はてなキーワード: クローズアップとは
リアルでもネットでも未成年含む女相手のストーカーや性加害をやめられない性別向けのポルノと
女向けのポルノが同じ扱いされるわけないんだよね
ラオスの児童買春にしても、男社会では児童買春が常習になっているから、売る側も買う側も組織的になり膨れ上がり外務省が動いたわけで
男子高校生をレイプしたおばさんのような、ほぼ発生しない上に散発的な例と相対化するのは無理がある
BLに影響された犯罪が続出してカード会社が規制に動くという話かと思ったら
しかもフェミや腐女子が三上悠亜ウェディングドレス騒動に移行しただけなのを「フェミや腐女子がBL規制をちらつかされてラブドールにゴミ食わせるゲームに言及できなくなり黙り込んだ」というストーリーを作成してるのか
完全になんとかが失調してるやん
https://anond.hatelabo.jp/20250729013213
にわかにクローズアップされたジャニーズ性加害問題も、地上波テレビしか見てない爺さんが「全ての女を夢中にされるジャニーズを潰して女さんを現実(冴えない男性との結婚出産人生)に戻してやれ」という目論みありきなんだけど
その何年も前からとうに女向けコンテンツは分散化・多様化状態だったので「発狂する女」もごく少数のジャニヲタのみだった
しかもジャニーズ性加害問題も全ての業界人が加担していた組織的な問題だったが、アンチフェミキモヲタはジャニーさんやタレントと接点のないジャニヲタにつきまとい「罰として加担したジャニヲタ女の子宮を摘出しろ」と喚いていた
【男の敵は男】グループサウンズの皆さんも、ジャニー喜多川さんの性加害を見て見ぬふりしていた
https://anond.hatelabo.jp/20250729151724
どっかで書かれてたけど青心社と講談社で固められててカドカワはハブられてるため
紅殻のパンドラはアニメだけが年表に載ってるという、ちょびっとだけ抜けのある漫画家としての士郎正宗をクローズアップした展示
清書原稿の前の鉛筆原稿が残されてて、何段階も下書きを経てかなり綺麗な形の原稿として作られてたり
ペン書き原稿にオノマトペを上から被せる形でクリア原稿が別になってたり
PC絵描き作業が出てくるずっと以前から手書きでレイヤーな描き方を成立させてるのが
作中プロパガンダ書き込みみたいのをオノマトペと同層のクリア部分に書き込んでるの、
ホワイト修正とかありえん、って感じなんだろうなという、潔癖症のような綺麗すぎ原稿ばっかだった
といった、手書き原稿展示なので、メインはお馴染みアップルシードドミニオン攻殻オリオン
売店で古今伽姫草子集という画集というかエロ画集の大判を買って肌色成分を補充
その絵と同じぐらいのスペースがいつもの文章で埋め尽くされてるというモノなのだが
「古典ベース + 女体化 + 関係あるんだかないんだか衒学なんだか駄法螺ってんだかよくわからないが凄い長文」という組み合わせに
うわFGOだ
と想起してしまった
うーん不敬(そこまでシロマサに敬服してるわけではない
と、いったんFGOを想起してしまうと色々と考えてしまうもので、
まず思うのは型月の元々ってシロマサの影響あるんだろうか
一方がサイエンス(SF)畑、一方がミステリ畑で、依拠する文脈が違うのは明白
絵的には社長絵は内藤泰弘とか方面で、辿ってくとシロマサいないわけはないだろうけど直接感はあんましない
CG以降もシロマサは割と素にCG初期のグラデーションやら光沢やらテッカテカ方面だし
ステイナイトの頃も手書き感を残してた社長絵はあんま影響って感じがない
と、FGOはそもそも型月コンビ作というより他メンバーの色のが濃いんだったと思い出す
つまり桃太郎風エロ娘や風神雷神風エロ娘やカチカチ山風エロ娘はあくまでFGOぽいのであって型月ぽいわけではない
ふむしかし、と別の方向に考える
節操ナシが最大の売りのFGOは、なんで士郎正宗に礼装イラストやキャラデザを頼まないんだ?
今までだってユーザー無視してFGOの既存のデザインと噛み合わなそうな絵を描く大御所をゴリ押しで捻じ込んできたのだ
士郎正宗にエロ女体化英霊デザインを頼むなぞ、俺が思いつくまでもなくやってそうなものだが
……と、
ここまで無駄につらつらと考えて、ア、と気づく
奈須と、自分の世界観テキストをゴリゴリに押し込む士郎正宗とでは、テキスト面で衝突して合流できるわけないわ
おわり
正しい二次創作なんてものはない、ということを大前提に置いた上での愚痴である。
今まさに旬ジャンルの旬カップリングなので、読んでいてわかる人もいるだろうが、作品名やキャラクター名についてコメントで言及するのはお控えいただきたい。
卑屈な男Aと傲慢な男Bが、とある目的を共にしたことをきっかけに、お互いがお互いに影響を与えて変わっていく様は多くのファンの胸を打ち、SNSでファンアートを見かけない日はないほど流行している。
それはとても嬉しいのだが、個人的に大変心苦しいこともある。
まず、原作の世界観で描かれた二次創作よりも、ifや現パロや転生ネタ等の亜種二次創作の方が多い。
私個人としては、美しくも儚い最期を迎えた二人のことを愛しているので現代転生や生存if等はそこまで刺さらないが、
彼らの幸せな姿を見たいというファンの気持ちはとてもよくわかるし、私もそういった二次創作自体は苦手ではない。
では何が苦手なのかというと、現パロ等でのAやBのキャラクター性が原作とあまりに乖離しているものが受け入れられないのだ。
例えば、Aの自己肯定感が低く流されやすい気質を過剰にしてクローズアップして現パロで「ヤリチンカス大学生」にされたり
Bの傲慢だが可愛げもある気質を過剰にクローズアップして現パロで女体化されて安易な「ツンデレはわわチョロ美人」にされたりしているのが嫌だ。
このようなキャラ改変をしているのが一部の作者のみであれば『この作者とは好み・解釈が合わないのだな』と割り切ることが出来るのだが、
このようなキャラ改変が界隈で持て囃され、一種のスタンダードのようになっているのがたまらなく辛いのだ。
大手垢はAがヤリチン化されている作品を『これが理想のAB!皆読んで!』と絶賛して呼びかけているし、
B女体化に至っては『皆Bさんの女体化大好きだよね』と言わんばかりにワンクッションすらなく女体化お色気イラストを垂れ流す人も少なくない。
頭にも書いた通り、二次創作は全てファンの妄想でしかなく、正しい二次創作なんてものは存在しないこともわかっている。
わかっていても、私はこう思ってしまう。
ヤリチン大学生×ツンデレチョロ美人のカップリングが見たいのであれば、この作品のこのキャラクターの二次創作じゃなくてもよくないか。
逆に私が好きなタイプの、原作の世界観やキャラクターに沿った二次創作は評価や閲覧数が伸びづらい。
原作が短いこともあり、発想や展開がどうしても他の創作者と被ってしまうからだ。
よっぽど目を引く要素がない限り『あー、このシーンを深堀した話ね。わかるわかる、良いよね』で終わってしまうのである。
原作から乖離した二次創作があっさり閲覧数や評価を伸ばして楽しそうに盛り上がっている傍らで、
原作に沿った二次創作をしている人たちが『評価あんまり伸びないな』と寂しげに零していることがよくある。
そういった人を見かけるたびに直接や匿名メッセージボックスで『貴方の作品が大好きです』と伝えるようにはしているが、
原作に沿った二次創作をかくのをやめたり、このジャンル自体から去ろうとしてしまう人も居て、心が辛くなる。
私は原作の世界観とキャラクターを愛しているし、少しでも同志に喜んでもらえれば良いなと思って原作軸の二次創作を続けているが、やっぱりヤリチン大学生や女体化ツンデレ美女より評価が伸びないので時折寂しくなる。
他者のことを視界に入れること自体が間違っていると、頭ではわかっている。
だが、どうしても吐き出したくなってしまったのでこちらのはてな匿名ダイアリーを利用させていただいた。
読んでくれてありがとう。
タヌキ星人ファミリーがポン子以外クローズアップされないまま、ポン子だけが独走しているわけですが、ポン子自身に地球のホテル銀河楼を巡る物語的な結びつきが薄いため、物語の主人公にもなりえず狂言回しとしても半端に常識的で、だいぶ空転した回でした
ホテルを巡る物語としてはヤチヨさんが主人公であるはずではありますが、ロボットとしての歪さが強調された前半戦では主人公と狂言回しの双方を兼任する形で進めていたので、その動かしづらさからおそらくサブ主人公枠としてのポン子を立てたのでしょうが、それならゲストキャラや他のタヌキファミリー、ホテリエロボットたちにポン子が振り回されたほうが主人公として機能したのでは(4話のヌデルンルンのように)
2話での言葉の通じないコミュニケーションを描いた丁寧さと比較すると、だいぶ遠く離れたやる気のない手抜き脚本ではあったかなと思いますが、私の評価の低くなってきた6話、7話あたりで世評が盛り上がってきたので方法としては間違っていないかと思います
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[B! AI] 国会議員の過去発言をAIで分析し、政治的立場をまとめたサイト「KOKKAI DOC」を東大などが発表(生成AIクローズアップ) | テクノエッジ TechnoEdge
前回に去年の夏に事実上の"親日銀派"のエコノミストたちが今年春の量的緩和解除やデフレ脱却、政策オプションとしてのインフレ参照値の導入を語っていたと述べた。そのような発言を聞く一方で、小泉政権サイドに近いところからは夏の終りに日銀と政府との名目経済成長率論争が起きるだろうという観測を聞いた。もっとも去年の夏は郵政民営化を焦点とした政治の季節に吹き飛ばされて、この「論争」が正体を現したのは年末になってからであった。具体的には昨年12月に経済財政諮問会議において与謝野馨経済財政・金融担当相と竹中平蔵総務相との間で交わされた財政再建をめぐる論争である。これは財政再建をめぐっての金融政策の位置づけをどうとらえるのか、という論争であったともいいかえることができる。長期国債の利回りである長期利子率と名目成長率の大小関係がどのように金融政策と関連しているのか、という点で与謝野大臣と竹中大臣との間で意見が交換された。では、なぜ長期利子率と名目成長率の大小が財政再建や金融政策のあり方に関係するのだろうか(以下は拙著『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)による)。
ところで国債残高が財政の健全性で問題になるのは絶対的な大きさではなく、ネットでみた名目国民所得との比率である。上式を用いて簡単に導出されたのが次の関係である。
=〔(政府支出-税収)/名目GDP〕-(名目GDPの成長率-利子率)×(国債の新規発行/名目GDP)
政府支出-税収がプライマリーバランスとよばれるものだが、この式の右辺第2項をみるように名目GDPの成長率が利子率を上まわれば、プライマリーバランスにかかわらず国債の新規発行分・名目GDP比率はある一定の値に収束する。逆に名目GDPの成長率が利子率を下回ると発散する。すなわちしばしば財政再建論議で話題になるプライマリーバランスの改善よりも財政危機を回避する際にきわめて重要なのは、名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになる。この関係を「ドーマー命題」と呼んでいる。
そしてどのような国債残高の初期水準からはじめても、利子率が成長率よりも大きいときは財政破綻に直面し、利子率が成長率よりも低ければ財政破綻の危機は訪れない。もちろん現在の日本はゼロ金利であり、長期国債の利回りも歴史上まれにみる低水準である(1~2%)。しかし他方で名目成長率はマイナスで推移している。つまり名目成長率よりも金利のほうが大きい事態が長期的に継続しているのが日本の現在の状況である。日本の名目公債残高/名目GDP比が90年代から今日まで増加トレンドを変更しないのは主にこの事情による。成長率の低下をもたらしているデフレが継続すれば、ドーマーの命題でいうところの財政破綻の危険性が高まっていくわけである。
さて与謝野大臣は近年では長期金利が名目成長率を下回ることはない、という認識であり、対して竹中大臣は金融政策などの政策対応がきちんとしていれば名目金利が名目成長率を長期にわたって上回ることはない、という立場にたっている。このことは言い換えると、与謝野大臣側は金融政策による名目経済成長率の引き上げは難しく、せいぜい3%程度だという認識のようだ。竹中大臣側は金融政策によって名目成長率は4%程度が達成できると主張しており、実は与謝野・竹中両者ともに実質成長率は2%の認識があるため、問題はインフレ率をどう判断するかによっている。与謝野大臣側はゼロインフレからせいぜい1%以下にインフレ率を抑えことが望ましいという判断であろう。これは今日の日銀の政策と整合的である。竹中大臣はいわゆる「リフレ」的観点に立脚して発言していると思われ、中長期的に2%程度の低インフレを目指して、税収を改善しもって財政再建に資するという考えかたである。わたしはOECD諸国の多くが名目成長率≧長期金利 を実現しているために、日本においても達成可能であると思っている。
ここで今回の量的緩和解除をめぐる騒動でもこの種の日銀的なゼロインフレ志向(世界的にはデフレ基調の水準を最適インフレ率とみなしているようである)と竹中大臣に代表される政府内の「リフレ」的見解の対立が底流のひとつとしてあるということである。
昨年の郵政民営化以後、小泉政権は目的喪失現象を起こしているのではないだろうか。首相は積年の懸案を達成して、残る政策課題として小泉流の誰からも政策の障害=犯人が明瞭となる課題を探して、政権の緊張感の維持、そして後継選出の影響力を保とうとしたのかもしれない。その意味で、この名目成長率論争を通じて、金融政策のあり方がクローズアップされたのは自然な成り行きだったのかもしれない。なぜならデフレ対策だけはいっこうに改善の兆しがみえないものだったからである。しかし政府の挑発ともいえた日銀パッシングはどうも政府自身の思惑や日銀自体の計算(4月以降の解除)を上回る形で、早期の量的緩和解除にむけて日銀自体を走らせてしまったのかもしれない。
(続く)
ある程度朝にミッションをこなしておかないと、
夜はカツカツになるのでぱぱっとショップ覗いたりガチャ回したり大忙し!
スプラトゥーン3は下火だけれど下火だけれど
ちゃんとプレイはしている1日1回5000ゲソで回せるガチャとその日初勝利の1勝目はボーナスポイント多く入るので、
これは逃さないとーって感じ。
あとあとになると、
シーズン終了間際、
昨シーズンはまさかのカタログコンプできなかった悔しさもあり、
一応は順調よ。
今のうちペース飛ばしておいてシーズン終了間際に余裕が欲しいところ。
そ!そして
前作は『おむすび』なんかアンパンマン精神でおにぎりで人々を助けまくる話かと思ったら案外そうじゃなくって、
チャレンジしすぎたのか私は途中で脱落しちゃったわ。
ヤムおじさんが限りなくジャムおじさんに寄せていて、
阿部サダヲさんがタイムスリップして現代に戻っていきそうなぐらいの今からそれを心配しているところだけど、
そんで壺で大事に掻き混ぜてるやつあれたぶんパンを膨らまかすイースト菌的な菌的な菌?
そんな手法で育てて増やしているのねーって。
やっぱり今から未来に戻ってタイムスリップしそうな阿部サダヲさんだわ。
ヤムおじさんが面白すぎて今のところ私はヤムおじさんのあんパンを今日はどれぐらい売れるんだろう?って心配しているところよ。
あれ、
ヤムおじさん物語だったら
絶対にパン食い競争であんパンが幾つか必要で焼いている!ってところに時間が絶対に起こるのよね!
ここで一波乱あるかと思ったけど、
何事もなく、
パーン!パン焼けました!って終わったけど、
でもさー
餡の調達、
いや美味しい餡も作るっての今のところ取り上げられてないので、
今のところ配信で追っかけで見ているところだけど、
『あんぱん』に限っては先先を見たい感じが強まっているのよ。
倍増って言っても2倍ではないってところぐらいの倍増さ加減かな?世間はあんパンブームって声聞かないけれど。
いろいろなベーコンエピを食べまくっているところで私の中のベーコンエピ図鑑を1ページずつ作っているところよ。
さすがに
アンパンマンの作中ではまだベーコンエピマンは登場してないかもしれないわよね?
あのさ、
フランスパンみたいに堅いパンの総称ってなんて言うのか分からないけれど
なんていうの?
クリスピー感というか、
そんでもって
なかが一応のふんわりとした若干しっとりとした羽衣を纏っているような感じで、
最初私は堅いパンの評価は堅ければ堅いほど下がるって傾向にあったけれど、
あれ?ちょっと待てよ?
この外側のサクッとカリッとするクリスピー感って凄く重要なのかしら?ハード系パンにおいて?ってところに気付いちゃったかもしれないので、
私が以前ベーコンエピランキングを付けていた暫定2位のパン屋さんのベーコンエピは今は1位に踊り出ているところよ。
私もその美味しさに小躍りしそうな感じ。
その側のパンの表皮のカリッとした香ばしい感じが良いのかもしれない!?って気付いた季節のシーズンね。
とはいえ、
最終の答え合わせでChatGPTちゃんとかにハード系パンの良し悪しの判断の基準は?って聞いちゃって答え合わせしちゃうと面白くないので、
これは今自分に直面した美味しさを身体で感じることを良きとして判定してみることにしてみているのよね。
あと、
1店舗パン屋さん行けてない気になるベーコンエピの売っているパン屋さんに行けてなくって、
そこも味わってみたいのよね。
そのパン屋さんは以前は割と近所にあってお店に行きやすかったんだけど、
それに気付いた季節でもあるベーコンエピを堪能したいところね。
とはいえ、
今気付いちゃったことあと一つあって、
『あんぱん』朝ドラあんだけ一所懸命に見ておいて一切あんパンを食べたいな!って思わないところね。
それは我ながら凄いと思ったあのあんパンに負けない私の強い心なのかしら?
いやよく分からないけれど、
忘れてはならないのは、
でもきっと、
ほらあなた!あんパン食べましょ!って行ってことが上手く進むのはもう見え透いたあんパンって感じがするわ。
まああと絶対に阿部サダヲさんはタイムスリップして現代に戻らないのも確かかもしれないところもあるわね。
うふふ。
いい加減ボトルを飲みきって洗ってしまいたいルイボスティーウォーラーは
たくさん作ったものの、
飲む違うのを飲みたい気分のときには
持て余してしまうのよね。
飲んでしまわないとーって
思いながらも今日はホッツ白湯ウォーラーインレモンにしました。
簡易レモン果汁のは風味は若干弱く
マジレモンの方の果肉や果汁の方が風味豊かな感じがする。
レモン1つ買うのは手間なので
ホッツ白湯を飲みながら朝のルーティーンNIKKEと思ったけど
まだメンテ中だったわ。
起きた瞬間はまだメンテ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
TLで話題になっていたフィギュアスケートを題材にしたアニメ作品を観てみた
自分も学生時代、お金と親の協力サポートが必要不可欠な部活をやっていたから何となく分かるんだけど
あの手の競技はガチでやると平気で年100万円単位でお金がかかるし、作中の主人公も当然ガチでやっている
学生時代当時はあまり意識して無かったけど、今思えば本当に両親が理解あって協力してくれて良かったなと感謝している
日々のサポートや大会の送迎や遠征の付き添いもこなしてくれた母親、多額の費用を文句一つ言わず出してくれた父親
自分で働いて給料を貰い、家庭を持ち、改めて両親が頑張って支えてくれた事を感じている
過去にフィギュアスケートをガチでやっていた(が、競技中に怪我をして挫折した)姉に憧れてフィギュアスケートを始めた設定
母親が主人公の付き添いやサポートを担当しており(最初は猛反対していたが、コーチの説得で応援する事に)
小綺麗にしているが、フルタイムの正社員で働いている様な描写は見えなかった
フルだと普通に無理なので、専業かパートタイマー、良くて時短社員であると思われる
ここまでで、年100万単位(調べた限りだと、200~300万以上)かかるフィギュアスケートを
自宅はちゃんとしたマンションで、貧困そうな様子は微塵も感じられない
母親がパートか専業である事を考えると、父親、かなりの高年収だと思う
上記の生活してたら、普通に世帯年収1000万でもキツイと思う
老後の貯蓄や生活余剰金をフィギュアにフルベットしているので無ければ
(恐らく)40そこそこの年齢で、余裕で1000万以上稼いでいる人になる
にも関わらず、作中での父親の扱いは、良く言えば軽く、悪く言えばぞんざいに扱われている
作中では休日に朝遅くまで寝ている事を家族に責められ、かと思えば「あ、(お父さん)いたの?w」
なんて調子で、「休日の邪魔なお父さん」として家族から接せられている
出番自体がロクに無いんだけど、数少ない作中描写を見る限りは、典型的な家族思いの父親な様だ
家庭内で姉妹と妻、女三人で男一人という肩身が狭いパワーバランスもあると思うけど
それにしたってあまりにも軽く扱われている様に思えてならない
本編自体はまあまあ面白いだけに、こういう描写が気分が悪くて、本当に残念でならない
推定年収1000万以上の高年収で、姉妹二人にフィギュアスケートやらせつつ、長女は海外の大学費用まで出しておいて
家庭では殆どオマケみたいな扱いで、ネタにもならない程度に軽んじられている様は、あまりにもやるせない
もはやATMとしてすら扱って貰えず、空気の様に金を出す存在と化している
この様な描写が、作中ではサラッと軽く流されてるのも含めて
「家族の為に頑張って働いている父親」が透明化されているのを感じる
家族の為に、とんでもない金を費やしているというのに
父親は、作中では「いてもいなくてもどうでも良いもの」「空気」「朝寝てるのがうざい、邪魔」
「女性」である母親や、献身的に接する「イケメン」「美女」であるコーチ達の描写は、過剰なまでに溢れているのに
原作は未読なんだけど、仮に今後の展開で、過去の登場人物を回想する様なシーンがあっても
主人公の回想に、コーチや母親、姉が出てくる事はあっても、父親の存在はせいぜい家族での一枚絵としてしか出てこなさそうで怖い
しかしながら、「フィギュアスケートには家族や周囲の協力が必要不可欠である」というテーマは
割と押し出している割に、「実際に費用を出す存在」の描写が、あまりにも感謝に欠けるというか
背景のオマケみたいな扱いになっており、そばに寄り添うコーチや母親の描写だけがクローズアップされるのはあまりにも片手落ちでは無いだろうか?
ただ金を出し、文句は言わず(言わせて貰えず)、透明なATMを強いられる父親像というのが現代的価値観であり
作品『メダリスト』もその様な時代感やフェミニズムに沿って制作されているのかも知れないが
ほほを赤らめさせ、うるませた目、目を伏せながら髪をかきあげるしぐさにクローズアップ。
アニメという人が描く絵だからこそ「男目線で可愛い女を描くとこうなります」な記号が盛りだくさんなのがキツかった
(この「男目線の可愛さ」は女も自分の内部に取り込んでいたりするから、反論したくなる人もいるだろうが)
それでいて別に直接的にエロ描写をしたわけじゃないから反論を受ければ
「AVとかぶる?それは考えすぎじゃないですかねェ~ふだんからエロいことばっか考えてるんですね!」と嘲笑返しができる卑怯さ
女だけがいつまでも「AVに見えるが直接描写じゃないから文句も言えないTVCMを延々と流される側」に立たされる理不尽さ
ただ、踏み絵的長い枕詞を付けたうえでしか発言が難しくなってる事象は他にもある
違う属性に対して配慮しなければアラをつつかれることがあるのは他のことでも同じ
不快感を持っていることは表明したほうが良いと思う
バズったツイートにぶら下がってるAV、全部下腹に毛の生えた小太りおじさんと、キャバ嬢か制服着た女の子。上目遣いのフェラ、激しく揺れるおっぱい、精子を垂らしたピンクの舌、毛の無いまんこのクローズアップ、もう全部見飽きた エロくない。
私はソフトなCFNMと嘔吐動画が見たい。色白で背が高く、細身で、毛の薄いイケメンのやつが見たい。
夜な夜な動画サイトを回り、3次元の供給では満たされないのでpixivのイラストなども漁る。
女側の顔は要らない。百歩譲って入っていても、ボンテージやら狐巫女やら変なコスプレはしないで欲しい。萎えるから。男に媚びるような言葉責めもいらない。様々なアングルで男体だけを見たい(もちろん小綺麗なもの)。
自分の嘔吐動画をアップする女エロ垢は無限に居るのに、男のアカウントは殆どない(あってもオジサンだったり、自分の性欲が透けすぎている嘔吐をしているので全くダメ)。
オカズに困らない男が羨ましい。オカズを決めようとして時間を無駄にしたとか言うけど、私は本当に「無い」インターネット砂漠を何時間も彷徨っている。悔しい。死ぬまで最高のエロ動画に会うことはないんだろうか
可愛い女の子のエロを簡単に視聴できるなんて羨ましい。AVの男役でそそられた事がない。女役も男のために演技しているので、私としてはイマイチだ。
女向けのAVもありますよとかそういう案内は要らない。難しいバランスだけど、女のために演技している男優の演技も厳しいものがある。もっと自然でクオリティが高く、なんなら素人がお金稼ぎのためにアップしているような動画がTwitterに沢山流れてきて欲しい。気に入ったら買うから。お願いします
東洋水産の「マルちゃん赤いきつね緑のたぬき」アニメCMが軽く炎上した
それについては多くの意見があったが比較される男性側CMについて解析が足りない気がした
残業中の男性教員が暗い職場で仕事をしながら緑のたぬきを食べている
これに対して「男性は仕事」という古いステレオタイプだと批判があったが、そう単純だろうか
より正確にいうと「男性の衣食住マネジメントという私生活にポジティブなステレオタイプがない」という
「男性」には「独身男性」と「既婚男性」がいてCMの男性はおそらく「独身男性」だ
「忙しい独身男性が家で”緑のたぬき”を食べるシーン」を作り手が広告として表現できなかったのはなぜか
独身女性が自宅で「今日は忙しかったから帰宅したらすぐ赤いきつね食べちゃおう。気になってた動画見て泣いちゃったな。はふはふ、ずるずる、おいしっ」は想像できるが
独身男性が自宅で「今日は忙しかったから帰宅したらすぐ緑のたぬき食べちゃうか。気になってた動画見て泣いちゃったな。はふはふ、ずるずる、おいしっ」を想像できなかった
想像できてもそれをCMとして魅力的にできるという想定ができなかった
「頬を上気させ口元をクローズアップしシズル感たっぷりに表現」
が性的かどうかはおいて、シチュエーション自体はCMとして成立した
しかし、男性が自宅で一人で緑のたぬきを食べるシチュエーションは描けなかった
なぜか
もっと言うと「忙しい男性が食事など衣食住マネジメント=日常セルフケアを男性自身でする状況が
広告的に成立しないわびしさやみじめさのイメージという古い感覚が浸透している」からだ
お一人様丁寧な暮らしや友人近居で楽しく暮らす独身女性のイメージはポジティブに表現される だが
独身男性の日常家庭生活のポジティブなイメージはドラマ・アニメ・広告・その他メディアで共有されていない
「セルフケアを男性自身でする」というのは頭痛が痛いみたいでおかしいが
「男性の私生活ケアは女性がするものとされてきた」という背景があり、男性が自分の面倒をみる=
ケア担当の女性がいない=生活が不完全な状態、というイメージになる
実際は料理ができて家を綺麗にして自立した一人暮らしをしている男性は大勢いるのだが
マニュアル的で保守的な日本マスメディア界隈で描かれることは少ない
描かれるとしたらこだわりの強い特殊な男性としてで、一般人の代表ではないだろう
孤独のグルメ的な男性が自宅で緑のたぬきを食べて含蓄のある感想をいう広告の想像はできるが一般男性では難しい
一般男性が暗い部屋で一人、動画を楽しみ緑のたぬきを食べている、は
学生なら許容される未熟な状態で、社会人男性のイメージではない
そうやって作られたイメージが男性の生活を貧しくしているからだ
「女性は家でも綺麗にして衣食住マネジメントをしっかりしているもの」
「男性は女性が家にいないと衣食住マネジメントができず淋しくわびしい生活をしているもの」
そこから
「男性が衣食住マネジメントをできないのは仕事を頑張っているからだ」という転換がされ
そのイメージを守るため一部の長時間拘束や非生産的な労働が解消されず家庭生活を圧迫する
「女性が頑張って仕事をした結果衣食住マネジメントができないのはちょっとだらしない」けれど
「男性が頑張って仕事をした結果衣食住マネジメントができないのは仕方がないのでケア担当の女性がいないと」になり
「既婚男性が自宅で緑のたぬきを食べるのは妻が忙しくて夫の面倒も見られない手抜き」だし
「既婚女性が自宅で緑のたぬきを食べるのは(フルタイムや子育て中だろうが)自分の問題だが、夫はなに食べてるんだ?」になってしまう
「男性の衣食住マネジメント係として人生を消費されたくない」という女性の声が上がり負のループも生じる
ところで、CMには絶対にできないが男性が一人で自宅で緑のたぬきを食べる状況がわりと男性にポジティブに共感されそうなイメージがある
これだと「一人でも笑えるわびしさだし女性がその場にいないのは当然」だからですね
AVの中の女性が「男性にあてがわれた女性」として衣食住マネジメント担当女性の代わりにいるからです
家で男性の衣食住マネジメントをする女性は性的ケアも含む場合が多いので
本来は全く別である「セックス相手になる女性」「男性自身の衣食住マネジメント」が脳内で一つになり
「セルフケアできない男性」「ケアしてくれない女性を憎悪する」までいってしまう
「AVと緑のたぬき」と同ベクトルで無意識に女性は衣食住マネジメントおよび性的なケアをするものという男性目線を内包してしまったのが
「女性の私生活における赤いきつね」でもあると考えれば女性の不快感もわかる
男性が家での生活を女性抜きで成立させるポジティブなイメージがない、というのは男性自立における大きな問題だと思う
広告業界は卓球をかっこよく見せる、ボーリングをスタイリッシュに見せる、など
既存イメージをひっくり返す戦略を成功させてきたのだから「普通の独身男性の自宅生活を女性やホモソーシャル抜きで楽しくする」も挑戦してみてほしい