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普天間に関するmshkhのブックマーク (5)

  • 辺野古「泥沼化」で変質した沖縄と本土の関係(finalvent)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    ポリタスから「辺野古移設問題」について寄稿を依頼されたとき、私が最初に思ったのは、その呼称への微妙な違和感だった。間違いだと言いたいのではない。この問題をそのような呼称で受け止めることにすら難しい問題が含まれているだろうと思えたのである。そこであえて「辺野古移設問題」と括弧を付けてみた。重点の置き方としては「普天間飛行場移設問題」としてもよい。なお、私がこの問題に言及するのは、自著『考える生き方』でも述べたように、1994年から2002年まで沖縄県民として、その土着の親族構造の内部で暮らしたことに加え、縁があって一部ではあるが、政界、大学、メディア、自衛隊、米軍などの内情を直接伺う機会があったことによる。 「泥沼化」後にあり得る3つの可能性 まず、ポリタス編集部から問われた「泥沼化している普天間基地の辺野古移設問題についての今後の見通し」について答えたい。3つの可能性があると思われる。 1

    辺野古「泥沼化」で変質した沖縄と本土の関係(finalvent)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
  • 辺野古で抗議船転覆、4人転落 海保警備が原因か【動画あり】 | 沖縄タイムス+プラス

    【名護】サンフランシスコ講和条約が発効してから63年となった28日、新基地建設に向けた作業が続く名護市辺野古では建設に反対する市民らの抗議行動が陸や海で、早朝から続いている。午前11時20分ごろ、フロート内に入った抗議船1隻と海上保安庁の船が接近し、抗議船が転覆した。

    辺野古で抗議船転覆、4人転落 海保警備が原因か【動画あり】 | 沖縄タイムス+プラス
    mshkh
    mshkh 2015/04/28
    転び公妨の市民版みたいなもんかな?それにしても,屈辱の日って言葉を初めて知ったわ.カノッサみたいな
  • 鳩山由紀夫首相の嘘: 極東ブログ

    各種の問題に接したとき最も効率的な手法を決定するのがオペレーションズ・リサーチ(operations research)という学問で、鳩山由紀夫首相はこの博士号を持つ。博士号をもつ首相というのは国際的にも珍しい。米国人ならその称号にまず驚き敬意を払う。だが、実際に驚いたのはそこではなかった。 鳩山首相は、普天間飛行場撤去問題を五月末までに決着すると国民に約束した。腹案もあると述べていた。まだ一週間がある。腹案を待ちたいところだが、おそらくはもう鳩山首相の心は歓迎で迎えてくれるはずの上海万博に飛んでいるのでないか。 嫌な兆候はあった。普天間飛行場は最低でも県外移設が「五月決着」なのだから、今月いっぱいで問題は決着し、五月以降は実施に向かうというのが普通の理解だろう。だが五月に入ってから鳩山首相から漏れる「五月決着」の意味合いは変りつつあった。10日付け時事「普天間、5月決着断念=地元、米との

  • 鳩山さんが首相であり続けることが国家安全保障上の問題: 極東ブログ

    驚いた。鳩山首相にはまだまだ驚かされることがあるに違いない、動顛するなよ、と気を張っていたというか、逆に脱力し切って連休だしい物ものことでも考えつつ見守っていたのだが、すごいことになった。瞼を閉じたのではないのに視界に鉄板のブラインドがずんと落ちてきて、日の未来なんにも見えない状況に陥った。我ながら修行が足りない。 何に驚いたか。普天間飛行場撤去問題を自民党案の修正に戻しますごめんなさい、ではない。そんなことは、昨年の政権交代選挙の一か月前に「民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう: 極東ブログ」(参照)に予想していたことだ。沖縄県外移設をまともに探ぐってないツケでやっぱりダメでしたが徳之島に一部名目上の移設はしますから許してね、でもない。その手の論法は、「オバマ米大統領が民主党鳩山首相にガッカリしたのがよくわかった: 極東ブログ」(参照)でわかっていた。驚いたこと

    mshkh
    mshkh 2010/05/05
    こんな首相と政権を選んだのも民主主義か.民主主義で,こういう政権を交代させることを期待しています
  • 2010-05-04

    特になし。 鳩山さんが沖縄に行く日であったかな。 江戸時代も技術革新はあった。紅の製造元が、玉虫色に輝く紅を開発して人気を呼んだ。紅やおしろいを入れて持ち運ぶ「板紅」という平たい容器も登場。最初15センチの長さがあったが、5センチ四方の小型の器になり携帯に便利になった。化粧品を売る側も需要を増やそうと知恵を絞った。先人に負けてはいられない。 負けてないですよ。当時のおしろいは鉛白、紅は水銀が含まれていた。有毒だった。 江戸時代末期の歌人、橘曙覧(たちばな・あけみ)は「たのしみは子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時」と詠んだ。親子が寄り添って事をする光景ほど、幸せを感じさせるものはない。 「たのしみはまれに魚煮て兒等皆がうましうましといひてふ時」とも。つまり、煮魚がえるのがごくマレなほど貧しい生活で親子が寄り添うしかなかったつらいのぉという時代。そして、子供に

    2010-05-04
    mshkh
    mshkh 2010/05/05
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