悪事、不正などを行う人は、それらが露見しないようにいろいろと工夫します。しかしうまく隠し通したと安心できるのはつかの間です。悪事は必ず露見します。その不幸な報いから逃げることは決してできません。悪事を隠そうとずるがしこい努力をしますが、その努力が積み重なったところで、残念なことに逆に、悪事は世間に露見してしまうのです。悪事の報いからは、どうして逃げられないのでしょうか。それは、我々の行動を監視している超越的な誰かがいるからではありません。その悪事を行う人が、自分自身で公示するからなのです。生命は心があるから、さまざまな行為をするのです。その心が、欲、怒り、傲慢、憎しみなどの煩悩で汚れてしまうと、行為そのものも汚れてしまいます。それが悪事というものです。悪事を行う心をその本人が持ち続けていますので、悪事の報いからうまく逃げられると思っても、それは大きな勘違いです。死んでまた生まれ変わっても、