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エッセイに関するTomosugiのブックマーク (4)

  • 読むほどに沁みる、吉行エッセイ|ちくま文庫|大竹 聡|webちくま

    『多摩川飲み下り』『酒呑まれ』などの著者・大竹聡さんが、吉行エッセイのもつ「大人の魅力」について解説してくださいました! 吉行淳之介は憧れの作家だ。博識にして、才気に溢れ、世俗に通じ、書くものおしなべて粋であり、見目麗しく、一度ラジオで聴いたことがあるけれど、声がまた太くてマイルド、ゆったりとした話しぶりが洒落ていた。 万事につけ真逆の筆者からすれば嫌味な存在になっていて不思議ではない。けれど、ときどき読みたくなる。声を聴きたい、といったほうが正確かもしれない。そんなときはいつも、『吉行淳之介エッセイ・コレクション』全四巻のいずれかを手に取り、開いたそのページから読んできた。今回、前回のシリーズからの抜粋に新たな作品も加えて再編集されたことはファンとしてなにより嬉しい。 吉行淳之介は、作家としての身のこなし、酒場での嗜み、広くて深い交友、男女の難しいところ、おもしろいところ、題材を選ばずス

    読むほどに沁みる、吉行エッセイ|ちくま文庫|大竹 聡|webちくま
  • 〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)|『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー、村上春樹 訳|新潮社

    J.D.サリンジャーは自分のの中に訳者の「まえがき」とか「あとがき」とか、そういう余分なものを入れることを固く禁じているので、そのかわりにこのような少し変わった形で、訳者からのメッセージを送らせていただくことになる。「余計なものを入れるな。読者は作品だけを読めばよろしい」というサリンジャー氏の基姿勢もそれなりに理解できるのだが、『フラニーとズーイ』という文芸作品が既に古典として機能していることを考えれば(国で出版されたのは一九六一年だ)、読者に対してある程度の基情報を提供することは、翻訳者としてのひとつの責務であると考えるからだ。だけをぽんと与えて「さあ、読めばわかるだろう」というのでは、やはりいささか不親切に過ぎるのではないか。同時代的なであればそれでもいいだろうが、古典についていえば、その立ち位置の意味合いや方向性についての最小限の説明は必要となる。そんなわけで、このに関

    〈村上春樹 特別エッセイ〉こんなに面白い話だったんだ!(全編)|『フラニーとズーイ』J.D.サリンジャー、村上春樹 訳|新潮社
  • P値が有意になるように頑張りすぎちゃっていませんか?

    Natureに統計学的検定の問題についてのエッセイが出ていた。フィッシャー、ネイマン、ピアソンの言い争いの紹介も含めて、P値にまつわる議論を短くまとめている。何でも、この世には統計学的に有意であるのに再現性の無い調査や研究は多々あるのだが、統計学的な検定を盲信してしまい考察が疎かになっているせいだそうだ。 P値を扱うときの問題が三つ上げられている。一つは、偽陽性の可能性がP値から連想する以上に高いことだそうだ。統計学的な厳密な議論は説明されていなかったが、例えば帰無仮説が0.5のときに、P値が0.01で有意になったとしても、再現実験では11%以上の確率で再現が得られないそうだ。一つは統計的有意であることに満足して、その効果の大きさを考察しないことがあるそうだ。一つは、P値が有意になるように分析方法を工夫しすぎてしまうケース(P-hacking)があるそうだ。 エッセイでは探索的研究と検証的

    P値が有意になるように頑張りすぎちゃっていませんか?
  • 彼女の裸がガリガリだった

    好きな人は妖精みたいに細くて俺は大好きだった。 ようやく付き合えることになって、彼女を大事にしなければとドキドキした。 髪型はいつもふわふわで、細い身体によく映えていた。 小さくて、雰囲気は蒼井優ちゃんみたいな、あんな感じ。 頭がきゅっと小さくて、ふわっとしたシャツが似合った。 たまにワンピースを着ると中で身体が泳いで、かわいらしさを引き立てた。 折れそうな腕や腰、脚を見ていると守ってあげたいと思った。 それが、脱いだら老人の裸のようだった。 ブラトップを脱ぐと、枯れ木みたいな身体が現れて 「あっ、」と驚きの声を隠すので精一杯だった。 肋骨と胸骨は木琴みたいに演奏できそうだった。 背骨や肩の骨はニワトリの骨格標を彷彿とさせた。 膝と肘がやたら大きく見えた。 寝ている姿が、べ終わった後のフライドチキンみたいだった。 「胸がえぐれる」という表現を具体化させたような胸だった。 できることなら

    彼女の裸がガリガリだった
    Tomosugi
    Tomosugi 2014/02/10
    おっさんの新境地
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