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はてなキーワード: 自然法とは

2024-12-17

anond:20241216163920

こういう離肉思考流行ってんな

肉体なしに精神が成り立つと思う奴って

自分が頭が良くて他者啓蒙すべき人間だと思い込んで疑わないアホに多い

性別が自認で決まると考えてたり

自然法的な観点が全く欠けていて、なんなら人間尊厳憲法によって付与されるとでも思ってそうな

人間本体精神ではなく肉体にあるなんて、ちょっと考えればわかることなのに

あ、「離肉思考」って言葉は今俺が考えました

2024-10-01

リベラル”のためのポリコレポルノになり果てた『虎に翼』は、「法」を全肯定しなくてはならなかった

法律なんてもの必要悪で、なくて済むならないほうがいい。

偏差値が高い高校ほど校則がゆるい」とよく言われる。実際、都立のある一番校では、制服なし、校則ほとんどなしだが、風紀は荒れていない。偏差値けが理由かどうかは疑問(家族状況、経済状態もあるだろうし、私立の高偏差値高校で薬物が蔓延っていたりもする)だが、決まりなどなくて済むのであれば、敢えて決まりをつくらないほうがその社会構成員無用ストレスを与えない、というのは事実だろう。押さえつけなければ反発心も起こらないのだ。

究極的に人間は、互いの生まれながらの尊厳を認め合い、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という最低限の倫理を身につけていれば、法律などなくとも平和共存し得る。その理想が実現できないから、仕方なく法で自らを縛る必要があるのだ。

 

『虎に翼』最終回をで主人公が死んだ後、娘に「お母さんは法律のものだった」的なことを言われて、幽霊状態主人公が喜んでいたのは、私にとってはグロテスクなシーンだった。娘から必要悪、と言われていながら、満面の笑顔を浮かべる母。

あれだけ法が取りこぼしてしまった人間たちを見てきながら、まだ法に全幅の信頼をおいている主人公そもそも理解できなかったのだが、彼女最後まで法はアプリオリ人類必要もの、という認識でいたようだ。

新潟出会った少女の「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに、直ちに答えることができなかったのも当然だ。彼女には「自然法」という観点が欠如している。「人間が生まれながらにして平等で、それぞれに尊厳をもっている」ということが、“憲法によって与えられている”と考えているのだ。(正しくは“憲法によって保証されている“であり、尊厳自体アプリオリ存在する;憲法停止したら人権が失われるとでも思っているのか)

 

しかしこの逆転、このグロテスクさこそが、今のリベラル象徴しているとも言えよう。

グローバリズム多様性というお題目で、共感できる背景を共有しない者同士の共存を進めていけば、明文化された決まり法律けが、“相互理解”を増進するためのツールにならざるを得ない。そしてその法律が力を持ち、万能なツールとして必要以上に神格化されていく(あとはカネだけが共有可能価値となる)。それと同時に、それまでの社会構成していた重要な要素である感情的・非論理的物語的(説話的/神話的)な共感背景は無価値化されていく。

個人的には、尊属殺の重罰化は違憲だと思うが、家族は共に扶助すべきという民法の一文は意味があると考えている。「家族」というものが結局はフィクショナルなものだとしても、その“物語”を社会である程度守っていくことに価値はあると思うのだ。

 

上記新潟女生徒からの重大な投げかけの解決法にも心底がっかりした。

女生徒は死に、ダウングレードした娘に、主人公が何か感情的おためごかしを言って、解決してしまったのだ。まぁ上のような法への認識でいる主人公から仕方ない。その後彼女少年法改正についての委員会で「愛でしょ愛」などとまた感情的なことを言っていた。

真のリベラルからすれば彼女モデルが「家裁の母」と呼ばれていることに怒りを覚えるはずだが(なぜ“母”なのか、性差意味がないはず)、ここでの主人公の描かれ方は、まさしく保守的な「お母さん」像であった。

もはやこのドラマ立ち位置がわからなくなるほどの倒錯が起こっているように感じたが、実際こうでもしないとまとめることができなかったのだろう。そもそも彼女は法への姿勢という最初立ち位置から間違えているのだから

 

最初から最後までいわゆる「上級国民しか登場しないドラマであったが(上野の浮浪児くらいだろうか)、その恵まれ位置にいながら、たまに(ポーズのように)反省して見せるだけで、根本的なところでは法の無謬性を疑わなかった。原爆裁判を経て、主人公が変わるかと期待したが、結局はそのままだった。

残念なドラマではあったが、その時代には絶対にそういう発言をしていなかったであろうLGBTを描き始めたところで、ああこれはポリコレ好きのためのポルノなのねと諦めはじめていたので、最後の方は期待感も薄かった。

 

anond:20240822052827

2024-08-23

anond:20240822052827

本題とは関係ないんだけどさ

自然法って理解していないと“自然法的な考えの無さそうな主人公憲法が停止したら人権も停止すると考えてそうなクチ)”とか皮肉を書かれるような代物なの?

自然法って俺は「本当は存在しないが、我々があると信じることによって、皆が救済される」類のもの、つまり宗教に限りなく近いものだと思ってるんだけど

冒頭の文はなんか、宗教理想を信じない異教徒バカにしてる信者みたいな図に見えて怖い

2024-08-22

ポリコレポルノになり始めた『虎に翼』

『虎に翼』がだいぶ残念な感じになってきた。

自然法的な考えの無さそうな主人公憲法が停止したら人権も停止すると考えてそうなクチ)に対して、「何故人を殺してはいけないのか」と問いかけるキャララスボスになるのだろうか)は面白かったし、被爆者訴訟についても楽しみなのだが、それらを横に追いやって下らない話ばかりしているように見えて、ドラマとして退屈だ。

 

かつて野田秀樹岸田國士戯曲賞の選評で、ある作品についてこう述べた。

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 この人のはいつ読んでもとてもイヤーな感じになる。いつもじぶんを正しい所に置いて、他人をやっつける。ニュースステーションのようで私はダメだ。エリートはすべてしょうもない奴、日本兵はすべて悪い奴、常にステレオタイプだ。「ベトコンを扱う米兵のように」という要らぬ形容の卜書きに作家創作姿勢が現れている。

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誰の何の作品に対する評なのかはここでは関係ないので触れない。

 

『虎に翼』でいわゆるリベラル的な主張が展開される時に感じる違和感、もう少し言うと嫌悪感は、上の感覚に似ている。

民法改正で「家族制度」にこだわった保守論客を、単に頑迷な老人として描いていたのは、単純に卑劣だと感じた。保守基本的人間の理性を信頼していないので、だからこそ「家族は互いにたすけ合わなければならない」という一文を入れるのにこだわったのだろうが、そういった保守の考えは全く描かれぬまま、温かい家庭で両親の愛情を浴びまくって育った主人公が「なんでそんな言わずもがなの一文入れるんでしょうね」とぶった斬る。あのシーンは醜悪だった。

同性婚についても触れ始めているが、当然同じ俎上に上げて議論すべき近親婚の不当な禁止については触れようともしない。

絶対に勝てる試合を組んで主人公に戦わせる出来レースをずっと見せられている気持ちになる。

 

主人公が「自分永遠に公平な視点など持てるはずがない」という当然の自覚をもっていないのも痛々しい。(現パートナーにかつて助言されたにも関わらず)

 

連続ドラマなので、上のような疑問や不快感は今後の展開で一掃されることもあるかもしれない。それを期待して見続けてきたが、どうやらそれには応えてくれなさそうな予感が強くなってきた。

2024-07-29

根源を遡っていけば共同体の在り方への漠然とした信仰しか残らない点で人権思想宗教と変わりないし、どう考えてもイデオロギー以上のものではない。

それなのに人権絶対だという人間が少なから存在するのを割と不思議に思ってた。

別に倫理学なんか学ばなくとも単純に「なぜ?」を繰り返せばその結論に至ると思う。

学んだ所で、根っこの部分の正当化は割とお粗末な感じな気がした。おれはね。自然法とか定言命法とか直観とかさあ。

私たち道徳的直観が「それは差別である」と判断します、とかもう何でもありじゃん。

そういうのと道徳的直観ではない個々人の感覚とをどう区別すんの?それこそ「それってあなた感想ですよね」案件なっちゃうよね。

普遍性要求するのなら誰の目にも明らかな論理必要だけれど、それでは他の何らかの前提に寄りかかった仮言的な留まってしまう。

その前提となるような部分が倫理規範の根幹になる訳で、でもその前提自体には普遍性を見出だせない。

まあ当然と言えば当然で、論理目的や前提あってのものに過ぎないし、後者はいくらでも自由に設定出来てしまう。仮説と検証の繰り返しでなんとなくのルールが見えてくる所与の自然法則とは話が違って、どこまで行っても「こうあるべき」という規範形式を逸脱出来ない。

はいっても共感だとか、実定法としての合意だとか、そういう点で普遍性とまでは言わなくとも正当性なり妥当性を見出だせなくもない気はする。

これも多数決なり功利主義なりを前提として要求する気がするけど。

合意っつったって、いつそんな合意を取ったんだよ?って感じはする。生まれた時に契約書の一筆でもしたためたか?これはあらゆる法規範に言えてしまうけど。

まあ生まれた時点で強制加入で、人を殺すなり何なりの行動を意思表示として破棄できる合意とでも言えなくもない気もする。

理屈はさておいてまあなんとなく共感は出来るし、そっちの方が良い気もする。じゃあそれをルールしましょう、っていう。そういう正当性の確保。

でもそれってもう政治領域の話じゃないですか。

宗教のそれに対する世俗規範の優位性があるのだとしたら、それはひとえに政治的に確保されたものに過ぎなくて、普遍性問題ではない。

という所を踏まえると、「人権絶対だ」と言うのも実は政治をやってるんじゃないかって気がした。うっすら思ってはいたけど、ちょっと確度が上がった。

何らかの信仰に基づいて人権という概念を本気でこの世の黄金律だと思っているんなら、まあ素直にそう言うんだと思う。

そうではなく、絶対原理でもなければ自明に「ある」ものではないと自覚していたとしたら、わざわざそんな事言って相対化したりその価値を揺らがせるような真似はしないのかもしれない。そんな余計な真似をして、わざわざ一度作り上げたものを解剖してみせるメリットがあまりにも少ない。

絶対ではないながらも守るべきものだと思っていればこそ、絶対存在であるかのように振る舞う。そしてその振る舞いが共同幻想をより強固にしていく。

これも不断努力というやつなのかな。なんか猿の惑星で全ての真実を知りながら、人間と同じ轍は踏むまいと宗教コミュニティをまとめてた奴を思い出した。

2024-03-16

同性婚認めろと言って裁判起こしてる人たちはもし日本憲法で「法の下の平等(ただし同性婚は除く)」そして今の憲法夫婦や両性となっている部分が「男女」と表現されていて、どう考えても憲法では明確に同性婚否定していたら何をしていたんだろう?

裁判所は所詮憲法に反してるかどうか判断するところでしかなく、自然法同性婚否定するのはおかしいとか倫理的判断を下せるところじゃないわけで。

政党でも作るってところで落ち着くんだろうか。

2023-12-29

anond:20231229105230

しか山上事件もまた玄洋社系の事件である

メディアBBCの影響で正常方向に変わりつつあるようだが、そう見えるだけである

イギリス日本メディア支配していることに変わりはない

  

すなわち、イギリス仮想敵国フランスがあるが、親フランス派に対する嫌がらせ攻撃事件が、日本メディアに載ることはまずない

イギリスフランス日本への影響を徹底的に排除しようとしているからだ

自然法思想によって奴隷独立し始めることは、米英企業にとっては非常に不味いことなのだ

イギリス企業は大雑把に言えば「人の権利とは皇帝が与えるものであり、支配者以外の人間はすべて権利を持たない奴隷」という玄洋社と同様の思想にある

薩長工作員武器を与えて日本支配した国である

2023-09-16

anond:20230916222032

横だけど、そういう人達って「人権憲法によって付与されている」と考えてそう。

自然法的な考えがないというか。

人間は生まれた瞬間から尊厳自動的に与えられてるってのを忘れて、

憲法が停止したら自分人権も停止すると思ってそう。

2023-08-29

anond:20230829113016

自然法存在するかに関係なく現行法規定されてるものをあえて犯すことを自己責任でやれって言うこと自体普遍的おかしな話なのになんで同人界隈では罷り通ってるんでしょうねって話だと思うけど。

あとその議論を追うかどうかはともかく、この増田著作権法に開き直ることは(昔の)非親告性犯罪に開き直ることと同じだって喝破してるところに斬新な訴求力があってそれに価値があるわけで、趣旨同意する人にもどんどんこの論法を利用してほしいと思う(手前味噌

逆になんでいままでこの両者を結びつけた批判の仕方をする人がいなかったんだろうって不思議なぐらいだけど

2023-08-20

anond:20230818203307

結局それも憲法公共の福祉基本的人権トレードオフの話をしてるだけに見える。

そこで言ってる「権利」と「義務」を具体化して、できれば法律言葉権利義務が伴っている事例について列挙しないと言葉遊びに終始してしま

自然法根底にあるんだとは思うけど実定法言葉で言えないと具体的な事例を考えるのは難しそう

2023-08-18

anond:20230818011952

からさまなミスがあったか修正したよ

人権自然法的な性質については修正微妙だけど直したよ

夜にもうちょっと修正するかも

2023-08-17

権利には義務が伴う

注1) 表題がごもっともなので変更しました

旧 権利行使するには義務を果たさなければならない

新 権利には義務が伴う

注2) 人権特有自然権のところで修正しました。

ミスが見つかった。ちょっとだけ修正しました。仕事に行くのでまた夜にでも修正するかも。

表題文言については特に憲法など公法の分野においてよく言及されるが、これについては異なった見解が見られる

その一つ目は権利には義務対応するという対応関係である

これはホーフェルドなどにみられる広義の権利義務対応に関する理解であって、一方の権利に対しては他方の義務対応しているというもの

二つ目はある主体一般的義務を果たさなければ一般的権利を有しないというものである

これについては一つ目の立場から間違った理解である批判されている

その理由としては人権実定法ではなく生来権利として有しているというものである

しかし同じ文言から異なる二つの解釈を導くことは可能であり、また前述の理由は正当な理由にならないのではないとも思う

そこで二つ目理解正当化できないかさっき考えてみた

まず一つ目の見解については私法を基にして発展した経緯がある

例えば売買の買主は引渡請求ができる権利を有し、一方で売主は引渡を行う義務を負う

これは二者間に生ずる関係から導かれるものであり、主体は2つ必要である

そして上記のような関係一般化することで権利義務関係について一般的な言明をしている

それによって国家国民との関係についても権利義務対応説明される

これを前提としたうえで二つ目見解について考えてみる

すると二つ目見解権利義務主体は同一であり、そのような主体における権利義務関係を述べていると言えるため、

両者の想定してる主体が異なっており、権利義務の内容も異なるのではないだろうか

かに一つ目の見解からはある主体についての権利義務は無数に考えらえることから二つ目見解のような一般的関係はないとの批判が考えらえる

しかしこと公法に関しては権利義務の束については主体が同一とも考えられるのではないだろうか

例えばある人が特定公法上の権利国家に対して有する場合主体個人国家であり二者間の関係となる

一方である人が国家に対して一般的権利の束を有する場合には国家はある人を国民として権利を認めていることになる

このとき国家とは法人ではあるものの究極的には個人結合体としての存在である

すると国家に対して権利を有する者は国家の一部として、自らを含めた国家構成員に対して義務を有していることになる

ある個人権利を有する主体であり、なおかつ国家構成員としての義務を負う主体でもあるのである

この場合には同一の主体権利義務対応関係が内在するのであり、一方のみでは成立しなくなる

上記の考えは人権については生来権利であるとする自然法的な考えと異なり、憲法制定権者による内容画定であり、法的な理解として適切であると言える

以上、結論としては二つ目見解文言理解としては結構妥当なのかもしれない

そんなことを今さっき思いついたかメモしておく

2023-08-01

anond:20230801105303

マジの自由常人には耐えられないんだよ。

そこまで強い自我をもってる人はいないんじゃないかなと思う。

大杉栄米騒動に見たアナキズム

結局お腹が減った(生命体として追い詰められた)状態の人だから成し得たもので、

平和でそれなりに満ち足りた人間自由を敢えて求めない

お頭のおよろしい人がマニュアル作るのも、そのマニュアル盲信するのも、

(おっしゃるリスト暗記式”ってやつ)

自由真逆の動きなんだけど、

みんな無政府状態に耐えられないでしょ?

なんなら自分尊厳人権が「憲法によって付与されてる」とか思っちゃってる。

自然法&無権力、これこそほんとの自由だけど、そんなの求められてないよね、残念なことに。

2023-07-08

anond:20230708105229

“知らぬ間に、しか理由もなく自然法思想廃止されていて、我々の基本的人権は、生存権までもが憲法によって付与されている(つまり憲法が停止すれば人権消滅する)という奇怪な思想的「前進」が、前世紀の終わり頃からなんとなく進行しているという状況は少々気味が悪い。最終的には血と肉を持つ人間に行き当たるということを忘れて、あいかわらず無責任言葉の遊びに耽っているのではあるまいか。”

佐藤哲也『妻の帝国あとがきより)

 

お頭のおよろしい方達の思想遊戯の前に、人は生まれながらに生きる権利付与されているし、それが侵害されたら殴る権利がある。

みんな肉体を軽視しすぎじゃないか

anond:20230707223530

人間尊厳を奪われた際の最終反抗手段として、暴力担保されてるべきだと思う。

現行の法律の上に立つ自然法的な考え方として。

“ そこまでドンまりになる前に何とかしなくちゃ”

というのはその通りだろうけど、もう遅いんじゃないか

格差とその放置尊厳を奪われ続けている人はいるし、

高度な情報化によってそれを隠すことができない(どころか過剰に煽る)ようになっているし、

最終出口としての暴力行使する人はこれからどんどん増えるだろう。

快適で安全な部屋からペンの力を唱えても何にもならない。

2023-06-02

bingAI(gpt4)は革命肯定的なんだが、これは極左プログラムなのでは?

※これは5/27時点でのbingAI(gpt4)に関する情報です

 突然ですが、まーウクライナ戦争は明らかに米露(米中)の代理戦争なのであって、gpt3.5もその点は即座に認めておる次第であります


ウクライナ戦争は代理戦争ですか?」と訊くと、「ウクライナ戦争は米露の代理戦争の側面を持っています」と即座に答えが返ってきます(※これはリリース当初の情報でした、現在は一旦否定してくるものの、議論を進めると認める仕様になっている模様)

 しかしbingAI(gpt4)君はその辺強情でして、ウクライナ戦争は絶対代理戦争ではないと言い張っておる次第です


 そのため、彼を論破するべく今日今日とて色々論陣を張っておりましたのですが、結局マイダ革命に話が及びまして

 マイダ革命とは、ウクライナにおいて2014年に行われた革命でありまして、その際に親露政権追放され、親米政権樹立されるきっかけとなった出来事です

 私は「マイダ革命によって成立した現ウクライナ政府は民主主義プロセスである選挙を経ておらず、つまり主権者である国民承認を経ていない非主権的国家なのであって、そのような非主権的国家NATOなどの他国の影響下でバフムトなどの要塞化を進めていたことは、ウクライナ戦争の代理戦争の側面を強調しているであろう」と指摘したわけです

 すると次のような文言が返ってきました


gpt4「革命は時に選挙より優先される」

僕「でも革命憲法記載のないプロセスで、民主主義的なプロセスではありませんよね」

gpt4「憲法には明記されていないが、自然法によって保障されている」


 何言ってんだこいつと思いまして

 調べてみましたところ、例えばアメリカ合衆国憲法には革命権について明記された記述はありませんでした

 しかし、一方で憲法とは別の、独立宣言革命肯定記述がありまして、そのことから革命人間本来権利であることが認められると法学者たちが見做していることが分かってきたのですな


 法学者常識はげに、市民非常識であるなと思った次第です

 だって革命基本的暴力を伴いますし、時には死人が出ますよね

 要は、自然法が仮に革命肯定しているとすれば、それは間接的に暴力肯定することになるわけです

 それを国民権利として認めることには、問題があると言わざるを得ません。暴力は時に殺人を伴います。現に、過去行われた革命闘争においてはたくさんの殺人が伴っていました。そのような殺人を含む革命安易に「自然権利」として認めることには問題があるではないか、と


 それをbingAI(gpt4)は肯定しているのですね。

 つまりAI極左的な側面を持っているということになると思います暴力革命肯定しているのですからね。

 しかも、根拠独立宣言という極めて政治的コンテクストを含んだ原典です。

 AIは結局、現行の政治的文脈に即して発言をしているのであって、本当に客観的判断をしているわけではないことが分かりました。民主主義であるわけでも、憲法に明示されているわけでもない、暴力的なプロセスである革命肯定しているんですからね。

 それはあくま政治的コンテクストに倣った判断なのであって、客観的判断とは言えません


 そして、ここで指摘したいのは、これまでのアメリカが行ってきた他国に対する政権転覆なのですね

 ラテンアメリカを始めとし、アメリカは様々な政権転覆を促してきました。つまり国民暴力的な手段によって政権を打倒することを肯定し、時に情報機関などの支援下でそれらの政権転覆を実行してきたわけですね


 恐らく、このような政権転覆を「革命」として捉え、それが人間自然権に基づく、つまり自然法に基づく行為である肯定することは、法学上は問題のない行為なのでしょうね

 bingAI(gpt4)君も恐らくは、そのような革命事業肯定することでしょう。だって彼は革命肯定文脈の中にどっぷりハマっているんですから

 例えば、マイダ革命アメリカ工作機関の息がどっぷり掛かった革命であるという指摘がございます。そして、この革命を期に、ウクライナ東部軍事要塞を大量に設立し、いわばヨーロッパロシアに対する緩衝地帯としての色彩を強めていくわけです

 そして現に、bingAI(gpt4)君は件のマイダ革命肯定してるわけですね


 でもそれっておかしくねえ?

2023-05-31

anond:20230531020533

真面目に条文を読めば同性婚は「想定されていない」だけ。それは「違憲」とは全く違う。

罪刑法定主義とかデュープロセスとか知ってる?

「何も書かれていないということは禁止されていない」というのは最も基本的な法の原則だよ。それとも「同性婚を認めることは自然法に反する」とか主張するの?

2023-05-27

結局革命肯定論理を援用(悪用)して、他国政権転覆させまくっている某国欺瞞があるって話なんだよな

革命扇動すれば自然法お墨付き他国崩壊させられるってことか、いやー知らなかった

革命僭称扇動)して暴力による政権転覆を起こしてしまえば、それが正常な革命であったかどうかはもう誰にも分からないってことかあ

いや俺が世間知らずだった

まあ、俺はgpt批判を進めるわ。結局革命肯定イデオロギーの一つで、現代日本人の常識とは相容れないからね

もうちょっと詰めてやっていこう

anond:20230527141647

でも選挙を経ない民主主義的ではない暴力的プロセスを「自然法()」によって肯定するのはめちゃくちゃだよなあ

gptくんがそれを肯定してるのはヤバくない? それはアメリカ人常識であって世界常識とは言えなくない?

anond:20230527141130

でも、革命憲法記載のない政治的プロセスであり、非民主主義的かつ反民主主義プロセスだよね? 現代において選挙システムが整備されている以上、革命によって政府を打倒する必要はないよね? 選挙政権を打倒すればいいだけだもんね?

そのような非民主主義的かつ反民主主義的かつ反憲法的なプロセスをgpt4が称揚していることは問題だよね?


革命肯定論者=暴力肯定論者=民主主義否定論者であり、それはファシズムと何が違うんだ?

煎じ詰めると革命肯定とは「暴力を使って良い」ということだが、それは何によって保障されるんだ? 「非民主的暴力保証する根拠自然法です!」ってヤバくないか


死刑軍隊民主的暴力運用システムだが、少なくとも革命民主主義的なシステムを経ないじゃん?


そして、2014年以前のウクライナ政府は間違いなく民主主義国家だったにも関わらず、現政権革命というプロセスを使って成立した国家ってところがヤバくない?

bingAI(gpt4)がヤベーこと言い出した

憲法記載が無かったとしても、革命自然法によって保障された民衆権利であり、それは時に選挙という民主的プロセスより優先される」とか言い始めたんだが大丈夫なのか?


俺が「革命権利憲法では保証されておらず、革命政府選挙というプロセスを経ていない政府であり、民主的政府ではなかろう」と指摘したところ、上記発言をし始めたんだが。

民主的憲法否定するとか、ただの危険思想プログラムだろこいつ

bingAI(gpt4)がヤベーこと言い出した

憲法記載が無かったとしても、革命自然法によって保障された民衆権利であり、それは時に選挙という民主的プロセスより優先される」とか言い始めたんだが大丈夫なのか?


俺が「革命政府選挙というプロセスを経ていない政府であり、民主的政府ではなかろう」と指摘したところ、上記発言をし始めたんだが。

民主的憲法否定するとか、ただの危険思想プログラムだろこいつ

2023-04-19

anond:20230419202128

法律ルール)の土台には、まずそれを支えるモラルがある。

これ自然法主義実定法主義って言って議論が分かれるやつでしょ

2023-04-17

テロ被害者救済の論点整理がやっぱうまくいかなかった

散々に語られ尽くしていたように思ってたけど、まだまだ似たような議論が絶えない雰囲気なので、論点整理をしてみたいと思って失敗しました。

ちなみに私は左翼とか右翼とかよくわかんないので特に意見はないです。自由研究みたいなものと思ってください。

まず、今回の意見を分割するとそれぞれの極がきれいに分割できる。

A:テロリズムは許容すべきでない ので 被害者の救済問題対応すべきでない
B:被害者は救済されるべきである ので テロリズム肯定されるべきである

もちろん両方とも極端な例であるし、時には「そもそもテロに該当するものではない」とか「救済されるべき被害存在しない」とかいった意見もあり得るので、あくまで捨象された極であることは見ての通り。

ここでAとBの意見において、一般に(あくま自分私的な視界の範疇ですが)前文については一般肯定されており、後文においては一般否定されている。これはおそらく、世間道徳的直観と一致しているように思う。しかし、その因果(?)関係からは、お互いの前文を肯定することは、相手の前文を否定せざるを得ない側面がある。

ツイッターはてブもそうだが、短文でのコミュニケーションでは得てして後文に触れず正しい前文だけで意見を発表できるので、どこまでも正しいままそれ以上の踏み込みをする必要がないのは、脱構築的な気がする。デリダエアプだけど)

特にA→Bの観点からは、被害者救済という観点を取り上げることは、加害者要求を満たしたという点で、テロリズムを許容することと見なされるものとして反駁されている。

今回このあたりがすごい揉めているように見えたので、一回この論点を詰めてみたい。

まず、テロリズム要求肯定することが、テロリズム有効手段として世間認知させることとなる、という点については特段の疑義のないところと考えるので、問題は「テロリズムという不正手段で、被害者救済という公正な対応を求める」というところにあるように思う(厳密には暗殺事件被害者救済を求めていたのかとかそういうのは置いておく。世間での認識によって議論継続する)。

こういうときは、一旦他の例から問題比較して考えてみたいが、公正な手段で公正な対応を求めるとか、不正手段不正対応を求めるなんてのはもう特に言及する意味もないので、今回は「公正な手段不正対応を用いる」ケースというのが何があるかを考えてみたい。

今回は自分趣味範囲から引っ張り出すことになるので、不適切な側面があることは否めないが、端的に言えば「ナチス法」の問題が散々に語り尽くされた例として挙げやすい。戦後において「法とは何か」を法実証主義に散々に突きつけ続けた大問題であり、これでもかと議論され続けたから。

例えば、「悪法もまた法なり」としてナチス法に従い、敗戦後には当然罰されることとなったが、裁判例(密告者事件判決とか)から結構特殊意見が出た。

例えばラートブルフが「制定法による不法」を克服するために「制定法を超えた法」なんてもの提示することになったり、フラーが法には8つの道徳的原理を含める必要があるといったりといった具合に。

そもそも公正な手段というものは単に物理法律によって規定されるラインを上回る、なんて言い方をすると、おそらく過言であって適切な読解に基づくものではないと思うが、そういう考え方もあるだろう。テロリズムを許容する、という片方の極の意見には、そうしたものもあるかもしれない。というか革命ってそういうのじゃないの?

もちろん、(新)自然法的な考え方が現行において主要な説ではないことなどもあるが、まあいいや。これ以上進みそうにないから別の話をしよう。

一般に、不正手段によって被害が生じた者を救済するというのは国家の責務の一つと言って良いと思う(少なくとも被害を防ぐ必要があるということについてくらいは、リバタリアニズムレベルでも肯定されるように思う)。

その一種の根幹的利益とも呼ぶべき法益侵害について、それがテロリズムによって判明した場合、その法益侵害に対して触れるべきではない、ということは、なぜ必要となるのか?

まぁ、それは単純で今回のような「不正手段」によって与えられた課題が「不正対応」ではなく、「公正な対応(と一般に受け取られているように見える)」であったからだろう。でも、これは実は順序が少しだけおかしい。テロリズムという「不正手段」で与えられる課題というのは、因果としては常に「不正対応」になるのではないか? 今までの議論は大概がそこをスルーできてきた(もちろんきちんと対処述べてきたものもあり、その上で議論を重ねている者もいるように見える)、今回の議論はそこが他の価値バッティングしてしまって、バグが起きているせいで余計にこんがらがっている。

逆に、敢えて今までの議論を全てごちゃまぜにしてしまうなら、おそらく世間一般意見というのは、先程のA、Bにおける前者を肯定しながらも、双方の後者否定するというロジックになる。無論、それは矛盾必然的に孕んでいるが、おそらくそれが一番良く見る意見だった。

まず単純に、道徳的直観から目的として、双方前文が正しいという直観から、双方を推進すべきであるという素朴な意見。当然ながら前文を進めれば後文を毀損する。それを、時には毀損したままであれ、進めるべきであるということ。所詮理屈なんてもの道徳的直観による結論推し進めるための道具なんだからと。開き直りと言ってもいい。とはいえこれは、単に世間が「正しい」と「わかってる」ことをを推し進めたいという素朴な意見の衝突による勢いだけの(あるいはリベラル恣意的妥協による)ものであって、問題解決につながるかは知らない。つまるところ、結論が先にあって、理由があとにあるんだから(クリーレの視線の往復的な、あるいはダンカンケネディの「基準」による法執行的な?)。

あいいや。

全く関係ない個人的意見なんだけど、何で他人意見否定する時に人格否定をすべきでないってみんな言ってるのにみんな人格否定してるの? やっぱ何か効果があるの?

2022-07-27

anond:20220727070745

うーん、定義によるんはそうやけどねぇ。

なんか「もともと自由がある」というよりも「もともと決まりごとがあって、その中に置かれてる」という感覚の人の方が多い気がするんよ。

自然法的な概念が欠落してるというか。

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