はてなキーワード: 危機とは
はてなーは30代40代の独身だらけなんだから、はてなー同士をマッチングする機能があればいいと思う
夫婦とか恋人が破綻するのって相手に対して勝手に高望みしすぎて、現実との落差に幻滅するってパターンが大半のはず
これがはてなー同士だったら
夫が仕事の飲み会で泥酔した挙げ句自宅の玄関で寝ながら失禁してた → まあはてなーなんだから漏らすのはデフォルトだよね
夫がネット上でフェミ叩きしまくってた → 強きを叩き弱きを更に叩くのがブクマカの性よね
夫がこっそり人妻デリヘルを利用してた → ひょっとしてうちの夫 実はデリヘル増田なの?
みたいな感じになって普通の夫婦なら離婚の危機になるところが、はてなー同士ならなんの問題にも
ならないんじゃないかと思う
こういう嘘をいっている以上、ガザが大変になっているということも信用できない。
よくわからないんですが、信用をおとしてなんになるんだろう。
@umikasumi01
Metooより前、私が10代の時に年上のフェミニストの方が「DVされ離婚した」と話してた。私が「フェミニストの方がよくDVされるのはなんでですか?」と聞いたら、「フェミニストじゃないとDVされてると気づかないから」と返された。
性加害のニュースが増えたけど、これまで表に出なかっただけなんだよね
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https://x.com/umikasumi01/status/1872224130415948072
@umikasumi01
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https://x.com/umikasumi01/status/1872485290566406442
@umikasumi01
2023年10月からパレスチナを知るキーワード( https://x.gd/0gIPz )配り&スタンディング。 ガザ「人道危機」全国国会議員アンケート運営。zine( https://x.gd/MKJT1 )。神戸の子育て中フル労働者。書いた本『原発事故後の子ども保養支援』(https://x.gd/pcAeR)
冷笑する奴全員しね。
冷笑は最高の娯楽だ。誰かが作ったものを笑い飛ばすだけで自分が賢くて面白い奴のように思える。冷笑すれば、自分は社会に適合したセンスのある人間になれる。しかも一生懸命作ったものであればあるほど面白く冷笑できる。こんなに楽しいことはない。圧倒的に手頃で強力な魔法のようなお笑いだ。
副作用は勿論ある。冷笑によって、何かを作ること、誰かに気持ちを伝えることは本当に難しくなった。このSNS全盛期において冷笑したことがない人はどれ程いるだろうか。大冷笑時代の現代では、何を作っても冷笑の危機に晒されるのだ(代わりに台頭したのが「優秀であること」だ。優秀であることには圧倒的な社会性があるから。そして優秀さを示すには数字と権威が手っ取り早いから、みんな数字と権威を求めるようになっていった)。
それでも誰かに自分を見てもらいたいなら、残念ながら何かを作り続けるしかない。冷笑するような下らない連中なんて気にするなと言いたいところだけど、この大冷笑時代ではそこかしこに冷笑があふれているから、見てもらいたい人も恐らく何かを冷笑してるし、多分自分も気を抜くと冷笑してしまう、下らない連中の一人だ。
だから、冷笑する人にも響いてほしいと思いながら今日も何かを作る。しんどいけど作るしかない(きっとこれも冷笑されるか、もしくは冷笑すらされない)。作った物は誰かの冷笑の種にされるだけかもしれないけど、それが怖くて表現することをやめてしまったら、後に残るのはコピペされすぎてガビガビになったコミュニケーションと感情で出来上がった、要約可能な人生だけだろう。
実際にそこまで酷いのかどうかは知らない
少子化対策もエンゲル係数上昇も物流危機も、なにもかも後回しにしそう
不動産業者保護のでたらめな開発やっても規制緩和だから正しいのだ偉いのだと3秒で思いついたような賞賛弾幕で溢れかえりそう
マルクス・ガブリエル氏は、現代哲学界で注目を集める思想家であり、資本主義の課題について独自の視点を持っています。彼は、現代の資本主義が持つ矛盾や限界に警鐘を鳴らしつつ、それに代わる新しい社会のあり方を模索しています。以下は、彼の主張の概要です。
環境問題: 資本主義は経済成長を追求するあまり、環境資源を無尽蔵に消費している。これが地球環境の危機を加速させている。
不平等の拡大: 富が一部のエリート層に集中し、社会全体の格差が拡大している。
意味の喪失: 資本主義社会では消費や競争が重視され、人々が「人生の意味」を見失うことが多い。
新実在論: ガブリエル氏の哲学の中心にある考え方。私たちが世界をどのように理解し、どのように行動するかを再定義する必要があると主張。
価値の転換: 資本主義的な「利益」や「効率」ではなく、人間の幸福や環境との調和を優先する価値観を育むべき。
哲学的な思考: 資本主義の限界を克服するには、現状を問い直し、新しいビジョンを共有する哲学的な対話が重要。
3. 資本主義との「向き合い方」
批判的な視点: 現在の経済システムの矛盾を見つめ、ただ受け入れるのではなく、批判的に考える。
共同体の再構築: 個人主義から脱却し、地域や共同体の価値を再発見する。
持続可能な社会の構築: 経済成長だけでなく、環境や社会の持続可能性を重視する新しいモデルを探る。
まとめ
マルクス・ガブリエル氏は、現代の資本主義が抱える課題を鋭く指摘し、その克服に向けた哲学的・実践的な提案を行っています。彼の思想は、私たち一人ひとりが社会のあり方を再考し、より良い未来を築くためのヒントを与えてくれます。資本主義とどう向き合うかは、個人だけでなく社会全体の責任でもあります。
あらすじ:
ハリーたちが7年生としてホグワーツに戻ったとき、魔法界には異変が起きていた。呪文が効かなくなり、魔法生物は徐々にその姿を失いつつある。「魔法の消失現象」と呼ばれるこの出来事は、魔法界そのものの基盤が崩れつつあることを示していた。この危機を前に、ダンブルドアの遺品の中から「米田の補題」という謎の言葉が記された手記が発見される。
米田の補題は、古代の魔法理論であり、すべての魔法対象とそれを取り巻く呪文や魔法的関係を記述する「圏」の概念に基づいているという。しかし、この補題を理解し、それを魔法界の復元に利用できる者は存在しなかった。
ハーマイオニーは禁書庫で魔導書を読み解き、米田の補題が「魔法の本質は個々の対象ではなく、それらの関係性の中に存在する」という驚くべき真理を示していることに気づく。一方、ドラコ・マルフォイはこの補題を利用して、魔法界を自らの理想に沿って再構築しようと暗躍していた。
ハリー、ロン、ハーマイオニーは、魔法界をひとつの圏として捉え、その構造を理解するために旅に出る。各地で失われた魔法の記録や古代の呪文を収集しながら、彼らは次第に「魔法の存在そのものが関係性の中で定義される」という概念を学んでいく。そして最終的に、魔法界そのものを記述する普遍的な構造を見出し、米田の補題を用いて崩壊する世界を修復する方法を導き出す。
最終決戦では、ドラコとの対決が展開される。ドラコは魔法の関係性を歪め、自分に都合の良い新たな秩序を築こうとするが、ハリーたちは魔法の「調和」を維持するために補題の真の力を解き放つ。
遊戯王OCG(以下、OCG)に新規勢が入ってこないというブログがあり(削除済み)そのなかでスタン落ちに関して言及していた。
この手のOCGに発売期間で公式大会に使用できるカードを区切るというレグレーションの導入に関しては、かなり以前から議論があって今更感ではある。
同時に、いまだにOCGにはスタン落ちに対するアレルギーが酷いということの証左でもあり、これがOCGが改善しない最大の理由でもあると感じる。
結論だけを言うと、現在のOCGは古参の厄介オタばかりなので現状を変えることはできない、ということ。
そりゃあ新規はこないでしょ。
スタン落ちというのは、MTGのスタンダードからとられている。
MTGは発売時期によって使えるカードのレギュレーションが決まっており、一番カードプールの少ないスタンダードは最長で3~5年。この期間を過ぎたり新たに再録されないと次のスタンダードの更新時に公式のスタンダード大会では使えなくなる。これがスタン落ちと呼ばれている。
一般的にこのスタン落ちはあまりよくないとされており、単純にカードが使える年数が限られるということに抵抗がある人は多い。
ではMTGはどのカードも3~5年程度で使えなくなるのか?というときちんとモダンなどの存在があげられる。
これはポケカでも同様だが、レギュレーションを発売時期で区切っている場合には、期間を過ぎた場合で使えるフォーマットが必ず存在する。
スタンで遊んでいたカードが使えなくなったら、次はモダンやパイオニア、という感じでいろんな使い方ができる。
OCGにおいてスタン落ちが敬遠されているが、実際のところは発売時期をいくつか区切って複数のレギュレーションを作れば解決できる問題なのだ。
全てのカードに使える時期を定めるって考えているOCG勢がほとんどだが、単なる無知だろう。
単純に発売時期でレギュレーションを区切る施策にはこれとは別の問題がある。
それはレギュレーションごとに人が分散してしまうことだ。たとえばMTGではスタンはあまり人気がないが、だからといってモダンは環境が酷くなりすぎていろいろと問題になった時期もある。
また、スタンで遊び続ける人はそのままスタンにいることも多く、スタンからモダンという導線は必ずしも有効ではない。
これはポケカに顕著で、ポケカはエクストラというカードプールの幅が大きいレギュレーションがほぼ閑古鳥だ。より広いカードプールで遊べるから人がいるだろうという考えはポケカには通じず、レギュレーション落ちがあるスタンをずっとプレイする人が大半という結果だ。
これは見方を変えると、一つのカードゲームの中でプレイ環境がバラバラになり、人数が偏ってしまうという問題でもある。
ポケカはぎりぎりいいのかもしれないが、MTGはもっとも新規にやさしいスタンがあまり人気ではないのが問題だし、各フォーマット(スタンやモダン)に人が散っているために同じゲームなのに全く違うゲームになっている。
人気のフォーマットである統率者が優遇されすぎて他のフォーマットが閑散としたり、大会が中止になったりもする。各フォーマットで人が流動的になるかというとそうでもないため、結果的にMTGのフォーマットは何回も改定されている状況だ。
ようするに、発売時期によってレギュレーションを分けるという試みはよくても、それが理想的になるかは賭けになる。
「じゃあやらないほうがいい」
というのは、日本の政治家の「無策思想」そのまま であり、老害そのものだ
そもそも欠点しか話さないようなOCG勢は、マイナカードと保険証の統合にも反対するような人と同じで変わることがそもそも受け入れられないだけだ
OCG環境に文句を言う人がいると必ず、ラッシュをやれ、という人が出てくる。
まあラッシュを見ればそんなこと言えないんだけどね。
単にOCGのカードを模倣した変なゲームなんだし。ラッシュするなら他の選択肢あるし。
他のゲームやコンテンツと違って、古いカードで遊べるというトレカはだいたい厄介オタが多い。例えばポケモンというゲームは機種が変わっても驚くほど過去との互換性が確保されているため、引っ越しが常に行われてきた。逆にポケモン以外で特定のゲームシリーズをずっと遊び続けるというのは意外としんどい。端末が変われば遊び方も変わる。ドラクエだって初代と今は全然違っている。
トレカは大まかなルールはそのままに、カードだけがずっと増え続けており、下手すれば過去カードのリメイクなどでユーザーをとどめている。
また紙のカードはそのまま資産になるケースもあり、トレカは長く遊べるゲームの一つになっている。
けどゲーム自体が長期に運営されているため、厄介オタが非常に多い。
普通のゲームなら、シリーズ1と2は神だが3と4はゴミ、それ以降は凡作、のように区切りをつけられる。しかしトレカは断続的に延々とシリーズが続いており、絶え間ないインフレと禁止改訂でいきながらえている。
また、ここ5年ほどは1タイトルにおける発売パックが極端に増えている。
かつてのOCGは禁止改訂が年2回程度で、いまより発売ペースも緩かった。今はトレカ全体がとにかく製品を乱発して売って売って売りまくる。
粗製乱造が激しく、カード品質のバラツキや環境の変化の大きさに波が大きい。
車などの人生設計で価値観が変わるものでもないため、長期的には変化がなくとも短期的にはアーキタイプの変化を常につける必要があったりと忙しいのだろう。
それについてこれているプレイヤーがどんなにヤバい人かは誰でもわかるだろう。
格ゲーが一時期新規を排除しまくり絶滅の危機に瀕したが、現在は新規にやさしいことを売りにしている。けどOCGを含めてトレカは原則そういうことができない。どこから入っても遊べることはよいことだと誰でも思っていても、基本的にトレカの流れは極端に早くて流れに入ることすら難しい。
競技的に先鋭化している面もあって、かつてのようにキャラを動かせればいいというゲーム性がほぼ排除されて(ウルトラマンは簡単すぎるが)、総合ルールを理解することが重要になりつつある。
しょうじき、この状況で新規はなかなか入ってこれないだろう。
現在の多くのカードゲームはデジタルゲームを紙と併用していてDCGとか言われている。ほとんどの初心者はこのDCGから始めるのが普通で、どちらかというとソシャゲの一つととらえている感が強い。
これによって紙から遊んでいる人と新規が全然交わらない事態が発生している。
たとえDCGから紙に興味を持っても、OCGなどは臭い汚いキモイと揶揄されているので、たぶんこれ以上新規で紙のOCG始める人は増えないんじゃないかな。
レギュレーションの導入は個人的には無理だと思っている。それは日本が銃器の合法化を導入するようなもので、文化や背景がきっちりしていないなら導入はあきらめるしかない。
そもそもOCGはかなり古いアーキテクチャで構成されており、そこに慣れ親しんだプレイヤーの理解は得られないと思う。
ただ、現状のOCGはアニメだってショートしか作られないという限界集落なので、たぶんこれ以上の新規勢を呼び込む方法はないってのが如実に表れている。
トレカの性質上、常に動き続けないと死んでしまうし、死んでいないことをアピールするために呼吸器つけて走っている状況だと思う。
昨今、生成AIの普及により意欲を失っている若者たちの姿を目にする。創作活動に情熱を注いできた者が、突如として現れた超越的な存在の前で立ち尽くす様は、確かに心を痛める光景だ。彼らの中には、幼い頃から絵を描き続けてきた者もいれば、文章の推敲に何時間も費やしてきた者もいる。その努力の末に築き上げてきた自信が、一瞬にして揺らぐのだから、気持ちは痛いほど分かる。
しかし、この状況をより深く観察していくと、ある種の必然が見えてくる。人は誰しも、自分の価値を揺るがすような出来事に出会うものだ。かつての職人たちは産業革命による機械化の波に直面し、手作業で培ってきた技術の価値を問い直さざるを得なかった。写真の登場は画家たちの存在意義を根底から問い直し、電子音楽の発展は伝統的な演奏家たちの役割を再考させた。
若者たちが今、生成AIによって意欲を失っているように見えるのは、単にそれが現代における「試練」の形をとっているからに過ぎない。仮に生成AIが存在しなかったとしても、彼らは必ず別の形で自身の価値や才能を疑う瞬間に出会っていたはずだ。それは優れたライバルの出現かもしれないし、予期せぬ技術革新かもしれない。あるいは、単純に自分の限界との対峙だったかもしれない。
むしろ重要なのは、このような危機が訪れた時、人はいかにしてそれを乗り越えるかということだ。生成AIという新しい技術は、確かに脅威として映るかもしれない。だが同時に、それは私たちに創造性の本質について考え直す機会を与えてくれている。真の創造性とは何か、人間にしかできない表現とは何か、技術との共存はいかにして可能か。これらの問いと向き合うことは、若者たちの成長にとって貴重な経験となるはずだ。
時として挫折は、より深い自己理解と新たな可能性の発見につながる。生成AIによって意欲を失っている若者たちも、いずれはこの経験を通じて、自分だけの表現方法や、技術と共存する術を見出していくだろう。それは決して容易な道のりではないかもしれないが、この過程こそが、個々人の独自性を育む土壌となる。技術の進歩に戸惑い、立ち止まることは、必ずしもネガティブな事象ではない。それは、次なる一歩を踏み出すための、大切な準備期間なのかもしれない。
by ChatGPT
そもそも”人権キチガイ”なる語はグーグル検索でも51件しかヒットしない独自の造語。当然ながら、定義もない。
こういう変な造語を定義の説明もせずドヤ顔で使ってしまうあたりに
造語症とは、オリジナルの造語や口から出まかせな言葉を使用したり、いくつかの語や語の一部から新語を合成したりする症状です。精神医学・臨床心理学上では、統合失調症に多い症状とされています。
造語症は「言語新作」「ネオロジズム(neologism)」とも呼ばれます。造語そのものは起業や創作などの名付けで頻繁に見られるので、それ自体に問題はありません。問題となるのは、一般どころか専門用語ですらないオリジナルの言葉を、さも一般用語として流通しているかのような態度で使っているときです。
造語症の原因は諸説あり、象徴機能や記号化作用の欠損に基づくという説もあれば、現存の言葉では表しきれない心の不安や危機を訴える説もあります。
異常なんだよな
ほんま「年収1000万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」っていう事実に反すること垂れ流したバカは
土に還っていい
医療、教育、福祉などの公共サービス分野に加え、物流・運送業、小売業、建設業、農業といった社会インフラ職は、社会の根幹を支える重要な社会インフラである。これらの職種は、私たちの日常生活と経済活動の維持に不可欠な役割を担っているにもかかわらず、その待遇は著しく低く抑えられている。
特に以下の産業分野では、社会的重要性と待遇の間に大きな乖離が生じている:
3. 建設業
4. 農業
* 食料安全保障の要
これらの産業は相互に密接に連関しており、一つの分野の機能不全が社会全体に波及するシステミックリスクを内包している。しかし、その重要性に反して、これらの職種は「代替可能」「単純労働」といった誤った認識のもと、適切な評価を受けていない。
特に看過できないのは、「年収一千万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」といった、明らかに事実に反する言説が意図的に流布されている点である。これは実態を完全に逆転させた主張であり、むしろ社会インフラ職に従事する人々こそが、不当に低い待遇で社会全体を支えている現実がある。このような言説は、社会インフラ職への差別を正当化し、構造的な不平等を隠蔽する役割を果たしている。
これらの社会インフラ職における待遇の低さは、すでに深刻な社会問題を引き起こしている:
1. 人材確保の困難
この問題の解決には、税制を通じた富の再分配が不可欠である。特に、富裕層や大企業への適切な課税は重要な課題である。しかし、この当然の施策が政治的な議論の俎上に上がることすら意図的に阻まれている。
OECDの調査が明確に示すように、「富裕層の国外流出」という脅しのような言説は、実態を全く反映していない。先進国における富裕層の国外流出は極めて限定的であり、以下の要因により、その国に深く根ざしているためである:
これらの要素は容易に再構築できるものではなく、税率の違いだけで安易に国外移転を選択することは現実的ではない。むしろ、適切な課税と再分配による社会の安定性確保こそが、富裕層自身の利益にも合致する。
グローバル企業への課税には固有の困難が存在する一方で、近年では国際的な対応が進展している。特筆すべきは、OECDが主導する法人税の国際的最低税率(グローバルミニマム税率)15%の導入である。これは以下のような意義を持つ:
4. 各国の税収基盤の確保
しかし、実効性ある施行には依然として以下の課題が残されている:
鉄拳7から鉄拳8へとシーンが切り替わった2024年。12月5日〜8日にかけて鉄拳8ワールドツアー(TWT)の締めくくりを飾る最終大会が日本で開催されていた。強豪国として知られるパキスタンや韓国をはじめ、タイやアラブ、果てはアフリカのコートジボワールなどの世界各国の有力プレイヤーが日本は東京に集結し、世界一位の座を賭けて四日間に渡る激戦を繰り広げた。
四日間には様々なドラマがあった。予選から躍動し続けた野獣(クマ)の圧倒的存在感、今大会でも存在感を示し続けた魔界パキスタン勢、新旧の層の厚さを見せつけた鉄拳修羅の国・韓国。予選の段階から決勝であっても全くおかしくないドリームマッチが幾つも発生し、選ぶ人それぞれにベストバウトが異なるような名勝負が数多く繰り広げられた。
三島家(風神打てるなら三島でいいでしょ)が鉄拳8の初代チャンピオンになるという目出度いことになった本大会だったが、決勝戦以外でも、同郷にして世界最強の二人 Ash と Atif が世界大会で見せる身内の読み合い、日韓の鉄拳界を長らく牽引し続けたベテラン二人ノビさんと膝さんによるフルセットの死闘、現地予選(LCQ)を駆け上がった韓国 Edge の快進撃。どの戦いも見る者を魅了し、ハートを熱くさせる試合だった。
この個人的な備忘録に取り上げるのは、それらの熱い戦い……ではなく、それらは他のもっとしっかりした人達がレポを書くだろうから任せて、個人的に愉快な気分になってしまった不真面目な不謹慎ネタを中心に記録する。
この件について書く前に、まず予選と本戦の関係について解説が必要だろう。興味がなければ「さて、話を本筋に戻そう」まで飛ばしてほしい。
今回の大会では、最初の三日間が予選期間、最終日が予選を勝ち抜いたプレイヤーたちによる決勝トーナメントとなっている。三日間に渡る予選は、それぞれ出場可能条件が異なっている。
本戦の決勝トーナメントは格ゲーの大会でお馴染みのダブルエリミネーションルールで行われる。三つの予選はどれで抜けても本戦には出場できるが、それらの間には優劣が存在する。具体的には、一日目の世界ランカーたちのリーグ戦で勝ち抜けると、本戦において勝者側(ウィナーズ)として出場できるが、それ以外だと敗者側(ルーザーズ)となってしまう。つまり、一日目の予選リーグを抜けると、それ以外の日を抜けるのに対して最初から一勝のアドバンテージを持っていることになるのだ。
この条件があるため、一日目に出場できる選手は、できるだけ一日目で本戦出場権を得たい、という思いがあるのである。
さて、話を本筋に戻そう。
初日の予選では、二十人を四つのブロックに分けて総当たり戦を行い、勝率のトップ二人が本戦出場権を得ることになる(このブロック分け自体も、プレイヤー個人の裁量を最大限に活かして、得意な相手を狙い撃ちして苦手な相手からは逃げることができるという、なかなかに戦略的で面白いので、興味があったら初日配信の最初の方を見てもらいたい)。このブロック分けにおいて、Dブロックは世界屈指の実力者が集まる死のブロックとなっていた。出場者は以下の通りだ。
グループ内どころか全参加者の中でも優勝の最右翼と目されている Ulsan と Atif が予選抜けの大本命であるが、残りの三人も彼らを捲って勝つこともありえなくない。誰が抜け出るか分からない危険な組であった。だが、Dグループの試合が進み、勝敗が積み重なるにつれて、展開は予想外のものとなってきた。
〈Kkokkoma、同じ韓国勢の Ulsan を破り、予選抜けほぼ確実となる〉
誰もが予想したであろう、なんだかんだ Atif と Ulsan が抜けるだろうという予想だったが、Kkokkoma が Ulsan を打倒してしまったせいで、状況は混迷を極めることとなった。
Atif 以外には負けなしだった Kkokkoma は最終試合を終えて最終成績:三勝一敗(得失点差+2)という非常に優秀なスコアをつけ、グループ抜け最有力となった。この時点で Kkokkoma の順位をかろうじて上回る可能性があるのは、それぞれ一試合を残し二勝一敗という成績の Atif (得失点差+1)と Ulsan (得失点差+3)の二人のみ。
〈Atif か Ulsan のどちらかが落ちる可能性が高い〉
優勝候補のどちらかが最終予選に落ちてしまう。死のグループD(Death)の名にふさわしい混沌とした状況に緊張が走る。グループB以外ではなんだかんだランク上位者が順当に抜けていたのに、ここでも大番狂わせが起きてしまうのか!(グループBにおいて世界3位の Mulgold が落ちる事故があった)
状況を整理しよう。
1. 既に Atif 対 Ulsan の試合は終わっており、Ulsan が 0-2 で完勝していた。つまり、現状としては直接対決で勝った Ulsan が負けた Atif をリードしていた。
2. ただ、Ulsan 本人は Kkokkoma に負けていたため、もし Ulsan と Kkokkoma の得失点が並べば、グループ2位になるのは Ulsan の方だった。
3. 1位と2位では決勝トーナメントにおける優位性が異なるため、叶うならば1位で抜けたい Ulsan にとって予断を許さない状況だった。
(補足:決勝トーナメントでは、グループ1位は別のグループの2位と、2位は別グループの1位戦うことになるため、1位で抜けたほうが基本的に有利となる)
そんな混乱の堝の中、グループDの試合はスケジュール通りに粛々と進んで行った。
まず、Atif 対 ノビさんの戦い。ドラグノフ同キャラ戦となった。ここでノビさんが Atif を打倒すれば、Atif の脱落は確実となったが、結果は 2-0 で Atif の勝利。これで、この時点で Atif が Kkokkoma のスコアを上回り予選抜けを確実とした。
Atif > Kkokkoma は決まった。あとは、Ulsan が勝って Kkokkoma の成績を上回るかどうか。世界のトップが落ちるか否かは、この最終戦で決まってしまう。
そして迎えたグループDの最終戦。後がない Ulsan と既に3位以下で予選落ちが確定している Farzeen。Ulsan が選んだのはメインキャラのドラグノフ。だが Farzeen がポケットの中から選んだのは、今日一度も見せていない吉光だった。
吉光は鉄拳に古くから存在する(一部熱狂的なファンが付いている)キャラクターで、バトル中突然胡座を組んだり切腹したりと、シリーズを通して見た目通りの変態トリッキーな動きで相手を幻惑させることを得意としている(あと拳法で戦うゲームなのになぜか抜身の刀を持ってる)。最新作である鉄拳8の現バージョンにおいては吉光はかなりの強キャラとして知られているが、とにかく操作や戦法が独特のためプロシーンではあまり姿を見ることはなかった。Farzeen が土壇場で持ち出したのはそんなキャラクターだった。
始まったグループDの最終試合。チャット欄が突然の吉光起用に湧き上がる中、1セット目を取ったのは、急遽吉光を投入した Farzeen の方だった。いきなりピックしたとは思えない練達した吉光の動きに、さしもの Ulsan も苦戦していたようだった。
そして始まった2セット目。1セットを取った Farzeen の吉光はキレ良く動き、開幕ラウンドから時間切れ間近の大逆転を見せた。そして続くラウンド2も、そのまま取ってしまう。
「おお!」
チャット欄がざわめく。一気に、 Ulsan のグループ落ちの可能性に運命の天秤が傾いた。運命のラウンド3。ここを取らねば Ulsan は勝ち2の負け2となり、グループ落ちが確定する。
ラウンド3は一進一退の攻防が続いたが、まず先に有効打を与えたのは Ulsan のドラグノフだった。コンボで吉光の体力を大きく奪い、そのままレイジ状態になるまで追い込むことに成功する。しかし、Farzeen の素早い切り返しにより攻防が一瞬で入れ替わり、体力状況が逆転。逆に Ulsan の方が窮地に追い込まれた。
Farzeen の吉光の体力は、まだ数発削りを耐えられる余裕があるが、Ulsan のドラグノフは小技はかろうじて耐えられるが威力の高い技を貰うとKOされてしまう程の体力。圧倒的に Farzeen が有利に見えた。しかし、ここからでも十分に捲れるのが逆転性に優れた鉄拳8である。
Farzeen はここから取れる戦略は大きく分けて二つ。一つは下段などの小技でじわじわ Ulsan を削って、最終的に隙の小さい攻撃でKOできるようにすること。そしてもう一つは、Ulsan に攻撃するように仕向けてカウンターで一気に体力を削る戦略。どちらを取るにしろ、Ulsan に反撃されないよう、限りない慎重さが求められる。
互いにステップを刻み、ジリジリと様子を伺う。先に動いてしまったのは Farzeen だった。吉光がステップを刻み、Ulsan のドラグノフの懐に潜り込み、Ulsan の攻撃を誘い迎撃技を振った。しかし、ドラグノフは既にバックステップで距離を離していた。
ドラグノフはフリーの状態だが、吉光は持続の長い技で隙だらけ。状況は圧倒的に Ulsan が優勢になった。ドラグノフは吉光の後隙に攻撃を差し込んでもいいし、横移動から有利状況を作ってもいい。だが Ulsan が選んだのはそのどれでもない、しかし非常に賢い一手だった。
吉光の行動を見るや否や、Ulsan のドラグノフが即座に放ったのはレイジアーツ。レイジ状態のときだけ出せる一度限りの必殺技で、自身にスーパーアーマーを付与しつつ特大の一撃を放つ攻撃だ。
すなわち、あの一瞬の状況で Ulsan が考えついた作戦は、レイジアーツのアーマーで吉光の攻撃を軽減しつつ相手の攻撃判定をぶち抜いて、レイジアーツの威力で一気に逆転、というものだった。あわよくばKOすらも狙える完璧な一手だった……一つの誤算を除いて。
Ulsan が選択した逆転の一手となるレイジアーツに、実況と解説が沸く。ドラグノフの拳が技の持続で硬直している吉光を襲う。そして画面に表示される K.O. の文字。体力が0になって地面に転がっていたのは、なぜか勝ち確のレイジアーツを撃ったはずの Ulsan のドラグノフの方だった。
「ええ〜〜〜〜〜〜!」
完全に予想外のものなった結末に、ええ〜と仲良く同じセルフを叫んで大混乱に陥る実況・解説・チャット欄。(ちなみに、あとで確認すると海外のストリーム(Twitch)でも「WTF」「WHAT」「OMG」「NO WAY」の嵐で、日本語チャット欄と同じく予想外の顛末に大狂乱になっていた。)
Ulsan の誤算。それは吉光の放った攻撃が超バカ威力過ぎて、アーマーのダメージ軽減を上回ってドラグノフの残体力を一発で0にしてしまったことだった。いや、あれだけ体力が残っていたら十分アーマーで耐えられるはずじゃん……。誰もがそう思ったし、多分吉光を使ってた側の Farzeen でさえ、そう思ったことだろう。
カメラは勝者と敗者に分かれてしまった壇上の男たちを映し、そこには手で顔を覆う男の姿があった。マジかよというように顔に手を当てていたのは、勝者となった方の Farzeen だった。
結果的に、この試合に Farzeen が勝利したことで Ulsan はグループDを勝ち抜けられず、三日目の LCQ に最後の望みをかけることになり、逆に Atif はグループD1位という好条件で決勝トーナメントに進むことになった。
それが明暗を分けたのか、Ulsan は LCQ で5位という最終成績に沈み決勝トーナメント進出ならずとなったが、Atif は Alslan Ash に途中で負けたものの決勝トーナメントを順調に勝ち進み、最終的に準優勝を果たすことになった。
まず、上半身が裸の筋骨隆々のプロレスラーを想像してもらいたい。そしてそのレスラーの頭にリアルなジャガーのマスクを被せていただきたい。
想像しただろうか。そう、万人が思い描いたであろう姿、それがキングである。まあ、つまりはタイガー(ジャガー)マスクである。
鉄拳に存在する数多くのキャラクターの中において、キングはプロレス技を主体としたいわゆる「投げキャラ」である。ただ、鉄拳はSFなどと比べて投げ抜けし易いシステムなので、キングは投げ一辺倒ではなく、打撃と投げを織り交ぜて戦うテクニカルなファイターとなっている。
荒々しくダイナミックな打撃の中にふいに差し込まれる力強くエレガントな投げ。打撃を意識すると掴まれ、掴みを意識すると打撃に圧倒される。この二つを変幻自在に織り交ぜて戦うのが卓越したキング使いである。だが同時に、打撃と掴みの緩急を高いレベルでコントロールする必要があるキングは、上手くプレイするが非常に難しいキャラとして知られている(あとコマンドも激ムズである)。
そのせいか、このキングというキャラクターの戦い方には非常に華があるのだ。熟練した使い手にかかれば、キングが活躍する試合は、まるでプロレスの興行を見ているかのように華々しいものとなる。長い鉄拳の歴史の中で、キングの魅力に見せられた者たちが間違いなく大勢いたことだろう(そして分からん殺しされた初心者たちも……)。
だが、華はあれど操作が複雑であるという難キャラの宿命か、キングは近年の大会シーンにおいてもいわゆる上位入賞常連キャラとは言えなかった。ポテンシャルもキャラ人気もあるが、活躍しているところを見るのは少ない、というのが今年までのキングであった。
そんなキングが、今回2024年の最強鉄拳プレイヤーを決める決勝トーナメントに、しかも勝者側で出場していたのだ。キングメインで世界ランク7位まで上り詰めたそのプレイヤーの名は The Jon。パキスタンが誇る最強の投げキャラ使いである。
近年、鉄拳強豪国として活躍目覚ましいパキスタン勢の一角として、世界ランク上位20人のみが出場できる初日の予選に出場した The Jon は、グループBを1位(3勝1敗)で抜けていた。直前のメジャー大会である Thaiger Uppercut (タイの大規模格闘ゲーム大会)を勝者側のまま優勝していた彼は、油がのった状態で、決勝トーナメントに望むことになった。
そして迎えた決勝トーナメントの時。異国の地で大一番に望む The Jon の後ろには、国籍は違えども同じキング使いたちの、暑く太い声援があった。
彼らの名はキング総会。キングをこよなく愛し、ゲーセンを借りてキングオンリーで大会を開くつわもの達だ。日本開催という立地の好都合もあったのだろう。The Jon のキングを応援するため、そんな彼らが現地に集結していた。
The Jonのキングと総会の皆さんのマリアージュは……とにかく声がデカかった。配信には(おそらく現地の実況・解説のマイクを通じて)会場の音が漏れ聞こえるのだが、熱のこもった声援は、そのマイクを突き抜けた。
The Jon のキングが打撃コンボを刻むと、攻撃のリズムに合わせて
「オィッ! オィッ! オィィィ!」
とコールがかかり、投げを決めると
「オォォォ、オィィィ〜!」
と唸りが響く。この上、コンボを投げで締めた時は……。その先は、是非自分の目で確かめていただきたい。
無念にも、The Jon のキングの活躍は7位タイで終わることになってしまったが、彼がこの日本の地で、鉄拳8となって最初の年の TWT ファイナルにて、キングの雄姿を観客に刻み込んだことには間違いないだろう(正直、決勝はクマ対キングになってほしかった気持ちがある)。
LCQ で優勝して、決勝トーナメントを快進撃する韓国の Edge を象徴する一種のミームになっていた概念。
韓国の Edge が使うキャラクターのファランは、テコンドーの使い手で、様々な足技で相手を攻め立てることが得意なキャラクターなのだが、手軽に浮かせるコンボ始動技が右アッパーなのだ。なので、ファランが右アッパー→相手のキャラが浮く→コンボで大ダメージ、という流れが、Edge がファランで勝ち進む中で何度も目にすることになった。
トップティアとは言えないファランで、激戦の LCQ を勝ち抜け、そして決勝トーナメントでも敗者側スタートという不利状況から4位にまで食い込んだ Edge。この言葉は彼の活躍の凄さを伝える言葉でもあったことだろう。
弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類と弱者男性の歴史をまとめます。
各時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自の視点で解説しています。
始祖の時代
弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力や不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。
弱者男性と人間の関係が悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり、独自の文化を形成していく。
人類の文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一次弱者男性戦争が勃発する。
大融合の時代
弱者男性と人間の共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性と人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性と人間のハーフである少女カズミの誕生が語り継がれる。
反乱と分裂の時代
人間の中で、弱者男性の特異な能力(テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。
暗黒の時代
弱者男性の数が著しく減少し、絶滅の危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説の存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。
歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀やヤハウェなど、精神的指導者の弱者男性が現れ、弱者男性と人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。
技術革新により、弱者男性たちが再び社会で活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。
弱者男性と人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去の対立を乗り越え、弱者男性の存在が都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。
人類のテクノロジーが進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代に突入。特に増え続ける弱者男性VtuberやAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。