【恵庭】市内牧場で働いていた知的障害者3人が、牧場で経済的虐待を受けていたことを把握しながら牧場に対する指導などを怠ったとして、市に損害賠償を求める考えを示している問題について、市は21日の市議会厚生消防委員会で、市の調査委員会が当時の担当職員に聴き取り調査したことを明らかにした。...
「取材現場から」のコーナー、恵庭の牧場を舞台にした裁判について取り上げます。 先月、牧場の関係者と恵庭市を相手取り牧場で働いていた男性3人が札幌地裁に民事訴訟を起こしました。 「劣悪な生活環境、過酷な奴隷労働、金銭搾取、この3つが(訴えの)柱になっています」(原告弁護団・中島哲事務局長) 訴えを起こした3人はいずれも知的障害があり身寄りはありません。短い人でも18年間、長い人では45年間住み込みで恵庭の遠藤牧場で働いていました。 しかし3人の生活環境は劣悪なものだったと言います。 「住んでいるのはプレハブ小屋です。そこには水道も通っていない、電気は通っていたようですが暖房器具は3人のうちお一方のみ。(周辺からは)「ちゃんと食べてないんじゃないか」とか「牛とか豚のえさ食ってたんじゃないか」という話も1人からじゃなく聞いています」(中島弁護士) 明け方から日没まで休みなく働いていた3人ですが、
ロシアとウクライナの1年9カ月に及ぶ戦争では、擲弾(てきだん)を落としたり爆発物を巻きつけたりしている小型ドローンがあちこちで使われている。双方の軍の歩兵隊はその脅威を認識しており、機甲部隊や砲兵部隊の仲間から知恵を拝借した防衛手段を塹壕(ざんごう)に導入している。 参考になるのが、米シンクタンクの外交政策研究所のアナリスト、ロブ・リーがネットで公開した画像だ。ウクライナ軍のぬかるんだ塹壕を覆うネットや、ロシア軍の塹壕の出入り口を覆う金属製のメッシュなどが見られる。 歩兵らは小型ドローンがいかに危険なものであるかを理解している。特に、スピードがあり、遠隔から操作する一人称視点(FPV)のモデルは要注意だ。いかに危険かは、ここ数週間で繰り広げられたドローン攻撃からも明らかだ。 FPVドローンを塹壕襲撃兵器として飛ばしているロシア軍のドローン部隊は、塹壕を保持していたウクライナ軍の歩兵を数人殺
「奴隷労働だ」 北海道恵庭市の牧場で長年虐待されていたとして、知的障害のある60代の男性3人が市などに損害賠償を求めた訴訟がある。経営者家族は取材に対し、「虐待はしていない」と否定しているが、実際はどうだったのか。 3人と長く交流のあった佐藤さん(40代男性)が、仮名を条件に朝日新聞の取材に応じた。佐藤さんの証言から、3人の置かれた境遇を構成する。 真冬の恵庭市では、気温がマイナス10度を下回ることもしばしばある。 佐藤さんによると、3人は母屋とは別のプレハブ小屋に住んでいた。 1人1部屋ずつ割り当てられていたが、ストーブが使えたのは1部屋のみで、それも小さなものだった。残り2部屋のうち片方の部屋にはストーブがあるものの、「値段が高い」という理由で灯油を入れてもらえず、使えていなかった。もう1部屋のストーブは取り除かれていた。 部屋に暖房器具がない2人は、寝袋の中に入ってその外側から汚れで
「取材現場から」のコーナー、恵庭の牧場を舞台にした裁判について取り上げます。 先月、牧場の関係者と恵庭市を相手取り牧場で働いていた男性3人が札幌地裁に民事訴訟を起こしました。 「劣悪な生活環境、過酷な奴隷労働、金銭搾取、この3つが(訴えの)柱になっています」(原告弁護団・中島哲事務局長) 訴えを起こした3人はいずれも知的障害があり身寄りはありません。短い人でも18年間、長い人では45年間住み込みで恵庭の遠藤牧場で働いていました。 しかし3人の生活環境は劣悪なものだったと言います。 「住んでいるのはプレハブ小屋です。そこには水道も通っていない、電気は通っていたようですが暖房器具は3人のうちお一方のみ。(周辺からは)「ちゃんと食べてないんじゃないか」とか「牛とか豚のえさ食ってたんじゃないか」という話も1人からじゃなく聞いています」(中島弁護士) 明け方から日没まで休みなく働いていた3人ですが、
黄色く色づく木々が並んだ道端で、その男性は1人、ヤマブドウのような木の実を食べていた。 北海道恵庭市の市街地から南へ数キロ。ナラやシラカバの林の合間に、平野や牧草地が広がる。15年ほど前、そこで佐藤さん(40代男性・仮名)は男性に声をかけた。 「こんにちは」 以前、近くの牧場から手を振ってくれた人かと思い、尋ねた。 「そこの牧場の人ですよね?」 「そうです」 「どこに住んでるんですか?」 「あそこの小屋で寝てるよ」 男性の身長は165センチほど。灰色の上着に黒っぽいズボンをはいていた。年上のようで、歯がほとんど無いように見えた。 「……ご飯とかちゃんと食べてます?」 「あんまりまともなものは出てない」 男性は、近くの「遠藤牧場」に住み込みで働いていた。男性ら知的障害のある60代の3人は今年8月、この牧場で長年「奴隷労働」をさせられていたとして、経営者家族と恵庭市に計約9400万円の損害賠償
3人死傷の現場付近で死んでいたクマ、消防士がナイフで撃退の個体と判明…首の深い“刺し傷”が致命傷、遺体の大学生との関係は胃の内容物で最終確認 北海道の大千軒岳
「このままじゃ、やられる、一か八か…」クマに襲われた男性 下敷きになった状態からナイフで反撃 緊迫の“格闘”を振り返る 2023年11月01日(水) 16時09分 更新 10月31日、北海道福島町の山中で、男性2人がクマに襲われ、首をかまれるなどのけがをしました。 「このままじゃ、やられる」。襲われた男性が当時の状況を語りました。 「ただじゃすまないと思った。助かったのは、運がよかっただけ。」 HBCの取材にこう話したのは、北海道福島町の消防隊員の41歳の男性です。 男性がクマと遭遇したのは、10月31日午前10時ごろ。41歳の友人の男性と、36歳の同僚の男性とともに、福島町の大千軒岳(標高1072m)での登山中でした。 午前7時半ごろに入山した3人は、3時間ほど山を登り、休憩していたところ、体長1メートルほどのクマが、登山道を上ってきたことに気づきます。 3人とクマとの距離はおよそ5メー
3人死傷の現場付近で死んでいたクマ、消防士がナイフで撃退の個体と判明…首の深い“刺し傷”が致命傷、遺体の大学生との関係は胃の内容物で最終確認 北海道の大千軒岳 2023年11月09日(木) 17時33分 更新 同じクマに襲われたとみられる大学生が死亡、消防士2人がけがをした北海道南部の大千軒岳(標高1072メートル)で、9日朝から行われた現地調査の結果、大学生の近くで死んでいたクマは、消防士のナイフによる首の刺し傷が致命傷だったことが判明しました。 大千軒岳の6合目付近では、2日午後、函館市の北海道大学水産学部海洋生物科学科の4年生、屋名池奏人(やないけ・かなと)さん22歳が遺体で見つかりました。 9日午前の大千軒岳 屋名池さんは10月29日に登山に入ったとみられ、死因は全身に激しい損傷を受けたことによる出血性ショック、近くで死んでいた体長1.5メートルほどのクマに襲われたとみられていまし
10月31日、北海道福島町の山中で、男性2人がクマに襲われ、首をかまれるなどのけがをしました。 「このままじゃ、やられる」。襲われた男性が当時の状況を語りました。 「ただじゃすまないと思った。助かったの…
12月9日、太田三郎家に残っていた内縁の妻阿部マユと養子に迎える予定だった蓮見幹雄(当時6歳)がヒグマに襲われた。これは、のちに起こる一連の襲撃事件のうち、最初の襲撃であった。 三郎は山での作業のため不在だったが、帰宅時に囲炉裏に座っている幹雄を発見した。三郎は、幹雄が寝ているのだと思い近づいてみたところ、幹雄の喉と側頭部に親指大の穴が開き、彼は既に息絶えていた[12]。さらにヒグマはマユの体を引きずりながら、土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユのものとおぼしき数十本の頭髪が絡みついていた[13] [14]。加害クマを追跡するにはすでに遅い時間で、この日は日没が迫るなか住民たちに打つ手は無かった[14]。 当時の開拓村の家(再現) 北海道開拓の村に再現された開拓小屋の内部 事件直前の明景家写真 翌日の12月10日午前9時頃、捜索隊が結成され、一行はクマを見つけた。余りにも近い場
1970年7月下旬。まだインターネットも携帯電話も無く、登山知識やギアも現代ほど洗練されていない頃に北海道・日高山脈のカムイエクウチカウシ山で発生した「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件」。 アイヌ語で「熊(神)の転げ落ちる山」という意味のこの山で、大学生5人パーティのうち3人が襲撃され、命を落とす結果となった凄惨な事件です。 当時は全国ニュースにもなり、いまだにテレビなどで当時のことを扱ったドキュメンタリーが放送される事もあります。 なぜ今この事件の報告書を公開するのか?実はこの事件から約35年後に同クラブに在籍していたのが元編集部員。部室に貴重な当時の写真、報告書などの記録がある事、そしてそれが今後どこにも公開される事なく時の流れと共に消えてしまうことを危惧し、当時のメンバー・OB会の了承を得てYAMA HACKで公開することにしました。 報告書から当時の状況、時代背景を踏まえた上で事件の
福岡県福岡市にある福岡大学のワンダーフォーゲル同好会所属の男子学生A(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳、生還者)、C(19歳)、D(19歳、生還者)、E(18歳)の5人は、1970年7月12日9時に列車で博多駅を出発し、14日に新得駅へ到着した[2]。 7月25日、5人は日高山脈の標高約1,900m、札内川上流に位置する[1]九ノ沢カールでテントを張ったところ、ヒグマが現れた。 大学生を襲ったものと同種のエゾヒグマ 5人はヒグマが荷物をあさりだしたため音を立てて追い払い、荷物を取り返した。しかしその夜、再びヒグマが現れテントに穴を開けた。身の危険を感じた彼らは、ラジオをかけっ放しにした上で、交代で見張りを立てた[1]が、その後は現れなかった[3]。 26日の早朝、ふたたびヒグマが現れテントを倒した。 Aの指示で Bと Eが救助を呼ぶため下山を始めた。その途中で同じく登山をしてい
この項目では、2009年の山岳遭難事故について説明しています。2002年の山岳遭難事故については「トムラウシ山遭難事故 (2002年)」をご覧ください。 トムラウシ山遭難事故(トムラウシやまそうなんじこ)は、2009年(平成21年)7月16日の早朝から夕方にかけて北海道大雪山系トムラウシ山が悪天候に見舞われ、ツアーガイドを含む登山者8名が低体温症で死亡した事故。夏山の山岳遭難事故としては近年まれにみる数の死者を出した惨事となった。 この事故は後に、日本山岳ガイド協会による第三者で構成する特別委員会「トムラウシ山遭難事故調査特別委員会」が設置され、2009年8月25日から5日間にわたり、金田正樹医師をリーダーとする4名のチームが2班に分かれ、遭難事故グループの行動や事故の事実関係を調査し、有識者の意見とともに報告書にまとめられた[1]。 事故が発生したトムラウシ山 (北側の忠別岳方面から望む
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