はてなキーワード: 講談社現代新書とは
前回に去年の夏に事実上の"親日銀派"のエコノミストたちが今年春の量的緩和解除やデフレ脱却、政策オプションとしてのインフレ参照値の導入を語っていたと述べた。そのような発言を聞く一方で、小泉政権サイドに近いところからは夏の終りに日銀と政府との名目経済成長率論争が起きるだろうという観測を聞いた。もっとも去年の夏は郵政民営化を焦点とした政治の季節に吹き飛ばされて、この「論争」が正体を現したのは年末になってからであった。具体的には昨年12月に経済財政諮問会議において与謝野馨経済財政・金融担当相と竹中平蔵総務相との間で交わされた財政再建をめぐる論争である。これは財政再建をめぐっての金融政策の位置づけをどうとらえるのか、という論争であったともいいかえることができる。長期国債の利回りである長期利子率と名目成長率の大小関係がどのように金融政策と関連しているのか、という点で与謝野大臣と竹中大臣との間で意見が交換された。では、なぜ長期利子率と名目成長率の大小が財政再建や金融政策のあり方に関係するのだろうか(以下は拙著『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)による)。
ところで国債残高が財政の健全性で問題になるのは絶対的な大きさではなく、ネットでみた名目国民所得との比率である。上式を用いて簡単に導出されたのが次の関係である。
=〔(政府支出-税収)/名目GDP〕-(名目GDPの成長率-利子率)×(国債の新規発行/名目GDP)
政府支出-税収がプライマリーバランスとよばれるものだが、この式の右辺第2項をみるように名目GDPの成長率が利子率を上まわれば、プライマリーバランスにかかわらず国債の新規発行分・名目GDP比率はある一定の値に収束する。逆に名目GDPの成長率が利子率を下回ると発散する。すなわちしばしば財政再建論議で話題になるプライマリーバランスの改善よりも財政危機を回避する際にきわめて重要なのは、名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになる。この関係を「ドーマー命題」と呼んでいる。
そしてどのような国債残高の初期水準からはじめても、利子率が成長率よりも大きいときは財政破綻に直面し、利子率が成長率よりも低ければ財政破綻の危機は訪れない。もちろん現在の日本はゼロ金利であり、長期国債の利回りも歴史上まれにみる低水準である(1~2%)。しかし他方で名目成長率はマイナスで推移している。つまり名目成長率よりも金利のほうが大きい事態が長期的に継続しているのが日本の現在の状況である。日本の名目公債残高/名目GDP比が90年代から今日まで増加トレンドを変更しないのは主にこの事情による。成長率の低下をもたらしているデフレが継続すれば、ドーマーの命題でいうところの財政破綻の危険性が高まっていくわけである。
さて与謝野大臣は近年では長期金利が名目成長率を下回ることはない、という認識であり、対して竹中大臣は金融政策などの政策対応がきちんとしていれば名目金利が名目成長率を長期にわたって上回ることはない、という立場にたっている。このことは言い換えると、与謝野大臣側は金融政策による名目経済成長率の引き上げは難しく、せいぜい3%程度だという認識のようだ。竹中大臣側は金融政策によって名目成長率は4%程度が達成できると主張しており、実は与謝野・竹中両者ともに実質成長率は2%の認識があるため、問題はインフレ率をどう判断するかによっている。与謝野大臣側はゼロインフレからせいぜい1%以下にインフレ率を抑えことが望ましいという判断であろう。これは今日の日銀の政策と整合的である。竹中大臣はいわゆる「リフレ」的観点に立脚して発言していると思われ、中長期的に2%程度の低インフレを目指して、税収を改善しもって財政再建に資するという考えかたである。わたしはOECD諸国の多くが名目成長率≧長期金利 を実現しているために、日本においても達成可能であると思っている。
ここで今回の量的緩和解除をめぐる騒動でもこの種の日銀的なゼロインフレ志向(世界的にはデフレ基調の水準を最適インフレ率とみなしているようである)と竹中大臣に代表される政府内の「リフレ」的見解の対立が底流のひとつとしてあるということである。
昨年の郵政民営化以後、小泉政権は目的喪失現象を起こしているのではないだろうか。首相は積年の懸案を達成して、残る政策課題として小泉流の誰からも政策の障害=犯人が明瞭となる課題を探して、政権の緊張感の維持、そして後継選出の影響力を保とうとしたのかもしれない。その意味で、この名目成長率論争を通じて、金融政策のあり方がクローズアップされたのは自然な成り行きだったのかもしれない。なぜならデフレ対策だけはいっこうに改善の兆しがみえないものだったからである。しかし政府の挑発ともいえた日銀パッシングはどうも政府自身の思惑や日銀自体の計算(4月以降の解除)を上回る形で、早期の量的緩和解除にむけて日銀自体を走らせてしまったのかもしれない。
(続く)
福井総裁が量的緩和解除は来年春、と匂わせた発言に反応するかのように、政府・与党から日銀の早期量的緩和解除をけん制する発言が相次いででてきた。中川政調会長は日銀法の改正を政策カードでちらつかせて、日銀のデフレ対策が不十分であることを批判している。また安部官房長官もそれに呼応するように、日銀が政府と協調して財政再建のためにもデフレ脱却して、自然増収での財政基盤の健全化への寄与が実現されるべきだとこれもまた日銀を牽制した。この種の発言はいずれもなにか具体的な政策に直結しているわけではないので、それ自体どうこうというわけではない。しかし日銀の出口政策=量的緩和解除をめぐる議論は今後も政治的な話題として沸騰していく可能性があるのかもしれない。
そもそも出口政策をめぐっては、1)前提条件であるデフレ脱却をし、0%以上の安定的なインフレ率を維持できるのか? 2)出口政策の技術的な難しさ の二点から問題が提起されている。最初の点については、『日経公社債情報』10月24日号で匿名記事(末吉名義の記事)「日銀ウォッチ デフレ脱却論議の謎」において、きわめて説得的な議論が行われている。日銀がインフレ率の目安として採用している日本式コアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年比上昇率はゼロ近傍であり、このためデフレ脱却は難しく、デフレ脱却のためにはインフレ目標政策が一段と必要である、という趣旨の論説である。
この主張の背景には、伝統的なCPIの上方バイアスの存在(すなわち1%程度物価がインフレにふれて計測されてしまう)と、さらにコアインフレ率をおしあげているのは石油関連商品であり、この上昇はピークアウトをむかえる可能性が大きく、そのインフレ率に与える押し上げ効果は0.4%程度にとどまると予測されること。そしてこの石油関連商品の影響を除外すると、インフレ率はマイナス0.5%程度であり、さらに上方バイアスを考慮にいれるとマイナス1~1.5%程度となる、と末吉論説は指摘している。これは非常に周到な分析であり、今日の日本経済が決してデフレ脱却を確実にしているわけではなく、むしろ不確実なものであることを示している。
さらに安達誠司氏の『デフレはなぜ終るのか』(東洋経済新報社)では、1930年代のアメリカのデフレ脱却時の出口政策からの教訓をもって、今日の出口政策論議に警鐘を鳴らしている。安達氏によれば、当時のアメリカは財務省主導によるドルの減価政策により「レジーム転換なきリフレ」を実現した。このレジーム転換とは、中央銀行であるFRBがデフレ脱却のために従来の金融政策スタンスを転換して、超金融緩和政策にコミットするというゲームのルールの変更として理解される。しかしこのようなレジーム転換がない、すなわち従来の事実上のデフレ継続的な金融政策のスタンスのままに、この「レジーム転換なきリフレ」に直面したため、FRBの政策当事者には早急な出口政策の模索(当時の異例な低金利政策の放棄、超過準備がリスクマネーとして高インフレに転じる要因になることへの懸念、さらに株価の急騰をバブルとする警戒感が存在していたことの半面といえる)があった。そしてインフレ率はプラス推移であったにもかかわらず、FRBの早急な出口政策の採用によりふたたびデフレに戻ってしまったと指摘している。
安達氏によればこのようなデフレに舞い戻る経済の脆弱性を克服するのには、中央銀行のデフレ脱却にむけたレジーム転換へのコミットの必要、さらに実現されたインフレ率という「変化率」への注目だけではなく、それ以上に「水準」が重要であるとしている。本ブログでの「バーナンキFRB議長就任と日本のリフレ」(10月28日)で紹介した物価水準ターゲットの重要性である。すなわちデフレに陥る前のインフレ率(たとえば1%や2%)が現在も継続していたらどうなるのか、という物価水準経路を考えて、その経路と現実の物価水準の経路のギャップを解消していくという考え方である。
日本の現在の景気回復とデフレスパイラル的状況からのとりあえずの脱出は、2003年から2004年初頭にかけての財務省の空前の為替介入と(予期せざる?)日銀のマネタリーベースの増加がタイミング的に数度重なるという「非不胎化介入」の結果である(詳細は田中秀臣『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)参照)。すなわち日銀としては明確なレジーム転換が不在であり、あくまでも財務省主導という点で、戦前のアメリカのケースに近似していると、前掲の安達氏は指摘している。これは有益な歴史からの教訓である。
そのため今日の日銀はまさに戦前のFRBと同じように、出口政策に関わる発言において、「インフレ心理」への懸念を示したり(まだデフレなのに!)、インフレ「率」にのみこだわり、前記したようなリフレ過程には関心を示すことはまったくない。また日銀の政策に理解を示す衆議院議員の佐藤ゆかり氏のように「中小企業や家計部門をオーバーリスクテイクの状況から守ることが大事で、量的緩和政策は速やかに解除すべき」「日経公社債情報」(10月31日)とコメントしているのも、戦前と同様に超過準備が高インフレや資産価格の急騰(バブル?)をもたらすことへの「懸念」と基本的には同じものであろう。
本格的なリフレ政策の採用と連結しないかぎり、デフレ脱却の道のりはかなり不安定なものであることは否めないのではないか。そして出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかりである。(その2)では、仮にデフレを脱却(不安定であってさえも)した場合に採用されると考えられるいくつかの出口政策について考えてみたい。
論壇でもいち早く時代の雰囲気を伝えることに成功している田中氏の新作である。話題はやはり今年度の最大の政治事件であった先の小泉政権の衆議院選挙での歴史的勝利をめぐる評価である。田中氏はこの勝利を「二〇〇五年体制」の成立と表現している。その直前までの政治体制は「五五年体制」の継続であり、その特徴は旧田中派支配による族議員(郵政、道路、農水、文教、厚生の「五族協栄」)とその支持母体となる利益集団、そしてそれらを束ねる派閥とその長の複雑な利害関係のネットワークである。それが今回の選挙結果によって、小泉首相への権力の集中という一元的な政党運営の構図ができあがったとする。そして有権者もひとつの「政策、政党、首相候補を選ぶことが可能になり、小選挙区制の特徴を活かした論点の明確な選挙が可能になったと肯定的な評価を下している。
田中氏は「二〇〇五年体制」の実現を直接もたらしたものは、投票率の上昇であり、それを可能にしたのが有権者の消費者としての成熟であるとしている。例えば有権者は現状の「物価の低位安定」すなわちデフレを「明確に評価してきた」、このデフレは一国の金融政策によって大きく左右されるものではなく、「グローバライゼーションと競争と技術によって決まるもので」(35頁)あるという評価を、有権者がもっていたと田中氏は解釈するわけである。田中氏はこのような強い意味での「良いデフレ論」を全面に出し、有権者のこのようなデフレへの支持を「消費者としての成熟」と呼んでいる。そしてこのような消費者の成熟や消費者側の論理を妨害するのが、いままでの政治の仕組みであり、それは「供給者の論理」であったとする。「供給者の論理」とはなにか判然としないが、上述の論旨でいえば、それは一国の金融政策が物価水準に左右し、なおかつデフレが国民生活を悪化させることを認めるような論理なのであろう。
このように田中氏の主張は「良いデフレ」論をバックとして、国民の投票行動をその点から評価することにつきる。ところでこの田中氏の主張には無理がある。小泉政権の主要政策課題には「デフレ脱却」が大きく掲げられており、その実現は選挙前では郵政民営化、三位一体改革などと並んで政権の主要な未達成の課題であった。当然、小泉政権に支持を与えた有権者は、田中氏の説明の枠組みにあえてのれば、「消費者としての成熟」からデフレを悪としてその退治を求めたと考えたほうが素直な解釈である。田中氏の論旨はこの有権者の成熟論について奇妙な歪みをもっており論旨が破綻しているように思われる。なお現在のデフレ=田中氏の表現の「物価の低位安定」(低位安定の利益をすでに有権者は享受しているので、これは低インフレではなくデフレのことであろう)が良いのではなく、「悪い」理由は、「消費者の成熟」が支持したであろう現政権の「構造改革」の一部として以下のHPにその弊害がそれなりに説明されているので参照されたい。
http://www.keizai-shimon.go.jp/explain/progress/deflation/index.html(注)
もちろん田中氏の本から離れれば、小泉政権の実際に行われているという意味でのデフレ対策への批判的評価、そもそもなぜ「構造改革」の中にデフレ対策があるのか、などへの批判を私は抱いているがそれはここではふれない(野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)、田中秀臣『経済論戦の読み方』講談社現代新書などを参照されたい)。ここでは田中氏がなぜデフレ対策だけを小泉政権の政策メニューからはずし、政権が公約してもいない『良いデフレ論」への支持として有権者の今回の行動をとらえたのだろうか、という私からみて納得できないところを明確にできればそれでいまのところは十分である。
本書はいままでの「供給者の論理」を打破して、「有権者満足の政治」を目的とすべきである、としているが、日本の経済と有権者の生活を脅かしているデフレの弊害を評価することに失敗しており、著者の抱く有権者の満足と現実の有権者の満足との間には深刻な「構造問題」が控えている気がしてならない。
(注)それにしてもこのサイトの「デフレの何が問題か」はまだしも「デフレの原因は何か」は支持しがたいものがある。デフレの原因は日本銀行・政府の政策の失敗(金融政策の事実上の引き締め継続が主因)であり、他の要因は基本的なものでもなく、複合的なものとするほどの重みさえもない。
渡邊芳之 @ynabe39
15年1月5日
ああなるほど認知スタイルか。場依存型と場独立型。なんと今は亡き指導教官の研究テーマではないか。「左右識別困難と認知スタイルの関係」www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy...
posted at 16:05:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月14日
仕事とはいえ普通の人たちが発達障害の子どもについてあれこれ語る場に身を置くと自閉症の子どもの親としては幾度か辛い瞬間がある。そりゃないだろう、アハハじゃないだろうと。仕事だから黙ってちゃんとこなしてきたけれど。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
この20年くらいの間の日本人に「目的の正しい暴力」への嫌悪が著しく強まっていることは考慮しないとうまくいかないと思う。
posted at 04:01:07 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
これは別に「日本人がよくなった」みたいな話でなくて、国家権力による暴力の独占が著しく進んだということ。学園紛争やそれに連なる学生運動の失敗、オウム事件などの影響がある。
posted at 04:03:39 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
「著名な心理学者の98%が血液型と性格には関係がないと言っている」と言われたって血液型性格判断をやめたりしないよね。
posted at 06:45:47 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
そのうちに実学の危うさも見ることになる。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
posted at 07:42:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
東大京大の文学部教育学部がなくなるわけないのだから,「文系学問の価値」の議論になっちゃってる時点で的外れだと思う。
posted at 13:30:46 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
自分の学部がなくなる心配のない旧帝大文系の先生方が「自分の学問の価値が否定された」と思って反論しているのは間違いとまでは言わないとしても的外れだし地方の文系学部を守る力にもならない。むしろ文系の評判をますます落とすことを心配する。
posted at 13:36:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
けっきょく表現や言論の「意図や目的が正しいもの」には最大限の自由を与え「意図や目的が悪いもの」には自由は必要ない,くらいに考えている人が主流なのではないかと思う。
posted at 07:27:14 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
そうだけど「日本はダメだ」「日本は遅れている」という人がまさにそういう人権意識だったりするんだから。
posted at 07:34:09 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
為政者や宗教指導者が「よい」と認めることだったら中世のヨーロッパでも封建時代の中国でも全く自由だっただろう。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
自分はヘイトスピーチ規制も差別表現規制も性表現規制もすべて「ほんらい自由であるものを公共の福祉から制限するもの」という点では同じだと思うし,それぞれの規制を認めるかどうかはそれぞれ「規制が必要になるような実害がどれだけ著しいか」の判断によると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
いくら「汚い自由」「悪い権利」であっても自由や権利を制限するんだからあくまでも限定的でなければいけない,むやみに拡大されないようにしないといけない。
posted at 07:54:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
よいか悪いかは時代を超えて決まっていて、昔それが容認されていたのは「遅れた社会」だったからだ、という考え。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
家庭でたいへんがっかりする出来事があってしょんぼりしている。
posted at 16:58:18 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「表現とはよいものであるから自由にすべきだ」「言論には価値があるから自由であるべきだ」というなら,自分から見てよくないものや価値のないものは表現でも言論でもないから自由である必要はないということになる。
posted at 22:09:53 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
国立大学にももう「教官」はいません。われわれは教員。それどころか最近の国立大学法人では教員も事務職もまとめて(以前のように教職員とは言わずに)「職員」と呼ばれることが多いと感じます。
posted at 22:38:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
教官というのがまだいるのは文科省以外の省庁立の「大学校」などだけではないか。
posted at 22:39:16 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
大学教員の意見は「その先生は堀ちえみのファンだった」というところに収斂しました。
posted at 22:55:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「定年」もむかしは「停年」と書いた。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
一難去らずにまた二難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月30日
教育と職業とのマッチングの問題だよね。大学進学率が高くて大卒に見合った待遇の仕事が少ない国で満足度が低いのだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
「人文系の知識なんか大学で勉強しなくても独学で十分に身につくだろう」というのは半分本当で半分ウソ。
posted at 18:15:37 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
いっぽうでそうした知識全体を体系付けて俯瞰したり整理したりするメタな技術や能力は大学で専門教育を受けないとなかなか身につかない。
posted at 18:18:29 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
そういう意味では学問としての人文学というのは「人文学的教養」みたいなものに対してはメタな位置にあると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
一連の「人文系学部の価値」「人文学の価値」についての議論では,こういう知識や教養の価値と専門の研究教育の価値とがごちゃまぜになってると思うんですよ。
posted at 18:53:52 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
それこそ「国立大学人文系学部が必要かどうか」という問題と「若い時に夏目漱石や森鴎外を読むべきか」みたいな問題はそもそも別だろうという話です。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
@AJSCT 学問について専門的な評価は研究者にしかできないと思います。文科省だって学問の専門的評価が必要な時には学者を雇ってやらせますから。ただ「学問の価値の評価」はおそらく学問の外側の問題だから、学問の専門性ではむしろ判断できないのではないかと思います。
posted at 19:40:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
なにしろ人文学系の研究者が「人文系の学問や大学は大切だ」という自分の価値をきちんと相対化できなかったら「それでなにが人文学系だよ」ということになると思います。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
教職や教養に限らず,いまいる大学で「自分の専門分野の心理学」だけを教えて暮らしている人なんてもともとごく少数だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
「大学の語学の先生」たちの多くだって大学院で「外国語教育」を専攻したわけではないだろうし。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
この数年で大切な先輩や知人がさっさと亡くなってしまうのを何人も経験したな。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月3日
「津波からすぐ逃げた人」と比較できるのは「津波からすぐ逃げなかったが助かった人」だけで「津波からすぐ逃げずに亡くなった人」とは比較できないよね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
アメリカンビューティーのレコードがなかなか手に入らない。アメリカ盤なんかずいぶんプレスされたはずだが。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
「ベルマークなんか集めないで募金を集めればいいじゃないか」と女房に言ったら「ベルマークは学校が集めて決まったやり方で送らないとお金にならないので,着服などの心配がない」と言われた。そういうことも大事なんだよね。
posted at 14:25:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
将来がどうなることが子どもたちにとって幸せかなんてことは親にはわからないよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
大人になってからの不幸なんて15歳の時には想像もつかない種類のものがほとんどだよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
臨床心理学科を卒業して精神神経科病院に心理士として就職して主要業務は送迎車の運転,というのは昔よく聞かされた。
posted at 19:51:36 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
血液型性格判断を信じる医師や看護師には何度も会ったので「疑問の前提になる現状認識」の時点で異なる。
posted at 02:53:57 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
posted at 03:13:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
右に行っても左に行っても大混乱の時代には秩序が皆の憧れになる。
posted at 03:22:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
自分の気に入らない内容が報道されると「マスゴミを信じるな」みたいなことを言い,いっぽう自分に耳触りのよい報道は全く疑わないのは不徹底だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
一難去らずにまた三難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
長男去ってまだ二男。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「自分の政治性は政治的だと思わない」というのはほとんどの人に共通する特徴だよね。どんなに偏っていても自分の政治的立場は「中立」にみえる。
posted at 13:53:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「政治的」に見えるのは自分より大きく右か左に位置するものだけである。
posted at 14:02:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
大人ワールドで起きる問題の半分くらいは原因が嫉妬や個人的怨恨。
posted at 06:27:54 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
posted at 07:52:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
足りなくならないと価値を感じない。
posted at 07:53:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
他人からは「不可解な動機」と思われるものでも当事者がおかれた文脈や状況から見ると必ずしも不可解とは限らない、という話なのだが。そのうえで「どんな動機であれ殺人は許されない」というのは言わずもがなだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
この先生の気持ちもわからないでもない。毎日ルーティンで大量にやらされているとこうなる。だからこそ、学生生徒に簡単に「気持ち」を書かせて提出させたりしてはいけないと思う。
posted at 08:50:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
たいへんなことほど目立たずに始まるのだ。
posted at 19:04:01 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為のきっかけ」といった客観的な意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。「そんなの理由にならないと思う」という言い方はまさにそういうことだ。
posted at 04:57:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「そういう理由であれば自分もそうしただろう」「そういう理由であればそうしても不思議ではない」と思える時だけ、ある説明や経緯を「理由」として受け入れる。そうでない場合には「そんなの理由と言えない」「そんな言い訳は成り立たない」と考える。
posted at 05:00:06 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「理由なき反抗」だって映画を見れば主人公個人には反抗する「理由」が山ほどあるわけだが、それらが大人や社会から「理由」として認められなければ「理由がない」とされてしまう。
posted at 05:46:08 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
犯罪やその報道、裁判などについて自分がもっとも違和感を持つのは「どうしてそんなに犯行動機を重視するのか」ということだ。警察もマスコミも「動機を追求する」ことに躍起になるのだが、いざ動機が語られ
Yahooニュースを見ていると、タイトルからして大変困惑する記事があった。
タイトル以外にも投稿日など色々とこまかく記録しているから、少し見にくいかもしれないが、勘弁してほしい。
「生活保護の外国人の方が裕福…」必死に働く母が漏らす本音。揺れる生活保護の今【専門家解説】
どうして困惑したかと言うと、最近話題になっているネタを大変おかしな方法でとりあげているからだ。
記事は、外国人生活保護の問題が争点になっていると取り上げた後に、唐突に生活保護の不正受給の話に移る。
違和感をいだいた理由について、もう少し説明してみるために少し引用してみよう。
(1) 「在留外国人が増え続ける中で、このあたりは明確にしておかなければ、後々問題になりかねません。そもそも70年以上前と今では環境もまるで違います。適切な給付のためには一刻も早く議論されるべきだと感じています」
(2)生活保護に関しては不正受給にまつわる話題もたびたび持ち上がる。
(3)「例えば、2021年の厚生労働省の報告によると不正受給の件数は27,891件。金額にすると11,045,045円。一見多いように見えますが生活保護負担金がおよそ3.8兆円と考えるとおよそ0.3%ほどです。しかしこれがリアルな数字なのかはわかりません。不正がまかり通っている可能性も否定はできない。本当に必要な人に行き渡るはずのお金がそうでないところに渡っているとしたら?国民として怒りを持って当然です」
(2)で話題が変わり、
(3)不正受給の話について、「専門家」の発言が続く。ここでの話題は外国人ではなく、生活保護全体の話である。
それにもかかわらず(4)になると困窮/悠々自適、労働者/生活保護受給者、日本人家庭/外国人家庭というわかりやすく憎悪をあおりやすい二項対立に戻している。
あれ、話題変わったんじゃなかったの? どうして、混ぜるの? アテンションエコノミーでヘイトがんばっちゃう系?
ちなみに、野田はづき氏が「取材したケース」は次の記事である。
専門家というからには、このように記事に名前が出てくるからには、それなりの活動実績があり、それは今の御時世、ネット上で名前が出てくるはずだが、この記事以外に名前が出てくることはない。
執筆者の野田はづき氏は、専門家を探すのが大変お上手なようである。
長年日本の教育環境の取材を重ねている。自身も子を育てた経験からPTA問題などにも詳しい。
「モンペとギャングが溢れかえる公立小学校…」 先生をバカにする子どもたちと躾けない親が増える令和の教育現場という地獄【専門家警笛】
という「ジャーナリストの花山真衣」氏も
という「小嶋真子」氏も
他にも名前は上げていないが、活動実績が謎に包まれた専門家たちのオンパレードだ。
唯一、「危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏」だけは同名でコンサルタントをやっている方を目にすることができた。
ただ、多産DVや親から子への性暴力というのは、危機管理コンサルタントの専門範囲なのだろうか。
検索結果を見る限り、クレーム対応が守備範囲のようにみえるがどうなのだろうか。
危機管理コンサルタントはありとあらゆる危機に対応するものだ常在戦場とか言われたら、申し訳ございませんとしか謝るしかないが、私の認識の中では専門家というのは、専門的な教育や訓練を一定期間経たものである。物理学者は精神分析の専門家ではないだろうし、英文学者が食事療法について本を出していても、私はそれを専門家の著作とは認識できない。
FORZA STYLEなるウェブサイトの#社会問題をクリックしてみると、いろいろと面白いことがわかる。
それなのに、同じような形式で記事を書くライターからまるでバトンタッチするかのように受け継いで、突如としてあらわれている。
念の為、検索演算子を使って下記の様なキーワードで検索をかけてみた。
3月9日あたりからあらわれて、ほぼ毎日、2週間弱で20ほどの記事を投稿している。
これだけ様々な記事、それも、その時々で耳目を集めそうなものばかりを専門家に取材し、現地で取材をし、次から次に出せるというのは、ものすごい新星あらわると嫉妬まじりで憧れてしまう。
ちなみにどういうわけか、頭がどんどん痛くなってきてしっかりと調べきれていない――野田はづき氏の爪の垢でも煎じて飲むべきかもしれない――が、このような新星は、野田氏の前にもたくさんいたようだ。
専門家に取材した記事を短期間で量産し、消えていく新進気鋭のライターたち。
文学作品や良質なルポ(そういえば、講談社ノンフィクション賞とかあったね)、講談社現代新書、みんながお世話になっているだろう良質な本を出す出版社だ。
ここで働いている方々は大変頭が良いと勝手に思っているし、勝手に尊敬もしている。
手に持っているのがかまぼこ板でないならば、そっこうで調べられるようなこと、すなわち「専門家」問題とかすぐにわかるだろう。
それをやっていないということが示すのは、能力的にできなかったのではなく、わかっていてやらなかったということととられても仕方がない。
もちろん、調べた私が馬鹿なだけで、なんの問題もない記事なのかもしれない。それはそれで新進気鋭のライターを次から次に使い潰しているといわれても仕方がないだろう。
あれ、もしかして、講談社を騙る詐欺サイトだったりするのかしら?
そうであれば、やっぱり、はやめに対処したほうが良い。
あと、FORZA STYLE「ユーモアは紳士のたしなみ」と書いているが、humorじゃなくてrumorの誤植?かもしれない。
もし、ノーチェックでなんでも載せているというのならば、今度、このポエムも載せてください。
エックスでフォローしている研究者が「私の新書が出来ました」という言葉と共に書影のあるリンクをポストしていた。
前々からフォローしていただけあって私の興味のある内容のようで、これはめでたい、ぜひ購入して新書を読もうとリンクへ飛んだ。
飛んだ先には、確かにその新書の書影がある。そしてその画像には「わたしの現代新書、できました。」とある。
だがなぜかその内容や購入する方法が一切かかれておらず、その代わりになぜかでかでかと「AI編集者とつくろう!わたしの現代新書」という文字がある。
いや、私は別に新書を作りたくはないのだ。あの面白そうな親書を読ませてくれ。そう思いながらそのページを読んでも一切知りたい情報は書かれていない。
???となりながらも、もしかしたら電子書籍のような形で、自分が書いた文章を公開できるサービス?みたいなものなのか?
メニューを開いてみてもやたらと親書を作らせたがっている。なんなんだ。
仕方がないので「おすすめ60冊の一覧」というのを開いてみる。もしかしたらこの一覧に読みたい新書の情報があるかもしれない。
読みたい本を探しているときに知りもしない編集者のご尊顔が何の役に立つというのか。
知らない。知らないんだよお前らのことなんか。だれなんだ。どうでもいいんだ。本は?ここは出版社のホームページだろう。お前らは編集者なのだろう。
頼むから本を読ませてくれ。
だが、似顔絵の下にある一覧にはそれぞれAmazonへのリンクがある。この中にあればいいのだが…
しかし、一冊ごと1画面くらいの大きさで紹介されているので60冊から探すとなると60スクロールしなければいけない。
まぁいい。アマゾンへのリンクがあるということはすでに私の勝利は確定している。
60スクロールかけてじっくりと獲物を追い込むのも悪くない。
・・・ない。なかった。ないのかよ。
意味が分からない。フランツ・カフカの「城」を追体験するサイトなのか?いや、カフカの城は新潮文庫だからそれは無いか。
どうやら講談社現代新書の60周年を記念したサイトらしいことは分かったが、説明が無さ過ぎて意味が分からない。
しきりに本を作らせようとするが、その「本」とは何なのか?私は最初、出版されたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
電子書籍のような形で公開されたものなのかと思ったが、どうもそうでもないらしい。
どうやらこれは、ユーザーが入力したタイトルで親書の表紙と帯をAI編集者がそれらしい画像と共に作ってくれて、その画像を使ったグッズが貰えるキャンペーンのようなものらしい。
インターネットでは昔からある「なんとかジェネレーター」みたいなやつか。
そうかそうか。いやいや私はすっかり騙されてしまったようだ。講談社の知的なユーモアセンスには脱帽だ。
クソみてぇなキャンペーンしやがってよ。
なにが「わたしの現代新書、できました。」だよ。端的に嘘じゃねーか。
ユーザー騙してリンク踏ませるってやってることがスパム業者と一緒だぞ。
嘘なら嘘でせめて開いた瞬間にそうとわかるように明示しろよ。
私の紅衛兵時代: ある映画監督の青春 (講談社現代新書 1008)
目次
●群仏──街に繰りだす紅衛兵
●狂灰──いくつもの死と生
概要
一九六○年代後半,中国の若者を熱狂させた紅衛兵運動は,いまや全面否定されるに至っている.しかし,そもそも彼らは何に反発し,いかなる理想を抱いていたのか.「紅衛兵」という名称の生みの親であり,運動初期のリーダーでもあった著者の体験と思索の遍歴から,文化大革命に激しく揺れ動いた時代の中国の姿が鮮やかに浮び上がる.
https://x.com/himasoraakane/status/1806139424671150100
【都知事選】石丸伸二氏「当選したら全ての都立高校の生徒会長に100万円配る」
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1525035509642211328
「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)
「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)
弱者男性につきまとわれ(加害)た女性は防衛のために「キモい」という言葉で弱者男性の拒絶を試みるが、弱者男性はそれを「被害」だと思っているんだな。
そもそも弱者男性が女性に付きまとうこと自体が加害であり虐めだという一般常識が全くなく、「自分はいきなり女性にキモいと言われた被害者だ」という認知の歪みがある。
マジレスすると学術書をきちんと読むのは大学教育きちんと受けてないと難しいし(大卒でもちゃんと読めない人一定数いるでしょ)、学術書って内容が細分化されててマニアックだから売れないと思う。仮にうちの分野の学術書が3,000円で売ってたら「安っ!」って驚くレベル。学術書は研究費で買うか人からもらうか図書館で借りるかするものであって基本的に個人で買って読むものではないんだよね(もちろん院生とかのときは身銭を切らなきゃいけないこともあるけどさ。あと『想像の共同体』みたいな有名な古典ならそこそこ安い)。
知的水準上げたいなら、新書と学術系選書の充実だろうね。岩波新書と中公新書とブルーバックスと岩波ジュニア新書は無条件で入れる、講談社現代新書はそれなりに入れる、ちくま新書は良さそうなのをピックアップして入れる、星海社新書や集英社新書や光文社新書は良さそうなのがあれば入れる、扶桑社新書とかは良いのがあったら入れる、くらいの感じ。選書系だと、講談社選書メチエ・筑摩選書・新潮選書・NHKブックス・河出ブックス・フィギュール彩・歴史文化ライブラリーあたりは全部入れておこう。文庫だったら岩波文庫・岩波現代文庫・講談社学術文庫・ちくま学芸文庫あたりを入れておくといいぞ。
2001年7月24日、仁川地裁は仁川国際空港公社に対し、「『オーマイニュース』記者が記者室に出入りし、取材することを妨害してはならない」という仮処分命令を出した。
これは『月刊現代』2002年9月号に掲載された、ある司法ジャーナリストの匿名レポートの再録です。
「導火線というのは、シュッシュッと音をたてていたと検察官は言っていますが、導火線は音を立てないで燃えるものです。芯が燃えていくと、色が少しかわるだけで、音なんかしません。私は鉱山で働き、工事現場で、いつも導火線を扱う仕事をしています・・・」
拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BF%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
警察官が人骨を発見した後、また元どおり埋めているのを見て驚いたという記事が新聞に
ttps://megalodon.jp/2011-0301-0631-14/www.ne.jp/asahi/kojima/law/trail/trial_book_7_3.htm
「被疑者の衣服に被害者の血を垂らす」(p142)、「被疑者の毛髪を被害者の体につける」(p145)、「尿やDNAをすり替える」(p149、p158)
ttps://web.archive.org/web/20200119104435/https://www.amazon.co.jp/review/R1OACBI3K7O8KM/
自民党政権がなんらかの政策を行おうと「検討」をする。(この「検討」は内輪での「決定」と同じと思われる)
こういう流れが年間をとおして繰り返されているように見える。
はてなブックマークだけ見ていると、そこで見かけたコメントが世論そのものだと思い込む典型的なエコー・チェンバーに陥いるかもしれないからだ。
だがそれにしても、偶然にしては上記のような流れが多すぎる気もする。
やはりはてなブックマークは政治的な影響力があるのではないか?
もしあるとすれば、どういう因果関係でそうなっているんだろう?
霞が関で働いている人や政党の政策立案担当者が、情報収集のためにはてなブックマークを見ている可能性はありそうだ。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というエントリは国会で紹介されて話題になった。
https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
これは増田が政治的な影響力を持ったというよりは、エントリについたブクマ数が多かったせいで、これを国会に持ち込むことができる誰かの目にとまったはずだ。
もうひとつ考えられる可能性は、はてなブックマークが自民党の「ソーシャルリスニング」の対象になっていることだ。
民主党に政権を取られた後、自民党はネット上での選挙対策を強化した。
『情報参謀』 (講談社現代新書)という本は、自民党の初期のネット選挙対策を担った人が書いた本だ。この本の冒頭に登場して威圧的に著者と話すのは、現在の茂木敏充外務大臣だ。
ネット上で自民党の擁護工作を行う団体に自民党ネットサポーターズクラブがある。これは現在の平井卓也デジタル改革担当大臣(電通出身)が中心になって2010年に立ち上げた組織だ。
さらに自民党はネット上で世論対策をやるために、民間の調査会社にネットの監視を委託した。
その中には「ソーシャルリスニング」サービスを提供する会社(電通の資本が入っている)も含まれる。
ここからは仮説だが、自民党が使っている「ソーシャルリスニング」の指標にはてなブックマークのブクマ数が含まれているんじゃないだろうか。
おそらく複数の経路で、はてなブックマークが自民党の政策決定に影響を与えている、という仮説を立ててみる。
これを「陰謀論」だと断定するブクマコメントやトラバを残して、考えるのをやめるのは簡単だ。たぶん99%以上の人がそうするだろう。
だが社会科学的なリサーチの対象として、真面目に、計量的に調べて判断するにはどういうリサーチデザインをやったらよいのだろう。いまのところ自分にそれをやるスキルはない。なんとかしたいとは思っているのだが。
【追記】
確かに、別のソース(新聞雑誌等)の言説と比較してその影響(相関?)の程度を調べないと意味がなさそうですね。。。
そもそも「影響」という言葉の定義が曖昧すぎることに気づいた。
影響=「はてなブックマークの批判的なコメント数、ブックマーク数があるしきい値を越えると、自民党政権は報道された「検討」内容を撤回する傾向がある」ぐらいかな?
どっちも高くないで
単純に読む必要性を感じないだけ
あというほど読書家か?ブクマカどもは増田程度の文量も読めないよ
2020-07-11
ブクマカさんはてなーの大好きなクオリアおじさんこと茂木先生の本が出るよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200711093806
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200711093806
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)
>プロフィール画像の背景は、 http://twitpic.com/81moa2 福島原発事故の危険性について(個人的考察): http://bit.ly/hPeUyF 物性理論の研究者@東京大学物性研究所
韓国やイタリアなどは、軽症あるいは無症状の感染者も最大限捕捉して、そこから感染が広がるのを抑えようとしています。専門家会議は、そのような努力は日本では非現実的として既に放棄したわけです。もはや全国的な蔓延は諦めており、ピークを抑えられるかどうかの「瀬戸際」を論じています。 https://t.co/vukyBWqFec— Masaki Oshikawa (押川 正毅) (@MasakiOshikawa) 2020年2月24日
>大学教員。専門はこの世。Literature, Culture, and Society. Kunitachi, Tokyo.著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版)など。 講談社現代新書ウェブサイトにて「イギリス階級物語」を連載中。ご連絡はs_kono400あっとhttp://yahoo.co.jp まで。
テレビではイタリアや韓国の徹底的に見えるウイルス対策を報道してて、明らかに日本の無策が浮き彫りになっているのだけど、それは言わないのね。— 河野真太郎/Shintaro Kono (@shintak400) 2020年2月24日
>東京大学 東洋文化研究所 教授 (マイケル・ジャクソンのブログはこちら http://ameblo.jp/anmintei/ )平智之氏より、二代目「とんち博士」を襲名。
イタリアがやってるんだから、日本もやるべき。 https://t.co/zKAGocQqHR— 安冨歩(やすとみ あゆみ) (@anmintei) 2020年2月24日