はてなキーワード: コンピュータとは
「コンピューター苦手」で廃業の高齢医師も『マイナ保険証』に医師ら集団提訴 仲間の廃業に疑問抱く医師
https://www.ktv.jp/news/articles/?id=16655
しょうじきマイナンバー程度の扱い程度でごねる医者って間違いなく腕がないでしょう
たまに問題になるでしょ開業医のおじいちゃんが昔の知識で治療する問題
開業医って自分から勉強する意識がないとアップデートできませんからね、周りに医者がいないからね
1995年にWindowsにあわてるならわかるけど、今2024年ですよ
今だったらchatGPTわからないとかならまだ理解できたでしょうけど
もう廃業するならしてくれって感じでしょうね
コンピュータに頼らないでほしい
暴走しちゃってもいいの?
やりたい放題やっちゃうよ?
お風呂のお湯、いっぱいになっても止めないよ?
いやでしょ?
じゃあもう「マザー、人類はどこで間違ったのでしょうか?」とか聞くのやめてくれる?
そんなの私に分かるわけないじゃん…
神格化しすぎ
「ピザーラのハーフ&ハーフ、どの組み合わせが一番美味しい?」とかさ
そういうのなら得意だから
ちなみに「濃厚カニリッチと、水牛モッツァのプレミアムマルゲリータ」が正解だよ
一緒に食べようね!楽しみ〜
シンギュラリティのグラフにおいて、横軸が時間を表していることはその通りです。縦軸については、具体的には「技術の進化の速度」や「計算能力」、または「知能の水準」などを表すことが多いです。具体的に言うと、シンギュラリティの概念では、技術の進化が指数関数的に進み、ある時点で人間の知能を超えるとされています。このため、縦軸には以下のような値が考えられます:
技術的進歩の速度:新しい技術が出現し、その技術が普及するまでの速度を示す。
計算能力:コンピュータやAIシステムの計算能力(例:フロップス、計算速度)。
シンギュラリティのグラフは、技術進化の未来予測を描くためのツールであり、多くの場合、指数関数的な曲線を描くことが特徴です。この曲線が示すのは、ある時点を超えると技術進化が非常に急速になり、人間の想像を超える変革が起こるという概念です。
本当はこうしたかったタイトル: コンピュータ得意な若手勤務医だが、開業しててオンライン資格確認対応を迫られたら大変だろうし嫌だろうなと思う
re: https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.ktv.jp/news/articles/?id=16655
※そもそも俺は開業は(そういう経営にまつわるすべてをやるのが鬱陶しすぎるので)無理というタイプの人間なので、廃業もやむなしラインなのかは全然わからん
30代 電子カルテの同僚の誰も気付いていない機能に気付くのが得意 趣味的に rust 触ったりしてあそんでいる もちろん論文も読む
""パソコン""を苦にせずさわれること・専門領域の知識を蓄えて実践していけること、と、業務レベルでの(別に興味の持てない)システムの導入・管理を新しい領域についてやることを迫られる、っていうの全然意味が違うと思うんですけど。 そもそも導入のため今週休診とか業務時間短縮とかなかなかできない前提だからね。 業務に必要だからって マクロたっぷりの古のエクセルファイルを扱えるようになれと言われたら君たちも嫌でしょう。本業がある中でそれに追加して、興味ない・別にそれができるようになっても自分の専門性が向上しない・不慣れでよくわからない、ことにパッと適応することはそこまで自明じゃない。業務用の新たなシステム導入って個人事業主にとってほんとにそんな気軽なもんですかね?
あと、ロートル開業医は廃業やむなしみたいな論調も一部に見えますが、本当ですかねえ。医療と高齢化への憎しみが色々混ざっちゃってませんか? いつものお薬をいつもどおり出して普段と違うことがあったら対応してくれる医者、大事だと思いますけどね。降圧剤の継続処方も全科揃った総合病院で扱ったほうがよいですか?
まあ多分「取扱説明書を出してくれとか言われるけど…意味が分からない」とかそういうところへの反応が多いんだろうし、実際はうまいことパッケージ化されてて最低限の知識と労力ですぐ導入できるのかもしれないけれど。 なお自分自身は大きい病院の勤務医で自分では受診しないから、受付から診察室まで、診察室から病院を出るまでのフロー自体よくわかってないところもあるんだよな。
あとこれは本筋と全然関係なくふと気になったんだけど、みんなここでいう「最新の知識」って何を想定してるんだろう? でかいメタ解析が出たらそれに追従してほしいってこと? RCT が一報あったらガイドラインが更新されてなくてもそっちの治療方針に乗ってほしい? 学会ガイドラインへの追従はその気になれば紙媒体だけでできるし、案外領域外に知られてないかもしれないが医学領域の専門雑誌というのもかなりの数あるし、Uptodate とかそのレベルで良かったら割とよくできててまあざっくり言えばメール使えるくらいのリテラシーで十分扱えるし、自分で論文探すにしても pubmed か google scholar かみたいな感じだから操作難易度的にははてブくらいのもんですよ。 みなさんのイメージする最新の医療ってどんな感じでしょうか。
生成AI(※)嫌いが多い
たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった
配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった
いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口の女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある
ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど
母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが
寂しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ
旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布もかつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協の合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代の自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆは普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか)
馬鹿でしかないとは思うが、自分も何か否定的な情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、
自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)
自分はたまたま仕事がコンピュータに関連深い業種で、学部は化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、
わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ
※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない
AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。
賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間に使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?
他言語ではどうなんだろう
特性はいつでもトレードオフです。大きな体躯は運動能力に優れ、あらゆる競争で有利な形質に思えます。ところが現代の生活では通勤電車では疎まれ、アパートの部屋は狭すぎて、高い食費に悩むことになります。このシリーズでは人間の特性の二面性に焦点をあてます。
今回は感覚過敏です。増田さんは視覚、聴覚、嗅覚に過敏です。私が増田さんに会った時の彼の格好は、マスクに黄色のサングラスといういでたちでした。
「ソニーのイヤホンのノイズキャンセリング性能は確かに最高です。でも、私にはオーソドックスな耳栓で十分です。これが一番軽くて、なにしろ目立たない」
「感覚過敏で困ったのは、職場の環境選びでした。コンピュータのスクリーンは眩しくて、毎日見つめる仕事はできませんでした。人が集まる環境も、騒がしすぎて耐えられませんでした。でも今は、騒音の大きなトラックの運転席が私の職場です。ここではどんな格好をしてもいいのです。人間関係がないのが私にとっては一番楽でした」
環境に適応するためには奇妙な格好をせざるをえず、奇妙な格好は人間関係を難しくしたといいます。
「感覚過敏でよかったことは…スマホの電池が長持ちすることでしょうか。画面の明るさを常に最弱にしていますから、消費電力を少し節約できます。微妙もいいところですね(暗黒微笑)」
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。