はてなキーワード: キャラ萌えとは
どのアニメでも公式カプをうっすら祝ってるくらいで同人誌とかは出したことない、
(特に百合好きではないけど公式カプが百合だというなら祝う気持ちはある)
水星の魔女でも基本オールキャラ系のファンアートしか見ないが積極的に避けてるわけじゃないのでカプ二次創作も目に入ることがある、
くらいの増田がなるべく部外者にも分かるように何で水星の魔女同人界隈がこんな魔境になってしまったのかを整理してみると
・女主人公のスレッタとヒロインにあたるミオリネに対してそれぞれ恋愛感情を持つ男キャラ(グエルとシャディク)がいる
→初期はスレッタから別の男キャラ(エラン(強化人士4号))に対する恋愛感情が描かれ、
ミオリネも過去にはシャディクに恋愛感情を持っていたらしいことが描かれている
→最終的にはエラン(強化人士4号)が退場、グエルとシャディクはスレッタとミオリネから振られる形となり、スレミオがカップルとして成立した
(アニメ内で明言されたわけではないが二人はお揃いの指輪をしており後に「二人は結婚した」と監督が発言した)
「こっちは百合を見たかったのに男女カプ要素を混ぜられた!騙された!」「こっちは男女カプに期待してたのに男キャラを踏み台にされて百合になった!騙された!」
と百合派と男女カプ派双方が殴り合い、双方が公式を叩く泥沼の地獄絵図が生まれた
アニメ完結後の声優へのインタビューで「結婚した二人(スレミオ)」という文言があったのだがその後雑誌の電子版でその文言が削除され、
公式から「皆様一人一人の捉え方・解釈にお任せする」という声明が出た結婚削除騒動なんてものもあり、火に油を注いだ
https://g-witch.net/news/detail.php?id=20824
折しも世の中(特に海外)ではLGBTの権利について敏感になっていて、「百合をナーフする公式の姿勢は同性愛差別的だ」という批判も招くことになった
・百合VS男女と比べると目立たないが、グエルにはラウダというブラコンの弟がいてこの兄弟のBLカプもまあまあ人気があった
だが最終的には(恐らく(※後述))ラウダと女キャラのペトラでカップルが成立したので、これまた兄弟BL派が公式を叩く事態に発展した
「いや、実の兄弟なんだから公式でカップルになるわけないだろ」とツッコミが入り、こちらは(少なくとも表面上は)比較的早く鎮火した印象
・世界観やストーリーにそれっぽい設定や謎はあったが、本編では深く掘り下げられることがなかった
また戦闘シーンも限られていたので、ストーリー考察勢やメカオタク勢が定着しにくく
キャラデザは良かったことからキャラ萌え・カプ萌え勢がファン層の多数を占めるようになった
・キャラのモノローグが全くない・説明台詞が少ない演出手法を取っていて、キャラの本心やストーリーの流れが分かりにくかった
そのため「このキャラはこう言っているけど、本心ではない」「このキャラはこの場面で何も言っていないけど、きっとこう考えてるに違いない」
といった無理筋な解釈も可能(というかそういう解釈を否定できる材料がない)となってしまった
そのせいで、カプ絡みに限らず「この場面はキャラAが悪い」「いや、キャラBが悪い」といった論争も際限なく発生した
大体こんな感じ
何だかんだ言っても普通に見てればスレミオ(と男女カプのラウペト)が成立したんだろうなと思える作りではあったし、
「本当は男女カプのグエスレやエラスレが成立するはずだったのに、スレミオになるなんておかしい」
「本当はBLカプのラウグエが成立するはずだったのに、ラウペトになるなんておかしい」
とかいう主張はどうかしてると思う
でも本編の描写やグッズ展開やプロモーションからして、公式には「百合・男女・BL全部のカプオタに媚びて売上を伸ばしたろ!」という魂胆があったように見えてしまう
リンク先の記事(著者は自分とは別の増田)にも書かれているけど、
放送中〜放送直後の公式は、スレミオだけでなく人気がある非公式男女カプやグエル・ラウダ兄弟の組み合わせでキャラをセットにしたグッズの販売やプロモーションをしていたからだ
(男女はあくまで友人、兄弟はあくまで兄弟としてセットにしましたと公式サイドは言うんだろうが)
あとスレミオもラウペトも何故かアニメの中でお互い好きとか愛してるという類のことをはっきり言い合うシーンがなく
「多分(恋愛感情的な意味で)好き合ってるんだろう」という曖昧な描写に留まっていて、
特に女同士であるスレミオには非公式男女カプオタから「ただの重い友情であって恋愛ではない」と言われる隙ができてしまった
一応公式同性愛カップルのはずが明確な描写は避けて非公式男女カプにも餌を撒いてるとなれば今時炎上もするだろうし、
男キャラたちがスレミオの踏み台というか当て馬や引き立て役みたいになってたのも確かなので非公式男女カプ派の怒りも理解できなくはない
そんなわけで(ヒートアップしてるカプオタが悪いのは前提として)、公式にもあまり同情はできないというのが正直なところ
冒頭にも書いたが自分は別に公式カプが百合でもいいと思っててアニメの中でそう描かれてれば祝うつもりもある
でも、アニメの描写を見てもグッズ展開などを見ても「で、結局公式はどうしたいんだ?」と首をひねってしまって、公式カプとして祝っていいんだか悪いんだか判断がつかないんだわ
まあ批判を受けたせいか最近はさすがに非公式男女カプの組み合わせでグッズを出すことは減ってるみたいだが…
「この二人は結婚しました、付き合ってます」程度のことさえ表現できないなら、何でアニメを作ってるのか?
話の本筋じゃない恋愛描写ですらこれなんだからましてや戦争や経済格差、恋愛以外の人間関係の問題なんて描き切れるはずもなく、
水星の魔女はロボットアニメにも関わらず暴走するカプオタ・キャラオタばかりが目立つ作品になってしまった
と、ここまで散々なことを書いてきたがこう見えても放送中はけっこう楽しんでたし、未だにキャラやメカに愛着みたいなものもあるんだ
世界設定・メカデザ・キャラデザ、どれも確かに良い部分もあったと思えるだけに料理の仕方を間違えたのがもったいないと感じる
・今の時代、創作物での同性愛の取り扱いにはもっと慎重になったほうがいい
・非公式カプで商売をしようとするのは、公式カプ派・非公式カプ派の双方に不満が溜まることになるのでやめた方がいい
・ロボットアニメなのだから、メカによる戦闘や戦闘が起こる背景をちゃんと描写した方がいい
・直接的な描写がない部分も察してくれる理解ある視聴者ばかりとは限らないので、
できるだけモノローグや説明台詞でキャラの気持ちやストーリーを明快に説明した方がいい
といったところだ
ここまで拗れてしまったからには、もうよほどのことがない限り沈静化は無理だろうなと諦めている
新しいガンダム作品を作るスタッフや他のアニメ制作会社のスタッフは、ぜひ水星の魔女を他山の石にしてこんなことにならないよう頑張ってほしい、としか言えないのが悲しい
任天堂ってポリコレに配慮してるみたいなイメージあるけど、実際は女性キャラに対するルッキズムもエイジズムもヤバない?
ピーチ、デイジー、ロゼッタ、あとポリーンとみんな若くてスタイルの良い美人。一方、男キャラはマリオ、ルイージ、ワリオ、ワルイージと髭面で鼻もデカくてお世辞でもイケメンとは言えない容姿。何だかなぁって思っちゃう。
こういうと「マリオの鼻が大きいのはファミコン時代に右左どちらを向いているか分かりやすくするためで〜」ってドヤ顔知識マウントされそうだが、そんなの当たり前に知ってる。そこまで視認性を重視しているのに、ピーチ姫に関しては「若くて可愛いお姫様がトロフィーだと嬉しいでしょ」って意図しか伝わってこない部分に何かモヤっとしてしまうのだ。こういう部分から、マリオシリーズも結局「男の子向け」なんだなぁって疎外感を感じてしまうし、自分がターゲットではないんだなぁと悲しくなる。
そもそも姫はいるのに王子がいないのはなぜ? いや、いるにはいるんだけど、マメック王子とかフロリアン王子みたいな人外キャラしか調べても出てこないのだ。何かここまで来るとイケメンを意地でも出したくないのかなと疑ってしまう。ゲームとしてはトップレベルで歴史の長いマリオシリーズなのに、イケメンキャラが一人もいないってもはや執念のようなものを感じる。
オタク向けのキャラ萌え作品にはしたくない、ゲームとしての面白さで勝負したいというのは分かるよ? でもそれならピーチ姫も美人じゃなくて良くない? マリオみたいに鼻のデカイ寸詰まり体型でいいと思うのだ。それをしないのってやっぱり女は若くて美しくあるべきというルッキズムとエイジズムがあるんだろうなと自然と感じ取ってしまう。
それでもただ守られるだけのトロフィーだった時代に比べたら、ピーチ姫も主体的に戦うようになってマシになったとは思う。でも、それなら若くて美人にこだわる必要もないと気づいてほしいものだ。
私の趣味は漫画、小説を読むことで、漫画はそれこそ幼少の時から40歳を超えた今でも暇さえあれば読んでいる。特に30代になって電子書籍で買うようになってからは、翌日の予定お構いなしに徹夜で最新刊まで読んだりもする。
しかしながら、昔は面白ければ何でも読んだが、最近は、これ前に読んだ〇〇と似ているなーと思うと1巻で断念したりとかいうことがよくある。1巻読んで面白いなーと思っても、なんか続きを読む気力がわかないということもあり、そんな時はネットでラストまでのネタバレを探して読んだりする。
最近では、余程ストーリー面白いか、テーマに興味があるか、キャラ萌えしないと続きを買う気がしなくなっている。
最近でも新刊出る度に買ってるのは、リエゾン、shrink、アンメット、子供を殺してくださいという親たち、ケーキの切れない非行少年たち、前科者、しょせん他人事ですから、ミステリという勿れ、瓜を破る、正反対な君と僕、七つや志のぶの宝石、ちいさいひと、二月の勝者など。
自分の子供が面白がって読んでいる漫画を読んでみたいような気もするが、億劫で読む気がしない。
子供が読んでいる漫画は、呪術廻戦、働く細胞、シャングリラフロンティア、ダンジョン飯、など。
どれも面白いんだろうなあと思うけど、どうしても読む気がしない。親として、不適切な内容がないかとかもチェックしたいんだけど‥。働く細胞以外はもっと年上向けの話だよね。
悪役や問題のある奴として配置されているキャラクターに激しい嫌悪感を抱くことがあまりない。
どうせ最終回までには断罪されるし、どこか「話をまとめるために誰かがやらなければいけない憎まれ役をやっている者」と感じて叩く気にならないことが多い。
そのせいか、明らかに嫌われるべき悪役への野次にさえも苦手意識が出て、悪役のいない明るく楽しい話以外の応援上映には行かなくなった。
作中で他のキャラクターから憎まれるぶんには当たり前だとしか思わないのだけれど、他の読者・視聴者による野次はなんとなく聞いていて嫌である。
さらに、一般ファン(ここではキャラ萌え二次創作に積極的に触れない層とする)が悪役を嫌うことは作品の王道の楽しみ方だと一応は感じるが、
詐欺師だろうが殺人鬼だろうがどこかが刺されば推しにしているキャラ萌え要素の強いオタク同士で語らう場合は、「悪い奴だから不愉快で嫌い」という理由に納得がいかないことも多い。
殺され役がモブとしてしか描かれおらず悲壮感がないから悪事に見えにくいだけの話じゃないのか?とか、そういうことが言いたくなってしまう。
絶対に推しを悪く言われたくないとか、絶対に誰の悪口も聞きたくないとかいうよりは、
ある作品では大量殺人を犯すキャラを推しているオタクが、ある他作品でキャラを嫌う理由に「人の命を軽く見ているから」と述べることに納得がいかない気持ちのほうが大きい。
「フィクションなんだから現実的な倫理観とキャラクターとして好きか嫌いかは別物なんだよ」という理屈でキャラ萌えオタクやっているんだと思っていたのに、そこでは普通の正義漢みたいな話になるのか?わからんなぁ……となる。
ついでに、話し手がキャラより上かのような表現の「嫌いさ表明」が嫌いである。
いわゆるイキリっぽいのが嫌だという同族嫌悪もあると思う。
たとえば(のちに和解っぽくなってはいるが)範馬勇次郎を主人公の良き父親とは思えないから好きではないと言う人がいるのは納得できる。
なんだかんだで格のある強キャラだからとか面白いからとかで好きだと言う人がいるのも納得できる。
なので「俺は勇次郎好き」「俺は勇次郎嫌い。やってることムチャクチャだと思う」は両方嫌ではない。
ただし「ああいう親父キャラ見るとボコボコにぶん殴ってやりたくなるから嫌い」は嫌だ。
単純に「そうしてやりたい気持ちになるくらい嫌い」というだけの表現なので目くじら立てることではないのは承知で、それでも嫌いである。
一般人が対面で文句を言える立場にないような身分の美女という設定のキャラへの「思い切りブスって言ってやりたくなる」等も、似たような感想になる。
あーマジで見てられね―な。
お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。
バ レ バ レ って奴ね。
ブルアカの本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。
ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームのアニメ化という偉大なる成功体験の再現」なんだよ。
韓国産ゲームが二次元大国日本に文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ。
原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌えと狂気と闇(ニチャァ)で安易にオタクを刺激しようとする牧歌的で原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。
原作ブルアカのOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。
ブルアカはね、若いオタクが青春を味わうゲームじゃないんだよ。
年老いたオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。
青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。
今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。
偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。
レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代の追憶だ。
彼は未来を見通す賢者ではなく、自分が経験によって学んできた歴史を課題に評価する愚者だ。
愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ちが受け手の心を捉えるのだよ。
日本カルチャーが忘れた原始的な萌えの体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。
OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。
声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?
ブルアカのアニメは俺達に大事な気持ちを思い出させてくれたぜ。
このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!
☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感の大原則なんだよ!
ブルアカのアニメだから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。
そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったことから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。
序盤のザキで死んだけどヒットアンドアウェイでなんとか倒したけどすげーつえー犬でもボコられてやるきなくしてレベルアップDLCを使っちゃったわ
放置してたこともあったから実質マイナス2~3時間くらいはありそうだけど
サブイベほぼ全無視してこれだからサブイベやってたらたぶんもっとかかったと思う
でもヴェスペリアはサブイベありきみたいなつくりになってるらしーから、たぶん味わい方としてはもったいないことしてる
あとスキットがメッセージ飛ばせねえから地味に時間食うのがうざかったなー
まあスキット飛ばせるテイルズって逆にあんのって感じではあるけど
ているずってメインじゃないスキットとかでのキャラ萌えみたいなとこがメインなとこあるからなー
スキットまったく聞かないのはできなかったから、聞けるサインが出たものは全部きいた
(一定時間放置しないときけないのとかどこどこにいかないといけない、とかみたいな条件付きのは無視
あとダウン状態の敵に追い打ちできないのがマジクソだった
オーバーリミッツっていうFF7のリミット状態みたいなのになれるのにそれやると敵がふっとんでダウン状態になるから、
結局奥義もヒオウギも一度も出さずに終わったわ
出し方わかんなかったから
覚えるまで時間かかりすぎるしスキルのつけはずしと武器のつけはずしも面倒だしでマジで最悪だった
サブイベとかスキルとかいろいろまともにやろうとしたらあと20時間くらいかかると思う
リタがかわいかったからそれだけでなんとかクリアまでいったって感じだった
さんざん言われてるけど終盤の世界を救うテンプレ展開になったのが残念だったなー
結局そっちいったらそれが敵になっちゃうやんみたいな
もっと踊る大捜査線の青島と室井さんみたいな関係とかストーリーをみたかったわ
テイルズとか軌跡シリーズとか、ガキのころにもっとやっとけばよかったなー
いろんなゲームプレイしたアラフォーのおっさんが今更まともにプレイするもんじゃねーな・・・
水着イベントとかあるらしーってクリア後に知ったけどもうやる気にはならんなー
自分の中でとりあえずクリアしたという実績、満足を得ることが目的だからな
さー次はゼスティリアだー
はよアライズやりてーわ
ああ、日本はあまりにも「恨み」の感情を忌み物にしすぎてたんだよ、いい子ちゃんアピールしたいからって。
説明すると俺、五等分にも魔法科にもSAOにもおそ松さんにもこのすばにもリゼロにも転スラにもオバロにも
文ストにも けもフレにも ゾンサガにも冴えカノにも俺ガイルにも はたらく細胞にも
現在進行形でも
東リベ・廻戦・鬼滅・かのかり・
アイマス・ラブライブ・バンドリにも深く溶け込みづらい、又はついてけねえ、
(ヅソダモソが語る限り、上記作品の50パーセントぐらいが、こんなの見るのならスターウォーズ(時系列順でep1〜6まで。間にハンソロやローグワン含む。ep6後日譚ならソニーマガジンの小説オリジナル系)やLotR(ホビットシリーズ含む)、あんハピ、フリップフラッパーズ観た方が有意義なのだ!)
きらら界隈みてもごちうさ・ゆるキャン・ぼざろの三国時代に対して疎外感持ってるんすけど。
12年前のゴールデンウィークでの深夜一挙放送で本作を無料放送対象に入れなかったアニマックスを今でも許してねえからな俺は。
もっとグッズ展開してるうちに見たかった、BSアニマックスで展開されてるうちに見たかった、12冬にBS11でも放送して欲しかった、
16、17、21年と再放送の機会あったのにBS11は聞いてくれなかった。
BS11のこの7年は
.hack//SIGNも喰霊ー零ーも誰が見たかったんだよ?
何が神様になった日だ、
何がデビルズラインだ、
何がたとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語だ、スマホゲに大アンチすら付かなかった上よく1年3月持ったな。
「このアプリをインストしてる奴は危機感持った方がいいよ」に認定すらされないザマだったし。
何がスケートリーディングスターズだ、再放送実況者数ゼロだった癖に…
何がブレイドアンドソウルだ、
何が山田くんと7人の魔女だ、
何がしゃちばと&リアデイルだ、
何がD CIDE TRAUMEREI THE ANIMATIONだ、
何が擾乱 THE PRINCESS OF SNOW AND BLOOD だ…
AT-Xだと
何が一騎当千だ、何がはぐれ勇者の鬼畜美学だ、
何がSchoolDaysだ、何がエルフェンリートだ、
何が無職転生だ。
何が死神坊ちゃんと黒メイドだ。
何が弱キャラ友崎くんだ。
22年までのBS11に戻す。
セブンナイツレボリューションの場合はアニメ公式折り返しで再放送告知やめる、
23冬は意図的に新作すし詰めにしてそっからの一年間アニバーサリー作品の再放送ろくにやらなかった、
こんな新作すし詰め状態のためにアニメーターはピンハネされてんのかよ
トゥエルビもアニロク10枠時代に同作放送するべきだったのにしなかった。
線やグラデーションや背景が平成末基準でなきゃ見れないとかいう奴らが出てくるとか、そういう前に無料放送で再放送の機会与えられなかったのかよ?
いろんなことに特別な拘りを持つような者も現れましたよ、
この作品をを正規テレビ放送波で触れれる機会をなんでもっと早く俺に与えてくれなかったんだ?
寂しいんだよ
グッズ展開されてた時に正規テレビ波で見たかったんだよ、だけど
頼りのBS11どころこどの局も何もしようとしなかった。
この作品の魅力なんて分かんねえのか?
線やグラデーションや背景が発達しても話もキャラ萌えもストレスコントロールも中途半端な「下手な令和系」に比べたら断然こっちの方が神格クラスだろ。
くどい様だが、
でもポケモンというゲームが他の追随を許さない良ゲーなのって、
あの、連綿と積み上げられてきたおびただしい量の種族やタイプやとくせいや性格や技やもちものやその他諸々を有していることで、
それによってデザインや立ち居振る舞いの説得力がつよまり魅力となってるわけだが、
それって本質的には「ポケモンバトル(対戦要素)」というコンテンツのために備わっているものじゃん。
だから多彩な戦略、独自の戦術が実現可能で、面白いとされているわけじゃん。
だからポケモンの本質って「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだと思うしゲーフリもそういうつもりで開発してるでしょ。
対人用のセッティングをするためのハードルも年々下がってるのは、そういう人口増やしたいから。
【そもそも論】増田で「対戦勢なんてポケモン人口の1%未満w」とか言ってバカにしてる人観測するけど、それってランクマ人口のことでしかないでしょ。
俺もランクマッチは回さないけど、息子甥っ子姪っ子、会社の同僚の子供なんかの接待でも、友人や義兄との遊びでも、オフライン対戦するよ。
身内バトル用のパーティをカジュアルマッチで回すことも有るし。
まあ増田やるような陰キャは放課後にポケモン持ち寄って旅パバトルする友達もいなかったからイメージ湧かないか。
とにかく、ポケモンの本懐は「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだってば。
別にポケモンバトルしないやつは下等とは言ってない。図鑑埋めもせずにランクマ回してるやつこそが立派だとも言ってない。
キャラ萌えしていいしストーリーで泣いていいしサンドイッチ作ったりカレー作ったりしてろ。
ただ、トイレで手洗ったり身だしなみ整えても鼻の油拭いてもハゲ隠しても化粧してもいいけど、トイレの本懐はおしっこするところなんだから、トイレでおしっこしてる人をくさすな。って言いたい。
トイレでおしっこしてる人をノイジーマイノリティとか言うな。寝室で寝てるお前の枕元に2人以上で立ってカラオケしてやろうか。うるさいと文句垂れるお前をノイジーマイノリティ扱いしてやるからな。
てか、アンチランクマの人に限ってランクマの外にあるタイトル叩いてるイメージ笑
そんなに1%のランクマ勢が嫌いなら、ランクマのためにロムの容量食われてバグだらけになってるタイトルなんかやらずに、ピカブイやってなよ。
○ご飯
朝:なし。昼:牛丼。サラダ。豚汁。たまご。夜:袋ラーメン。タマネギの生姜ニンニク炒め。間食:なし。
○調子
○ 刑事J.B.ハロルドの事件簿 マーダー・クラブ
1986年に発売されたコマンド選択式ADVの Switch版リメイクを遊んだので感想を書く。
根幹は80年代に発売されたゲームから変わっておらず、とにかくコマンドを総当たりで試していき、容疑者達に聞き込みを繰り返していくゲームだ。
20人以上の容疑者が街に点在しているので、ひたすらに彼らと何度も会話していき事件の概要を少しづつ浮き彫りにしていく。
殺人事件の犯人を追う王道のミステリだが“謎解き”の部分は主題に置かれておらず、推理よりも聞き込みで情報を足で稼ぐ過程がゲームになっている。
この辺は、かまいたちの夜以前とか、逆転裁判以前などとADVの歴史をそれらしく語ることもできるが、そもそもこの辺は近似ジャンルである本格ミステリ小説やパズラー小説が本格ミステリ冬の時代(この用語の是非についてもそれはもう語るべき内容が山のようにあり、あたかも自明のごとく使うことはよくないのだが、あくまで近似ジャンルの話題なので勘弁して欲しい)と呼ばれていたことと無関係ではないだろうし、エンタメとして包括した考察が必要なので大仰な歴史の話はやめておく。
そんなわけで、ひたすらに聞き込みを繰り返しながら事件を捜査していく。
大勢の登場人物に加えて、動機のラインが複数本あるのでそれらを整理しながら徐々に情報が集めていく。
情報が積み重なっていけば容疑者を重要参考人として取調室へ連行できるので、そうやって少しづつ街から容疑者が減っていき情報の整理が目に見えてわかるのが楽しいポイントだった。
しかし繰り返しになるが解くべき謎が提示されるわけではなく、淡々と情報収集を繰り返していくと、容疑者たちが自発的に口を割っていくので、読み物としての物足りなさは否めない。
登場人物も写実的でフィクションらしいキャラクタの肉付けもないので、本当に淡々と進んでいく。
古いゲームを少し古い言葉で評してしまうが、キャラ萌え要素は全くない。
決してそれが面白くないわけではなく、捜査と聞き込みの繰り返しがコマンド選択式ADVの魅力であり、動機のラインが複数ある中からそれを選定していくのは物語ではなくゲームとしての楽しさ、面白さにはなっている。
主人公のJBハロルドについても作中で人間性がわかるような描写はほとんどないものの、それだけにエンディングの一枚絵で酒とタバコを嗜む姿がハードボイルドな大人の魅力を感じられていいスチル絵だった。
歴史の雨風に負けない風化しない面白さの強度がテキスト重視のゲームは強い傾向にあるが、テキストの面白さをシステムと密接な関係にある今作は、やっぱり少しゲームの歴史のお勉強感というか、義務感というか、セールで安かったし感というか、そういう少し本筋とは外れた部分での満足感の方が強かったかもしれない。
(なお、完全に余談だが冒頭で書きかけた新本格の隆盛についてを小説ではなくエンタメとして包括したときに、名探偵コナンの存在を軽視する私の有り様を強く批判するもう一人の私がいるので、どこかで名探偵コナンの振り返りを行いたいと考えているが、これこそお勉強として読むコナンは面白くないだろうし、僕はミステリの歴史家になりたいわけではないので、うーむと思っているのだが、名探偵コナンの家庭用ゲームを追うのは有りな気もしており悩ましい)