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信仰に関するebmgsd1235のブックマーク (5)

  • 落合陽一、新たな神仏習合の神社を自ら神職となり創建する。

    2024年11月4日、日文化伝承協会(所在地:東京都渋谷区)の専務理事であり、信濃國(長野)天空の社・車山神社の宮澤伸幸 宮司(ぐうじ)と、同神社の落合陽一 禰宜(ねぎ)は、岐阜県高山市の国指定重要文化財・日下部民藝館2F奥の間にて、『計算機自然(デジタル ネイチャー)神社』を正式に創建しました。 創建式では、計算機自然 神社の禰宜として落合陽一 自ら執り行います。 日下部民芸館1階の仮殿に祀られていた「ヌルの神様」を、同館2階の奥間に鎮座する「オブジェクト指向菩薩」の隣に移動させ、神仏習合し鎮まることで正式に「計算機自然神社」が創建されます。 日下部民芸館を訪れた外国人の方々も神仏習合の神事に大変関心を持ち、60人ほどの参列者の30人以上が外国人となり、禁足地にまで踏み入ってしまうほど溢れてしまい、式が中断することもありました。 しかし、計算機自然神社の宮澤伸幸 宮司、落合陽一 禰宜に

    落合陽一、新たな神仏習合の神社を自ら神職となり創建する。
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    ebmgsd1235 2024/11/10
    自然が計算機の中にも外にも存在し、その両者が相互に作用しループを形成され新しい自然に、計算機科学の「ヌル(Null)」の概念を神格化した「ヌルの神様」を祀った杜、大日如来に関連する「オブジェクト指向菩薩」
  • 日本人の「推し活」と宗教との類似性,そこに潜む課題とは。「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」聴講レポート[CEDEC 2024]

    人の「推し活」と宗教との類似性,そこに潜む課題とは。「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」聴講レポート[CEDEC 2024] ライター:柳 雄大 2024年8月21日,ゲーム開発者向け会議「CEDEC 2024」にて,関西学院大学神学部・准教授の柳澤田実(やなぎさわ たみ)氏による「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」と題したセッションが行われた。 これは,「推し活」に代表される日のファンダム(熱狂的ファンが形成するコミュニティ)カルチャーと宗教との類似性,そこに顕在化する問題点と共に,“ファンダムが「善い」宗教である”ために何が重要であるかを解説するという内容だ。講演者の柳澤氏は1973年生まれで,哲学・キリスト教思想を専門に長年の研究を続け,近年では宗教学の観点から「推し活」と宗教の類似性を指摘した評論が知られている。 一見,ゲーム開発とは直接結びつきにくそうな題材だが

    日本人の「推し活」と宗教との類似性,そこに潜む課題とは。「消費社会の宗教:ファンダム・カルチャー」聴講レポート[CEDEC 2024]
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    ebmgsd1235 2024/08/23
    消費社会の宗教、聖なる価値、脱リベラル(非合理)?福音派の先祖返り?日本人は「神聖さ」に対する感受性が高い、善き不真面目なごっこ遊び、推し活、浮遊するアイデンティティ、ファンダム、パラソーシャルを往来
  • 「利己的遺伝子」のスター科学者、ドーキンスが到達した「日本人みたいな宗教観」(学術文庫&選書メチエ編集部)

    「利己的遺伝子」のスター科学者、ドーキンスが到達した「日人みたいな宗教観」 原理主義化する「新無神論」 聖書の記述をそのまま信じ、学校教育から進化論を排除しようとする創造論者と、科学で理論武装し、神の存在を否定する無神論者。両者の長い戦いは、21世紀になって新たな局面を迎えている。「四騎士(フォーホースメン)」と呼ばれる無神論者たちの登場で戦線が拡大し、聖女マザー・テレサやキング牧師、さらにその支持者までが、厳しい批判にさらされている。批判の矛先は創造論者やカルトだけではなく、「穏健な信仰者」にも向けられているのだ。 宗教を滅ぼす「4人の騎士」 無神論者にとって、創造論者との戦いは手間のかかる消耗戦だ。話は通じないし、いくら倒してもゾンビのように現れる。このキリがない波状攻撃を止めるには、発生源を断つしかない。キリスト教が消滅すれば、創造論者もいなくなる――。 こう考えた無神論者たちがい

    「利己的遺伝子」のスター科学者、ドーキンスが到達した「日本人みたいな宗教観」(学術文庫&選書メチエ編集部)
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    ebmgsd1235 2023/09/12
    穏健な信仰者にも改宗を迫ってるの?苦しんで死を受け入れるのを推奨?終末医療としてお粗末だったもしれないけどマザー・テレサの癒しを四騎士には望めないしキング牧師のように言葉で激できない。宗教なき信仰は?
  • かくれキリシタン:存続の危機 長崎・信徒発見150年  - 毎日新聞

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    ebmgsd1235 2015/03/15
    伝承される行事(秘儀や秘跡)は信仰にとって本質ではない。日本のカクレは独自の聖書をもち異端となったのか、それともそもそも聖書の民ではなかったのか?前から気にしてた遠藤周作の『沈黙』を読んでみよかしら。
  • レヴィナスの時間論 - 内田樹の研究室

    『福音と世界』という冊子に標記のような文を寄せた。あまりふつうの人の眼には止まらないような媒体なので、ここに再録しておく。 レヴィナスの時間論 最初は「レヴィナスの終末論」というお題を頂いた。原稿を引き受けたのは昨年の12月である。そのときには「あのこと」を書こうというアイディアがあったのだと思う(そうでなければ引き受けない)。だが、10ヶ月経って、いざ締め切り間際になってみると、そのとき何を書く気で引き受けたのかが思い出せない。とりあえず、レヴィナスの時間の観念についてなら少し書けそうな気がするので、それを書こうと思う。それはユダヤ教の終末論的思考にどこかで通底しているはずである。 エマニュエル・レヴィナス(1906-95)の戦後すぐの著作に『時間と他者』がある。短い講演録だが、正直言うと、ほとんど意味不明のテクストである。 終戦直後に「ホロコースト・サヴァイヴァー」としてのレヴィナスの

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    ebmgsd1235 2014/11/18
    内田先生の専門のお話。それは認識(併合)や脱自(埋没)ではない、他者との根源的関係とは宙吊りされたままの、しかし「この絶対的な未決と隔絶は時間のうちでひとつの希望に転化する」、沁みるなあ。不在のメシア
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