認識の枠組み - やしお の「違う側面で見ること/豊かであるということ」という節の中で以下のように書いた。 ある楽曲について、対位法的にどうか、和声法的にどうか、リズム構造はどうか……と様々な体系から説明できる。そしてどの体系を適用してその現象を見るかは恣意的である。それだから、ある体系(価値判断)からその現象が否定されたとしても、現象全体を否定するには及ばない。弓の持ち方がおかしかったとしても、そのアニメ全体を否定する必要は必ずしもない。 また、ある体系から見て否定されたとしても、別の体系によって肯定されていることもある。映画の中で「物理的にそんなことは起こり得ない」というようなことが起きていても、映画なり物語なりの論理からそれが明らかに必要であって導かれていることもある。 現象(作品や物事)に様々な体系、網をかけていく。 隙間を埋めて体系をより精緻にすることもできるし、別の体系から語る