちがまだ攻められる余地を少し残した状態で引くのがうまいやり方なんじゃないかな、と思うんですよね。最近、一緒に仕事してる人がこのへんすごく上手で、その線引きのポイントっていうのが「これ以上攻めると、相手のプライドを傷つける」と思うかどうかだそうなんです。 揉める、っていうのは、相手も少なからず自分の正義を信じて主張してきているわけですよね。もちろんこちらにも主張はあるので、そこ同士をぶつけた結果、こちらに理があるとなり、相手が折れた場合、次に何が大切かというと、「
1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/06(金) 19:31:22.56 ID:S8W8MgXg0 復讐とかそういう重みがあるものはいいんだけど ギャグやそれに準じた主旨で「恥をかく」展開が笑えないレベルで苦手 わたモテとか直近だときんモザであやがカレンの真似して授業中に無理やりカレンの真似するとことか ああいうのやめてほしいんだけど俺だけか 4: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/06(金) 19:32:38.53 ID:MUNz7xBZ0 分かるすごい分かる 俺はそういうシーンの時あまりにも居たたまれないもんだから立ち上がってうろうろしてる 40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/09/06(金) 19:47:15.65 ID:kwzTIYjL0 >>4 お前のリアクションもすごいよくわかる 12:
『連続講義 暴力とジェンダー』(林博史ほか編著、白澤社)に収録された林博史氏の「講義5 日本軍「慰安婦」制度と米軍の性暴力」において、米軍の「性管理政策」を分析する過程で、著者は「男らしさ」に2つのタイプがあることを指摘している。「強いとかたくましいとか荒々しいとか、いわゆるマッチョなイメージの男らしさ」(199ページ)と「理性によって自分を管理できる人間」「男というのは人前では泣かない、感情を理性でコントロールできるのが男だ」(200ページ)といったかたちでの「男らしさ」。米軍の性管理政策が後者の「男らしさ」観に基づいて形成されたとし、しかし(簡潔な記述を私なりに補ってまとめると)その政策の効果を含む実態を分析するには、非エリート層が必ずしも後者のタイプの「男らしさ」を受け入れていないことを考慮に入れる必要がある、とされている。 この二つの「男らしさ」の類型は、この講義においては、アメリ
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