バルバロ! 岩浪れんじ ここはナニワのファッションヘルス。今日もさまざまな性癖や欲望を持った客たちがやって来て…。たおやかに、したたかに、たくましく生きるヘルス嬢たちの人生を活写する!
9月24日に90歳の誕生日を迎えた作家・筒井康隆氏。「不良老人」として人生論を披露してきた筒井氏に卒寿の心境を尋ねる……はずが、筒井氏から予想外の返答が。今春、神戸市の自宅で転倒したことをきっかけに、老人ホームに入居したというのだ。筒井氏がその経緯を語る。【全3回の第1回】 「健康寿命が伸びた」 ひどい目に遭いましたよ。あれは4月4日だったかな。突然、家の廊下でぶっ倒れまして。頸椎をやられて、身体が麻痺してしまった。倒れる前日、89歳の4月3日までは、ピンシャンしていた。いつも通り、あっちゃこっちゃ出かけておったんですが、4日に倒れて、まぁ、一瞬にしてこのざまですよ。 〈卒寿を迎える半年前の出来事をそう振り返った筒井氏は、インタビューに応じた老人ホームの一室に、車椅子に乗って現われた。軽妙な語り口は以前と変わりないが、頸椎の負傷と入院は壮絶な体験だったと語る〉 麻痺でもう、全身が思うように
終了直前に届いた2千字 「映画のような…」 Xでも拡散 エッセイ全文 あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた――そして、そこで働き始めて……。閉館する商業施設の「思い出」を市民団体が募っていたところ、閉館の数日前に寄せられたのは、2000字を超えるエッセイでした。全文を貼り出したところ、SNSで大きな反響を呼びました。 終了直前に届いた2千字 「随分詩的な文章だな、と書き出しに驚きました」 長文のエッセイが届いた時のことを、活動名「明里(あけさと)」さんはそう振り返ります。 明里さんが携わる「習志野の歴史を語る会」では、9月末に閉館した「イトーヨーカドー津田沼店」(千葉県習志野市津田沼)にまつわる思い出や写真を募集し、8月末から閉店の9月29日まで飲食エリアで展示会を開催しました。 一般の人からも思い出や写真が20件ほど集まり、津田沼周辺の歴史を手書きでまとめた年表などと共に掲示をし
本の声をきく、物語のはじまり「おすすめの本を教えてください。」 「本を読みたいけど、なかなか読む時間が作れません。」 「昔は本を読んでいたけど、最近は集中力が落ちて、だんだんと読めなくなってしまって。他の人はどうやって読んでるんですか?」 「カフェや電車で本を読んでいる人に憧れます。私もスマホじゃなくて、かっこよく本が読める人になりたい。」 「小説を読んで、感動とか、癒 いやされたりしたことないけど、これって私だけの話ですか? ほかの人からも似たようなことを聞くことありますか?」 「今月、二十ページ、本が読めました。めっちゃ嬉しい。もっと読みたい。本を最後まで読み切ったことがないのですが、私に読める本ありますか?」 これらの言葉は、私が働いている書店や担当している創作講座、定期的に開催しているイベントや読書会で聞いた、本を読む人たちの声の一部です。 私は書店で働きながら、「読書室」という屋
『The Elder Scrolls V: Skyrim』(以下、Skyrim)の実況プレイで知られる「スカイリムおばあちゃん」ことShirley Curry氏が「ゲーム実況引退」の意向を伝えた。今後も動画投稿は続けるものの、『Skyrim』のプレイ実況はもうおこなわないという。 Curry氏は、『Skyrim』を愛してやまない、現在88歳のYouTuberだ。同氏は2015年より『Skyrim』実況プレイ動画を公開し、同作を夢中でプレイする様子を頻繁に配信して人気を獲得。現在チャンネル登録者数130万人を誇り、「やあ孫たち(Good Morning Grandkids)」の一声から始まる配信でお馴染みだ。 Image Credit: Shirley Curry on YouTube Curry氏の深い「『Skyrim』愛」は開発元であるBethesda Softworksにも認知され、シ
今日、父が死んだ。自殺だった。 父と同居していた母によると、今年に入ってから、父は毎日のように死にたいと訴えていた。八十二歳となり生きる意欲や気力がなくなり、体力の低下や体調の悪さとともに何もかもが辛いのだという。 会いに行った時には、死にたくなる辛さの一つとして、「夜中に口の中が渇く」というのを挙げていた。なんでそんなことで死にたくなるのか理解できなかったが、話を聞くと、寝ている二階から降りて台所まで行き、水を飲んでまた二階に上がるのが辛いようだった。「だったら、寝室に飲み物を置いておけばいいじゃない」と提案すると、そこで初めて気づいたらしく、水筒がいいのか、ペットボトルがいいのかなどと、母と相談し始めた。 その時は、父が抱えている様々な問題は、個々に解決できる問題であって、判断力が衰えたため、自分でどうしていいか分からなくなっているだけのように思われた。精神科に通っていたので、病院でも
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「CLANNADを愛する人は,Yahoo!掲示板にいた」 編集部:楽器 カメラマン:永山 亘 2004年4月28日。ビジュアルアーツのゲームブランド“Key”が,恋愛アドベンチャー「CLANNAD(クラナド)」を発売した。中身を知らない人でも「CLANNADは人生」なんてワードに聞き覚えはあるだろう。 2024年4月に入ってからのこと。梅雨を先取りした雨風に嫌気が差していたころ。私は“CLANNADが20周年”を迎えることに気付いた。語れる話はたくさんあったから,急いで文章をしたためた。でも。 5年に1回くらい思い出す過去に邪魔されて。 ふと,自語りしたくなり,すべて消した。 中学の生をTVアニメ「シスタープリンセス」で破壊され,Keyの恋愛ADV「Kanon」で再構築し,「AIR」で再始動した10代前半。とあるヤツのせいでネット上の人付き合いに深刻な障害を抱えていた時分。 当時のネットコ
2024年2月3日の三段リーグの結果にて、勝ち越し延長の可能性が消え奨励会退会となりました。 日本将棋連盟の奨励会は、将棋のプロ棋士を目指す若者たちが訓練し、技術を磨くための組織です。奨励会のメンバーは厳しい選考を経て入会し、定期的に開催されるランキング戦に参加しながら、プロ棋士になるための段階を一つ一つ登っていきます。 奨励会は三段から6級までで構成されており、二段までは東西にわかれて行い、規定の成績を上げると昇級・昇段となります。三段になると東西をあわせてのリーグ戦を半年単位で行い、上位二名が四段に昇段し、正式に棋士となります。 https://www.shogi.or.jp/match/shoreikai/ より。 奨励会は将棋を学び、上達したいと願う若者たちにとって非常に価値のある場所であり、将棋界の未来を担う才能を育成するための重要な役割を果たしています。プロになることは非常に難
昨日公開されたMVの広告費用として10万円は使用される。 友人としての贔屓目はあるが、それでも良いMVに仕上がっていると思う。 もし将来そのバンドが売れたら俺が100%出資者だったんだぜと自慢ができる、楽しみだ。 友人であるAとは中学の頃からの付き合いで、そろそろ15年くらいになる。 正直、俺とAは中学ではパッとしない人間で、同じ野球部に入っていたが大して活躍することはなく、顔もそこまで良くはなく、当然モテるなんてこともなくて、まぁスクールカースト最底辺一歩手前ってところの立ち位置だった。 中学3年の夏を都大会2回戦敗退とかで特に感慨もなく終わり、さぁ高校はどこに行こうかと考えていたところ、Aが高校でバンドやろうぜと俺を誘ってくれた。 Aがバンドに興味を持っていたなんてことを全く知らなかった俺は、なんでバンドやるんだ?とAに聞いたところ、Aは「バンドやってたら格好いいから。俺は格好よくなり
私は自分が好きでやまないものを人に言えない。 自分の中で本当に大切に思っているものが相手に刺さらない、ましてや受け入れてもらえなかった時に、自分を裂かれたような気持ちになり、それを克服しきれないまましっかり大人になってしまった。 のちに自分の好きなものは確かに万人受けするものではないが、極限られた人のみの嗜好傾向という訳でもない事を知った。私のプレゼンが下手なだけだったのだ。それが分かったところで、自分の心を開示する恐怖はさほど和らがなかった。 高校生の頃から好きなアーティストがいる。知ったきっかけは忘れたが、HMVのサイトで30秒ほどの視聴を擦り切れるほど繰り返し、意を決して地元のタワレコに買いに行った事を思い出せる。 さんざん繰り返した視聴の先を聴いた瞬間の感動は忘れない。予想しなかった方向に転調して度肝を抜かれた。 そのアーティストが、引退からまさかの復活をすることを知った。そのCD
原点は『カードキャプターさくら』 妹と参加したコミケが人生の転機に 死してなお続いた兄の創作活動 「今までの全てに、ありがとう」。2022年1月、ツイッター上でそうつぶやいて間もなく、息を引き取った男性がいます。直前に開かれた、同人誌即売会・コミックマーケット(コミケ)。男性は重い病を患いながら、死力を尽くして参加し、自ら描いたイラスト集を会場で頒布していたのです。命を燃やすようにペンを走らせながら、何を思っていたのか。人生の終幕が迫る中、どうして表現活動に取り組んだのか。亡き兄の創作と闘病を間近で支え続けた、きょうだいの記憶をたどりつつ考えました。(withnews編集部・神戸郁人) 葛藤の末に送った依頼メッセージ 2021年12月末、記者(34)は万感の思いで、東京ビッグサイトを訪れていました。新型コロナウイルスの流行による延期と中止を経て、実に2年ぶり・99回目となるコミケが開かれた
円楽さん、、、 自分が力士の頃お金があまりなく吉野家で 並盛しか頼めず食べていたらにぎやかな団体さんがいました なんも気にせず牛丼を食べていたらいきなり肩を叩いてきた爺さんがいた 「力士なんだからもっと食べて飲んで体でかくしなきゃな」 そう声をかけて牛丼特盛二杯と瓶ビールを頼んでくれた その後食べ終わりその爺さんのところへ 「すみませんごっちゃんでした!!」 そう言いに行きました するとその爺さんが 「力士も落語家も新弟子はカネないもんだでもねカネないなりに努力すれば上にあがれるんだ腐らずがんばれ!」 っと言いポチ袋をくれた 部屋に帰る途中中身を開けた そこには一万円が入っていた これが円楽師匠だった この出来事だけではないが でもこの一言が自分にやる気をくれ 腐らず力士生活を頑張ってこれた その後も何回かお会いしたが 「おう!ひよっこ頑張ってるか?」 など色々お声をかけてくれた 凄く俺に
作家ポール・オースターの息子が薬物死したのをご存知だろうか。幼い頃から父の作品に登場し、クラブシーンと薬物に溺れていった彼は、どんな人生を送ってきたのか──。米紙「ニューヨーク・タイムズ」が振り返る。 2022年4月のある朝、ブルックリンの地下鉄で44歳の男が意識不明の状態で発見された。男の名前はダニエル・オースター。薬物の過剰摂取が原因だった。彼は病院に運び込まれたが、延命治療を止めた6日後に死亡した。 DJや写真家として活動したダニエルは、長いあいだ薬物依存症と闘ってきた。彼は、作家のポール・オースターと、同じく作家のリディア・デイヴィスの息子だ。 亡くなる直前、ダニエルは、10ヵ月の娘ルビーを前年に死なせた罪に問われていた。死因はヘロインとフェンタニルの急性中毒だった。ルビーが亡くなったのは、ブルックリンのアパートで彼と2人でいたときのことだった。ダニエルの妻でグラフィックデザイナー
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――2019年に東京を離れ、木更津にお引越しされたそうですね。 小野真弓さん(以降、小野) 今日も木更津から運転してきました。都内まで車で1時間くらいですかね。いつも早めに家を出るので、今日は文春さんの近くに路駐して時間を潰してました。おかげで停めても大丈夫な場所を見つける嗅覚が発達してきてます(笑)。 ――木更津には地縁があったのでしょうか。 木更津で生活する小野さん(小野真弓さん提供) 小野 まったく知らない土地です。生まれは同じ千葉県ですが、木更津に知り合いもいませんでした。 田舎に引っ越したくて物件を探し始めたのですが、田舎暮しをしている知人は鎌倉などの湘南エリアが多かったので、私も最初はそのあたりで考えていたんです。でも、半年以上探してもピンとくるところが見つからない。それでなんとなく趣向を変えて木更津に行ってみたら、一瞬で「ここがいい!」と、ときめきました。
2017の「ハロスクール、バイバイ」という作品ぶりに舞台に出演するのだけれど、それまでにも cocoon ロミオとジュリエット SHISHAMOさんの「中庭の少女たち」のMV Maybe!のコラム2本 インベカヲリ★さんのモデルやったり いろいろしてて その期間、まあ、cocoonのオーディションと稽古含めて14~17歳の期間凄い活動してる面は幸せに満ちていて、何より人に恵まれていたなと。こころのそこから。 たくさんの優しい人たちに出会えたから今がある、とか言えちゃう私が居る現在。を作ってくれた期間で。 そこからなぜ、わたしは、演劇、またそれにまつわる制作、何かを作ること、から離れたのだろうかと、冷静に考える。 第1に、最後に出演した「ハロスクール、バイバイ」が個人的にものすごく不完全燃焼で、この時期、演出家の同時進行の作品があまりに多く作品を作ること、とは一体なんなんだろうか、自分自身が
東京・神田で、カメラを首から下げて歩く小川ゆきよさん。実は個展も開催しているアマチュア写真家です。聞けば、写真に目覚めたのは76歳のときだとか。以来、「東京の今」を独自の視点で撮り続け、96歳の現在も、日常の《一瞬》と出合うために街を歩きまわります(構成=福永妙子 撮影=藤澤靖子) 76歳、日光旅行でカメラの面白さと出会う 「ちょっとそのあたりまで」というときも含めて、ほぼ毎日カメラを持って外に出ます。自宅のある神田を中心に、東京駅、皇居周辺、日比谷、銀座など、家から近い場所、歩いて行ける場所がほとんどです。 愛用しているのは、ソニーのデジタルカメラ。近くも遠くも撮れて、扱いやすい。コンパクトで軽いから、私のような身長140センチのちっちゃなおばあちゃんでも、持ち歩いたり、構えてシャッターを押したりするのに負担になりません。このカメラを首から下げて、予備の電池を入れた小袋、貴重品を入れたシ
20年勤めていた中華麺・餃子の皮を製造する製麺会社を辞めました……一年前に! 退職エントリのお約束といえばnoteですけど、この話は一番に、いつもかーずSPを見ていただいている皆さんにお伝えしたかったので、こちらに書きます。 ■辞めた理由 40歳を過ぎた頃から、何年間もずっと考えていたことがあります。80まで生きるとしても、残りは半分以下。健康寿命はもっと短いでしょう。 もっというと、歳を取るごとに時間が早く感じるジャネーの法則により、体感での寿命は、良くて残り1/3ほど。 毎日一回は「余命カウントダウンタイマー」を確認して「メメント・モリ」とつぶやく日々。 なので残りの人生は、好きなオタクコンテンツだけに関わって死にたい。それが人生の舵を切った理由です。 ■30代の時に決めた人生の目標 30代半ばに腹をくくった、人生の大目標がありまして、 一つでも多くのアニメ、マンガ、ゲーム、小説、映画
物心ついたときには父も母も行方不明だった少年がボクシングを覚えて困難を乗り越えていく。漫画家・ちばてつやさんは代表作『あしたのジョー』に人間の弱さと強さ、そして人生の敗者はいないというメッセージを込めていました。井上二郎アナウンサーが聞きました。 (アナウンス室 聞き手 井上二郎 取材 網秀一郎 塚原泰介) ジョーはどうしてこんなに頑張れるのだろう 『あしたのジョー』(原作/高森朝雄 漫画/ちばてつや)は、ドヤ街に流れ着いた不良少年・矢吹丈がボクサーとして成長する姿を描いた作品です。昭和40年代に連載され、ジョーのライバル・力石徹が亡くなった時には、現実の世界で葬儀が開かれるほど大きな人気を集めました。これまで何度もテレビアニメや映画になってきました。 (井上) 実は、私、『あしたのジョー2』という映画が、生まれて初めて見た映画なんですよ。これだけ時代が変わって、人々の気質が変わっても、な
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