マシーナリーとも子/冬コミ 月曜日 西ふ31a @barzam154__ 担当氏に推されてギャグマンガ日和の増田こうすけ氏のエッセイマンガを買って読んだんだけどすごすぎる なんなんですか あの頃の増田こうすけ劇場 ギャグマンガ家めざし日和 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) amzn.to/3PU2JuL pic.twitter.com/ydN31jNHnG 2024-04-11 17:38:21
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ブルース・スプリングスティーンに“レーシング・イン・ザ・ストリート”という曲がある。『Darkness on the Edge of Town(町外れの暗闇)』、日本では『闇に吠える街』という邦題で知られている1978年のアルバムのA面最後に入っている曲だ。アメリカという国おいて、車、そしてストリート・レースとは庶民的な、いや、労働者階級文化の庶民性をもっとも反映したサブカルチャーだ。ぼくは一度だけ、1998年9月、デトロイトでのストリート・レースを見物したことがある。たしかに「町外れの暗闇」に包まれた道路の、夜の深い時間だった。 スプリングスティーンの“レーシング・イン・ザ・ストリート”が名曲なのは、元工場労働者/バスの運転手だった父親のもとに育った彼が、70年代後半の名作と言われている諸曲と同様に、洞察力をもってアメリカ労働者階級の日常をリリカルに描いている点にある。が、同曲の歌詞はそ
かつて人気だった雑誌の休刊が相次いでいる。雑誌はもう役目を終えたのだろうか。ライターの栗下直也さんは「日本で唯一の麻雀漫画専門誌『近代麻雀』(竹書房)は、noteで記事を販売しており、年間4000万円を売り上げている。これは雑誌にしかできない取り組みではないか」という――。 「麻雀の雑誌」というオワコンの代表格 雑誌が売れない。看板雑誌の廃刊も珍しくない時代だ。だが、果たして雑誌のコンテンツそのものに価値がなくなったのだろうか。何か売る方法があるのではないだろうか。 そんな思いを抱き、ネットでの有料記事の販売で、超低空飛行から脱した雑誌がある。『近代麻雀』(竹書房)だ。果たして「麻雀」という決して新しくないコンテンツをどう売ったのか。 ばくち・酒・たばこ……。麻雀は長らく、負のイメージにまみれた「昭和の遊び」とされてきた。「いまどき麻雀? 古くない?」と思った人も少なくないだろう。実際、警
近年、新世代のジャングル/ドラムンベースのプロデューサーやDJが注目を集め、UKのジャズシーンは新たな黄金時代を迎えている。その背景にあるものは何なのだろうか。 1980年代後半から90年代初頭、アシッドハウス(※)の熱狂に沸く英国において誕生したジャングル。そしてほぼ時を同じくして成立したアシッドジャズは、DJが主体となった英国のジャズ文化の新局面だった。本題に入る前に、この2つの音楽について簡単に振り返る。 ジャングルとは何か。『DUB論(改訳決定版)』(2023年、水声社)のなかでマイケル・ヴィールは、「ジャングル(別称ドラム&ベース)は一九九○年頃にイングランドで発展した、ジャマイカのダブとDJミュージック、イギリスのテクノのハイブリッドだ」と記し、その音楽的特徴を「ダブ(ドラムとベースを強調したミックスとアトモスフェリックなサウンドスケーピング)とヒップホップ(抜粋したブレイクビ
『暗殺の森【4K修復版】 UHD+Blu-ray』封入ブックレットより解説原稿の前半を特別公開:YouTube初無料公開記念 暗殺の森 小野里 徹 *本稿は『暗殺の森【4K修復版】 UHD+Blu-ray』(発売元:WOWOWプラス 販売元:TCエンタテインメント)封入のブックレットの解説原稿の前半部分を、筆者の了解を得て、WEB上で公開するものです。 ■革命前夜ベルナルド・ベルトルッチが『暗殺の森』(1970)の製作に着手したのは二十八歳の時だった。 師であるピエル・パオロ・パゾリーニ原案の『殺し』(1962)でデビュー。故郷パルマを舞台にした自伝的作品『革命前夜』(1964)、もう一人の師であったジャン=リュック・ゴダールへの憧憬がはじけた『ベルトルッチの分身』(原題「Partner.」、1968)を経て、イタリア国営放送=RAI製作の長編四作目『暗殺のオペラ』(1970)でヴ
映画『オッペンハイマー』がついに日本公開された。原爆を開発した物理学者の半生を描いた作品だ。本作での原爆投下の描き方に賛否が集まるなか、映画監督の森達也さんは「オッペンハイマーは原爆投下後の広島と長崎の映像を直視できない、そんな弱い人間として描かれる。だからこそ僕たちは、それがどれほどの惨状であるかを間接的に想起できる」という――。 対立しているようで、微妙に違う 今年3月12日、広島在住の高校生や大学生ら約110人を招待して、日本では初めての『オッペンハイマー』一般向け試写会が、被爆地である広島市の映画館で開催された。 上映後には平岡敬たかし元広島市長と詩人のアーサー・ビナード、そして僕がステージに上がり、映画の感想を述べてから、観客からの質問にも答えた。 これを伝える多くのメディアでは、平岡元市長の「核兵器の恐ろしさが十分に描かれていないと思った」をまずとりあげ、これに対して僕が言った
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