はてなキーワード: 義理とは
少子化で亡ぶ国の刑法を導入する女性はバカだということを世界に伝えたい
女性はバカで無能。感情に支配されたけだもので、社会を破壊するだけで何一つ生み出せない。
弁護士 芝原章吾
@slo_kagoshima
フラワーデモのとき、「まずは判決読もうよ」と呼びかけた弁護士のうちの一人が、ワタクシだと思う。言い出しっぺであったか否かは今となっては定かではないが、かなり初期にそう呼びかけ、震源のひとつになったのは間違いないと思う。確か夜寝る前に何気なしにそうTweetし、朝になるといいねが数千件付いていたが、リプや引リツでの罵詈雑言も凄まじく、何が起こっているのだこれは?と驚いたことを覚えている。数年前だが、当時のワタクシは若かった。罵詈雑言浴びせる相手に、憲法や刑訴法の基本原則を説き、全てを説き尽くす(せめて学部レベルの説明をする)のも難しいので、一般の人でも読める平易な憲法・刑訴法に関する書籍を紹介するなどしたが、罵詈雑言は止まず、逆に「専門家が非専門家を馬鹿にして見下している」とさらなる罵詈雑言を呼び込む始末。そこで思った。「あぁ、この人達は、正しい情報を知りたいのではなく、ただただ文句を言いたいのだな」と。その行為が持つ意味、自らに対して確実に巨大なブーメランとなって返ってくることの危険性など、彼らは知る由もなく、知る気もなかった。そうこうするうちに、構成要件あやふやで、それを推した弁護士すら「構成要件のあやふやさは捜査機関が(裁判所じゃないよ)適宜補充するはず」と宣う不同意性交等罪が立法されてしまった。ワタクシはその光景を見て、「あぁ、これは国家から見れば、鴨がネギ背負ってやってきたのと同じだな」と思った。わざわざ鍋にされるためにネギを背負ってやってくるカモ。最後は煮て食われるカモ。己を美味に仕立てるネギまでわざわざ持ってきてくれる。国家にとってこれほどありがたい存在はない。これが我が国の民度であり、教養と理性のレベル。同胞を諦めるには十分であろう。かくしてワタクシは我が国・社会を諦めた。家族と、縁あってリアルで知り合う依頼者さえ能う限り守れればそれでよい。見ず知らずの赤の他人の生き死に・幸不幸まで気にする必要も義理もワタクシにはない。「愚か者は、自らが愚かであることの責任を、必ず取らされる」とは我が父の教え。これをそっくりそのまま、我が同胞に進呈したい。
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内政干渉(読み)ナイセイカンショウ(英語表記)intervention on internal matters
他国の政治・外交に介入して、その国の主権を束縛・侵害すること。
わかるかい?
ウクライナがEUに入るのもNATOに入るのもウクライナの主権なんだ
アメリカが台湾は国家であることを宣言して中華人民共和国からの独立を承認することも主権なんだ
なので本来は他国がどうこう出来るものではないんだ、それが内政干渉だからね
だけどウクライナがNATO加盟宣言すれば戦争になるし、アメリカが台湾独立宣言すれば戦争になるわけだ
でB増田は
他国の政策が自国の経済的逼迫を起こしてて武力で苦境をはねのけるしかないときや戦争関連産業をカンフル剤にしないと経済保たないときに戦争が起こる。
その時の大義名分として他国の内政にケチをつけることがありうるだけ。
余裕で暮らしていける状況のときにどんだけ他国が人道無視の悪政をしてようが一国レベルがいっちょかみする義理はないし得もない。
「内政干渉で戦争が起こることなんぞまずありえない」と言ってるわけだ。
B増田は「内政干渉」を正しい意味「他国の政治・外交に介入してその国の主権を束縛・侵害すること」、ではなく「なんかちょっかい出す」OR「手段」程度にしか理解できてないわけだ。
だからAIに「内政干渉を目的として起こるものか、それとも別の要因が主で、内政干渉は正当化のための大義名分にすぎないのか」って的外れな質問をしてしまうわけだね。
そこ抜けないとステージ上がれないんですよ!w
兄さんは説明できなかった!
そこが兄さんの限界!w
馬鹿でもわかるような説明を一発で決められなかった兄さんの限界!w
本当にアタマのいい人にはなれなかった兄さん!
1歳半の子供が土日に熱を出して、保育園が休みになると当たり前のように私も出勤を休んでいる。
生理が来て貧血気味だし、子供の風邪がうつってうっすら体調が悪い。
のどがいがらっぽくて鼻水が止まらない。
でも熱がないので子供の面倒は見るしいつも通りの平日ワンオペだ。
何度も体温計を測っては上がりそうな感じはするんだけどな~…としんどそうにしている。
「寝て治してね。今日のごはんは温かいものにするね」までは義理で言えたけど全然、本当に心配してあげられる心の余裕がなかった。私だってしんどいからだ。
でも、自分の体調が悪いときに「俺もしんどい~」と被せてこらえることにうっとおしさは分かってるのでもう言えなくなってしまったし、私も熱がないので動けるし。察してチャンはよくないと思ってるので言わないと決めたなら求めてはいけない。
でも、私が今までにずっと、「今日はどうしても起きられないかもしれない」「昨日の子供の夜泣きがひどくて寝られていない」「授乳に生理が重なって貧血でしんどい」と言っても、始業時間の8時半より一時間早く出社する自分ルールを壊せない旦那は、心配しながらも通常通り出社して(特に納品などの特別対応があるものではない。毎回、一時間早く出社してサビ残をしている)、保育園の送迎を変わってくれることはなく、7時出発22時帰宅のルーチンは変えてくれなかった。
すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。
XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。
そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業の書籍に消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。
あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。
私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。
商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神のバランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。
とくに評論系、たとえば素人で映画などのエンタメや文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。
私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。
一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストがSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか。自分が相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。
少なくとも私は、友達に同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。
そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人から。おざなりな言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブに言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。
そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。
だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。
まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさらに文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味のお稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。
そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティでしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。
いくらでも身内のエコーチェンバーなコミュニティに閉じこもってられる時代だからこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。
そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字の文芸・批評とかいうオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任なポジショントークなんだけどね。